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聖アロイジオ・ゴンザガ
ルイジ(アロイジオ)・ゴンザガは、1568年3月9日、イタリアのマントバ地方、カスティリオネ侯の家庭に生まれました。まだ4歳の時、父親に伴われて軍営に行き、鎧をつけて父のそばで歩き、閲兵したというエピソードがあります。彼自身によると、7歳の頃、貴族の生活振りに飽きて、霊的生活に魅せられて、詩篇を唱える喜びを覚えたそうです。ゴンザガ家の跡継ぎとして養成を受けるためにフィレンツェのメディチの宮廷に送られたました(1577-78年)。宮廷の虚栄や陰謀が渦巻く世界を嫌悪して、1578年のある日、絶対罪を犯さないという決意を立てました。1579年マントバで、聖人伝との出会い、詩篇を祈るなかで、司祭への召し出しを考え始めました。カスティリオネの図書の中でペトロ・カニジオ著の『キリスト教教義大全』を見つけ、その中に毎日の黙想のヒントも記されていたので、それを祈りの題材にしました。1580年7月、カロロ・ボロメオ枢機卿がミラノからの公式訪問の途中、ゴンザガ家を訪問しました。ルイジがまだ初聖体をしていないと聞き、その準備を指導して、7月22日に聖体拝領をさせました。この時から、ルイジは毎週の聖体拝領を楽しみにし、週3度の断食、朝夕の黙想、平日のミサを日程としたのでした。
1581年、ゴンザガ家はオーストリア皇后マリアがマドリッドに帰る旅に加わり、1582年3月、ルイジは従者としてスペインのフェリペ2世の宮廷に入りました。マドリッドでイエズス会の聴罪司祭に出会い、1583年8月15日、イエズス会の教会の聖母画の前で祈り、イエズス会に入会する決心をしましたが、父親の許可を得るように指導を受けました。粘り強く説得した結果、父親の許しを得て、相続権を放棄し、1585年11月25日、ローマでイエズス会に入りました。入会前に霊操をマントバでしていた時、たまたま中浦ジュリアンたちの天正少年使節が教皇グレゴリオ13世の謁見を終えて、マントバに来て町の祭りに加わっていました。しかし、アロイジオは部屋から出なかったそうです。
ローマ学院で学んでいる間、ロベルト・ベラルミーノから大きな影響を受けました。1591年、ローマでペストが流行っていました。アロイジオはペストに倒れていた病人を見つけては、病院に運び、体を洗い、秘跡を受ける準備をさせました。しかし、彼自身もペストにかかり、その年の6月21日、23歳の若さで帰天しました。1605年10月19日、教皇パウロ5世によって列福され、1726年12月31日、ベネディクト13世によってスタニスラオ・コストカと共に列聖されました。その3年後、若い人たち、特に学生の守護の聖人に定められました。1926年、ピオ11世もこのことを新たに確認しました。
「自らの環境に逆らい、勇気をもって真の王に仕え、主の忠実な友となりました。古来の慣習に逆らうばかりでなく、キリストの足跡に従い、回心して貧しい人々と生活を共にしました。」(P-H.コルベンバッハ総長、AR XX [1991], 580)
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