プロ野球中継の解説を聞いていて、たまにイラっとしてしまうことがあります。
それは、ビジターゲームの際に見られる相手チーム贔屓の解説にというワケでもなく、こちらの拙攻をこてんぱんに言われたからでもなく。
なんてことない、ごく普通の話し方であるはずなのに、イラっとしてしまうことがあるのです。
「耳障りな関西弁だな!」
と。
ああ!関西弁を話されるブロ友の皆様、ごめんなさい!
怒らないで!待って、お気に入りから削除しないで!
最後まで読んでもらったら解るからーーー!!
決して、関西弁を話す方に嫌悪感を抱いているワケではないのです。
関西とはなんの縁もないクセに、たまに関西弁を使ってみたくなっちゃうことがあるくらいですから。
ならば、なぜ?
そう思ったとき、この感情の根底に「東北弁」の存在があることに気がついたのでございます。
福島県出身、しばまりん。
生まれてから高校卒業まで、福島で育ちました。
両親も祖父母も親族皆福島育ち。
よって、生まれて初めて耳にした言語は福島弁。
自然と福島弁を覚え、福島弁を操り、高校までの18年間を生きて参りました。
その福島弁を引っさげ、大学進学を機に上京。
ここで、生まれて初めて、自分が「訛っている」という事実に気付かされるのであります。
大学で出来た東京育ちの友人から言われた一言がきっかけでした。
「○○(しばまりん)って、訛ってるね(笑)」
(笑)ですよ、(笑)。
その割に、私もまったく傷付かなかったんですけどね。
へー!訛ってたんだ、私!!
と、人生19年目の大発見でした。
正直、訛っているという自覚は、この日までまったくありませんでした。
だいたい、東北6県で最も東京に近いのが福島県なのですから、訛ってるワケねーべした!とさえ思って生きてきました。
それは、どうやら弟も同じだったようです。
いつだったか、弟が東京に遊びにきたときのこと。
二人、ファミレスで食事をしながら、ふと訛りの話になりました。
そのとき言った弟の一言が忘れられません。
「でも、俺そんなに訛ってないよね」
いやいや。「訛ってないよね」っていうそのセリフがすでに訛ってっから。
私がそう突っ込めたのも、上京後、標準語を身に付けたからこそ。
大学で演劇部に入った私は、セリフが訛っていると芝居に支障をきたすとの理由から、訛り矯正の努力をしました。
コレが結構難しくて・・・先輩や同期の仲間たちに何度も注意されたものです。
台本は、正しいアクセントを示すための、自分で開発したナゾの記号でいっぱいになりました。
はじめは区別がつかなかった福島訛りと標準語も、次第に使い分けが可能になりました。
今では、関東での生活で使うのは標準語ですが、福島に帰ればたちまち福島訛りに戻ります。
ちょっとしたバイリンガルです。
しかし、標準語を習得していった私をよそに、平然とお国言葉を使い続けた友人がおりました。
広島県出身のⅠ君。
芝居ではもちろん私と同じく訛りを矯正されましたが、日常生活では惜しげもなく関西弁で話し続けたのです。
(広島弁と関西弁は厳密には違うのでしょうけど、大きく分類すれば関西弁ですよね?)
「訛っている」という点では、東北弁だって関西弁だって同じはず。
なのに、関西弁を話す人に対して「訛ってる」というのを聞いたことはありません。
関東で生活してく中で東北弁を封印した私と、堂々関西弁を使い続けたⅠ君。
その違いは、なんだ。
この現象は、私とⅠ君に限られたことではないと思います。
関東で生活しておりますと、関西弁を話す方によく遭遇します。
しかし、東北弁を話す方にはなかなか出会わない。
関東在住の東北出身者が少ないワケではないはずです。
話してみたら同じ東北出身だったなんて人も多いです。
でも彼らは、東北弁で話すことはなく、標準語で話しをしています。
テレビの世界にも言えることだと思います。
関西弁の芸能人は非常に多く、テレビでそれを聞いてもなんの違和感も感じません。
それに比べ、東北弁の出番は非常に少なく感じます。
珍しく東北弁が出たと思えば、「えっ?なんて?」みたいな、軽く笑いを含んだリアクションが伴い、場合によっては標準語に翻訳されたテロップがつくときさえあります。
どことなく滑稽な要素をもはらんだ・・・言ってしまえば、「ダサい」イメージ。
ドラマや映画の世界でもそう。
田舎者を表現するのに使用されるのは大抵東北弁です。
再現VTRなんかでも、畑仕事をしているおっちゃんたちが話すのは大抵東北弁。
「Always 三丁目の夕日」の、堀北真紀ちゃん演じる「ろくちゃん」だってそんなイメージ。
「テルマエ・ロマエ」も東北弁が出てきたな。
夢を諦めて田舎へ帰る上戸彩ちゃん演じるヒロインの訛りは、おそらく福島訛りではないかと。
つまり、田舎者の象徴なんだと思います、東北弁というものは。
したがって、東北弁を話すということは、自分が田舎者であることをさらけ出しているのと同じこと。
そういう意識が働いて、東北を出た東北人は、無意識のうちに東北弁を封印してしまうのではなかろうか。
そうだ・・・私もきっと、東京の人に「田舎者」として見られるのがイヤだったんだ・・・
・・・待ってくれ。
ダサいだけか?東北弁って。
生まれたときから聞いてきた東北弁を、ずっと使ってきた東北弁を、封印したままでいいのか?
三丁目の世界に、東北弁のろくちゃんが放り込まれた理由は何だ。
ろくちゃんの話す東北弁によって、三丁目の人々に何が生まれた?
なごみ、ぬくもり、安心感・・・この手のものじゃない?
「踊る大捜査線」の室井さんだってそうだ。
要所要所で口をついて出てくる秋田弁。
もはや何を言っているのか解らない、大半の人がその場で理解できないような秋田弁を、毎回いい場面で押し込んでくる意味は何だ。
おそらく、堅い印象の強い室井さんの、スキを見せるという狙いがあるのではないか。
張り詰めた空気の中で、ほんの一瞬だけ見せるスキ・・・
でもって、それを見て「む、室井さん・・・(*´ェ`*)ポッ」となるファンは私だけではないはず。
つまり、見る(聞く)者を安心させるという重要なミッションを背負わされて、東北弁は映画やドラマの世界に登場しているのではないか。
東北弁の持つ、独特のぬくもり。
今こそ言おう。
こらほどあったけぇ言葉、あっか?
あっ、えーと、「これほど温かい言葉、ありますか?」という意味です。
福島を出て、13年がたちます。
自分から言わない限り、誰にも東北出身だとは気付かれないまでになった私の標準語。
何の迷いもなく福島弁で過ごした18年という時間を、標準語での時間が越えてしまう日がいつかきます。
それでも、生まれた瞬間から耳にしてきた福島弁が、私の第一言語であることに変わりはありません。
福島生まれであることを恥ずかしく思ったことなど、ただの一度もありません。
むしろ、誇りに思います。
ふるさとの言葉を、大切に思います。
そうだ。
コンプレックスに思う必要など、これっぽっちもない。
東北弁に、誇りを持て。
と言っても、今さら千葉での生活に東北弁を持ち込むつもりはありません。
「え?なんて?」って聞き返されるのも解ってますし。
でも、福島に帰ったときくらいは思いっきり訛っていたい。
そして、千葉にいながらもスキあらば福島弁でつぶやいてやろう。
室井さんのように・・・
東北・福島の誇りを胸に、私は生きていきます。
長文、最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございます。
これからも、東北弁の美しさを追及し、いつの日か本一冊書けるくらいにしてやります!(多分ムリ)