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ま 季節がいくらか外れますけど、忠臣蔵について思索しました。
とかく、あの時代、忠義が実践されていたように論じられますけど、そうではなかったと思います。
武士は、今で言ったら公務員で、自分の生活が安定することを第一に考えていたと思います。
でも、御題目だけは、忠義、忠義と喧しく騒がれていたのでしょう。
そこで 大石。
その御題目と化した「忠義」を、ホントにやっちまった。
マジでやっちまった。
死を覚悟の凶行
世間は、内心では「吉外」と思ったでしょう。
「マジでやるかねえ」と、呆れたでしょう。
でも 決して口に出せません。
いつも口だけ立派な凡愚の衆は、この常軌を逸した狂気を賞賛する以外になかったんです。
ひきつり笑いで拍手喝采。
今の世に至るまで、わが国有数の美談として語り継がれています。
大石も、忠義なんてものの虚しさには気付いていたでしょう。
それ以外の46人も、同様だと思います。
しかし、やっちまった。
「やれんのか?」 という内なる声に 「応」 と答えた。
いくつもの葛藤を乗り越え、「狂」に至った。
ただの奇矯の「狂」ではなく、「直」なるが故の「狂」。
もう誰にも止められません。
「さらば、内蔵助。」
そして、吹雪。
日本人は、こういう狂気に憧れます。
そして、これこそ日本特有の文化だと思います。
日本万歳。
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マリリンさん、今日は。
さもありなん。
それでは2・26の青年将校は、どう評価されるのでしょうか?
2010/1/11(月) 午後 1:12
>それでは2・26の青年将校は、どう評価されるのでしょうか?
思想も立場も状況も関係ないって。
それともあれかい、雪だけかい(笑)
2010/1/11(月) 午後 6:33 [ re**u*g*2*0l ]
こりゃ、ホントに雪の降るイメージだけで2・26がどうしたとか書いたね、この劣り人は。
病院から動けなくなる前にちゃんとしろよな。
2010/1/15(金) 午前 0:18 [ re**u*g*2*0l ]
興味あるお考えですね。
でもどうでしょう、?、
武士道を鼓吹した、ヤマガソコウという学者の思想に、
大石は傾倒していたんですよ。
歴史は人により作られます。大石という個人が武士道に生きようと
したとき、吉良邸打ち入りは、決まったんです。
現代人に武士道などは理解できません。
それどころか、太平洋戦争だって、理解できないでしょう。
大石の一党を、すべて狂気にしたお考え、、300年近い前の時代に
生きた人たちの心を憶測するのは、難しいことでしょうね。
2010/1/19(火) 午前 11:46 [ サチコ ]
マリリンさん、今日は。
サチコさんの世界観に私の世界観は近いです。
しかし、別の視点に立った時両者の違いは何でしょう。
それは「本音と建前」をどう捉えるかだと思います。
土居健郎の「表と裏」より
「実際、日本人は随分昔から建前・本音の二本立てで人事万般を考えて来ているように思われる。
しかも、それは一つの事柄について云われているのであって、建前と本音二つ合わせて一本と言う風にあらかじめ理解されていることに注意せねばならぬ。
公と私に相当する英語のパブリックとプライベートでは両者が厳密に区別された領域として決して交わらない。
「徒然草」第141段に於ける内容。
京の人間がキレイゴトを言うのは、建前を云うだけのことで、偽善に類すると考えるのは間違っている。
むしろ何とか建前をたてようとするところに、彼らの誠実さを見るべきである。」
2010/1/19(火) 午後 1:27
続き
どちらが正しいという話ではありません。
史観の相違ですね。
「義理と人情」の板挟み的な世界に生きる日本人の繊細な精神を世界に主張すべきか、それとも否応もない世界の常識に合わせるかだと思います。
これも同じ問題を扱ったことだと思います。
↓
http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_0828.html
いずれにしろ、今は恥を知る日本人ではなくなっていることは確かですが。
2010/1/19(火) 午後 2:17
>いずれにしろ、今は恥を知る日本人ではなくなっていることは確かですが。
お前のことだ、劣り人。
2010/1/19(火) 午後 11:07 [ re**u*g*2*0l ]