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ご降誕を迎え、とりあえず、3年間の福音も一周しましたので、
一旦、ブログを休憩しようかなと思いました。
気が向いたときにまた、再開するかもしれません^^
ブログ自体は消さないので、新しく訪問された方など、
福音のメッセージが伝わればと思います^^
たくさんの方と知り合えて、楽しかったです。
お世話になりました^^
いつかまた・・・
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C年 主の降誕
ルカによる福音書 2章1〜14節
そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」
主のご降誕おめでとうございます!!
この喜びの日に、神様の愛をたくさん受けながら、感謝のうちに過ごしたいとおもいます。全能の神様が、小さな幼子となられました。どんな人でも近づいていけるように、弱い弱い、小さな愛らしい姿で・・・なんの気取りもない、最も貧しい人も近づける、飼い葉おけの中で、布にくるまって、眠っておられます。これほどの優しさ、愛の深さが谷あるでしょうか?この小さな神の子の前に、静かに黙想したいと思います。
この2000年前の出来事は、世界中に広がり、この日本でも、お祝いされています。クリスマスの本当の意味を知らない人々も、喜びの気持ちです。そして、クリスマスキャロルを歌います。この日は、平和の日、喜びの日なのです。世界中の教会で、ミサがささげられ、神の御子の誕生を心から祝っています。
主の誕生の温かさを心に大切にしながら、人々が皆寝静まり、知らない間に、そっとお生まれになった御子を、私たちも心の沈黙と祈りのうちに迎えましょう。そして、天使たちとともに喜びの歌を歌いたいと思います。
グロリア グロリア 天には栄光、地には人々に平和 ♪
東日本大震災で
亡くなった方のために。
「主よ、永遠の安息を彼らに与えたまえ、かれらの安らかに憩わんことを」
苦しみの中にある人のために
「主よ、私たちを憐れんで下さい。」
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C年 待降節第4主日
ルカによる福音書 1章39〜45節
そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」
待降節第4主日です。いよいよ、4本目のろうそくが灯され、次の日の夜、主が降誕されます^^
マリア様は、イエス様の仲介者です。自分自身に起こった喜びを、さっそく、エリザベトへと伝えに行きます。エリザベトも、体内にいるヨハネも、会った瞬間祝福されました。
そして、よろこびのうちに、主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方はなんと幸いでしょう!というのです。救い主の仲介者、マリア様の取り次ぎを大切にしたいです。
主を迎えるにあたって、マリア様のように、私たちも喜びを伝える人でありたいと思います。だれか一人でも、教会にさそって、本当のクリスマスの喜びを一緒に味わう時を過ごせればいいなと思います。
東日本大震災で
亡くなった方のために。
「主よ、永遠の安息を彼らに与えたまえ、かれらの安らかに憩わんことを」
苦しみの中にある人のために
「主よ、私たちを憐れんで下さい。」
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C年 待降節第3主日
ルカによる福音書 3章10〜18節
「わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。
待降節第3主日は、喜びの主日ともいわれ、第一朗読も、第2朗読も喜びがいっぱいです。私は、一度だけ、バラ色の祭服を目にすることがありました。この喜びの主日の祭服です。その時は、なんだか得した気分になりました^^
イエス様を迎える準備をしている私たちです。それについて、具体的にどうすれば酔うのでしょう?と人々は尋ねています。ヨハネは具体例を挙げて、ごく身近なことから、愛の行いをするようにと勧めています。現代に生きる私たちは、どんな愛の行いができるでしょうか?
仏教には、無財の7施というすてきなことばがありますので、紹介したいと思います。
◎無財の七施
1.眼施(がんせ):優しいまなざしで接することをいいます 2.和顔施(わげんせ):なごやかで穏やかな顔つきで接すること 3.愛語施(あいごせ):あたたかい言葉を与えること 4.身施(しんせ):自分の身体で奉仕をすること 5.心施(しんせ):他の痛みや苦しみを自らのものとして感じ取れる心持ち 6.牀座施(しょうざせ):電車の中で喜んで席を譲る行為 7.房舎施(ぼうしゃせ):雨風をしのぐ所を与えること とてもすてきな言葉ですね。キリスト教の私たちにも実践できることです。心から、今、私のそばにいる人に、愛を分かち合う人になりたいと思います。
イエス様を迎えるまで、もうわずかです。イエス様の馬小屋に、柔らかい藁を強いて差し上げたいです。
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C年 待降節第2主日
ルカによる福音書 3章1〜6節
皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。
「荒れ野で叫ぶ者の声がする。
『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。
谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。
曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、
人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」
紫のろうそくも、2本目になりました。今回の福音は、カタカナが多く、読みにくいですが、きっと、ヨハネについてしっかりとした説明をしたかったのでしょう。この時こそ、預言された出来事であることと伝えたかったのだと思います。
典礼聖歌にこの歌がよく歌われます。ああ、待降節(アドベント)だなあと思う瞬間です。クリスマスは、日本でもメジャーなイベントとなっています。「教会でもクリスマスはお祝いしますか?」という笑えない質問もよくされます^^
だからこそ、私たちは、ヨハネのように、「荒れ野で叫ぶ声」とならないといけないのかもしれません。もう亡くなられましたが、ある神父様が、商店街で、お店の人にイエス様の話をしていました。「神父様、宣教ですか?」と聞くと、神父様は「すべての人に、神様の言葉を聞く権利があります。」と答えられました。この言葉は私の心に、ズドンと響きました。
決して押しつけではない、しかし、その人の権利を取り上げてはならない。私たちキリスト者は、聞く心の準備のある人に、神様の喜びを伝えるのを遠慮しているのだと思います。宗教アレルギーの日本ですから、福音宣教を堂々とするのは、はずかしいかったり、遠慮があったりします。
しかし、このクリスマスのときは、だれか一人でも、教会に誘っていきたいものです。神様の喜びを一緒に祝う、本当のクリスマスへの招待をできればいいなと思いました^^
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