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弟は、マザコンである。
なまえは勇ましい。だけど中身はものすごくナイーブで優しい。
父は田舎の農家の生まれなので、長男誕生をそれはそれは喜んだ。
母は、はじめての息子を自分の理想の男性に育てようとした。
父は母が息子を思い通りに育てていることに不満をもった。
母の理想の男性像とはどんなものだったのだろう。
祖父を好きだったと言っていた。祖父は豪放磊落、男気の強い、強いから弱いものには優しい、そういう人だったらしい。(祖母談)
しかし弟は、子供のころは女っぽいと友達に笑われたりする、礼儀正しすぎるなよなよとした感じの、
成績優秀で目立ちたがり屋で、責任感が強く母親に従順な少年になった。
弟は小学生のとき、母の誕生日に誕生石の入った指輪をプレゼントした。
弟は母にちやほやされたし、弟も母をちやほやした。
弟は、母がもし死んだら○秒以内に僕も死ぬ
(○秒に一人の割合で人が死んでいるので、○秒以内に死ねば、
閻魔様に向う行列に一緒に並べると思うからだそうだ)と言って、母を喜ばせた。
(なんでそこで喜ぶかねえ)(何秒だったか、覚えていないので○秒)
子供の頃、母はよく弟に言っていた。
「パパみたいになっちゃだめよ」
小学生のころは、四谷大塚進学教室で毎月配られる冊子に成績優秀者一覧に載るほど勉強ができた。
中学受験をしたが、結果は聞かなかったが、区立中へ行ったので、全部不合格だったのだろう。
弟は中学2年の冬、母に連れられて祖母のアパートに引っ越してきた。
女ばかりの中で思春期をプライバシーなく生活させたのはかわいそうだった。
こっそりひげを剃っているのを、母と姉ふたりはひやかした。
バスケット部に入ってから急に背が伸びた。
高校は都立中堅校へ行った。
高校2年で1ヶ月のアメリカ短期留学をした。
味をしめて、高校3年で1年間の留学をした。
そのころ、弟は父と再び会うようになっていたらしい。
費用は父が出した。
ホームステイ先でトラブルがあったとき、弟ははじめて父を頼った。
外務省や留学生協会に交渉してくれた父を頼りがいのある人だと思ったそうだ。
葬儀の喪主挨拶で、はじめて弟が語った父との思い出だった。
帰国すると、父の家に住むようになった。
その頃、妹も父と住んでいた。
帰国枠で大学に入学した。(かしこい)
英語はぺらぺらになっていた。(すごい)
ただし、やっぱり大人になっても、なんとなく女っぽい。
祖母の法事で会ったとき、10年ぶりぐらいにふたりで話をした。
「結婚する気ないの?」
「僕は結婚しないよ。一生一人のひとを愛する自信がないから。
愛し合ってる両親に育ててもらわなかったら、子供がかわいそうだからね。」
そして、昨日、会計事務所の帰り、
「僕はね、パパの葬儀のあと、ママが泣いて、
『大切な人を亡くした。私は鈍感だから、亡くすまで大切だということに気づかなかった』
って、言ったんだよ。それを聞いて、僕は嬉しかった。
僕はふたりが愛し合った結果生まれた子供だったんだなって、そのときはじめて知ったんだ」
なんて、かわいそうな弟でしょう。
たんたんと、母を大切にして生きてきて、でもとっても寂しかったでしょうに。
自分がこの世に生まれたことを、愛の結果だと思えなかった長い間。
弟ももう、今度の秋で43歳。
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弟さんにしてみたら両親どちらもとても大切な存在だったんでしょうね。それだけに寂しさがあったと思います。これからでも良い人に巡り会って幸せになって欲しいと思います。
2007/4/8(日) 午後 1:11
まったくです。が、母が・・・。あの母と嫁???想像しただけでぞっとする。来たら嫁がかわいそうだわ。
2007/4/8(日) 午後 1:26 [ mari_jp1958 ]