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この世は仮の宿りなり。

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想像

あたしの精神は過去に触れることはできます。
 
未来に触れることはできません。
 
 
あたしの精神は想像をします。
 
それは過去でもなく、当然、未来でもありません。
 
そして、今 現在の世界には存在しません。
 
 
その想像される「像」ってのは一体なんなんでしょうか?
 
 
あたしは毎週土曜日に、キックボクシングやってるわけですけど、
 
相手の動きをイメージしながら動くわけです。
 
 
ワンツー してきたら 右をパリーで右ストレート
 
 
相手の動き 自分の動き 自分の動きなんか第三者目線でイメージしている。
 
これってなんなんでしょうか。
 
しかも、その想像どおりに現実をつくる(?)ことができる。
 
 
現在 この世界に過去は存在しない。
 
でも 想像する「像」は、その痕跡すらない。
 
それって 一体、何?
 
なんで そんな得体のしれないモノに、あたしの精神は触れることができるのでしょうか?
 
 
モーツアルトは 悪魔と手を結んだからこそ 名曲を作ることができたといわれていますが、
 
あの旋律の 「像」 は 魔界の景色なのでしょうか?

過去

しかし
 
ほっとくと すぐに 過去に触れちゃうんですよねえ。
 
不思議ですよね。
 
目の前には「今」しかないのに、
 
目の前の世界には「過去」は存在しないのに、
 
ほっとくと すぐに 過去にどっぷり漬かっちゃうんですよ。
 
不思議ですよね。
 
 
ま いい過去ならいいんですけど、
 
やな過去は出てきてほしくないです。
 
 
 

意思

最近、子供のころのことを思い出すようにしています。
 
 
なぜか。
 
 
あたしは、法律の世界で生きているわけですが、
 
その世界というのは、ひどく客観性を重視する世界なのです。
 
 
法律というのは事実を当てはめて結論を導き出す様にできていて、
 
その結論というのは、一般的に妥当なものであることを求められている。
 
つまり、万人が納得できるような結論を導き出すことを唯一の目的としている道具というのが法律ということになります。
 
そして、その道具自体にも高度な抽象性、一般的妥当性が求められる。
 
そりゃそうです。
 
だって、法律およびその結論に、個々の解釈を認める余地が多分に認められるとするならば、
 
全く予期できない刑罰をくらったり、全く想定外の損害を受けたりして、「市民」はたまったものじゃありません。
 
なにより、資本主義において重要な「予見」が成り立たなくなり、
 
信用が崩壊してしまいます。
 
 
ちょっと、横道にそれまくっているので、軌道修正して、、、
 
 
つまり、そういう 「客観性」 にまみれた世界で生きていると、
 
他者の目(それは、実在の個人にとどまらず、広く社会および神だとか天だとかいうモノも含む)
 
を気にして、自我が本来のものから離れていくわけです。
 
 
それって、どうなんでしょうか?
 
 
あたしは、子供のころは、もっと自己中だった。
 
それは、イイ意味で自己中。
 
自分中心に物事を考えていたし、物事を見ていた。
 
自分の今までの経験からさえも制約は受けていなかった。(といっても、経験自体がないんだから当たり前か)
 
そして、そんな態度で見つめる、この世界は驚愕に満ちていた。
 
 
で、今日。
 
美容院帰りの帰り道。
 
原っぱを見つめて、子供の心で考えたわけです。
 
 
「この草一本一本に、意思があったらどうだろう?」
 
 
するとですよ、
 
あたしは、突然、何千何万の 「視線」 に晒されたんです。
 
これはねえ。
 
比ゆでも何でもなく、実際に、あたしが感じた事実なんですよ。
 
その 「視線」 に耐えられずに上を向くと、
 
太陽が 笑っていたのです。
 
笑っていたんです。
 
まじで。
 
 
誰が、草に意思がないと証明できます?
 
誰が、太陽が笑わないと証明できます?
 
 
科学は、客観的にそれを 「とりあえず」 証明できるかもしれませんが、
 
次の瞬間、論証を覆す反例が出てきたら、その証明は意味をなさなくなります。
 
そして、その反例が未来永劫出てこないなんて証明は、絶対に不可能なんです。
 
 
子供のころ、不思議に思っていたこと。
 
大人になったら、全部解決すると思っていましたが、
 
それは どうやら幻想だったようです。
 
 
そもそも、我々は、この世界の根本問題に目を向けないように生きてきたのかもしれません。
 
 
われわれは、思った以上に、不誠実で、
 
思った以上に、混乱をしているのかもしれません。
 

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資本主義の精神を撃つ

かのBFは、こういいました。
 
「時は金なり。」
 
TIME IS MONEY
 
これは、資本主義の精神の精髄といってもいい思想です。
 
資本主義の最高教義。
 
ドグマ中のドグマといってもいいでしょう。
 
時間を計量可能な概念としてとらえ、
 
それに基づいて、計画し、予見し、信用社会を形成していくのが、
 
キャピタリズムというものでしょう。
 
なるほど、ゆえに合理的思考および合理的行動が可能になるわけですねえ。
 
なるほど、なるほど。
 
 
 
この発想、根本的に欠落していると思うんですよ。
 
だって、人間、いつ死ぬかわからないでしょう。
 
明日、いや、今、しぬかもしれないじゃないですか。
 
いくら、計画的、合理的に、時間を金に換算したって、
 
一瞬で、破たんする可能性が常にあるんですよ。
 
BFの言ってることってのは、人間が死ぬという真理と馴染まない発想なんです。
 
つまり、
 
資本主義の合理的発想というのは、
 
人間という存在そのものの不合理性には、馴染まないものなんですよ。
 
 
資本主義というのは、そういう人間の有様を無視し、その原理を人間に押しつけつつ肥大していく思想なんです。
 
マルクスは、こういう状況を 
 
 
「疎外」
 
 
と呼んだんです。
 
 
結局、マルクスの言ってることは正しいんじゃないのか?
 
と思いつつ、明日の経済活動のことで頭がイッパイになるマリリンであった。
 

忠臣蔵を思う

ま 季節がいくらか外れますけど、忠臣蔵について思索しました。


とかく、あの時代、忠義が実践されていたように論じられますけど、そうではなかったと思います。

武士は、今で言ったら公務員で、自分の生活が安定することを第一に考えていたと思います。

でも、御題目だけは、忠義、忠義と喧しく騒がれていたのでしょう。


そこで 大石。


その御題目と化した「忠義」を、ホントにやっちまった。

マジでやっちまった。

死を覚悟の凶行


世間は、内心では「吉外」と思ったでしょう。

「マジでやるかねえ」と、呆れたでしょう。

でも 決して口に出せません。


いつも口だけ立派な凡愚の衆は、この常軌を逸した狂気を賞賛する以外になかったんです。


ひきつり笑いで拍手喝采。

今の世に至るまで、わが国有数の美談として語り継がれています。


大石も、忠義なんてものの虚しさには気付いていたでしょう。

それ以外の46人も、同様だと思います。


しかし、やっちまった。


「やれんのか?」 という内なる声に 「応」 と答えた。


いくつもの葛藤を乗り越え、「狂」に至った。

ただの奇矯の「狂」ではなく、「直」なるが故の「狂」。

もう誰にも止められません。


「さらば、内蔵助。」 


そして、吹雪。



日本人は、こういう狂気に憧れます。

そして、これこそ日本特有の文化だと思います。

日本万歳。

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