マリア様とともに・・・

祈りの内にロザリオを作って黙想しています。

幼きイエズスの聖テレジア

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全1ページ

[1]

幼きイエスの聖テレジア教会博士
 
イメージ 1
 
彼女はフランスで生まれフランスで死にました。しかし彼女に対する崇敬は幾ばくもなく全世界に広まっていきました。彼女は僅か24歳というまだうら若い年齢で世を去りましたが、彼女はその死後短時間で列聖されました。
 
 聖テレジアは、1873年の1月2日に生まれて、1897年の9月30日に天に召されました。現代の聖人です。その生誕地は北フランスのアランソンでした。彼女の父母は非常に信心深い人々でした。その間に儲けた9人の子供を天からの授かり物として、そのことごとくを生まれる前から神さまにお献げした位でした。テレジアはこの9人の末子で、幼少から至って敬虔の念に篤い少女でした。それも生来の性質に、両親の良い導きがあったためでしょう。
 
彼女は謙遜で従順で父母を熱愛し、別して父マルチンに懐いていました。8歳からテレジアはリジューにあるベネディクト会の学校に入り、その寄宿舎に起居することとなりましたが、早くも友達間に模範といわれるようになりました。
 
9歳の時重い病気に罹り危篤に陥りました。家族の必死の祈りの中、聖マリア様の御取り次ぎにより病は致されました。その病室には一つの聖母の御像があり、彼女はその聖母が自分に向かって微笑みかけたと言っています。
 
 テレジアは15歳の年齢を迎えると、リジューにあるカルメル会の修院に入院を願いました。しかしその時はまだ年が若すぎるという理由で許されませんでした。
 
彼女はイエズスに全く身を献げ、静かな修院に住んで主の為にのみ生涯を送りたいと日頃熱望していただけに、こことは、大きな悲しみとなりました。その頃、彼女と父はローマへ巡礼の旅に出ました。
 
ローマで、今の年齢でカルメル会の修院に入れて頂くよう、教皇聖下に願い出ました。 巡礼一同が拝謁して、教皇から御言葉を賜った時でした。勿論巡礼者各自は教皇に何も申し上げることが出来ず、ただその御指輪に接吻して退くことになっていたのでしたが、テレジアは自分の番になると、勇気をふるって言葉少なに、年齢は足らぬが修院に入りたいとの希望を教皇に申しあげました。すると教皇は、そういう事なら、自分の教区の司教に頼むがよいと仰せになりましたが、彼女がなおも繰り返しお願いすると「安心するがよい、神様の御旨であれば、必ず修院に入れるから」と仰せになりました。
 
 テレジアは帰国すると早速司教に手紙を送りました。すると、暫くして許可の通知が来ました。しかし修院長はなおも彼女を試みる為にもう3ヶ月待つようにと言いました。それはテレジアにとって大きな犠牲となりました。けれども彼女は従順にその言葉に従いました。

 とうとう念願が叶って彼女が憧れのカルメル会修院に入ることが出来たのは、1888年の4月9日のことでした。父が彼女に付き添って行きました。今愛するテレジアを修院に送るのは彼にとってとても大きな犠牲でもありました。、彼の娘は既に3人も同じ修院に入っており、テレジアで丁度4人目でした。しかし彼は神様のために最愛の娘を神さまにお捧げしたのでした。彼のこの尊い犠牲は立派に報いられました。彼が主に献げたこの末娘こそ偉大な聖女と世に仰がれるようになりました。
 
 けれども聖性の道は、多くの困難もありました。テレジアも多くの努力と数多の試練とを経て聖域に達したのでした。その苦行と犠牲の大部分に就いては、ただ神様のみご存じのことでしょうが、人に気づかれた事もあります。もっともテレジアにどういう長所があるのか、院長も他の修女達も久しく知りませんでした。そして彼等が彼女が徳において、素晴らしく勝れている事実を悟った頃には、テレジアの余命はもう幾ばくもなかったのでした。
 
 彼女は幼子のごとく全く従順になろうとして絶えず努力し犠牲を献げた。その上自分の欲望と戦ってこれを抑え、あらゆる謙遜の業を喜び、怠らず己に打ち克つ事に勉めました。彼女は生来からだが弱く、病気に罹ったり具合の悪かったりすることも、稀ではありませんでした。それ故彼女がどれほど苦しんだか、どれほど勇気を奮い起こさねばならなかったか、それは神様だけがご存知でしょう。
 
 テレジアは神様を心から愛し、他人を熱愛し、すべての霊魂を救いたいという望みに燃えていました。それで彼女は罪人の改心の為、司祭の為、わけても遠い国々で布教に活躍している宣教師達の為に祈り続けました。ですから、彼女も立派な宣教女であって、教皇が彼女をすべての神学校や宣教会の保護の聖女と定められたのでした。また、神さまへの全き信頼のもとに「神の憐れみ深い愛」に自己を全き奉献したのでした。
 
 テレジアの念願は死して後までも善事を行いたいということでした。彼女は臨終の言葉に「私は天国に参りましたら地上に薔薇の雨を降らせましょう」と残しました。薔薇の雨とは恵みを指します。そして、その言葉通り彼女は天国から数多の人を助け救い、無数の罪人を改心に導いたのでした。
 
 彼女は1897年9月30日に帰天し、1923年早くも福者の位を送られ、1925年光栄ある聖女の列に加えられました。その記念の祝祭は10月1日に行われます。
 
 テレジアに対する崇敬は死後たちまちにして全世界に広まりました。その訳は彼女の取り次ぎによって沢山の奇蹟が起こった為ばかりでなく、またその聖徳の慕わしさによるのである。テレジアは別に世界史上に残るような大事業をしたわけではありません。神様を愛する心から毎日の仕事を、取るに足らぬ小さな事まですべてを神さまの愛のうちに、果たそうと心がけ、神様の愛の中ですべての生涯を生きたのでした。その愛こそが彼女のすべてでした。
 
「私の使命、それは愛です」という言葉通り、愛に生きた聖女でした。
 
https://philosophy.blogmura.com/catholic/ にほんブログ村 カトリック
ぽちっとよろしくお願いします^^
 
 
幼きイエスの聖テレジア教会博士
イメージ 1 
 幼きイエスの聖テレジアの人格からは、謙遜、柔和と共に、魂の強さと高潔さが輝き出ています。「神の憐れみ深い愛」に身を捧げたその奉献、また、彼女をまったく覆いつくした暗黒のさなかにおけるその忠実さ、従順の精神、そして、結核における最初の喀血を首都の出会いも間近い知らせとして受け止めた喜び、実に、テレジアは信仰と希望の絶頂をきわめています。
 1897年「ああ、わたしは主を愛します。わが神よ、あなたをお愛します。」といいながら息絶えた彼女は、「わたしの使命!とうとうわたしはそれを見つけました。わたしの使命、それは愛です。そうです。母である教会の心臓の中で、私は愛となりましょう」と自叙伝に書くことができました。
 テレジアに、あれほどの熱烈な宣教精神を与えたのは、愛でした。
 テレジアがいつも辿っていた「小さい道」、15歳の彼女をカルメル会へと導き、生涯にわたって導き続けた「小さい道」は、真福八端の厳しい道にほかなりませんでした。
 聖霊の働きに、まったく身をゆだねつくし、イエスの愛に燃え、「翼を広げて雛を運ぶ鷲」にもたとえられる神様が、どれほどの慈しみ深い父であるかをさとり、驚嘆の目を見張る非常に強い魂が見いだされます。
 
https://philosophy.blogmura.com/catholic/ にほんブログ村 カトリック
ぽちっとよろしくお願いします^^
 
 幼きイエズスの聖テレジア
 
 
イメージ 1
 この聖人は、日本でも最も親しまれている聖人の一人だと思います。私も大好きです。2歳の時には、もう修道女になりたいと思っていたテレーズは、多くの試練を経ます。聖母のほほ笑みによって、病から癒されたテレーズは、幼い時から、神様の愛に夢中になって生きてきた聖人と言えるでしょう。 15歳で、特別な計らいにより、カルメル会に入会したテレーズは、特に目立つことはしていません。彼女の生きた生き方は、ひたすら愛に生きることでした。有名な「委託の道」「幼子の道」と言われるテレーズの聖性の道は、多くの人々の心を捉え、またたく間に世界に広がっていきました。24歳とい若さで天に召されるテレーズは「天から薔薇の雨を降らせましょう」との言葉のとおり、天国から私たちに神様の愛を届け続けています。
 
 
 
 テレーズの精神を最もよくあらわしている自叙伝の「小鳥の精神」の箇所を少し、長い引用になりますが、紹介したいと思います。本当は、自叙伝の原稿B全てを紹介したいのですが、とても書ききれませんので、小鳥に例える所からの紹介にします。
 
 
 「私は、ただ産毛に包まれたか弱い小鳥です。
鷲ではありません。ただ鷲の目と心を持っているだけです。
というのは、このうえなく小さなものながら、大胆にも愛の神々しい太陽を見つめ、荒鷲そっくりのあこがれを一つ残らず胸に感じているからです・・・
 
 小さな鳥は、自分の目を奪うあの輝く太陽の方に飛んでいきたい・・・。
三位一体の神聖なかまどにまいあがっていくあの兄弟たち、鷲のまねがしたくてたまりません・・・。
イメージ 2
 ああ!けれど小鳥にできることは、その小さな羽根を少し上げるのがやっとで、飛んでいくなど小さな力の及ぶことではありません!
 では、小鳥はどうなのでしょうか!
 これほど無力な自分を見て、もだえ死にするのでしょうか・・・・、
いいえ! 小鳥はそれを悲しもうとさえしません。
大胆にも任せきって、神聖な太陽を見つめ続けていたい。
 雨も風も、何ものも、小鳥を恐れさせることはできません。たとえ黒い雲が愛の太陽を隠すことがあっても、小鳥はそこから動きません。
  雲のかなたには太陽が変わらず輝いており、その輝きは片時も失われることがないと知っているからです。  もちろん、ときには嵐に打ちのめされ、自分を取り囲む黒雲以外に何も存在しないかのようにおもえることもあります。
 
  そのときこそ、このか弱く貧しい小さなものにとって、完全な喜びのときとなります。
 そこにただ、じっと留まって、信仰の目から隠れてしまった見えない光を見つめ続けることは
大きな幸福なのです・・・!
  イエズス・・・・このような小鳥に対するあなたの愛をわかっています。
 小鳥はあなたからはなれないのですから。
 
・・・けれども、私は知っています。そして、あなたもご存じです。
この不完全な小さな生き物は、自分の場所に(つまり太陽の光の下に)とどまりながらも、たびたび自分の務めを怠って気を散らし、右や左に餌をついばんだり、小さな虫を追い回したりしてしまいます・・・。
 小さな水たまりに出会えば生えたての羽を濡らし、お気に入りの花を見つければ心はそれでいっぱいになります・・・。
  とにかく鷲のように高く飛ぶことができないので、貧しい小鳥はまだまだ地上のつまらない事柄に気を取られるのです。
 けれどもいろいろないたずらをした後、小鳥は方隅に隠れて自分の惨めさを泣き悲しみ、死ぬほどの後悔にさいなまれるどころか、最愛の太陽のほうに向いて、濡れた小さな羽を太陽の恵み深い光にさらします。
 そしてつばめのように悲しげに鳴き、優しい歌で自分の数々の不忠実をすっかり打ち明け、物語ります。
 そうすれば、義人を呼ぶためではなく罪人を呼ぶために来られた方(マタイ9:13)の心をとらえ、もっと完全にその愛を引き付けることができると、厚かましくも信じているからです・・・。
 
 もしも最愛の太陽がこの小さな小鳥の悲しげなさえずりに耳を貸さず、隠れたままならば・・・それならば小鳥は濡れたままでいましょう。
 寒さに凍えることを甘んじて受け、自業自得のこの苦しみをまた喜びとしましょう・・・・・。
 
イメージ 3
 イエズスさま!あなたの小鳥は小さく弱いものであることをどんなに嬉しく思っていることでしょう。
 もし大きかったならば、どうなるでしょう。あなたのみ前に出たり、あなたの目の前で居眠りしたりする勇気は決して持てないにちがいありません。
 そうです。これも小鳥の一つの弱さですが。神聖な太陽を見つめようとしても、雲のために光の一筋さえ見ることが出来ない時など、小さな目は意志に反して閉じてしまい、小さな頭は小さな羽の下に隠れ、貧しい小さな門は、愛する太陽を相変わらず見つめているつもりで眠ってしまいます。
 でも、目が覚めたとき、小鳥は悲しみません。その小さい心は平和を失いません。再び愛の勤めをやり始め、自分のあこがれのまとである焼き尽くすかまどに向かって、鷲のように高く舞い上っていく諸天使、諸聖人の取り次ぎを願います。
 すると鷲たちは、彼らの小さい妹をかわいそうに思って守り、防ぎ、襲いかかる“はげ鷹”のえじきとなるべきものではなく、神聖な太陽の中心に彼が眺めている尊い“鷲”のえじにとなるようにさだめられているのですから。
 
  神のみ言葉よ!あなたこそは私が魅せられ、愛し礼拝すべき“鷲”でいらっしゃいます。
 この島流しの地上に馳せ下って、人々を幸いな三位一体の永遠のかまどにまで引き寄せるため、
自ら苦しん死なれました。そして、永遠のすまいである無窮のかなたの光明に再びお昇りbになった後も、なお白いホスチアの形をとり、この涙の谷にとどまっておられます。
 あなたの尊いまなざしが生命を与えてくださることおをやめた瞬間、再び虚無の中に落ちてしまう私というこの貧しく小さなものを、永遠の鷲であるあなたは、ご自分の「からだ」で養おうとしてくださいます。
 
 おお、イエズスさま!感謝のあまり私は言います。あなたの愛は愚かでさえあると。
 あなたの愚かさを前にして、私の心があなたのところに飛んでいかずにいられるでしょうか。
 どうして私の信頼に限界を設けることができましょう・・・? 
  ああ!私は知っています。あなたのために聖人たちも愚かなことをなさいました。
 彼らは鷲でしたから、偉大なことをしました・・・・。
 
   イエズスさま、私は偉大なことをするにはあまりに小さすぎます。イメージ 4
 私にとって愚かさとは、あなたの愛が私をいけにえとして受けて下さることを希望することです・・・。
 
私の愚かさとは、神聖な鷲(キリスト)の翼そのもので、愛の太陽の下に飛んでいく恵みが与えられるよう、兄弟の鷲たち(偉大な聖人方)に取り次ぎを願うことです・・・。
 
  おお、私の最愛の方よ!あなたが望まれる限り、あなたの小鳥はいつまでも力も翼もないものでいましょう。小鳥はあなたの愛なるまなざしに魅せられ、あなたの愛の餌食となりたいと思っています。
 
 最愛の鷲よ、いつの日か必ず、あなたは小鳥を迎えに来られ、いっしょに愛のかまどに、連れていってくださるでしょう。そして小鳥がいけにえとして身を捧げたこの燃える愛の淵に、小鳥を永遠に沈めてくださるでしょう。私はそう希望しています・・・。
 
 
 とっても長い引用になりました。しかし、この個所はテレーズの神様の慈しみ深い愛に対する、限りない信頼の心が表現されているように私には思えるのです。テレーズの素晴らしい言葉はまだまだ、たくさんありますが、それはまた次の機会に紹介したいと思います。
 
 
今日のロザリオはベリルです。イメージ 5
ベリルはベリリウム鉱物のことで、(緑柱石)の種類です。アクアマリンやエメラルドの他にも、ピンクのモルガナイト、黄緑のへリオドールなども含まれます。体、心、魂、精神を癒し、ストレスを和らげる効果を持っています。不安や心配を沈め、光をもらたします。愛と調和の石と言われています。
愛と調和を含め、テレーズの持つ多彩な面は、このロザリオにぴったりな気がします。マリア様をお母様として大切に思っていたテレーズがロザリオが苦手だったという微笑ましいエピソードもありますが、きっとテレーズが一緒にマリア様を賛美して下さると思います。
 
 

全1ページ

[1]


.
アベマリア
アベマリア
女性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(30)
  • O -
  • ベルナデッタ
  • マーニャ
  • シャーマン
  • 夜斗
友だち一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

衛生対策製品クレベリンの姉妹ブランド
クレベ&アンドハンドジェルが新登場
今だけ。お試しキャンペーン実施中!
ふるさと納税サイト『さとふる』
最大10万円分旅行クーポンが当たる!
≪10月31日まで≫今すぐ応募!
抽選で150,000名様に当たるチャンス!
マツモトキヨシで期間中何度でも使える
100円引きクーポン<Yahoo! JAPAN>

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事