Mar[i]lyn4U

この世は仮の宿りなり。

書物

[ リスト | 詳細 ]

HON
記事検索
検索

全6ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6]

[ 次のページ ]

四ツ谷の大学で働いてらっしゃる大学教授です。
 
いくつか書籍を速読させていただきました。
 
なるほど、情熱的な愛国者ですね。
 
また、博識でもいらっしゃって、歴史についてのお話なんかは、とても面白い。
 
でも、この方がホントに日本を愛しているのかどうか疑わしい。
 
いや、ちょっとちがうかな。
 
この方が愛してらっしゃる日本が、ホントに日本なのかが疑わしい。
 
 
彼はいう。
 
現在の日本国憲法は無効であり、明治憲法こそ、今なお生きてる最高法規である。と。
 
ということは、そういう彼が愛する日本とは、明治時代の日本であるということになる。
 
そして、彼が愛する日本人とは中国やロシアに打ち勝ち、イギリスの戦艦を沈めた日本人のことを指す。
 
ということになる。
 
 
でも、その日本とは外国の血を輸血した日本であり、
 
その日本で生きた日本人とは外国精神に育てられた日本人である。
 
 
それを愛することが、果たして 日本を愛するということになるのでしょうか?
 
そもそも、彼が引き合いに出す、多くの日本人とは、大変、立派な方々ばかりで、
 
その方々を日本人の代表のような体で、それをして、日本人は偉大である。と結論付けている。
 
 
なんだか、あやしい。
 
 
梁塵秘抄に次の歌があります。
 
 
遊びをせんとや生まれけむ
 
戯れせんとや生まれけむ
 
遊ぶ子供の声聞けば
 
我が身さへこそゆるがるれ
 
 
これは遊女が歌ったものです。
 
平安時代に生きた女性のこころが、しみじみと滲んできます。
 
きっと 笑顔の素敵な女性だったのでしょう。
 
悲しいことも微笑みで打ち消してしまうほど美人だったのでしょう。
 
ここらから愛おしく思います。
 
 
あたしが敬愛する女性は、たまたまこの島国に生まれて、
 
たまたま、その国の言葉を使っていました。
 
でも、やはり、彼女の美しさを形成したのは、この日本と呼ばれる空間でしょう。
 
その空間と、あたしの今いる空間は、それほど違わない。
 
あたしにも、彼女と共通する部分がある。
 
その共通項というのは、すばらしい。
 
その共通項の一つに、日本語というものがあるというのは奇跡といっても差し支えない。
 
 
あたしの見る風土を、彼女も見ただろうと思う。
 
そして、きっと彼女も、夕日の美しさに心を奪われたに違いない。
 
 
日本 日本人 という、西洋的区別の結果にすぎない単語自体、意味を失ってしまう。
 
日本ってなに? 日本人ってなに?
 
古文を読んでると、よく頭に浮かびます。

イメージ 1

一読、素晴らしい。


その内容は、わが書庫、「論法」において、あたしなりに消化していきたいと思います。


それにしても、繰り返し読みたいと思った本は久ぶりです。

ワルツ 下 花村 萬月

イメージ 1

己が子を抱いた母親曰く、

「何があっても、生き抜きなさい。」


己が命を捨てた極道曰く、

「何があっても、死ぬな。」



生きるという事は、とても醜いものです。

綺麗な服を着て、化粧をして、小奇麗な部屋に住んで、、、

外面をいくら取り繕っても、人間が生きている様は醜い。


逃げたり、嘘をついたり、誤魔化したり、怯えたり、他人を傷つけたり、、、

醜い。

でも、人間が生きるというのは、そういう事なんです。


超然とした人間は、いません。


そういう人間としての業を背負いながら、人間は醜いまま生きていかなければならない。

そこで、先の言葉。



「何があっても、生き抜きなさい。」


「何があっても、死ぬな。」



並べてみると、深いものがあります。

ワルツ 中 花村 萬月

イメージ 1

利根川という、どうしようもないヤクザが登場します。

他人の武勇伝を自己のものとして権勢を揮ったりする人物です。

そして、その武勇伝の当人に口止めをしたり、刺客を送って亡きものにしようとしたりもする。

極道として最低の人間です。


そんな利根川の親分である澤村に、妻の百合子は問いかける。

「どうして、利根川のような人を子分として守るのか?」

澤村、答えて曰く。

「誰でも、心の中に利根川を飼っている。利根川を見捨てた時、俺の任侠道は破綻する。」


人間は、誰でも醜いところがある。

というのですね。

そして、その醜いところも承知で、子分として守っている。

それが、任侠道だと言ってるんです。


以前、あるヤクザの親分とお話をさせて頂いた時に、その方は、こうおっしゃっていました。


「ヤクザは立派に社会の役に立っていた。

 ヤクザにしかなれない人間を、社会に受け容れる道はヤクザ社会しかなかった。

 犯罪を犯してしまった者、在日や部落で差別されてきた者、知的障害者。

 それ以外にも、一般の社会にどうしても馴染めない者。

 ヤクザ社会は、そういった人間を社会の一員として受け容れてきた。

 そして、そういう人間を仲間として守ってきた。」



人間というのは、単純な存在ではありません。

その存在の中に、さまざまなものが混在していて、初めて人間といえるのだと思います。


今の社会は、人間のなかの、綺麗で清潔な部分しか認めようとはしません。

汚く、醜いものには、とにかく蓋をして、見て見ぬふりをします。

ヒドク潔癖な社会が今の社会です。

人間を、そのまま人間として認めようとしないのが、今の社会の基本的姿勢です。


なんて、薄情な社会なのでしょうか?


まったく、情のない社会だと思います。

義理も人情もない、冷たく乾いた社会だと思います。

任侠などとは、まったく無縁の社会だと思います。


そのヤクザの親分は、今の社会を評して、こうおっしゃっていました。


「消臭剤の香りがする世の中」


蓋し。


任侠道というのは、どこかキリストっぽいところがあります。

そして、儒教の博愛思想と似ているところがあります。

人間を人間そのものとして愛する。

というところがあります。

留保なしで人間を愛する。


ま 今の資本主義経済の世の中では、ただの戯言にすぎないんでしょうけど。

ワルツ 上 花村 萬月

イメージ 1

全三巻読了。

めちゃくちゃ面白かった。


城山龍治という特攻隊崩れの男が登場します。

その男がすさまじい。

男の中の男です。





その奥義とは。


女のアタシが考えるに、それは、「死」 ですよ。

常に傍らにある「死」を意識して生きるというのが、究極の男らしさではないでしょうか?


「死」は、圧倒的に人を支配します。

当然の事実です。

それを、無条件で受け容れる態度。

それが、男らしさだと思います。


「生」ばかりの事を考えていると、男は腐ると思います。

言い訳、責任転嫁、虚仮、媚諂い、見て見ぬふり、、、、

女の目から見て、男として最低な行為の全ては「生」に執着することが原因です。


「生」にこだわるのが間違っているとは言いません。

そして、生きるためには醜い行為もせざるを得ないという事も認めます。

でも、最近の男性を見ていると、生きることばかり考えていて「生けるシカバネ」になっているのではないか?

生きるためという理由だけで、あまりにも醜すぎるのではないか?

と思います。

そういう人達は、無限に繰り返される経済活動のために神経が腐朽してしまったんだと思います。

そういう人達は、金稼ぎ以外、何もできないでしょう。

そういう人達は、何かをすべき時に、何もしません。


「やるときはやる」


しかも、死ぬ気で「やる」。

そういう気構えが常に出来ている男性は、「男」だと思います。


そういう人からはオーラが出ているんです。

気軽に近づけないオーラ。


なかなか いませんけどね。

全6ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6]

[ 次のページ ]


.
marilyn theresia
marilyn theresia
女性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

ブログバナー

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事