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茨城県つくば市の「リーガル翻訳サービス」より、面白い英語表現その他気になることについてつづります。

(106) ネコ好きさんへ


お隣のネコ好きおばちゃんが、うっかり餌をあげてしまったら図に乗って毎日餌を要求する子ネコちゃんたち。オス2匹,メス3匹もいるので、近々避妊手術をする予定。


オス2匹はお隣さんが飼いたいと言ってる。我が家は先住の「みーたん」が、ものすごく甘えん坊で怖がりで、赤ちゃんネコでも逃げるので飼えず、こまっとります。ネコ好きな人誰かもらってくれませんか〜??

生後6〜7か月、穏やかでなつっこくて性格良し。ワクチン打ってから里子に出す予定。キーウィの棚から屋根に上って楽しそうに遊びます。かわいい〜です。



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3匹は月曜に揃って千葉の里親さんのお家に行く予定だった。ところが!昼までには病院に母さんを引き取りに行く約束なのに、白黒ちゃんをうまく捕獲できない!

ここはとりあえず、黒ちゃんだけ連れて行こうということになり、白黒ちゃんは家に残して病院へ向かった。母さんは結構泣いて先生は大変だったみたい。疲れた様子だった。

さて、もらわれ先のお家は庭が広くて、畑やら木々を風が通り抜けるお家だった。奥さんとおばあちゃんと少しお話しただけで、優しくてネコ好きと分かる家族だった。とてもとても安心!!

良かったね〜と安心して夕方帰宅すると。ナント、あんなに苦労した白黒ちゃんが捕獲機に入ってじっとしていた。うっかり餌を入れたまま「捕まえますよ」状態で
出かけてしまったのだった。あ〜〜〜〜何と可哀そうに。たった一人で知らない家に
意味も分からず変な鉄格子の容器に入れられてしまった白黒ちゃん。

すぐに出してあげたけど、黒ちゃんがいないし、娘と私を見る度に飛んで逃げる。その姿のかわいいこと!ところが一人になった理由の分からない彼女(多分)はその夜ずっと怒って怒って私の方を見て叫び続け、疲れると半分眠りながら夢でまた叫び続けた。小さな体から怒りを込めた大きな声で人間を非難しているようだった。

翌日は朝一で白黒ちゃんを壁のコーナーに追い込んでうまく捕獲器に入れることができ、再度千葉県八街市に向かった。3匹の再会の喜びの期待に胸を躍らせて。

結果は黒ちゃんの異常な喜びと、黒ちゃんの歓迎ぶりにびっくりしながらもおずおずと幸せいっぱいの白黒ちゃんでした。2匹は互いに矯めつ眇めつ乗っかり乗っかられ、傍で静かに座っている母さんネコが私たちには不可解だった。

そんなこんなで捕り物帳全巻は3週間弱で了!

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娘とともに営む行政書士事務所は「フェリス事務所」といい、私は翻訳部門を手伝っています。


「フェリス」とは、ネコ属を意味するラテン語で、ネコ好きな母娘が事務所の名前としました。

ネコ好きと知ってか知らずか、先日、生後2週間くらいの子ネコ3匹をつれた母ネコがうちの軒下に住み着きました。一家のお世話でてんやわんやの日々が3週間ほど続いたのち、4匹はみな安住の地を得ました。

★5月17日(木)ネコちゃん一家登場
「ポチたま」とCAPINに色々相談する傍ら、FBで里親募集。車と違って反応薄いわ〜〜〜と思ってたら、土曜日の朝Mさんから連絡あり、子猫3匹まとめてもらってくれるとのこと。Mさんの優しさが胸にしみ嬉しくて😢する。カメラを離せないまま外仕事の週末。
 
★ワクワクの1週間が始まる!
毎朝「きゅーきゅー」とごはんを待つ声。
よそネコに取られないよう、狭い軒下にご飯と水を入れる。
カラスが軒下まで舞い降りてくる!「こりゃ大変!!」
木の柵をいっぱい並べた。

ベランダの上でも母さんネコと子ネコ3匹は仲良くご飯を食べる。
母さんはのんきに出歩くけど人間が近づくと、怖い目で睨みつけ「シューーッ」と怒る。
 
★結構ビジーな週末の翌週は
病院色々調べて手配、6月3日に母さんネコの検査と避妊手術の予定。
捕獲機を取手の「ポチたま」から借りて来る。
 
★子ネコたちのいない朝
行動範囲が広がって誰も帰ってこない!どうしよう??
どっか行ってしまった!悲しい〜〜〜       
ところがどっこい!お隣でごはんもらって物置の奥で遊び呆けてた(笑)
あ〜驚いた。あ〜良かった!生きてた!
 
★翌週の月曜日(28日)
 ネコちゃん達相変わらず姿が見えない。心配!
 午後3時半、出かけようとしたら、母さんネコの下に
 キジトラクンが横たわっていた。母さんは子供の遺体に
 葉っぱをかぶせ、お父さんは傍で黙って見守っていた。
 あまりの衝撃に、外出中色々筋書きを考えてお隣さんに報告。
 大切に埋葬。
 
★火曜日(29日)
 カラスにやられたと話したので、お隣さんは朝のうちに
 子ども2匹(黒ちゃんと白黒ちゃん)を捕獲してくれようとした。
 その時、黒ちゃんは何とか捕まえられたけど
 白黒はものすごい悲鳴を上げたので、放してしまったそうだ。
 夕方になっても白黒ちゃんは現れない。
 こんなことは今までになかったこと。
 
  そして3匹一度に失った母さんは1日中悲しい声で鳴き続けました。
 
★白黒失踪
 白黒まで失った私たちも、いたたまれず近所を歩いて探したけど
 夜になっても白黒ちゃんは現れなかった。
 悲しいけど、迷子になったか、誰かに拾われたかなと思った。
 元気で生きていてね。と祈りながら・・・
 
 お隣にはこれ以上心労掛けたら悪いので、夕方黒ちゃんだけを
 我が家に引き取った。
 借りてきた猫のように部屋のすみに隠れて姿見せず。
 翌朝もいない。もう〜ドキドキさせないで〜
 ごはんだけはしっかり食べ、その後少しずつ慣れ
 どんどん慣れて娘と私両方にすり寄って来て撫でると
 コロンとお腹見せる。たえざる探求心であらゆるもので遊び
 飛んだり跳ねたり走ったり、やんちゃ度はハンパでなかった!
 
★白黒発見!!
 何と!!!水曜の昼前、母さんネコに連れられた白黒ちゃんが
 我が家の窓下に戻ってきた!!
 こんなに嬉しい事あるだろ〜〜か??娘と二人で狂喜!!
 
★水曜(30日)捕獲機登場
 朝から白黒ちゃんを何とか中に入れようとあの手この手でプランを相談。
 結果は母さんが捕獲機につかまった!
 
 おっと、母さんが捕獲機に入るのは3日の予定なのよ〜〜
 あららたいへん!ちょっと早いけど、今日手術するしかない〜。
 急きょ病院に電話。夕方5時前だったけど、とにかく頼んでみようと。
 すると先生はいとも簡単にいいよと言って下さり
 7時までは待ってくれると。「ポチたま」さんからの紹介なので
 特別優しいのかな?
 
 いや行ってみたら、めっちゃ優しい先生でした。
 おごらず高ぶらず、日曜までの入院費も、とても
 控えめなオファーでありがたい事この上なく。
 そんなこんなで、母さんは病院の診察台で
 おとなしく我らを見送ったのでした。

 一家が表れて今日でちょうど2週間が経ちました。
 
★この日の夜
母さんも兄弟姉妹もいなくなってたった一人で
雨の夜を過ごす小さな白黒ちゃんを思って
娘は半べそかきながら一生けん命考えた。
その結果私は、①玄関脇に段ボールを用意
②野良にご飯を食べられないように、縁側の軒下を柵で囲って
中に小さな座布団を入れ、ちびちゃんだけのシェルターを作った。
 
★木曜(31日)朝
朝いちばんで軒下チェック!クッションの上にもいない。
どこにもいない。でもごはんはなくなってたので、
心配でいっぱいの娘に「絶対そばにいるから」と言い続け
そしてやがてくだんのネコちゃん発見。
 
なんてったってお腹がすけば戻って来る!
 
★網戸越しの再会
黒ちゃんと白黒ちゃんは久しぶりの再会に狂喜乱舞!!??
とにかく嬉しさを体で表していた。
何とか白黒を家に入れようと色々やってみたけど、この日は失敗。
黒ちゃんはずっと窓の外を見てます。
 
★金曜(6月1日)またまた捕獲機の出番ですよ〜
美味しいごはんを用意して
何度もシミュレーションして
捕獲機をウッドデッキの上に置いた。
お腹がすいていたのですぐにかかってくれました。

どれだけホットしたことか!

安心して私たちもお昼ご飯〜〜!!
こんなに嬉しかったことはありません。
 
★借りてきたネコno.2
さてこの子はno.1 と正反対の、臆病で慎重でおっとりさんだけど
逃げ足の速さはものすごくて
人間を見るとすっ飛んで走り去るその姿がめっちゃかわいい。
 
でも捕獲して2日目の今日(土曜)は、
朝からアコーディオンの下を潜り抜けて
隣の部屋で金魚の入った水を飲んでた(笑)

そんなこんなで怒涛の2週間でした。
今、2匹のたわむれる姿はあまりに可愛く
明日のお別れがとても残念です。

 
★明日は母さんと久しぶりの対面。
母さんは人気のない病院で3日以上も一人で過ごし
どんなにか不安で寂しかったでしょう。
でも、もう明日は3匹で新しいお家にもらわれていきます。
かわいがってもらえるように、人間を怖がらないようにと祈りつつ。  

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坂巻 すうみん   5月5日 19:46
今年も田植え交流会が近づいてきました。田植え体験後、元気村のお母さん達の手作りご飯で交流会。石塚さんのハウスでイチゴ狩り、そして帰りには、元気村で買い物をお願いします。参加費は千円です。参加をお待ちします。
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藤久保万里子   5月9日
稲を植えるって、きついけど楽しいです。そして収穫の喜びも!いちご園はとにかく甘くて取り放題食べ放題で、バケツ一杯も2杯もいただいて来て、ジャムにすると、めっちゃ甘くておいしいです。砂糖は通常の半分くらいで済みます。あの美味しいイチゴをそのまま腐らせるのはあまりに忍びないので、ぜひみなさんこのイベントに参加してみてください。

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(103)325日(日)朝、気仙沼から陸前高田へ

「今から行っていいですか?」当日の朝突然お願いしたにも関わらず「アバッセ高田」で拾ってくれたYさん。お陰でFさんにも会え、仮設の引越しのお手伝いににちょっとだけ参加。依頼主さんは仮設では暮らせない母の介護のため、愛知に移り住んでいる。洗濯機や冷蔵庫は別の仮設へ。細かいものは寄付又は廃棄。

その後、近くで伐採作業しているボランティアのTさんとそのお仲間のもとへ。Yさんは準備してきた牡蠣と携帯コンロを高台に運んでにわか料理。海の潮味いっぱいでホカホカの蒸しガキは、それはそれはおいしく、今まで食べた中で一番美味しかった。Yさんは「自分が食べるより、来てくれた人に食べてもらうのが何よりうれしい」と言った。Tさんにも牡蠣を運ぶYさんとFさん。3人の気遣い振りとか仲良し振りがとても素敵だなと思った。
 
震災遺構の道の駅「高田松原」
「奇跡の一本松」のある松原地区、震災遺構の道の駅「高田松原」の前でYさんが津波当時の様子を話してくれた。2km x kmの長方形の土地がすべて浸水し、1600人以上の方が犠牲になった。今だに約200人の命が見つかっていない。
 
その日避難所として指定されていた市民体育館に300人ほどが避難した。そのうち、遺体として見つかったのは約100人。残りの200人は行方不明。助かったのは数人。ほとんどの人が高台に向かっていたのに、避難所に行けと言われて方向を変えたばかりに失われた命。家族にとっては耐え難い悔しさだろう。200人と言う数字は、亡くなった方の家族、友人、関わった人々すべてにとって大切な命、たった1つの命も1600の命も亡くした悲しみの深さは同じ。
 
道の駅「高田松原」の残された建物は14.5m。その頂点で3人の方が命を長らえた。3月11日のまだ寒い中、あるはずのない海水が足元すれすれに辺り一帯を覆う中で闇の一夜を過ごした。どんなに恐ろしく不安だっただろう?
 
震災遺構
犠牲者が出なかった建物4つだけが遺構として残されると言う。何故?犠牲者の多かった建物程、教訓や思い出のため残した方がいいのではないだろうか?家族を失った人にとって、大切な人の最後の居場所はその人を偲ぶ大事な場所であり、それが取り壊されることは思い出を一掃されることに等しい。「毎日ここに来て亡くなった妻と心を通わせていた。でも復興のためには仕方ないのかもしれない」言っていた男性の悲しみが心に響く。
 
そんな悲しみや遠慮もすべて、「復興」とか「前へ進む」という名分のもとにひっそりと埋もれていく。そんな悲しみに心を寄せないまま多くの人やマスコミは「復興が進んできた」という。そんな悲しみと無念さが何千とあることを私たちはきちんと覚えておこう。
 
昼ご飯は
「アバッセ高田」の老舗お蕎麦屋さんで、やたら大食いのFさんに驚きながら私は半かけそば。おつゆは上品な味でそばはしっかりしていて、ま〜おいしかった。エビ天は超さっくり!
 
あ、その前に「ツボ焼芋」
20174月、嵩上げが行われていた陸前高田市の中心部に、ショッピングセンター「アバッセたかた」が生まれ、その隣にちびっこの遊び場ができた。その一角のテントに、お芋の絵の描かれた箱のお家の中で、お芋が焼かれていました。なんと茨城県の筑西市から運ばれてきたお芋とのこと。道理で美味しい!!
 
手芸品展示場で
一人になってショッピングセンター内の展示場をうろうろしていたら隣の女性が問わず語り。「こんなの作りたいけど、どうやって作るか分からなくて・・・家にある毛糸使いたいけど、お店で毛糸買わないと作り方のレシピもらえないの・・・前は編物教室とかやってくれてたけど、今は何もないから・・・」
 
「近かったら編物教室一緒にやれるのに」と思いつつ「気仙沼の駅前の毛糸屋さんが月に一回教室やってるから、ぜひ行って見て!バスで25分で行けるから」と言って別れたけど、あまり気が進まないようだった。どこか元気がなくショッピングセンターにもあまり喜んでいるようはでなく、寂しそうだった。とても気になる。
 
皆が少し落ち着いて時間ができた今こそ、心を慰めてくれるもの、楽しみや生きがいが必要なのだと感じた。被災直後だけでなく、7年経った今だからこそのお手伝いが必要なのだ。長い温かい視線が必要だ。
 
最後に遭ったその女性に心を残して3時くらいのバスで気仙沼に戻った。バス停で「41日から陸前高田駅がそばにできるので、ここのバス停がなくなる」という話が聞えてきた。

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