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簡単です。 議論にならなくなるからです。 そこで言論は意味をなさなくなるからです。 後は罵り合いだけが延々と続くことになるからです。 「お前 馬鹿だな。」 「お前 育ち悪いな。」 「お前 頭おかしいな。」 「お前の存在って 悪 だな。」 そんなこと言ったら、議論は終わりです。 当たり前です。 現実世界なら罵り合いどころではなく殴り合いです。 言葉の使い方として最悪です。 議論の大前提 「意見と人格の分離」 これは言論の鉄則でもあります。 意見を批判するのならば何を言ってもかまわないんです。 それは言論の自由市場が求めるルールでもあります。 自由な言論と自由な言論がぶつかりあうのが議論です。 しかし 人格を批判したらいけないんです。 それでは議論にならないんです。 言論は言論ではなく ただの雑言に堕するのです。 大体 その発言の動機からして悪意しか存在しないんです。 「お前 馬鹿だな。」 「お前 育ち悪いな。」 「お前 頭おかしいな。」 「お前の存在って 悪 だな。」 といった発言をする人の動機は決まっています。 「相手方を貶めたいから」 以外に考えられません。 なぜなら そういった発言を何のためにするのか? との問いに、それ以外の答えが見つけられないからです。 相手方を「馬鹿」と言ってどうするのか? 相手方の「育ちが悪い」と言ってどうするのか? 相手方が「頭がおかしい」と言ってどうするのか? 「あなたのような存在を悪というのです。」などと発言して、一体、どうしたかったのか? この問いに、「相手方を貶めたかったから」という答え以外に何があるというのでしょうか? 「その人を諌めたかったゆえ」といった答えが容易に出てきそうですが、それは嘘です。 なぜなら 相手を諌めようとするならば 人格を批判する必要は寸毫もないからです。 他にいくらでも言葉があるのに 敢えて他人の人格を批判する理由はどこにもありません。 簡単な話です。 人格批判とは悪意の伝達に他なりません。 議論は 一定の信頼関係の上に成り立ちます。 人格批判はその前提を壊してしまうのです。 ゆえに 議論において人格批判は厳禁 となるのです。 ま 人格批判をやりたければやればいいと思いますが、それがどういう意味をもっているのか理解してから存分にやったほうがいいと思います。 それは 議論を放棄した証拠でもあり、罵り合いを望んでいる証拠ですし、 論者としての欠格を証するものです。 そして、何よりも 自分の人格を貶める最大の原因になるわけですからw 自覚も何もなく、人格批判をしといて、後から指摘を受けると右往左往。 そして 自己正当化のための 「人格批判の「批判」を始める。 みっともないですねえw 「議論を望むのならば」人格攻撃はいけません。 わかりましたか? ムシュウダさんw
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すごくわかりやすいこの理屈が通じないのがわかりません。
結局、議論という名のついた口プロレスがしたいだけにみえます。
2008/12/16(火) 午後 3:08
プロレスならいいんですよ。
それなりにルールがあるし、思想があります。
しかし、路上の喧嘩のようになっちゃ〜いけないんです。
ノールールでしょw
そうなったらいけないんです。
それができない人間は議論の場から排除すべきだと思います。
2008/12/17(水) 午後 6:45
たしかにそうですね。
2008/12/18(木) 午前 7:47
こんばんは、はじめましてTKと申します。
古い記事にすみません。
人格批判についてググって辿り着きました。
非常に分かりやすく述べている記事ですね。
是非、リンクと引用させて頂きたいのですが宜しいですか?
2011/10/27(木) 午後 7:18 [ TK ]
マネジメントにおいて、相手に自身の未熟さを認識させるため。根本的な自身の弱点を認識させるためには、出来事や意見などの枝葉ではなく、自身の性格の傾向などを指摘するする必要があると思います。
2012/9/10(月) 午前 11:21 [ ハラグロ ]