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スーパーにも、八百屋にもこの季節真っ赤ないちごが並んでいる。
小学校4年の時、友達の誕生会に呼ばれた。
その頃の我が家は、父親が病気で仕事がまともに出来ず、お決まりの経済的にどん底だった.
だから、他の子の誕生会に呼ばれても行くことはなかったが、
その友達は仲が良かったので、断りたくなかった。
けれど、そんな経済状態の家で、
親にプレゼントを買う金が欲しいなんて言えない。
そんな金がないことは、子供ながらにわかっていた。
当日自分の持ち金で買えるのは、えんぴつ2本と消しゴム、これでも精一杯だった。
お店で出来るだけ綺麗な紙袋に入れてもらって、なんとなく気恥ずかしい気持ちで行った。
友だちの家には、男3人と女の子2人がもう来ていた。
みんなの、プレゼントはプラモデルとかプレゼントらしいもの。
恥ずかしい気持ちで、紙袋を出した。
それを、見た友達の母親は、料理も出すのにこれだけ?と笑った。
こんなもの持ってノコノコノと来た自分を、激しく後悔した。
やっぱり断ればよかった。ずっとそんなことを思っていた。
そのあとの事は、何を食べたのかも良く覚えていない。
ただ、最後に真っ赤ないちごが出た。その赤が強く印象に残っている。
みんなの皿には、6個の真っ赤ないちごがのっていた。
自分の皿には、3個、みんなの半分、
そして、白くふやけていたんだもの、黒くいたんだものだった。
あんなプレゼントだからだろう。ちょっと酸っぱくて苦いいちごだった。
帰り道、自分で稼げるようになったら、腹いっぱい真っ赤ないちごを食べてやろう、
そして、人によって差別するような人には絶対にならないと思った。
自分のちからでは、どうしようもない境遇の人、それを差別する人。
あの母親に正直感謝はしていないけれど、
子供の僕に、差別される者の辛さを身を以て教えてくれた。
今の時代はなんでもかんでも自己責任で、持てるものは益々贅沢を謳歌して、
ないもの同士が足を引っ張り合うような社会になっているように思う。
安倍さんも、麻生さんも貧困なんて無縁で育った人たちが政治を行っている。
どうしょうもない境遇の人たちは当時よりも、
今は色々な面でましになってきているのだろうか?
そうは思えないが…。
いちご、
あんなことがあると、その食べ物が嫌いになる人が多いけど、
あの時のいちごはほろ苦かったけれど、
今でもいちごは大好き。
そうそうあの時思った腹いっぱいに真っ赤ないちごを食べることは実現したか?
今は自分のお金で、買うことも出来るし、食べ放題に行くことも出来る、
でも腹いっぱい食べるのは、まだまだ先の楽しみにしようと思っているんだ。
ほろ苦い味とあの時の気持ちを忘れないためにも、まだもう少し先にしょうと…。 |
人生
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連日のように猛暑が続いてますが、.
もう少しで、暑さも終わりですね。 先日歩くことが不自由な人と、一緒に街を歩いた。 口も少し歪んでいる。 通り過ぎる人が、じっと見ていく。視線がイタい。。 振り返ると、通り過ぎた人が、振り返り立ち止り見ている。 頭から足の先まで、何度も首をふりながら。 じっと見ている。 それは、自分と違う人に対する、単なる好奇の目かもしれない、 なにげない、かわいそうという、同情の目かもしれない。 けれど、その鋭い視線に、 「彼はあなたに、なにか危害をあたえましたか、
だから、そんな目で見ないであげてください、 ただ、一生懸命歩いているだけなのに」 そう言いたくても、彼はずっとこの視線を受けて生きてきた。
たかだか数時間、自分は彼と同じ視線を受けているにすぎない。 慣れると人は言うけれど、こんなことに慣れる人はいるのだろうか。
彼も家族もずっとこれに耐えてきたのだ。
彼も一時は、家に引きこもってしまったそうだ。
右利き、左利き、
背の高い人、低い人、太った人、痩せた人、
色々な人がいる、 自分と違うから、おかしいの、可愛そうなの。 違って当たり前、それこそ個性だよね。 彼にどうやってひきこもりから抜け出せたのか聞くと、 「ずっとこんな身体に産んだ親を恨んだり、神様を憎んだり、社会を呪ったりしたけれど、
なにも変わらなかった、いくら恨んだり憎んだりしても、なにも良くならなかった。 ただ自分を追い込んで、辛く苦しい日々を、送っているだけな事に気付いた、 だからしょうがないと思って、自分を受け入れることにしたんだ、 だめな部分も全て、これが自分なんだと」 現実は現実。目の前の現実が、どんなに辛く苦しいものであっても、
簡単に変えられない現実はある。 変えられない現実と、どこかで自分なりの折り合いをつけていく。 変えられないのなら、その事実をどう受け止めるかで、違ってくるんだね。
その現実を、より辛く大きくしてしまうのも自分、小さく出来るのも自分の受け入れ方次第なんだね。
与えられた運命に負けることなく、
彼はしっかり前を向いて歩いていた。 下を向いてイジイジ歩いていたのは、自分の方だった。 どんな人も、誰かが変わって、人生を歩いていくことは出来ない。
自分の人生は、自分でしか歩けない。
きっと彼も、自分の道を,
彼らしく歩いていってくれるだろうね。
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近所の玄関の軒下に、鳥かごが掛かっていた。
中の鳥は、羽はあまり綺麗じゃないが、
とてもきれいな声で鳴いていた。
けして、大きい鳴き声ではなく、心地いい小さ目の鳴き声だった。
通るたびに、いい鳴き声だなと思っていた。
しばらく、通らなかったら居なくなっていた。
そこにいた飼い主に聞いたら、
全然鳴かなくなったので、処分したという。
飼い主は、小鳥が好きなんじゃなく、
ただ、珍しくいい鳴き声の鳥を、自慢したかっただけなのだ。
鳥だって鳴きたくない時が、あっただろうに。
人通りの多い所で、慣れるまで落ち着かず鳴いていたのかもしれない。
新しい環境で飼い主に、気にいられるために鳴いていたのかもしれない。
いつも笑顔の人が、体調が悪かったり、
落ち込むことがあったり、特別に理由がなくても、
不機嫌な顔や暗い顔をすると、
「あなた、らしくない」とか言われる。
笑顔も、不機嫌な顔も、
その人自身で、他の誰でもないのに。
明るいだけの人もいないし、
暗いだけの人も,
いないはずなのに。
本当の自分の姿ってなんだろうね。
自分が思っている姿が、ほんとの自分なのだろうか。
他人が見ている自分が、本当の自分の姿なのだろうか。
笑ってないと、明るくないと、
他の人に、受け入れてもらえないんじゃないか。
そんな気持ちが、心の片隅で、自分の感情を隠す。
笑っているのに、心の中はちっとも笑ってなんかいない。
笑顔じゃなくたって、受け入れてくれる人はいるのに。
それが、見えずに不安なんだよね。
「らしくない」その言葉の呪縛はとても大きいね。
笑顔も、暗い顔もすべて自分なんだと、受け入れられた時、
その呪縛から、少し解放される気がする。
後日、やっぱりあの鳥の事が気になり、元飼い主に聞いた。
鳥は、近所の一人暮らしのお年寄りが引き取ってくれたそうだ。
良かった。
今度は、羽があんまり綺麗じゃないことも、
いい声で鳴かないことも、すべて受け入れたうえで飼ってくれるのだ。
もう人にさらされることもなく、可愛がってもらえるだろう。
そうしたら、またあの鳴き声を披露するかもしれない。
その鳥本来の姿になれるのだろうね。 |
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暑いくらいの気温になり、
先日までの寒さから、春のぽかぽか陽気を越えて、
初夏ですね。
“自分を幸せに出来るのは、自分だけ”というと、
いや、そうじゃない、
人からの言葉や行動で、幸せになることの方が、
多いというコメントをもらいました。
たしかに、人からの言葉や行動で、
幸せを感じることは多い。
むしろ、その方がより喜びも
大きいのではないかと思います。
けれど、他人に幸せにしてもらおうと受け身になるのは、
最近問題になった、占い師との関係などでもわかるように、
あくまでも、人から幸せにしてもらうことだよね。
何かをしたから、
温かい言葉を期待したり、
見返りをつい求めてしまう。
もし、自分の期待したものと違う反応や言葉が返ってきたら、
そのたびに落ち込んだりしませんか。
不安になるのがいやだから、
はっきりと相手に言える人は、
きっと不安も少ないのではないかな。
言いたくても言えない、
相手の反応を先読みしてしまう。
そんな人に、
他人の反応ではなく、
自分自身が、やりたくてやったことなら、
言いたくて言ったことなら、
その反応に一喜一憂しないで、
すむのではないかと思います。
どんなに、人からいい言葉をかけられても、
行動をかけられたりしても、
自分がそれを幸せと感じなければ、
幸せとは感じないよね。
だから、自分を幸せにできるのは、
他人からじゃなく、自分自身だと思うのです。
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だんだん雨が降る日が、増えてきて
春が近づいてるんですね。
職場でも、毎日の生活でも
とかく社会にかかわっていくのは大変だが、
やっぱり、社会にかかわっていかないと、
人はすさんでいくように思う。
生活費さえあればいきていけるが、
自己実現したり、社会に貢献したり、
なんらかで、社会とかかわっていくことで、
生きている実感みたいなものが、得られるんだろうか。
よくこの先、自分はどう生きていくかを見つめなおしたり、
具体的にどんな仕事をしていきたいのか、考えた方がいいとは
言うけれど、簡単じゃないよね。
ただ、どんな状況であっても、
社会とかかわりながら、自分を見つめなおしていくしか
ないのかな。
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