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聖ドン・ボスコ
サレジオ会の創立者であるヨハネ・ボスコは、1815年8月16日、北イタリアのトリノから30㎞ほど離れたベッキ村で生まれました。「ドン」はイタリア語で「神父」を意味し、親しみを込めて「ドン・ボスコ」と呼ばれています。当時のイタリアの政治は不安定で、イタリア統一運動や産業革命が社会に大きな影響を及ぼし、若者たちは教育どころか、劣悪な環境の中で過酷な労働を強いられているありさまでした。
1841年、神父になったばかりのドン・ボスコにとって最初の教育体験の場は、大都会トリノの刑務所や少年院でした。そこに収容されていた若者たちのために働き、体と心の糧を欠いている彼らの哀れな状態を見て、ドン・ボスコはひじょうに心を痛めました。この若者たちを救うために彼は一生をささげることを決心し、1841年12月8日、トリノで「オラトリオ」という新しいスタイルの教育事業を始めたのです。ドン・ボスコの魅力にひかれて、わずか1年で数百名の生徒が集まるようになりました。彼自身が若者のより所となり、オラトリオは運動場、夜間学校、仲間作りと祈りの場となっていき、有志の人々の協力を得て、やがて寮、職業学校、普通科学校などが併設されていきました。
ドン・ボスコは、助けを必要とするさらに多くの青少年のために事業を発展させたいと考えました。そして、教え子たち自身がドン・ボスコと共に働きたいという心を育み、ドン・ボスコのように青少年に人生をかける誓いを立てました。神と人々のために生きる道を、共同体として歩み始めたのです。ドン・ボスコは、柔和で愛情深い聖人である聖フランシスコ・サレジオを手本として選び、このグループに「サレジオ会」という名をつけました。1859年12月18日、これがサレジオ会の始まりでした。
「君たちと一緒にいること、これが私の人生だ」と言っていたように、ドン・ボスコはどんな若者も心から愛し、明るく、快活で、情熱にあふれた人でした。カトリック教会はドン・ボスコの聖徳をたたえて聖人とし、「若者の父」「カトリック教育の師」と呼んでいます。ドン・ボスコは「若者をただ愛するのでは足りない、若者自身が愛されていると実感させることが必要」だと言っています。若者たちと「共にいる」こと(イタリア語で「アッシステンツァ」)、愛をもってかかわることを、ひじょうに大切にしました。もう一つドン・ボスコが大切にしたのは、「予防教育」という考え方です。これは、ただ危険から生徒を守るという消極的な意味にとどまらず、本来人間に備わっている良心、神から授かった種を、健全に強く育てるということです。人間の心は外側からの押しつけや強制によってではなく、内側から「道理と信仰と愛」によってのびのびと育ってゆくとドン・ボスコは言います。
1875年にアルゼンチンにサレジオ会員を派遣して以来、ドン・ボスコは世を去るまでの13年間に12回、宣教師たちを海外へ派遣しました。彼は将来サレジオ会の事業が世界的に広がること、そして日本にも渡ることを語っていました。日本へのサレジオ会の派遣は、ドン・ボスコの死後、サレジオ会の宣教活動50周年記念事業として1925年に派遣され、翌年2月8日、チマッティ神父を団長とする9人の会員が来日しました。チマッティ神父はドン・ボスコにみならうことを一生の目標とし、「日本の土になりたい」と言うほど日本を愛した宣教師です。現在、日本にはいくつものサレジオ会の教育・福祉事業があります。世界では130か国以上に広がり、それらの教育事業体において、今日もドン・ボスコの教育の精神がいきいきと受け継がれています。「君が若者だというだけで大切に思う」とドン・ボスコが言っていました。
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