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残暑厳しい9月5日、靖国神社に生まれて初めて参拝してまいりました。
出張先が一口坂交差点そばということで、靖国神社の南門までは歩いて数分という至近距離でした。
南門から入るとすぐに若い自衛官数人にすれ違いました。
市ヶ谷には駐屯地があるのでおそらくその関係ではないかと思いました。
左手には日本庭園があるとのことでベンチで休憩している近所のサラリーマンらしき方がいました。
参道の脇にはたくさんの植樹があり、ひとつひとつの木々に“○○戦友会”とか部隊単位あるいは戦闘艦単位の戦友会や遺族会からの寄贈であることを示すプレートがかかっていました。
“靖国で逢おう”そう言って若い命を戦地で散らし遺骨さえない先達の魂が宿ると信じて植樹されたようです。
南門から入ると拝殿はすぐ近くでした。
“二礼二拍一礼”と書かれた立て札に従い、カバンを横の机に置き、お賽銭を奉納し“二礼二拍一礼”を実行いたしました。
一度に何人もが参拝できるような広さがありましたが、一人で参拝しました。
じ〜っと警備の人に見られているのでちょっと緊張しました。
拝殿のすぐそばにパール博士の記念碑がありました。
東京裁判でいわゆる“日本無罪論”を展開した国際法学者です。
遊就館というメモリアルホールがあり見学することにしました。
ガラス張りのエントランスホールには零戦52型が展示されていました。
本物の零戦を見るのは初めてでした。
想像よりもはるかに大きな戦闘機でした。
小型軽量重武装で運動性能に優れており局地戦闘機としても艦載機としても万能な戦闘機でした。
ただし、軽量化のために座席背面や燃料タンクなどの防御を省かれており攻撃を受けると脆い戦闘機でもありました。
カウルから覗き見た誉エンジンも予想外に大きなエンジンでした。
精製技術も低くオクタン価の低い粗雑な航空燃料で故障も多かったようです。
米軍に捕獲されたことで零戦の弱点を挙げることが多いようですが、当時の国力でこれだけの戦闘機を完成させた三菱の設計陣や生産技術は誇って良いと思います。
当時の米軍のグラマンやマスタングの機能一辺倒の戦闘機と違い、姿、形の美しささえ感じとれました。
遊就館の展示ホール全体は800円の入場料で見られましたが、次の仕事先があったので短い靖国参拝と見学を終了しました。
残暑厳しい蝉時雨の靖国神社からは平和の大切さをしみじみ感じ取りました。
靖国の境内の木々に宿っているであろう先達の霊も平和を希求しているに違いありません。
戦争で亡くなった方々は民間・軍人を問わずさまざまな場所に祀られていることと思います。
国の英霊として祀られるべきか否かの判定問題や思想宗派の問題は“平和があってこそ”との考えをより強く想いました。
第二次大戦から現在まで世界各地では戦争行為のない時間はほとんどありません。
人間はなんと愚かしい存在なのでしょうか?
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おはよう御座います。
関連記事から来ました。
考え深いですね。ポチ
2013/10/16(水) 午前 5:50