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台風じゃなく、秋の雨というのは物悲しい感じがします。 まだ、落葉を伴う雨ではないので、そこまで物悲しくはなりませんが、 これが、枯葉舞う中の雨になると、それはそれは淋しい感じがするものです。 皆様、如何お過ごしでしょうか?完全に、夜具を冬仕様に変えたMarsです。 布団って押入れから出すと、こんなに重かったかしら?と思いませんか? 干したいんだけど、ピーカンの秋晴れに恵まれません。 さて、一昔前のドラマ。そうですね、所謂、トレンディードラマと呼ばれた時代。 ドラマの主人公の男女が出会う場面って、雨が振っていて傘を持たない男女が、 雨宿りの為に、喫茶店とかビストロとかに駆け込むシーンから始まったように思います。 そして、それを見て20代の私は、「『中村仲蔵』じゃあるまいし…」と、心で呟き、 そんな上手い出会いなんてねぇーよ!と、突っ込んでおりました。 まぁ、雨の出会い=『中村仲蔵』という発想が、そもそもジジ臭い20代ですよね。 殆ど周囲に話して伝わらない。落語ファンだけに通じるあるあるです。 また、雨が降ると増水した川を見たくなります。私だけなのかなぁ。 橋の上に立ち止り、いつもより水かさが増し、荒れ狂うとまでは言わないが、 物凄い勢いで流れる川を、私は、傘をさして立ち止って見る事があります。 今年も1年がもう終わろうとしていると、水の流れに教えられる気がして、 そして、自分自身は、ここに居る。様々なモノや出来事、そして人の心までもが流れて行くのに… そんな事を少し厭世的に思ったりして、自分自身に 「お前は、ギヨーム・アポリネール気取りか!」と突っ込むのでした。 【ミラボー橋】G・アポリネール作・堀口大学訳 ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ われらの恋が流れる わたしは思い出す 悩みのあとには楽しみが来ると 日も暮れよ、鐘も鳴れ 月日は流れ、わたしは残る 手に手をつなぎ顔と顔を向け合はう かうしていると われ等の腕の橋の下を 疲れたまなざしの無窮の時が流れる 日も暮れよ、鐘も鳴れ 月日は流れ、わたしは残る 流れる水のように恋もまた死んでいく 恋もまた死んでゆく 生命ばかりが長く 希望ばかりが大きい 日も暮れよ、鐘も鳴れ 月日は流れ、わたしは残る 日が去り、月がゆき 過ぎた時も 昔の恋も 二度とまた帰って来ない ミラボーー橋の下をセーヌ河が流れる 日も暮れよ、鐘も鳴れ 月日は流れ、わたしは残る |

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