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いらいらして、八つ当たりしたくなるのはなぜだろう?更年期のせいかな。自己嫌悪。
先日の会計士の件、よく考えれば、こちらの意向をきちんと伝えられなかった自分だって悪かったな。と、今日は思う。
父が動けなくなってから、どんどん自分自身の問題が明らかになってきたように思う。
今までは半端だった。
父は存在した。だけど、おとうさんという存在ではなかった。
今父は本当にいなくなってしまった。存在しない。だけど、今心の中におとうさんがいる。
苦しみと恐怖と後悔と、ほんの少しの喜びを共にした、たった2ヶ月の親子の語り合い。
最後の2ヶ月で、父は、長い間私に与えることができなくて悔やんでいた父としてのあたたかさを注いでくれた。
究極の、死という恐怖の中で、父は赤裸々に父という人間を表現した。
怒る、喜ぶ、怒鳴る、泣く、叱る、ほめる、謝る、笑わす、遠慮する、横柄になる、考えられるあらゆる感情表現。
転ぶ、吐く、便秘する、下痢する、痩せる、むくむ、食べる、投げる、むせる・・・。
そして、真実の心、父の人生の真実、生きたことの誇りを、伝えてくれた。
生をあきらめない強い意志をもって、最後まで病気と前向きに闘う姿は、私を感動させた。
理屈ぬきの親子愛にきづかせた。
それまで乾いていた私の中の親に対する気持ちが、父のあたたかい涙で潤されていった。
たった2ヶ月だったからこそ、濃く美しく心にやきついているのだろう。
ありがとう。父に愛されたことを信じます。
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離れている時もきっとmariさんご兄弟をお父様は愛し続けていたと思いますよ。そして最後の2ヶ月で示されたんだと思います。いいお父様ですね!私のおとんは多分無理。最後まで悪あがきして死んでいきそうデス。
2007/4/12(木) 午前 10:28
kiraさん、ありがとう。悪あがきさえも、美しく残ってしまう、「死」というのは、「美化」なのかもしれないと、思います。
2007/4/12(木) 午後 6:52 [ mari_jp1958 ]
私も昨年、父を癌で亡くしました。父とはずっと疎遠でしたが、最期を看取ることが出来て本当に良かったです。あれだけ嫌った父なのに、今は心の支えです。自分が死ぬときは父のように死にたい、と心から思います。一方、認知症の母を見るのはとてもつらい。認知症は本当に悲惨な病気で、いまだ心のどこかで受け入れられない自分がいます。
2008/9/23(火) 午前 6:09 [ - ]
spiceさん、お越しくださってありがとうございます。
私も同じ思いです。父を今は心から慕っているし、母をみじめに感じます。今の私は、いつも父に、「これでいいかな?」と問いかけながら生きています。
2008/9/23(火) 午前 10:29 [ mari_jp1958 ]