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    法政大学図書館出版局・横山源之助全集 第7巻 殖民(一)『海外活動の日本人』第二 英領加奈陀  相川 之賀氏の閲歴 (少年時代の相川氏/桑港を去って沙都に赴く/アラスカの猟虎狩猟計画/スキナ河    口の遡航/日本人との邂逅/土人を説いて事業を共にす)  
 
 
 相川之賀氏の前途              
       〜 相川之英氏の祖父の相川之賀氏が明治時代の青年期に渡カナダの記述が載っている。 
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   和風上等 のブログへ  (〔旧姓鎌田〕寺島造酒之助の事について)  
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  補足
 
 ◇鎌田四郎兵衛
 
  伊達郡鎌田村に居住し、成実に仕える。子孫は伊達吉村の代本藩に鍼医として召出される。

    仙台藩虎の間 鎌田家先祖四郎兵衛、伊達郡鎌田を知行。晴宗代永禄年中旗頭を務め、杉目城代。嫡子源蔵を継ぎ四郎兵衛と改称、輝宗代備前と改称。
 
 http://shigezane.fc2web.com/majime/kasin/kasin.html 成美三昧のブログより抜粋する。



 
 鎌田城の歴史   
   
  鎌田城は、弘長2年(1262)に大和国から入部した宇野中務小輔源信治によって築かれた。

 信治は鎌田荘を拝領して後に鎌田氏を称し、その所領は300貫とも5,000貫ともいわれる。

 後の伊達晴宗の時代には、鎌田四郎兵衛某が鎌田郷に拠って杉目城代を兼ねたとされ、慶長年間(1596〜1615)には鎌田和泉守源親行・鎌田兵部尉源親名の名前が見え、鎌田氏は累代鎌田城を居城にしていたと思われる。

 現在は文永年間(1264〜75)に宇野信治が創建した曹洞宗鎌秀院が主郭跡に存在する。

                                                     東北城館魂 のブログより抜粋する。

  鎌田の鎌秀院が鎌田城の跡である。

 鎌田城は、阿武隈川の支流である耳取川の東岸に築かれている。この川の流れを天然の堀として取り込み、また、すぐ
東の国道4号線(奥州街道)を押さえる位置にある。

 鎌秀院の西側と南側には、郭内からでも3mほどの高さのある重厚な土塁が残されている。おそらくこの土塁が四周していたのだと思われるが、東側は駐車場の造成や宅地化によって、北側は道路の造成によって、いずれも失われてしまったものであろう。

 西側の土塁も、その一部は墓地の造成によって崩されてしまっている。

 現状の遺構から推察して、館の規模は100m四方ほどであったと想像される。小規模ながら、堅固な土塁と堀によって
防御された平城であった。
 
 鎌田城主の鎌田氏の祖は宇野信治だという。信治は大和の豪族であったが、鎌倉時代の弘長2年(1262)、この地に所
領を得て、移り住んで来たのだという。以後は蒲田氏を称して、この地の領主となった。

 鎌田氏は後に伊達氏に仕えるようになる。『伊達世臣家譜』によると、鎌田四郎兵衛が、伊達晴宗の時代に、鎌田郷に
おり、杉目城(福島城)の城代に任じられていたという。

                     余湖くんのお城のぺ−ジより抜粋する。

 弘長二年(1262)大和国より移封された宇野信次(信治)が築城し、以後鎌田を称して代々居城した。
 鎌田氏は戦国時代には伊達氏の家臣となり、伊達氏14代稙宗と嫡男晴宗が争った天文の乱では、嫡流と考えられている鎌田四郎兵衛某と出羽国長井庄にあった庶流の鎌田与総衛門が晴宗に与して加恩され、名取郡にあった鎌田助六は稙宗に
与して失脚したという。
 
 またこの頃四郎兵衛は杉目城代を兼ねたともされている。鎌田氏は慶長年間(1596-1615)に和泉守源親行、兵部尉源名の名が伝わっているが、天正十八年(1590)四郎兵衛の子息備前某が伊達政宗の岩出山城移住に従って鎌田郷を去っており、鎌田城は以後廃城になったと考えられている。

 現在城跡の中央に建てられている鎌秀院は、文永年間(1264-75)に宇野信治が創建したとされており、建治元年(1275)に城中で亡くなった信次の法名(鎌秀院殿源性信大居士)が寺名となっている。後世、本丸跡と伝えられているこの地に再建された。

 現在も西、南、北側に土塁が残っており、耳取川が自然の外堀となっています。規模は東西63間、南北77間あったとされています。
                  
                            さくらとおしろより抜粋する。


      
                            福島市の城館より抜粋する。


     
  ◇北日本評論 / 北日本評論社
   (キタニホン ヒョウロン)

成立年昭和10-18年 (1935-1943)
出版事項札幌
形態
資料注記昭和10年7月号(創刊号)-11月号.昭和11年新年号,11月号,昭和12年新年号,三周年記念特別号(10月号).昭和17年9-10,12月号,昭和18年2月号,4月号
請求記号高岡・松岡パンフ H 0286〜0288(北海道大学附属図書館本館・書庫)
収載目録名高岡・松岡旧蔵パンフレット目録
レコードID0H046690000000000

          
                         北海道大学・北方関係資料目録より抜粋する


 
執筆作品並びに刊行物
    
      史蹟の武蔵野を探ねて     新生堂  昭和11年 (1936年)
    
      行楽と史蹟の武蔵野「史蹟の武蔵野を探ねて」  姉妹篇      新生堂  昭和12年 (1937年)
    
      史蹟の武州忍町     武蔵野史蹟研究所  昭和17年  (1942年)
   
   鷹狩と埴輪鷹       武蔵野史談12号     埼玉県郷土文化会    昭和26年 (1952pp.55-57        
 
   行田市金石文集      行田市役所  昭和30年 (1955年)
 
   武州羽生金石文集成      関東史蹟会  昭和46年 (1971年)

      北日本評論 札幌  北日本評論社 <創刊号+創刊予告号> 昭和10年 (1935年) 樺太北海道東京特別急行列車
   
      北日本評論 札幌  北日本評論社 10月号<3周年記念特別号> 昭和12年 (1937年)道応雑誌を整理廃合せよ
    
      北日本評論  札幌    北日本評論社  12月号  昭和13年 (1938年)
    
      北日本評論  札幌    北日本評論社  <新春特別号> 昭和15年 (1940年)

      北日本評論 札幌  北日本評論社 9巻第5号 昭和15年 (1940年)大北海道綜合開発論・皇紀2600年記念論文集
 
     北日本評論 札幌  北日本評論社 第10巻第3号 昭16.4 (1941年)

      北日本評論 札幌  北日本評論社 12巻5号 昭和18年  (1943年)

   北日本評論 札幌  北日本評論社      昭和1?年 (19??年) 北海道石岸鑛業興隆論

      北海評論  札幌  北海評論社   1巻1号 昭和20年12月 (1945年)

      北海評論  札幌     北海評論社    1巻6号  昭和21年 (1946年) 憲法改正と天皇制の将来                                                                                
      北海評論  札幌  北海評論社   1巻7号 昭和21年10月 (1946年)

      北海評論  札幌  北海評論社    新年号 昭和22年 (1947年) 實働八時間制の断行を望む

      北海評論  札幌  北海評論社   2巻2号 昭和22年2月 (1947年)
   
   北海評論  札幌  北海評論社   2巻4号 昭和22年4月 (1947年)

      北海評論  札幌  北海評論社   2巻8号 昭和22年9月 (1947年) 本道開拓御製に関する一考案 他 
   
      北海評論  札幌  北海評論社   2巻9号 昭和22年10月 (1947年)

   北海評論  札幌  北海評論社   3巻1号 昭和23年

      北海評論  札幌  北海評論社   3巻6号 昭和23年7月 (1948年)

   北海評論  札幌  北海評論社   4巻7号 昭和24年9月 (1949年)

      北海評論  札幌  北海評論社   9月特別号 昭和27年(1952年) 再軍備と憲法改正を論ず  他
   
      北海評論  札幌  北海評論社   9巻2号 <北海評論増刊号> 昭和29年 (1954年)  北海道分県論
      
      北海評論  札幌  北海評論社    12月号 <創刊十周年記念号> 昭和29年 (1954年)
   北海評論  札幌  北海評論社  北方領土はどう処理されるべきか 昭和42年1967年) 
 
      北海評論 札幌  北海評論社       2月号 昭和46年 (1971年)北海道開発と自治その虚像と実像のあいだ 佐野法幸 
                         
   北海評論 札幌  北海評論社   7巻爽涼号 昭和46年9月 (1971年)
   
      北海評論 札幌  北海評論社   昭47年 (1972年)  わが道・わがたたかい 現代に生きる日本社会運動の証言 渡辺惣蔵(1907年-札幌生まれ)、序・河野密
        
      
 

  
脚注
    『一つの謎・杉山城址考ー寺島裕氏の御魂に献ぐ 』伊禮正雄  昭和44年 (1969年)

 
家族史
 
 父親が幕末の幕府側遊撃隊隊士寺島<旧姓鎌田>造酒之助で福島県福島市鎌田字古館の出身で伊達家の家臣。源は清和源氏頼親流・大和源氏。次男だったため鎌田家の継承から外れその後、剣術の道で生計をたてる。
 江戸で直新陰流、榊原鍵吉の道場へ入門する。
 
 後に直新陰流の免許皆伝になり道場を自ら経営するが道場の先輩、今井信郎<遊撃隊頭取>について遊撃隊隊士として函館戦争に参加。
 
 遊撃隊隊士として函館戦争に参加。官軍との戦闘で右腕を銃創、切断。降伏の後、鍋島家にお預けとなり、現在の静岡(駿府)に移る。そこで晩年を過ごし明治41年に亡くなる。今川義元の菩提寺で幼少期の家康が過ごした臨済寺には明治18年3月17日に建てた東招魂の碑がある。

        *相川之賀著  伊勢崎風土記 1936 雀里会
 

  
コラム・・・北海道の本と文化
 
北海道出版史稿 昭和 戦前篇・・・出村 文理氏   戦前の北海道関係雑誌類
 
 北海道における市販雑誌は、明治時代から函館・小樽・札幌等で多数刊行されたが
公的機関における所蔵が完全ではなく、刊行状態が十分に把握されていない。和歌・
俳句等の文芸関係や拓殖・教育関係を除き、いわゆる3号雑誌が多かったものと推察
する。
 
昭和に入ると、北大の各学部(医学部・工学部・理学部)開設による学部紀要や学
術団体の雑誌並びに衛生・産業関係(例:農業拓殖・石炭を含む鉱山)を中心とする
専門誌が創刊された。それらの大学・学術団体・各種団体刊行の雑誌は非売品若しく
は会員制であった。
 
現在、北海道新聞社が発行する『道新Today 』のような全道民向の市販雑誌は、総
合雑誌『北日本評論』(寺島裕主宰の政治・経済等の道政を論じた雑誌、昭和10年創
刊・北日本評論社、戦後『北海評論』に改題、昭和50年終刊)以外刊行されなかった
ようである。その一方、各市町村内の広報紙を各種団体等による雑誌・新聞等(月刊)
が多数刊行されていた。
 政府による戦時体制の強化に基づく言論統制や出版統制のため、昭和12年以降、上
記の雑誌・新聞等の統廃合と廃止が進んだ。
 
戦前の北海道関係の雑誌は誌名が分かっていても現物がなく、不詳なことが多い。
 昭和16年版の『北海タイムス年鑑』によれば、当時道内刊行の月刊雑誌(専門誌・会
員制のものを含む、大学の紀要・学術雑誌を除く)及び新聞等(月刊)は次のとおり
である。
 
北海道教育、北海薬報、北海道農業、北海教育評論、北海の水産、札幌商工会議所
 月報、畜産雑誌、組合彙報、共栄、北海道社会事業、衛生月報、北海道統計、北海真
宗、酪農、北農、広島村報雄飛、北海道農会報、北日本評論、北海道警防、北海道樺
太衛生、農検、自民、札貯、協同、澱粉、北海道産業報国(以上、札幌市)
 
北海国民、北海道工業新聞、小樽市公報、北海道海運通信、北海道浴場新聞、小樽
港新聞、慈光、北海道医事新報、北海道教育新聞(以上、小樽市)
 
ますらを、五稜ヶ丘、函館教育、親潮、函館商工会議所月報(以上、函館市)
 
旭の光、旭の恵(以上、旭川市)、白樺、鋼之友(以上、室蘭市)、釧路月報、釧
路時報、太平洋(以上、釧路市)、十勝青年、帯広市公報、菩提樹(以上、帯広市)
 
聖戦(安平村)、わが村(神楽村)、神居村報(神居村)、雄別協和(舌辛村)、
村の友(大正村)、我が村(芽室村)、我が村(栗沢村)、昭和の光、奔別親友(以
上、三笠町)、前田村報(前田村)、根室水産会報(根室町)、協和会報(夕張町)、
茂尻協和会報(赤平町)、歌志内親友(歌志内町)、美唄、美唄協和会報(美唄町)、
北海洞上(下川村)、珊瑠(長沼村)、本別町公報(本別町)、中頓別村報(中頓別
村)、美幌町郷土だより(美幌町)、滝上村報(滝上村)、音別村報(音別村)、雄
武(雄武村)、鴻之舞親友(紋別町)
 
これらの雑誌・公報・月刊新聞等の多くは保存させず、かつ保存しても終戦時に破
棄・焼却されたりして、現在、公的機関等に所蔵されていない。上記雑誌類、特に市
町村広報類が完全に保存されていたならば、後年の市町村史編纂の史料となっていた
であろう。
 
 〜多くは現物がなく誌名以外は不詳

  
 ◇コラム−北海道の本と文化 北海道出版史稿 昭和・戦前篇8  出村 文理氏  戦前の北海道関係雑誌類 発行
      
  北海道読書新聞社 〒060-0041 札幌市中央区大通東2 プレジデント札幌7階
 
 

 

 

本人歴


本人暦
  
  1901年  (明治34年) ・・・ 静岡県静岡市に生まれる。
  1914年  (明治41年) ・・・ 寺島裕の父、寺島<旧姓鎌田>造酒之助が亡くなる。
  1920年 (大正9年) ・・・  寺島裕はジャ-ナリストのちに東京都新宿区議会議員になる山根キク女史 [著書『光は東方より』『キリストは日本で死んでいる』]と結婚し四男一女を授かる。
 1920年 (大正9年) ・・・ 長男の知己が誕生する。
 1922年 (大正11年) 6月15日 ・・・ 次男の正己が誕生する。
 1923年  (大正12年) 11月17日 ・・・ 長女の瑠璃子は幼くして病死する。長男と次男は道場で寺島裕氏から剣術で竹刀だこが出来るまで鍛えられ悪さをすると庭の木に吊るされたそうだ。
  1925年 (大正14年) 11月13日 ・・・  三男の克己が誕生する。
  1927年 (昭和2年) ・・・ 四男の晴己が誕生する。
 1927年 (昭和2年) ・・・ 山根菊子との結婚生活が破綻し離婚する。
 1935年 (昭和10年) ・・・ 北海道の札幌で北日本評論社を立ち上げて社長に就任し北日本評論を創刊する。
  1936年 (昭和11年) ・・・ 史蹟の武蔵野を探ねてを出版する。
 1937年  (昭和12年) ・・・ 『行楽と史蹟の武蔵』 『史蹟の武蔵野を探ねて』の姉妹篇 を出版する。
 1942年 (昭和17年) ・・・ 『史蹟の武州忍町』を出版する。
 1946年 (昭和21年) ・・・ 北海道の札幌の北日本評論社を北海評論社に社名を改名する。
  1946年  (昭和21年)  3月11日  ・・・ 45歳の時に第22回衆議院議員選挙【北海道1区】から前元新で立候補する。
 1950年 (昭和25年) 10月15日  ・・・  相川考古館(群馬県重要文化財)の設立に尽する。
 195?年 (昭和2?年)     ・・・  寺島裕と相川之賀氏の長女徹子女史が結婚し、相川之英氏が生まれる。
 1955年 (昭和30年) ・・・ 『行田金石文集』を出版する。
 1971年  (昭和46年) ・・・ 『武州羽生金石文集成』を出版するが、出版を前にそれを見ることなく病死する。
 

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