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聖ジュヌヴィエーブ
パリ市の守護聖人として知られる聖ジュヌヴィエーヴ (St. Genevieve, c. 419/422 - 512) はパリ近郊のナンテール (Nanterre) に生まれました。裕福な市民の娘であったと言われています。
ペラギウス主義と戦うためにイギリスに向けて出発したオセールの聖ジェルマン (St. Germain of Auxerre, c. 378 - 448) とトロワイエの聖リュプス (St. Lupus de Troyes, c. 383 - c. 478) が429年にナンテールに立ち寄った際、聖ジェルマンの説教を聴くために集まった村人たちのなかに、たいへん敬虔な一人の少女がありました。この少女こそがジュヌヴィエーヴでした。聖ジェルマンは説教の後でこの少女を呼び寄せ、彼女が神に仕えたいという強い気持ちを持っていることを知ります。聖ジェルマンはジュヌヴィエーヴの両親に、彼女が将来聖性の道を歩むであろうこと、多くの処女たちが一生を神に捧げる手本となるであろうことを話しました。
次の日、聖ジェルマンはナンテールを発つ前に再びジュヌヴィエーヴに会ってその決心を確かめると、彼女を祝福して十字架が彫られたメダイを渡し、自身をキリストに捧げたことを忘れないために、金や真珠の替わりにそのメダイを身に着けるようにと言いました。
ナンテールには修道院は無かったので、ジュヌヴィエーヴは両親の家で敬虔な生活を送り、両親の死後は名付け親ルテティア(Luthetia) とともにパリに住んで、肉食をせず、一週間にわずか2回の食事を摂り、慈善に励む生活を続けました。ジュヌヴィエーヴの厳しい禁欲生活は、教会の長上によって止められるまで、30年以上にわたって続きました。
聖性に満ちた生活を送るジュヌヴィエーヴに対して嫉妬した人たちは、彼女を偽善者とののしってその幻視や預言を偽物であると主張し、ついにはジュヌヴィエーヴを溺殺しようとさえしましたが、オセールの聖ジェルマンが執り成して事は収まりました。聖ジェルマンはジュヌヴィエーヴに神に身を捧げた処女たちの世話を任せ、ジュヌヴィエーヴは少女たちに良き手本を示して聖性へと導きました。
451年にアッティラの率いるフン族がガリアに侵入し、パリの人々も浮き足立ちますが、ジュヌヴィエーヴは神を信頼して悔い改めの技を為すように人々に勧め、そうすればパリは救われると説きます。パリの人々はジュヌヴィエーヴに従い、フン族はパリを攻めずにオルレアンに向かいました。
464年にシルデリク (Childeric I, c. 440 - c. 481) がパリを攻囲して市中に食料がなくなったときも、ジュヌヴィエーヴは船を使って包囲を突破し、トロワイエからパリに穀物を運び込みました。またジュヌヴィエーヴは、捕虜となった兵士を人道的に扱うようにシルデリクに願い出ています。ジュヌヴィエーヴの愛と自己犠牲はシルデリクの息子クローヴィス (Clovis I, c. 466 - 511) を動かし、捕虜たちは後に解放されました。
ジュヌヴィエーヴは聖ペテロと聖パウロに捧げた教会をパリに建設することを考え、クローヴィスは511年に建設に取り掛かります。ジュヌヴィエーヴは512年に亡くなり、その遺体は完成した教会に埋葬されて多数の奇跡を惹き起こしました。ジュヌヴィエーヴが列聖されると、この教会の名前はサント・ジュヌヴィエーヴ教会に改められました。
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B年 キリストの聖体の祭日
マルコによる福音 (マルコ14.12-16 22-26)
除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊を屠る日、弟子たちがイエスに、「過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか」と言った。そこで、イエスは次のように言って、二人の弟子を使いに出された。「都へ行きなさい。すると、水がめを運んでいる男に出会う。その人について行きなさい。 その人が入って行く家の主人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子たちと一緒に過越の食事をするわたしの部屋はどこか」と言っています。』すると、席が整って用意のできた二階の広間を見せてくれるから、そこにわたしたちのために準備をしておきなさい。」 弟子たちは出かけて都に行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。
一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。そして、イエスは言われた。「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。はっきり言っておく。神の国で新たに飲むその日まで、ぶどうの実から作ったものを飲むことはもう決してあるまい。」一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。
キリストの聖体の祭日の福音の箇所は、最後の晩餐の箇所でした。
この世において、食べ物となるということは、これ以上ないほどの完全な一致です。
イエス様は、パンとブドウ酒となることによって、私たちを完全にご自分に一致させ、ご自身の神性に与るものとしてくださいました。
「毎日のミサ」の中に、このように書かれています。
「この祭日のミサの各公式祈願は、過去・現在・未来という三つの側面から、聖体の秘跡を思い起こす内容になっています。集会祈願では、聖体はキリストの死を記念するという尊い秘跡であることを述べ(過去)、奉納祈願では、聖体の秘跡に与ることによって、実現する平和と一致に言及します(現在)そして、拝領祈願では、聖体を受ける私たちを永遠のいのちに与らせてくださいと祈ります(未来)」
まさに、聖体の神秘があらわされています。ミサの中でいただく聖体によって、私たちは、キリストと一つとされます。これほどの神秘と恵みを、被造物にお与えくださった神さまの深い愛に感謝しながら、聖体への熱い思いを燃え立たせたいと思います。
聖体賛歌
いざ歌えわが舌よ、光栄あるおん体と、
尊きおん母のおん子、
万民の王の世の贖のために流された
尊きおん血とのこの奥義をば。
主は汚れなき童貞から生れ出て
われらに与えられ、
み教えの種子をまきつつこの世をわたり、
くすしきご恩恵を与えてこれを終わられた。
すなわち最後の晩餐の夜に、
主は兄弟らとともに食卓をかこみ、
旧約の律にしたがって過ぎ越しを食し、
おん手ずからおん身を十二弟子に分かたれた。
肉となられたみ言葉の一言により、
真のパンはおん肉となり、葡萄酒はおん血となった。
五官はこれを測り得ないけれども、まことある心は
信仰のみによって堅く信ずるのである。
東日本大震災で
亡くなった方のために。
「主よ、永遠の安息を彼らに与えたまえ、かれらの安らかに憩わんことを」
苦しみの中にある人のために
「主よ、私たちを憐れんで下さい。」
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B年 三位一体の主日
マタイによる福音 (マタイ28.16-20)
(そのとき)十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
三位一体の祭日です。
これは、キリスト教の神秘の中でも、難しい神秘です。
内在論的には、3つの位格にありながら、一つの実体であるとは、
どういうことかと、沢山の神学者が論じています。
そして、結局は、神秘であるということで、わからないままです。
また、わからないからこそ、憧れでもあるのでしょう。
救済論的に考えるならば、父なる神は、創造主、子なる神イエスキリストは、救い主、聖霊は慰め主となります。この表現は、すこし分かりやすく、私たちの側から見ても、近づきやすい感じがします。
聖パトリックは、三位一体を三つ葉のクローバーで説明しようとしました。
これもわかりやすようで、すこし説明が足りません。
といわけで、
難しいことは、神学者の方々に考えていただくとしましょう^^
私たちにとって、三位一体とは、愛の交わりそのものです。毎日唱える「父と子と聖霊のみ名によって」ということばは、三位一体の交わりの中に招かれるようにという祈りです。父なる神は完全な愛です。完全な愛は神の愛ですから、その愛を受ける側も神でなければなりません。子なる神イエス様は、やはり完全な愛でもって、父なる神の愛を受け、父なる神を愛します。同時に、完全な愛は、二者の間で終わるものではなく、第3者にも広がりゆくものです。そして、その場合も、完全なる愛を共に生きる存在は、神でなければなりません。だからこそ、聖霊もまた、神そのものなのです。この3者の間で、満ち満ちた愛が溢れています。この愛は最高の愛で、十分に満たされていて、欠ける事がありません。この愛に、私たちは、招かれているのです。完全なる愛に招き入れられるこの恵みを深く味わいたいと思います。
最後に、三位一体のスールエリザベットの三位一体の神への祈りを紹介したいと思います。
「おお私の神、拝すべき三位一体よ、どうか私の魂が、永遠の御国に住んでいるかのように、安らかさ静けさに包まれて、あなたの中に生きることが出来ますよう、自分の凡てを忘れるように御助け下さい。おお不変の神、何事も私の心の平和を乱す事なく、また私をあなたから引き離すことがないように。かえって一瞬ごとに、私があなたの奥義の深みに引き入れられて行きます様に。
私の魂を静め、これをあなたの御気に入りの住居(すまい)、憩いの場、あなたの天国として下さい。そして瞬時もあなたを独りきりにしておく事などないように。全き信仰に目覚め、礼拝しつつ、あなたの創造的働きにこの身の凡てを委ねて、そこに留まる事が出来ますように。
おお愛するキリスト、愛によって十字架につけられたイエズス、私はあなたを死ぬほど愛したいのです。この無力な私、どうぞあなたが御自分を私にまとわせ、私の生涯があなたの御生涯の再現となりますように、私の魂をあなたの魂の凡ての動きに同化させて下さい。あなたの中に私を沈め、私を捕え、私に代わってあなたが生きて下さい。どうか、礼拝者、代償者、救い主として私の中に御住い下さい。
おお私の聖なる御ことばである永遠の御子よ、私はあなたの御声に聞き入りながら生涯を過ごしたい。あなたから凡てを学ぶために素直に心を開いていたい。すべての暗黒(やみ)、すべての空虚(うつろ)、凡ての無力さを通じてあなたをいつも見つめ、あなたの大きな光の中に留まっていたい。おお私の愛する星よ、私が再びあなたの光の外に出ないように私を魅了して下さい。
おお燃える愛の火、聖霊よ、どうか私の魂の中に御ことばの一つの御託身を行って下さい。私が主の御人性の延長となり、主が私の内にその奥義を新たに生きる事が御出来になりますように。おお御父よ、あなたのあわれな小さい被造物をかえりみて下さい。あなたの陰で私を覆い、あなたの心の喜びである御子だけを私の内に御眺め下さい。おお聖三位、私の凡て、私の至福、無限の孤独、私を沈める果てしない淵よ、私は犠牲(いけにえ)として、あなたにこの身を御渡しします。あなたの光明の中で、あなたの限りない偉大さを拝する日まで、私があなたの中に沈むことができるように、私の中に、あなたをお沈め下さい。」
東日本大震災で
亡くなった方のために。
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苦しみの中にある人のために
「主よ、私たちを憐れんで下さい。」
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「時間は、本当の持ち主から切り放されると、文字通り死んでしまうのだ。人間というのは、一人一人自分の時間を持っている。この時間は、本当に自分に自分の時間である間だけ生きた時間でいられるのだ。」
ミキャエル・エンデ
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B年 聖霊降臨の主日
ヨハネによる福音 (15.26-27,16.12-15)
(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである。
言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」
聖霊降臨の祭日おめでとうございます。
聖霊と聞くと、いまいちよくわからない感じがします。火と言われたり、水といわれたり、風と言われたり・・・象徴的な言葉を使って私たちにその豊かさを伝えてくださいます。ただ、聖霊がおられなければ、私たちは愛を知らないし、イエスさまが神様であることにも気づけません。信仰もないし、祈ることもできないでしょう。すべては聖霊の促しのうちに、私たちの心に囁かれています。
聖霊の続唱
聖霊来てください。あなたの光の輝きで、
わたしたちを照らしてください。 貧しい人の父、心の光、証の力を注ぐ方。
やさしい心の友、さわやかな憩い、ゆるぐことのないよりどころ。 苦しむ時の励まし、暑さの安らい、憂いの時の慰め。 恵み溢れる光、信じる者の心を満たす光よ。 あなたの助けがなければ、すべてははかなく消えてゆき、
だれも清く生きてはゆけない。 汚れたものを清め、すさみをうるおし、受けた痛手をいやす方。
固い心を和らげ、冷たさを温め、乱れた心を正す方。 あなたのことばを信じてより頼む者に、尊い力を授ける方。
あなたはわたしの支え、恵みの力で、救いの道を歩み続け、 終わりなく喜ぶことができますように。 アーメン。 この一つ一つの言葉が、私たちの黙想の材料になるように思います。一つ一つを味わっているうちに、聖霊の豊かさが心にしみこんでくるでしょう。
一瞬、一瞬に「聖霊来てください」と祈りたいと思います。」
東日本大震災で
亡くなった方のために。
「主よ、永遠の安息を彼らに与えたまえ、かれらの安らかに憩わんことを」
苦しみの中にある人のために
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