|
幼きイエズスの聖テレジア
この聖人は、日本でも最も親しまれている聖人の一人だと思います。私も大好きです。2歳の時には、もう修道女になりたいと思っていたテレーズは、多くの試練を経ます。聖母のほほ笑みによって、病から癒されたテレーズは、幼い時から、神様の愛に夢中になって生きてきた聖人と言えるでしょう。 15歳で、特別な計らいにより、カルメル会に入会したテレーズは、特に目立つことはしていません。彼女の生きた生き方は、ひたすら愛に生きることでした。有名な「委託の道」「幼子の道」と言われるテレーズの聖性の道は、多くの人々の心を捉え、またたく間に世界に広がっていきました。24歳とい若さで天に召されるテレーズは「天から薔薇の雨を降らせましょう」との言葉のとおり、天国から私たちに神様の愛を届け続けています。
テレーズの精神を最もよくあらわしている自叙伝の「小鳥の精神」の箇所を少し、長い引用になりますが、紹介したいと思います。本当は、自叙伝の原稿B全てを紹介したいのですが、とても書ききれませんので、小鳥に例える所からの紹介にします。
「私は、ただ産毛に包まれたか弱い小鳥です。
鷲ではありません。ただ鷲の目と心を持っているだけです。
というのは、このうえなく小さなものながら、大胆にも愛の神々しい太陽を見つめ、荒鷲そっくりのあこがれを一つ残らず胸に感じているからです・・・
小さな鳥は、自分の目を奪うあの輝く太陽の方に飛んでいきたい・・・。
三位一体の神聖なかまどにまいあがっていくあの兄弟たち、鷲のまねがしたくてたまりません・・・。
ああ!けれど小鳥にできることは、その小さな羽根を少し上げるのがやっとで、飛んでいくなど小さな力の及ぶことではありません!
では、小鳥はどうなのでしょうか!
これほど無力な自分を見て、もだえ死にするのでしょうか・・・・、
いいえ! 小鳥はそれを悲しもうとさえしません。
大胆にも任せきって、神聖な太陽を見つめ続けていたい。
雨も風も、何ものも、小鳥を恐れさせることはできません。たとえ黒い雲が愛の太陽を隠すことがあっても、小鳥はそこから動きません。
雲のかなたには太陽が変わらず輝いており、その輝きは片時も失われることがないと知っているからです。 もちろん、ときには嵐に打ちのめされ、自分を取り囲む黒雲以外に何も存在しないかのようにおもえることもあります。
そのときこそ、このか弱く貧しい小さなものにとって、完全な喜びのときとなります。
そこにただ、じっと留まって、信仰の目から隠れてしまった見えない光を見つめ続けることは
大きな幸福なのです・・・!
イエズス・・・・このような小鳥に対するあなたの愛をわかっています。
小鳥はあなたからはなれないのですから。
・・・けれども、私は知っています。そして、あなたもご存じです。
この不完全な小さな生き物は、自分の場所に(つまり太陽の光の下に)とどまりながらも、たびたび自分の務めを怠って気を散らし、右や左に餌をついばんだり、小さな虫を追い回したりしてしまいます・・・。
小さな水たまりに出会えば生えたての羽を濡らし、お気に入りの花を見つければ心はそれでいっぱいになります・・・。
とにかく鷲のように高く飛ぶことができないので、貧しい小鳥はまだまだ地上のつまらない事柄に気を取られるのです。
けれどもいろいろないたずらをした後、小鳥は方隅に隠れて自分の惨めさを泣き悲しみ、死ぬほどの後悔にさいなまれるどころか、最愛の太陽のほうに向いて、濡れた小さな羽を太陽の恵み深い光にさらします。
そしてつばめのように悲しげに鳴き、優しい歌で自分の数々の不忠実をすっかり打ち明け、物語ります。
そうすれば、義人を呼ぶためではなく罪人を呼ぶために来られた方(マタイ9:13)の心をとらえ、もっと完全にその愛を引き付けることができると、厚かましくも信じているからです・・・。
もしも最愛の太陽がこの小さな小鳥の悲しげなさえずりに耳を貸さず、隠れたままならば・・・それならば小鳥は濡れたままでいましょう。
寒さに凍えることを甘んじて受け、自業自得のこの苦しみをまた喜びとしましょう・・・・・。
イエズスさま!あなたの小鳥は小さく弱いものであることをどんなに嬉しく思っていることでしょう。
もし大きかったならば、どうなるでしょう。あなたのみ前に出たり、あなたの目の前で居眠りしたりする勇気は決して持てないにちがいありません。
そうです。これも小鳥の一つの弱さですが。神聖な太陽を見つめようとしても、雲のために光の一筋さえ見ることが出来ない時など、小さな目は意志に反して閉じてしまい、小さな頭は小さな羽の下に隠れ、貧しい小さな門は、愛する太陽を相変わらず見つめているつもりで眠ってしまいます。
でも、目が覚めたとき、小鳥は悲しみません。その小さい心は平和を失いません。再び愛の勤めをやり始め、自分のあこがれのまとである焼き尽くすかまどに向かって、鷲のように高く舞い上っていく諸天使、諸聖人の取り次ぎを願います。
すると鷲たちは、彼らの小さい妹をかわいそうに思って守り、防ぎ、襲いかかる“はげ鷹”のえじきとなるべきものではなく、神聖な太陽の中心に彼が眺めている尊い“鷲”のえじにとなるようにさだめられているのですから。
神のみ言葉よ!あなたこそは私が魅せられ、愛し礼拝すべき“鷲”でいらっしゃいます。
この島流しの地上に馳せ下って、人々を幸いな三位一体の永遠のかまどにまで引き寄せるため、
自ら苦しん死なれました。そして、永遠のすまいである無窮のかなたの光明に再びお昇りbになった後も、なお白いホスチアの形をとり、この涙の谷にとどまっておられます。
あなたの尊いまなざしが生命を与えてくださることおをやめた瞬間、再び虚無の中に落ちてしまう私というこの貧しく小さなものを、永遠の鷲であるあなたは、ご自分の「からだ」で養おうとしてくださいます。
おお、イエズスさま!感謝のあまり私は言います。あなたの愛は愚かでさえあると。
あなたの愚かさを前にして、私の心があなたのところに飛んでいかずにいられるでしょうか。
どうして私の信頼に限界を設けることができましょう・・・?
ああ!私は知っています。あなたのために聖人たちも愚かなことをなさいました。
彼らは鷲でしたから、偉大なことをしました・・・・。
イエズスさま、私は偉大なことをするにはあまりに小さすぎます。
私にとって愚かさとは、あなたの愛が私をいけにえとして受けて下さることを希望することです・・・。
私の愚かさとは、神聖な鷲(キリスト)の翼そのもので、愛の太陽の下に飛んでいく恵みが与えられるよう、兄弟の鷲たち(偉大な聖人方)に取り次ぎを願うことです・・・。
おお、私の最愛の方よ!あなたが望まれる限り、あなたの小鳥はいつまでも力も翼もないものでいましょう。小鳥はあなたの愛なるまなざしに魅せられ、あなたの愛の餌食となりたいと思っています。
最愛の鷲よ、いつの日か必ず、あなたは小鳥を迎えに来られ、いっしょに愛のかまどに、連れていってくださるでしょう。そして小鳥がいけにえとして身を捧げたこの燃える愛の淵に、小鳥を永遠に沈めてくださるでしょう。私はそう希望しています・・・。
とっても長い引用になりました。しかし、この個所はテレーズの神様の慈しみ深い愛に対する、限りない信頼の心が表現されているように私には思えるのです。テレーズの素晴らしい言葉はまだまだ、たくさんありますが、それはまた次の機会に紹介したいと思います。
今日のロザリオはベリルです。
ベリルはベリリウム鉱物のことで、(緑柱石)の種類です。アクアマリンやエメラルドの他にも、ピンクのモルガナイト、黄緑のへリオドールなども含まれます。体、心、魂、精神を癒し、ストレスを和らげる効果を持っています。不安や心配を沈め、光をもらたします。愛と調和の石と言われています。
愛と調和を含め、テレーズの持つ多彩な面は、このロザリオにぴったりな気がします。マリア様をお母様として大切に思っていたテレーズがロザリオが苦手だったという微笑ましいエピソードもありますが、きっとテレーズが一緒にマリア様を賛美して下さると思います。
|
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2010年05月20日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]



