マリア様とともに・・・

祈りの内にロザリオを作って黙想しています。

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B年 年間第15主日

B年 年間第15主日
 
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マルコによる福音 (マルコ6.7-13
 
(そのときイエスは、)十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。その際、汚れた霊に対する権能を授け、旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物は履くように、そして「下着は二枚着てはならない」と命じられた。 また、こうも言われた。「どこでも、ある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい。しかし、あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい。」十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。
 
イエス様に、派遣された私たちは、汚れた霊に対する権威を授かっています。
悪魔は、よい業が広まらないように、さまざまに、攻撃を仕掛けてくるでしょう。しかし、決定的な打撃を与えることはできないのです。
むやみに悪魔を畏れる必要はありません。むしろ、悪魔の方が私たちを恐れています。
だからといって、傲慢になってはいけません。それこそ、悪魔の格好の餌食になります。
私たちが頂いた、汚れた霊に対する権能は、神様からの預かりものであり、自分自身で手に入れたものではありません。つねに謙遜な心を忘れずにいなければいけません。
 
ですから、神さまの事を伝えることを、恐れずにいましょう。日本にいると、なかなか神さまの話はしにくい環境です。でも、機会があるごとに、神さまの福音を告げ知らせることは、私たちの使命なのです。恐れずに、大胆に、そして、謙虚な心で、福音の喜びを伝えていきたいものです。そのときは、何も持たずにいても大丈夫なのです。イエス様は何も持たずに行きなさいとおっしゃいます。福音宣教のために、神様はすべてを整えてくださいます。足りない中で満足することを知りましたとパウロがいうように、足りない事も不便なこともあるでしょう。しかし、私たちの手にあるのは、神さまの愛だけでじゅうぶんなのです。
 
また、二人ずつとおっしゃっているのですから、きっと独りよがりの宣教や、自分勝手な宣教ではないことは確かでしょう。23人が主の名のもとに集っているところに、主は共にいてくださいます。共にいてくださる主とともに、福音を告げ知らせたいと思います。
 
 
東日本大震災で
亡くなった方のために。
 
「主よ、永遠の安息を彼らに与えたまえ、かれらの安らかに憩わんことを」
 
苦しみの中にある人のために
「主よ、私たちを憐れんで下さい。」
 
 
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B年 年間第14主日

B年 年間第14主日
 
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マルコによる福音 (マルコ6.1-6
 
(そのとき、)イエスはそこを去って故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。そして、人々の不信仰に驚かれた。それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。
 
故郷に帰ったとき、イエス様は、人々に受け入れられませんでした。人々の眼は、自分自身の知識、知っていることだけにとどまっているからです。
信仰の眼で見ることはできませんでした。「この人は、大工で、マリアの息子。兄弟、姉妹もみんな知っている。」イエス様の教えには、驚き、感動しながらも、自分自身の凝り固まった意識から抜け出すことができないでいるのです。
 
わたしたちも、しばしば、自分の小さな頭で理解したことでしか、納得しようとはしません。理解できない事、知らないことは、存在しないかのように思うことがあります。また、頑固な意識のまま、変わっている周りの姿を受け入れようとしない事もあります。
まさに、かたくなな心のままで、救いが近くにあることを見失ってしまうのです。
 
他者との交わりも同じかもしれません。一度関係がこじれてしまった時、その人が、どんなに変わっても、色眼鏡のままで見てしまうことがないでしょうか?
あの人は、ああだった、こうだった。と昔のことにこだわっているのです。
しかも、自分自身が変わった場合は、変わった自分を認めてもらいたいと望んでいます。
 
神さまの眼差しは、いつも新しいまなざしです。私たちが過ちを悔いたなら、もうそれは、過ぎ去ったことであり、その過ちをわすれてくださいます。
過去に死んで、今に生きるのです。神様の眼差しの中で生きるということは、日々の自分に死んで新しい自分に生きることです。まさに過ぎ越し、復活の神秘を生きているのです。
 
 
東日本大震災で
亡くなった方のために。
 
「主よ、永遠の安息を彼らに与えたまえ、かれらの安らかに憩わんことを」
 
苦しみの中にある人のために
「主よ、私たちを憐れんで下さい。」
 
 
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時間の過ごし方

「時間を十分持ちながら、その人に他人を思いやる心がなく、その人が他人のために使う時間を惜しむなら、ゆとりのある生活とはいえないのだ。自分を見つめる時間を持たない人も同様である。」
 
               シスター渡辺和子
 
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苦しみを通る

「誰しもが、後で振り返って、あの苦しみを通らないで良かったかと聞きなおされたら、みんな、いや通ってよかったというであろう。」
          フランクル
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B年 年間第13主日

B年 年間第13主日
 
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マルコによる福音 (マルコ5.21-43
 
(そのとき、)イエスが舟に乗って再び向こう岸に渡られると、大勢の群衆がそばに集まって来た。イエスは湖のほとりにおられた。会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏して、しきりに願った。「わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」そこで、イエスはヤイロと一緒に出かけて行かれた。大勢の群衆も、イエスに従い、押し迫って来た。 さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。 多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。 すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。 そこで、弟子たちは言った。「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。 女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人々が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。」イエスはその話をそばで聞いて、「恐れることはない。ただ信じなさい」と会堂長に言われた。そして、ペトロ、ヤコブ、またヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれもついて来ることをお許しにならなかった。一行は会堂長の家に着いた。イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て、家の中に入り、人々に言われた。「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスは皆を外に出し、子供の両親と三人の弟子だけを連れて、子供のいる所へ入って行かれた。そして、子供の手を取って、「タリタ、クム」と言われた。これは、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」という意味である。少女はすぐに起き上がって、歩きだした。もう十二歳になっていたからである。それを見るや、人々は驚きのあまり我を忘れた。イエスはこのことをだれにも知らせないようにと厳しく命じ、また、食べ物を少女に与えるようにと言われた。
 
今回の福音は、2つの奇跡が語られています。ヤイロの娘の復活と出血症の女の癒しです。
当時、出血した女性は、汚れたものとして扱われていました。ですから、彼女は人々の中に入る事もできないでいたのでした。汚れたものであるという自覚を持っていたこの女性は、正面からイエス様に近づくことを遠慮していました。そして、彼女の深い信仰は、「せめてイエス様の服にでも触れたい。そうすれば癒される」と感じていました。彼女の望みどおり、たちまち癒されました。彼女は、服に触れるくらいなら、汚れた自分が触れてもわからないだろう。迷惑とならないだろうと思っていたのでしょうか?しかし、イエス様は「私の服に触れたのは誰か?」と問いかけられるのです。そして、恐れおののく女性に、優しく近づき、心からの癒しの言葉を賭けられます。彼女は、病と同時に、心も癒されたことでしょう。この時の彼女の事を思うと心が感動で震えます。
 
また、ヤイロの娘の話では、娘は死んでしまいます。しかし、「ただ、信じなさい」とおっしゃるのです。この話を読むとき、心の浮かぶ言葉があります。(神様は、遅い。でも間に合う)これを聞いたとき、なるほど・・・と思うことがしばしばでした。私たちの「時」と神さまの「時」は違うのです。神様の眼差しは永遠のもとにあります。今しか見えない私たちとは違った視点なのです。そして、私たちが思いもしなかった方法で、神さまの業を実現されます。
 
ここで、イエス様の優しさをまた感じました。生き返って、驚いている人々の中にあって、イエス様は、そのことを自慢するでもなく、優しく少女の事を思っています。この驚きの中で、だれが少女の食事の事まで心配したでしょうか?イエス様の細やかな心配り、優しさを感じさせていただけました。
 
 
東日本大震災で
亡くなった方のために。
 
「主よ、永遠の安息を彼らに与えたまえ、かれらの安らかに憩わんことを」
 
苦しみの中にある人のために
「主よ、私たちを憐れんで下さい。」
 
 
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