マリア様とともに・・・

祈りの内にロザリオを作って黙想しています。

聖ピオ神父

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聖ピオ司祭

聖ピオ神父
 
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1887年、ナポリ近郊の貧しい家庭にピオ神父は生まれました。8人兄弟の2番目。子供の教育費を得るために、父は度々、アメリカやブラジルに出稼ぎに行きました。
 
 幼少の頃、彼は時々火がついたように泣き叫びました。それを見た父親は、とんでもない子を授かってしまったと嘆いたそうです。後年、ピオ神父はこう言いました。「幼い頃から私は夜中に悪魔に襲われました。背丈より大きな犬が飛びかからんばかりに攻めてきて非常に怖かったので、よく大きな声で泣きました」
 
 時には顔に蒼痣ができるほど悪魔に叩かれ、唇を切ることもあったそうです。信じられない高熱を出し、医者を驚かせたこともありました。体温計が吹っ切れたといいますから、どんな高熱だったのでしょうか。そんな高熱が3日も続くと、すっかり体力を落とし、痩せ細ってしまいました。医者には原因が全く分からなかったそうです。これも悪魔の仕業なのでしょう。
 
 彼は15歳の時に司祭を志し、フランシスコ会の一派であるカプチン会に入りました。23歳で叙階されるまで、そこで8年間学びました。
 
 28歳のとき、ピオ神父がミサを終え、イスに掛けていると、彼の前に高貴な人が現れました。その人にはキリストと同じ聖痕があり、両手両足から血が滲んでいました。暫くその人を見ているうちに,今度は自分の体にもキリストと同じ聖痕が現れたのです。その傷の痛みは、81歳で亡くなるまでピオ神父を苦しめました。
 
 その噂を知った多くの人が、興味本位で彼を囲むようになりました。ローマ教皇庁は、ピオ神父が人前に出たり、説教したりすることなどの活動を禁止しました。その措置に怒った3千人もの群衆が、教皇庁に押しかけたということです。禁止措置は数年で解けましたが、ピオ神父に罪の告白の秘蹟を求める人が日に日に増え、彼の死の前年には年間150万人が彼の住んでいたサン・ジョバンニ・ロトンドへ押しかけました。
 
 カトリックには、キリストの代理人である司祭に、自分の犯した罪を告白するという秘跡があります。ピオ神父は神からの特別の能力を授かっていて、自分が犯した罪を言い忘れた人には、「あなたはこれこれの罪の告白を言い忘れていませんか」と指摘しました。相手が貴族であろうと司教であろうと、容赦しなかったそうです。これによって多くの人の魂に神の赦しと平安を与えたことは、特筆に値します。
 
 1940年のことですが、戦場から運ばれてきた傷病兵がベットが足りないために廊下に寝かされているのに心を痛めたピオ神父は、修道院に帰える否や、同僚にこう宣言します。「私は今夜から大事業を始めます。この偉大な事業に協力した人は神から大いなる祝福を受けるでしょう」。こう言って病院建設に着手したのです。
 
 先ず知人の医者を会計に任命し、ポケットから10フランの金貨を取り出して彼の手に渡し、自ら付第一号になりました。その噂を聞きつけた多くの人が基金を持ち寄り、1957年には屋上にヘリポートの付いた1000室もある大病院を作ったのです。名づけて「苦難救助の家」。 アメリカの財団が一度に34万ドルも寄付してくれたことに、ピオ神父は生涯感謝しました。
 
 ピオ神父は多くの癒しを行なったことでも知られています。彼の死後に起きた話しです。ある婦人が胸に悪性の肉腫ができ、手術ができないので、抗がん剤を打ち続けていました。日に日に体力が衰えていた患者のところへ、友人がピオ神父の写真を持ってお見舞いにきました。写真を枕元において、夜休んでいたら、夢枕にピオ神父が現われ、痛いほど患部を抑えるのです。痛さをこらえて我慢しているうちに、深く寝入ってしまいました。翌朝目覚めた時には、神父はどこにもいません。数日後の検診では、病巣はすっかり消えていました。ピオ神父のこの類の話は数知れずあります。彼は癒しを頼まれて断ったことがありません。キリストが誰にでも等しく癒しを行ったのと同じです。
1968923日、イエズスとマリアの御名を繰り返し呼びながら帰天されました。教皇ヨハネ・パウロ2世によって199952日列福。同じく教皇ヨハネ・パウロ2世によって2002616日列聖。
 
 
ピオ神父という名前を聞くと、たいていの人が連想するのが「聖痕を受けた人」とか「奇跡を行う人」だと思います。しかし、実際は、祈りの人であり、神と聖母を熱烈に愛されたお方でした。それと同時に苦しみの人でもありました。生涯続いた、肉体的な病気の苦しみや痛みもあれば、霊的闇もありました。そして赤ちゃんの時から、ピオ神父をいじめた悪魔の存在もありました。
ピオ神父に、殴る蹴るの暴行を一晩中、行うこともあれば、十字架上の主や聖母の姿、あるいは、ピオ神父の保護者である、アッシジの聖フランシスコや天使の姿で現れて、ピオ神父をだまそうとしたり、あるいは、猥褻な姿や恐ろしい化け物の姿で現れ、誘惑や恐怖に陥れようともしました。
 
ピオ神父は、それでも、人々の救いと改心のために、そして煉獄の霊魂達を一刻も早く救うために、そして神を愛するために、喜んで、それらの苦しみを受けておられました。むしろ「十字架は、花婿の首飾りなのだ。その首飾りを失うまいと、私は気を配る。私の苦しみは快い。私が苦しいと思うのは、苦しまないときだけだ」あるいは「人生は、いわばカルワルオの道だ。だが登るのなら、いっそ楽しく登った方が良い」と言っておられるほどです。実際、ピオ神父様こそ、身をもって、「・・・キリストの体である教会のために、私の体を持って、キリストの苦しみの欠けたところを満たそうとする。神から委ねられた使命に従って、私は、教会の奉仕者となった」(コロサイ1の24〜25)事を体験され、そして示して下さった方だと思います。
 
もちろん、慈悲深い神様も、こうした犠牲と祈り、そして愛を生涯捧げ続けたピオ神父に対し、数々の恵みでお答えになりました。主や聖母の訪問もあれば、絶え間ない守護の天使の助けもありました(もし、守護の天使の特別な助けなかったら、ピオ神父は、ほとんど奇跡の類は、出来なかったと思います。彼は、ピオ神父の最良の友でした) 彼(ピオ神父の天使)は、ピオ神父を悪魔から守ったり、外国語の手紙を訳したり、あるいは、外国語で手紙の返事を出すときも彼が教えてくれました。
又あるときは、ピオ神父のメッセンジャーにもなりました。ピオ神父の霊的子供達やピオ神父に助けを求める世界中の信者からの答えとして、ピオ神父の祝福やメッセージあるいは、癒しのお恵みなどを運ぶのは、この天使の働きだったのです。(例外もありますが)
 
この天使とピオ神父の愛情と友情は、大変深いものがあります。もちろん、この守護の天使の存在は、ピオ神父だけの特別なものでは、ありません。我々のかたわらには、しっかりと守護の天使がいらっしゃいます。守護の天使は、我々を守り、そして見張っています。ですから彼の前で、恥ずべき事は、行わないように努めましょう。揺りかごから墓場まで、彼は、決してあなたから離れないし、見捨てもしません。この忠実な友を与えて下さった神様に感謝しましょう! 
  
ワンダ夫人の癒し
1962年、ワンダ・ポウタスカ夫人(当時40才、医者、4人の子女の母)に、喉頭ガンが見つかりました。しかも大変悪い状態で、一刻も早く手術が必要でした。しかし、その成功率は、わずか5%と低いものでした。
ワンダ夫人は、次のように言っています「私は、ピオ神父について何も知りませんでした。後で知ったことですが、今の教皇様(ヨハネ・パウロ2世)は、その当時クラクフの司教で、第2バチカン公会議に出席するため、ローマに滞在中でした。
私の家族は、カロル・ワィテイワ司教(教皇ヨハネ・パウロ2世)と親しくしていました。ワィテイワ司教は、夫から私の病気のことを聞き、ピオ神父に手紙を出したのだそうです。」
 
その手紙は、2通で、ラテン語で書かれていました。1通目には、次のように記されていました。「40才の女性のために祈りをお願いします。彼女は、4人の子の母親で、戦争中、ドイツのナチ収容所に5年間入れられていました。癌のため、生命の危険にさらされています。聖母マリアのお取り次ぎによって、神様が彼女を癒して下さるようにお願いします。キリストにおいて。ワィテイワ 1962年11月17日」
この手紙を司教に頼まれ、ピオ神父の元へ運んだ人は、その時のことを次のように言っています。「ピオ神父は、私に手紙を読んでくれるよう願いました。そして黙って手紙の内容を聞いた後、『この方、ワィテイワ司教様には、ノーとは、言えません。この手紙を大切にしなさい。彼は、いつか高い位にあがるでしょう』と言ったそうです。
 
ワンダ夫人は、ついに手術を受けることになり、入院しました。手術前の検査の結果は、驚いたことに全ての癌が消えていました。結局、入院した日に、めでたく退院できました。彼女の夫は、このことをすぐにローマのワィテイワ司教に電話で伝えました。それで、ワィテイワ司教は、ピオ神父に2通目の手紙を書いたのです。
「尊敬するピオ神父様。クラクフの女性は、11月21日、突然全快いたしました。全く手術の必要が無くなりました。神に感謝。彼女と家族がピオ神父様に衷心(ちゅうしん)より、感謝しています。」
5年後ワンダ夫人は、サン・ジョヴァンニ・ロトンドに行き、ピオ神父にあったそうです。ピオ神父のミサにあずかったワンダ夫人の所へミサ後、ピオ神父が来て「安心しなさい」と言ったそうです。
 
少女ジェンマ・ジョルジの癒し
この奇跡は、1947年に起き、当時のイタリア中のマスコミを大いにに騒がせた奇跡です。この年の夏、おばあさんと共にピオ神父の所に来た、7才の少女、ジェンマ・ディ・ジョルジは、生まれつき、虹彩が無く、全く目が見えませんでした(虹彩・・・眼球の前面、瞳の周りにある円盤状の膜。収縮して、瞳の大きさを変え、網膜に達する光の量を加減する。日本人は、茶褐色が多い)
ピオ神父の所に来たのは、やはり、かわいい孫の目が治るようにとピオ神父に祈ってもらう為でした。サン・ジョヴァンニ・ロトンドに着いたジェンマは、早速ピオ神父に罪の告白をしました。その後、ピオ神父は、ジェンマの目に優しく触れました。ピオ神父はおばあさんに「あなたのお孫さんは、見えるようになります。必ず見えるようになります」と繰り返して言いました。そして、その言葉通り、ジェンマは、御聖体拝領の後、虹彩がないにも関わらず、目が見えるようになりました。
 
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 「40年前に亡くなったピオ神父の遺骸が、腐敗を免れて、一般に公開されています」。 カトリックでは、死後遺骸が腐敗を免れることは数多くあります。忠実に主の教えを守り、多くの人を改心させて人々の模範となった者を、遺骸が腐敗しないという奇跡によって神は賞賛なさるのです。
 
 
 
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今年のスケジュール帳をなくしてしまいました。どこをどう探しても見つからないので、また同じものを購入しました。また早めに書き留めておこうと思います(^-^)

2011/3/4(金) 午後 10:19 [ コットンウール ]

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コットンウールさん、こんにちは^^
スケジュール表早く見つかるといいですね。
写しやすいので・・・
行事はいっぱいですか?

2011/3/5(土) 午後 1:01 [ アベマリア ]

子供三人なんで予定がもう書いておかないとまるで覚えられません(T-T)
重要なところは蛍光ぺんで(笑)

最後の方に、ピオ神父様の言葉を

2011/3/6(日) 午前 5:56 [ コットンウール ]

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コットンウールさん、こんにちは^^
子供さんがいらっしゃると、行事がいっぱいで大変ですね。
重なってしまうこともいっぱいでしょうネ。
神様がご家族を祝福して下さいますように・・・
ピオ神父様の言葉、また、紹介したいですね^^

2011/3/6(日) 午前 8:37 [ アベマリア ]


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