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蓮如上人 ゆかりの地

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蓮如上人ゆかりの地
蓮如上人銅像を訪ねて・・・




☆京都)
 蓮如上人生誕地 (崇泰院) 京都市東山区林下町


☆富山県)
 蓮如上人銅像(善徳寺)富山県東砺波郡城端町



☆石川県)

 蓮如上人銅像(石川県金沢市子来町55)

 蓮如上人銅像(石川県加賀市山中温泉菅谷町)

 蓮如上人銅像(安楽寺)石川県河北郡津幡町 蓮如上人お手植え銀杏(笠池ケ原)


☆福井県)
 背負われた蓮如上人銅像 吉崎寺 福井県あわら市吉崎 


 蓮如上人銅像(吉崎御坊跡)福井県あわら市吉崎


☆滋賀県)
蓮如上人銅像(三井寺)滋賀県大津市園城寺町246


(石山寺) 滋賀県大津市石山寺


☆京都)
 蓮如上人銅像(真宗大谷派山科別院長福寺 ・京都市山科区)


 蓮如上人放鶯の座像 西宗寺 京都市山科区山科区西野広見町11)


 蓮如上人銅像 光照寺(京都府京都市山科区音羽伊勢宿町)


☆大阪府)
 蓮如上人銅像光善寺・大阪府枚方市出口2)



蓮如上人銅像 「 古橋御坊 」[願得寺] 大阪府門真市御堂町
 


蓮如上人銅像 光蓮寺 (大阪府八尾市南木の本7丁目)


蓮如上人銅像 「久宝寺御坊」顕証寺 大阪府八尾市久宝寺4-4-3



蓮如上人銅像 「萱振御坊」[恵光寺(えこうじ)] 大阪府八尾市


蓮如上人銅像(西本願寺別院・大阪府堺市堺区神明町東3-1-10) 


 蓮如上人銅像(北御堂(本願寺津村別院)・大阪市中央区本町4-1-3)


☆奈良県)
 蓮如上人銅像(本善寺・奈良県吉野郡吉野町飯貝)



☆京都 御往生地)
 蓮如上人御往生地 西宗寺・京都市山科区西野広見町)



☆京都 御廟所)
  蓮如上人廟所(京都市山科区西野大手先町)

蓮如上人  ゆかりの地

蓮如上人ゆかりの地 

蓮如上人について
 

1415年(応永22年)、存如上人(本願寺第7代)の長男として、京都・東山大谷 の地で生まれる。


6歳の時、母と生別。母は 親鸞聖人の念仏の教えを伝え広めてくださいと言い残した。

17歳の時、 青蓮院 で得度 蓮如と称しました。

43歳の時、父 存如が亡くなり、第8代本願寺の住職を継承なされました。

51歳の時に 比叡山延暦寺 の衆徒の焼き討ちに合い(寛正の法難)、あちこちに、親鸞聖人の御影を移して逃げ歩く。

近江の堅田・金森の地を転々とされ、1471年(文明3年)

57歳の年に、越前吉崎の地に坊舎 を建立しました 吉崎御坊 吉崎寺

活気にあふれるこの地で、親鸞聖人の教えをわかりやすく手紙の形式でつづった『御文(おふみ)』によって民衆を教化。さらに『正信偈』『和讃』を開板し、現在の真宗門徒の日々のお勤めの作法のもととなるかたちを定めた。

60歳、吉崎御坊を消失し 吉崎から退却し 八尾の 光蓮寺 この後 大坂河内出口に移り、文明7年(1475)光善寺を建てた。

福井から美山の道中で 瀧を発見
蓮如上人が発見したので、“ 蓮如の滝 ”と名付けられているそうです

また ここから 守口坊へより 堺や 奈良の吉野へも通われたそうです。また蓮如上人は 本善寺建立のため、何度もこの峠 連如上人 御手植え杉の道を越えられたそうです。

その後 京都山科へと移り、66歳の1480年(文明12年)には山科本願寺御影堂・阿弥陀堂を完成した。

75歳の年に、実如上人に寺務を譲り、隠居なされました。

83歳の時には大坂石山坊舎を完成しました(後の石山本願寺)。

1499年(明応8年)3月25日、蓮如上人は山科本願寺で真宗再興に尽くし 山科本願寺南殿跡 85年の生涯を終える。
蓮如上人廟所は(京都市山科区西野大手先町)にあります。



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大阪府枚方市 光善寺周辺 
蓮如上人ゆかりの地 







蓮如上人ゆかりの地 


蓮如上人について


1415年(応永22年)、存如上人(本願寺第7代)の長男として、京都・東山大谷の地で生まれる。

6歳の時、母と生別。母は 親鸞聖人の念仏の教えを伝え広めてくださいと言い残した。


17歳の時、 青蓮院 で得度 蓮如と称しました。

43歳の時、父 存如が亡くなり、第8代本願寺の住職を継承なされました。

51歳の時に 比叡山延暦寺 の衆徒の焼き討ちに合い(寛正の法難)、あちこちに、親鸞聖人の御影を移して逃げ歩く。

近江の堅田・金森の地を転々とされ、1471年(文明3年)

57歳の年に、越前吉崎の地に坊舎 を建立しました 吉崎御坊 吉崎寺

活気にあふれるこの地で、親鸞聖人の教えをわかりやすく手紙の形式でつづった『御文(おふみ)』によって民衆を教化。さらに『正信偈』『和讃』を開板し、現在の真宗門徒の日々のお勤めの作法のもととなるかたちを定めた。

60歳、吉崎御坊を消失し 吉崎から退却し 八尾の 光蓮寺 この後 大坂河内出口に移り、文明7年(1475)光善寺を建てた。

福井から美山の道中で 瀧を発見
蓮如上人が発見したので、“ 蓮如の滝 ”と名付けられているそうです

また ここから 守口坊へより 堺や 奈良の吉野へも通われたそうです。また蓮如上人は 本善寺建立のため、何度もこの峠 連如上人 御手植え杉の道を越えられたそうです。

その後 京都山科へと移り、66歳の1480年(文明12年)には山科本願寺御影堂・阿弥陀堂を完成した。

75歳の年に、実如上人に寺務を譲り、隠居なされました。

83歳の時には大坂石山坊舎を完成しました(後の石山本願寺)。

1499年(明応8年)3月25日、蓮如上人は山科本願寺で真宗再興に尽くした85年の生涯を終える。

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