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C年 待降節第3主日
ルカによる福音書 3章10〜18節
「わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。
待降節第3主日は、喜びの主日ともいわれ、第一朗読も、第2朗読も喜びがいっぱいです。私は、一度だけ、バラ色の祭服を目にすることがありました。この喜びの主日の祭服です。その時は、なんだか得した気分になりました^^
イエス様を迎える準備をしている私たちです。それについて、具体的にどうすれば酔うのでしょう?と人々は尋ねています。ヨハネは具体例を挙げて、ごく身近なことから、愛の行いをするようにと勧めています。現代に生きる私たちは、どんな愛の行いができるでしょうか?
仏教には、無財の7施というすてきなことばがありますので、紹介したいと思います。
◎無財の七施
1.眼施(がんせ):優しいまなざしで接することをいいます 2.和顔施(わげんせ):なごやかで穏やかな顔つきで接すること 3.愛語施(あいごせ):あたたかい言葉を与えること 4.身施(しんせ):自分の身体で奉仕をすること 5.心施(しんせ):他の痛みや苦しみを自らのものとして感じ取れる心持ち 6.牀座施(しょうざせ):電車の中で喜んで席を譲る行為 7.房舎施(ぼうしゃせ):雨風をしのぐ所を与えること とてもすてきな言葉ですね。キリスト教の私たちにも実践できることです。心から、今、私のそばにいる人に、愛を分かち合う人になりたいと思います。
イエス様を迎えるまで、もうわずかです。イエス様の馬小屋に、柔らかい藁を強いて差し上げたいです。
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2012年12月13日
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C年 待降節第2主日
ルカによる福音書 3章1〜6節
皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。
「荒れ野で叫ぶ者の声がする。
『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。
谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。
曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、
人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」
紫のろうそくも、2本目になりました。今回の福音は、カタカナが多く、読みにくいですが、きっと、ヨハネについてしっかりとした説明をしたかったのでしょう。この時こそ、預言された出来事であることと伝えたかったのだと思います。
典礼聖歌にこの歌がよく歌われます。ああ、待降節(アドベント)だなあと思う瞬間です。クリスマスは、日本でもメジャーなイベントとなっています。「教会でもクリスマスはお祝いしますか?」という笑えない質問もよくされます^^
だからこそ、私たちは、ヨハネのように、「荒れ野で叫ぶ声」とならないといけないのかもしれません。もう亡くなられましたが、ある神父様が、商店街で、お店の人にイエス様の話をしていました。「神父様、宣教ですか?」と聞くと、神父様は「すべての人に、神様の言葉を聞く権利があります。」と答えられました。この言葉は私の心に、ズドンと響きました。
決して押しつけではない、しかし、その人の権利を取り上げてはならない。私たちキリスト者は、聞く心の準備のある人に、神様の喜びを伝えるのを遠慮しているのだと思います。宗教アレルギーの日本ですから、福音宣教を堂々とするのは、はずかしいかったり、遠慮があったりします。
しかし、このクリスマスのときは、だれか一人でも、教会に誘っていきたいものです。神様の喜びを一緒に祝う、本当のクリスマスへの招待をできればいいなと思いました^^
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C年 待降節第1主日
ルカによる福音書
「それから、太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。」「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。その日は、地の表のあらゆる所に住む人々すべてに襲いかかるからである。しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。」
待降節がはじまりました。教会の典礼では、この待降節から新しい年になります。というわけで、あけましておめでとうございます?!
C年ですので、ルカ福音が読まれます
待降節(アドベント)は「到来」という意味です。救い主が到来する喜びです。この救い主の到来に向けて、私たちの心も、ふさわしいものに準備したいと思います。「愛と喜びに包まれた待望の時」として、(典礼歴年と典礼歴に関する一般原則)に書かれています。愛と喜びに包まれたこの時を大切にしていきたいものです。
神様の到来。アドベントはまさに到来です。心の準備ができ、正義を求める者には、待ち焦がれたときでしょう。逆に、神なんていない、神なんて来ないと、高をくくって、不正ばかりをしている人にとっては、恐ろしい時かもしれません。すべてが明らかにされるからです。
すべてが明らかにされる。このことは、結構、ドキドキすることです。誰でも、心の奥に、一つ二つ、明らかにされては困ることがあると思います。私自身、死ぬときは、あれを片付けて、これは処分して、告解して・・・と慌てることでしょう。何時その時が来ても、いいと思ったとしても、「じゃあ、今日でどうでしょう?」と言われたら。やっぱり困るのです。
さて、今回の福音を聞きながら、もうすぐ私たちの心に、生まれてくださるイエス様に、ふさわしい、心の宿となるように、目覚めて用意していたいと思います。
風邪をこじらせるだけこじらせて、UPできなかったので、まとめてUPしました。
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