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旧約聖書とイスラエルの民
これからキリスト教の教えを旧約聖書を中心に考えていきたいとおもいます。
キリスト教では、その教えの中核はイエスキリストです。キリストが出会った人に、どのように生きる意味をあたえているのか?と言うことを理解していきたいとおもいます。
イエス・キリストの意味について。
イエス…ヘブライ語で「神は救う」という意味。
キリスト…ギリシア語で「油注がれたもの」という意味。
ヘブライ語(アラマイ語)でメシアと言う意味。
『油注がれたもの』…1.祭司
2.イスラエルの王
3.イスラエルの解放者。救い主。
特に、3の意味が徐々にもっと超越的で、宇宙的、神的な意味で使われるようになりました。つまり、「イエス・キリストとはイエスは救い主である。」という信仰告白となっています。
これから旧約聖書を見ていきます。
『聖書』
旧約聖書…Old Testament 「旧い契約の書」
新約聖書…New Testament 「新しい契約の書」
今日では、ユダヤ教の人との関わりのなかで、「最初の契約の書」と「最後の契約の書」というように言われるようになってきています。
この中で旧約聖書は、キリスト教徒だけでなく、ユダヤ教徒、イスラム教徒にとっても信仰の書物です。だから、根本は同じ神。たとえばイスラム教のアッラーというのは、神の固有名詞ではなく、神という一般名詞です。
それぞれにとっての信仰の書物は、次のとおりです。
キリスト教徒…旧約、新約
イスラム教徒…聖書(旧約のこと)とコーラン
ユダヤ教徒…聖書(旧約のこと)TANAK
さて、ユダヤの民(今のイスラエル人)は、兄弟宗教の中で、一番お兄さんです。イエス様もユダヤ人ですし、マリア様もユダヤ人、キリスト教の根幹を成した人たちはユダヤ人です。そこで、ユダヤの民の考え方について、考えてみたいと思います。
ユダヤの民はは歴史上の出来事を必ず神との関わりの中で受け止めます。
神は自分たちに何を望んでいるのか?何の意味があるのか?と問いかけるのです。
どんな出来事があっても決して神なんていないとは考えません。(ご存じのように、ユダヤ人の歴史というのは、決して幸福の連続であったとは言い難いです。むしろ、苦しみの歴史であったといえます。たとえば、一番有名なのがユダヤ人のナチスによる虐殺。)
ユダヤの民は、神は何故こうすることを許されるのか?ということを問いかけます。
神との関係においてこれらのことを理解しようとし、これらのことを引き受けようと考えるのです。この考え方は、非常にユニークです。古代においてもユニークでした。
旧約の民は、神に対してWHY?と問い掛けます。問い続けるのです。たとえば.エレミヤ12章、ヨブ記etc. そして、それができるのは神との関係が近いからです。信頼があるからです。信頼があるから問いかけることもできます。また、問いかけに対して答えがなかなかこないからといって、そこで止めたら永遠に答えにはたどり着きません。問い続けることによって、一瞬、永遠なるものの答えにふれることができます。
・旧約聖書は、ユダヤ(イスラエル)の歴史の書物ですが、単なる歴史ではありません。歴史を書きながら、神と自分たちの関係を書いています。自分たちの神とはどういう神なのか?どのように付き合っていくのか?ということを考えていきました。
つまり、
神との関係を理解していった一つの民族が辿っていった
魂の軌跡が旧約聖書です。
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キリスト教概論
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キリスト教概論5 (キリスト教の信じている神)
わたしたちを呼ばれる神とは、どんな神でしょうか?
まずは、大雑把にまとめてみました。
イエス=キリストとは?一体どなたでしょう?
父
大きくキリス教について、信じる神様について、紹介してみました。
また次回からは、ゆっくりと深く見つめて行きたいとおもいます。
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キリスト教概論4 (神の存在証明)
古代からこのテーマを多くの人々は考えて来ました。そして、それぞれにそれぞれの仕方で神はいるということを証明しようとしました。
宗教というものは、神様がが前提となっています。だから、神様がいるかいないかは重要な問題です。
キリスト教でも、聖トマス・アクィナスの5つの道や、聖アンセルモなど、多くの聖人たちが神様の存在証明を行なってきました。
そこで、神様は存在するかについて、考えてみたいと思います。
証明一:1 私は存在する。
2 私は様々なことを考える。その考えることの中には、完
全なものも不完全なものもある。(神とか、人間とか、犬
とか、石とか、)
3 人間は不完全なものである。
4 では、不完全な人間が、なぜ人間を超えた神のような完
全なものを考えることができるんだろう?
↓
5 それは完全なもの、つまり、神が完全なものの考えを
入れ込んだから、人間は不完全にもかかわらず完全なも
のを考えることができる。
よって、神は存在する
証明二: ものが存在しているのは事実である。そして、それが存
在するには、それが存在するための原因があるはずであ
る。例えば、今パソコンが目の前にあるのは、ここにパ
ソコンを置いたから、また、このパソコンが存在するのは、
パソコンを作った人が存在するから。パソコンが作られる
には、必要なものがたくさんある。それらの素材を形作る
物質がある・・・・・・
というように存在するにはその原因となるものが存在して
いるはずです。その原因ををずーっとさかのぼって行くと、
原因がなくてはじめから存在するものが必要となってきます。
つまり自ら存在しているものです。
そのようなものを神といいます。
証明三:世界は非常に秩序だっている。雨が降り、太陽に照らされ、
土の栄養を吸って草木が育つ。その草木を動物が食べ、動物
は生きる。やがて動物が死んでその死骸がまた、土の栄養と
なる。(食物連鎖)
寒い土地には、体の温まる食物が生え、暑くて食欲のなく
なる土地には、食欲がでるような香辛料がよく育つ。
動物を見てると驚くことが多い。熊など冬場のように食物
が少なければ冬眠して、活動量を押さえて生き延びる。
遺伝子などを研究している人も言いいます。
あの小さなものの中に、あれほどの限りのなさを秘めている。
あれは偶然にできたものではない。
何か偉大なもの(something great)が、
そのように意図して造ったに違いないと。
造花を見て美しく感じる。でもこれは誰かが作ったもの。
勝手にある訳じゃない。この造花よりはるかに美しいのが自然
の咲いている花。本物の花です。造花でも誰か作った
人がいるなら、あの美しい自然の花を造った方が存在するは
ずではないか?
人間が作り出すものは、自然の中にある何かの模倣。
オリジナルは自然の中に存在している。
そのオリジナルの作者は誰かと考えると、神という存在にいたります。
証明四:人は愛することができる存在です。人が愛するには、愛され
たことがなければ愛を知ることも、愛することもできません。
わたしたちは、かならず誰かから、何らかの愛を受けて育っています。
だから、今ここに私たちはいます。
その愛を辿っていくと、一番初めに愛を教えてくれた存在、愛そのもので
ある方がいるはずです。それが愛である神様です。
宗教というものは、こういった小さなことから大きなことにある「驚き」から始まります。驚きというものは豊かさをもたらすものです。驚きは「当たり前」ではないから、驚く、全てが不思議。全てが新鮮。
驚きとは、考えたりするようなものではない。感じるものです。
『何か偉大なもの』something great を感じ取るセンスです。幼子のような心。
この感じるというのは、人間にとって大切なものです。
理解するものと理解されるものとか言うような、主体と客体のようなものではない。「
幸せ」とか「愛」というように、両者を包み込むようなものを肌で味わうことです。
見えない世界にあるものをしっかりと味わいます。
理性は大切、しかし、理性だけを中心に置いたら、味毛のないものとなってしまう。
たとえば、チューリップを見たとき、これはチューリップである。花がこんな形をしていて、色は赤で、葉っぱは長くて・・・というような見方はしない。普通はチューリップを見たとき、奇麗だな。かわいいな。というように見る。
だから、そういったものを感じる心を大切にする。神のような見えない存在、理性を超えた存在に対してもそのようなものです。
到達できないもの、限りないもの無限なるものというような、そのようなものへの憧れに生きる。理性によって、分析するのではなく、全体を包み込んでいるものを感じる。
思慕という言葉が合うかもしれません。世界wonderfulである。素晴らしいとはつまり、 wonder full
不思議がいっぱいと言うこと。驚きから宗教のように見えない世界へ目を向けることができる。
神様の存在について、証明とかは、本当は必要がないのかもしれません。
宇宙の中で、自分自身が存在している神秘を感じ取るセンスがあるなら、神様の存在も自然と感じ取れるようになります。神様は、理解するものではなくて、「信じる」ものだと思います。
パスカルの言葉です
「信仰とは、賭けである。
神はいるか、いないか、どちらかである。神はいるというほうに賭けて、
もし、神がいなかったとしても、あなたが失うものは何もない。
しかし、神はいないというほうに賭けて、もし、神がいた場合、
あなたが失うものは多大なものである。
さて、あなたはどちらに賭けかけるのか?」
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キリスト教概論3 (キリスト教における人間の生)
人とは、どのような存在として生きるように神様に呼ばれて いるのでしょうか?
エフェソ1章4〜6節
「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。」
エフェソ1章10節
「キリストにおいてわたしたちは、御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました。」
Ⅰテサロニケ4章3節
「神の御心は、あなたがたが聖なる者となることです。」
『聖なるもの』『穢れの無いもの』『神の子』となるように作られている存在が人間です。
神様が準備してくださった良い業のための生きるように呼ばれています。
精神的な気高さ、精神的な価値へと心を向け、そこに向かって生きるようにと呼ばれています。
どのように生きるとよいのでしょうか?
また、どうすればその生き方が選び取れるのでしょうか?
コロサイ3章12から17節
「あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。」
フィリピ1章9から10節
「わたしは、こう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり本当に重要なことを見分けられるように。そして、キリストの日に備えて、清い者、とがめられるところのない者となりますように。」
ロマ書12章2節
「心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」
聖書の言葉にあるように、神様に向かって、神様の子供となるように、生きて生きたいと思います。
最後にマザーテレサの言葉と、シスター渡辺和子さんの言葉を紹介したいと思います。
マザーテレサの言葉
『あなた方は一つの大きな仕事をするために神に造られています。それは愛するということです。』
『苦しいとき、物事が上手くいかないとき、絶望しそうな時も、神が愛していて下さることをわすれてはいけません、あなた方一人ひとりは、神にとってプレシャスな存在なのです。』
シスター渡辺和子さんの言葉
『一生の価値は長さによって計られるものではなく、その充実度による。苦しみや不幸がなかった人生が善い人生だったのではなく、苦しみや不幸にも意味が見いだせた一生こそが尊い人生なのである。
つまらない人間しかいない世の中で、一生つまらない仕事をして生きたに過ぎないと不平を言う人に向かって、人生は「気の毒なことをしました」というどころか、むしろ「あなたこそ、そのつまらなく思えた人生に意味を与えることのできる唯一の人でした」と言うことだろう。一生の終わりに「あなたの生涯にはどんな意味がありましたか?」と問われて答えられる人、その人こそ真に生きる責任を果たした人といえよう。』
わたしたちを呼ばれる神様はどんな方かを考えていきたいと思います。
次回は、神は存在するか?について考えてみます。
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キリスト教概論2 (世界宗教としてのキリスト教)
つまり、世界の約三分の一がクリスチャンという世界宗教ですので、国際社 会になった今、日本でも、キリスト教に興味を持つことも、文化交流で必要なことと思います。キリスト教は欧米社会の中で受け入れられ、広められました。ですから、西洋文化とは、密接であり、文化的影響が大きいといえます。
2. 欧米社会の人々には、無意識のうちにキリスト教の考えが入っています。
(例えば、日本人は仏教や、神道などを大切にする人がいるので、前世での因縁に関心をもったり、清めをしたりなどの習慣があるのと同じです。)同じように、欧米人の考え方を本当に理解しようと思ったら、その背景にあるキリスト教の考え方を知る必要があります。グローバル化が進む社会で真の国際性を身に付けるためにも、キリスト教を理解するのは大切といえるかもしれません。これから、グローバルな社会になっていき、国際交流も盛んになります。せっかく交流の機会がありますから、キリスト教を知っていくことも、国際社会では必要になってくると思います。
3. カルチャー(文化)のcultureは cult が語源となっています。
祭儀、崇拝、礼拝とか言う意味です。
文化交流には、宗教は、欠かせないということと思います。
文化を学ぶにはキリスト教を知る必要があります。最近本屋さんで、キリスト教が分かる本、聖書が分かる本などが、たくさん並べられているのは、国際化社会になって海外に行く日本人がキリスト教を学ぶ必要性に気付き始めたためかもしれません。
4.「信仰」ということと深くかかわる。
何を信じているか?ということは、その人の生き方、価値観と関わってきますこれは、宗教を外から眺めただけではわかりません。内側に立って初めて見えてくるものでもあります。信じることによって、その人にとっては今までと違う何かが見えてきます。それを信じている人にとって意味のある何かがあります。だから、キリスト教を信じている人にとっての価値観とは何であるのか?そう言ったことを完全には理解出来なくても、感じ取ることが出来るかも知れません。
たとえば、マザーテレサのような人がいます。彼女の生き方を支えていたのがキリスト教の信仰でした。また、信仰は信じる人が何をその人の生き方の中心においているか?ということと関わってきます。
何を信じているかは、その人によって違います。もし、お金を信じているなら、お金。名誉を信じているなら名誉。愛を信じているなら愛。人それぞれです。自分の中心となっているものが何か問いかけると見えてくるものがあります。
5.宗教は人間だけのもの
人間だけが目に見えないものへ心を向ける事が出来ます。例えば、雨について考えてみましょう。普通、水は上から下に行来ます。雨を降らすのは、雲に見えます。雨が降った後、その水がまた雲として上に上がるのはどうしてか?と考える時、厚く覆われた雲の向こうに太陽の存在を感じることが出来る。目に見えるもだけでなく、見えないものの先にある偉大なるものの存在に気づく事が出来る。だから人間にだけ宗教がある。犬は、かわいい心を持っています。自分にえさをくれる人のことが好きです。でも、このドッグフードを作っている会社の人にまで心は向かわない。見えない人の力にまで心は向かわない。もし、ドッグフードの会社の人が玄関から入ってきたら、感謝するのではなく吼える。それが動物と人間の違いかもしれません。
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