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B年 年間第33主日
マルコによる福音 (マルコ13.24-32)
(その時、イエスは弟子たちに言われた。)「それらの日には、このような苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、 星は空から落ち、天体は揺り動かされる。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。 それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。」
最後の日というのは、本当にいつかわかりません。今の時代のように、不安定な時代なら、なおさらです。当時の人々にとっても、もっと身近に感じられたことでしょう。しかし、その日、その時は、御父だけが御存じだという言葉を胸に、いたずらに心を騒がせてはいけないと思います。いつその時が来てもいいように、常に準備していたいものです。
この終末のときは、世界の終末であると同時に、自分自身の「死」という出来事も表していると思います。「私はいつ死んでもいい」と言える人も少ないと思いますが、もし言えたとしても、「じゃあ、今」と言われると困るかもしれません。私などは、「いつ呼んでくださってもいいですが、準備の期間をください。」といいそうです。片づけなければならないものもあるし、お別れもしたいし、ゆるしの秘跡も授かって・・・と、結局、「御父の時」ではなく、「自分の時」を望んでしまっています。
いつでもと言いながら、本当は、いつでもでは困ってしまう生き方です。
聖ドミニコ・サビオは、「一日で死ぬとしたら何をしますか?」という問いかけに、「今していることをそのままします」と答えたそうです。今している生き方が、御父とまっすぐに結びつくような生き方をしたいものです。
昔の修道院のように「メメントモリ(汝の死を覚えよ)」という生き方ができるように、一日一日を大切に過ごしたいと思います。(といいつつ、今日も何となく過ごしてしまう自分がいます^^)回心は、難しいです;;
東日本大震災で
亡くなった方のために。
「主よ、永遠の安息を彼らに与えたまえ、かれらの安らかに憩わんことを」
苦しみの中にある人のために
「主よ、私たちを憐れんで下さい。」
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ぽちっとよろしくお願いします^^
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毎日雑事に追われながらぽわ〜んと過ごしています


四谷まで行かないとです。寒くなってきて暖房費もかさみますが、昔のように質素な暮らしに憧れます(笑)
赦しの秘蹟だけはマズイです
突然の死には対応できないですね
定期的に受け続けなくてはいけないような〜
自然を利用させて貰いながら、自然とともに生きるのは、なかなか簡単なようで現代社会では難しくなってきている感じがします。クリスマスが近づくと何故か忙しく、時が過ぎるのもとても早く感じます。私も与えられた時を有効に大切に使えたらと思います
2012/11/15(木) 午後 1:54 [ コットンウール ]
コットンウールさんこんにちは^^
ゆるしの秘跡だけは、うけておきたいですよね。
まあ、回心の大切さだから、死の瞬間にも、回心すれば、神様は受け入れてくださるんでしょうけどね
町はすっかりクリスマス、教会も忙しくなる時期ですね
忙しさに飲まれないようにしたいですね
2012/11/18(日) 午後 5:34 [ アベマリア ]