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落語や講釈には、非常に似た噺が、存在します。今回はそんな似た噺同士を比べてみて、
貴方はどちら派?というお遊びをしてみたいと思います。まぁ、飽くまでも座興です。
そして、第一回目に取り上げる類似噺は、『紺屋高尾』と『幾代餅』です。
もう一つ八代目春風亭柳枝の十八番だった『搗屋無間』という似た噺があるのですが、
これはね、現在やっている咄家が居るのか?って噺なのでね。
圓窓師匠が五百席の中でやってますね。元師匠の十八番ですからね。
栄枝師匠はやるのか?もし持っていらっしゃるなら百栄師匠に伝承して欲しいですよね。
この『搗屋無間』は、他の二つと違って、サゲがちゃんと付いてますからね。
サゲ=『搗屋無間』というタイトルでもありますが…
さて、まずは、誰がやっているか?誰のイメージか?って話を最初にしましょうか?
まず『紺屋高尾』、この噺は昔は三遊派の噺だったと聞きます。勿論、私も六代目圓生のイメージです。
それが談志師匠がやるようになって、柳家がやり始めました。自分のデータを見ても如実です。
2008 花緑
2009 談春×2
2010 花緑、志らく
2011 遊雀、談春
2012 志の輔、談笑、天どん、遊史郎
2013 天どん、談春
2014 兼好、談春、生志
2015 国本武春
2016 一龍斎貞橘
実は、浪曲の国本武春の最後の高座は、神田京子さんの披露目での『紺屋高尾』だったんですよね。
このデータからも分かるように近年は、柳家がもっぱら『紺屋高尾』を掛けるんですよね。
三遊派は、天どん師匠と兼好師匠さらに遊史郎です。遊雀は、現在は三遊亭ですが、元々は柳家ですからね。
最近は、談志師匠の弟子で聴く回数が一番多く、特に談春師匠でこの噺は聴いております。
一方の『幾代餅』。これは古今亭の噺なので、おそらく『紺屋高尾』とは重ならないメンバーだと思います。
2009 たい平
2010 なし
2011 白酒×3
2012 白酒×3
2013 甚語楼
2014 甚語楼×2、雲助、菊之丞、白酒
2015 なし
2016 天歌
『幾代餅』殆ど古今亭の一門の根多ですね。たい平師匠は矢来町の鞄持をやっていて仕入れたはずで、
甚語楼師匠は柳家ですが、白酒師匠ルートで仕入れているのか?天歌さんは三遊派ですがやりました。
白酒師匠は、2011年、2012年で掛け倒して2年間で私は6回も聴いてしまいました。
この『紺屋高尾』と『幾代餅』は、流石に両刀使いをお目にかかった事がありません。
もう一つ、『紺屋高尾』ではなく仙台高尾、万治高尾の物語、『高尾』と言う話もあります。
後世に名を残した者は数多あれど、士では曽我兄弟・赤穂浪士・伊賀上野鍵屋の辻の三大仇討、
農では義民佐倉惣五郎、工では左甚五郎、商は紀伊国屋文左衛門が名高い。
遊女、花魁では落語『幾代餅』であなじみの幾代、もとは丹前風呂の湯女であった勝山、
お金を知らず廊下に落ちていた穴あき銭を虫と言ったという薄雲など百花繚乱だが、
なんと言っても有名なのは三浦屋の高尾で11代まで続いたという。(もっと居るって説もある)
落語『紺屋高尾』は五代目で、中でも多くの逸話を残すのが仙台(伊達)高尾・万治高尾ともいう二代目の高尾で、
美貌はもちろん、教養も身につけ、和歌・俳諧から囲碁、将棋、さらには花札、丁半のサイコロまでお手の物だったとか。
志ん生は「借金のいい訳まで上手かった!」と、言ってましたね。
文章も達者で、伊達の殿さまに、「夕日も波の上の御通わせ、御館の首尾いかがおわしますやと御見ののち、
忘れぬばこそ思いいださず候かしく」と書いて、「君は今駒形あたりほととぎす」の句を添えて贈ったものだから、
仙台公はすっかり高尾に惚れられているものとのぼせ上り、足しげく吉原通いとなった。
すっかり高尾の虜になった仙台公は大金を払って高尾を身請けし、屋敷に連れて来たが、高尾は意のままにならない。
ある日、芝汐留の上屋敷から屋形船で舟遊びに出た。殿様は呑んだ大盃で酒を勧めるが、高尾は首を振って受けようとはしない。
「なぜ余の盃を受けぬ」と怒ってせまる殿様に、高尾は「わが身、廓にありし時に因州鳥取の浪人
島田重三郎という二世と交わした夫がいる」と、冷たく断ってきた。
殿さまの心中はさしずめ「今さら何を言っていやがる、大金を払わせやがて、ふざけるな」で、
往復ビンタで張っ倒したいところだろう。そこは武士のはしくれ、黙って刀を抜き高尾に近づく。
高尾はじりじりと船べりににじり寄り入水の覚悟だ。
殿様は刀を大上段に振りかぶるが、死を覚悟した高尾の美しさに刀を振り下ろせない。
そこへ船上の能楽の連中の鼓の音が流れて来た。
(謡曲風に)殿さま「これ高尾、なぜその方なびかぬぞぉ〜」に、高尾が「いやぁ〜」、
殿さまは鼓の掛け声と聞いて、「ぽんぽん」と切ってしまった。
桂文治がやっていたらしいですね。多分八代目だと思います。留さんや伸治さんはやらないと思うのでね。
さて、やっと本題に入りますが、私は、どちらかと言うと『紺屋高尾』派ですね。
『幾代餅』も嫌いではありませんが、どうせ聴くなら『紺屋高尾』の方がいいなぁ〜と思います。
また、一番好きな科白は、「おい!久蔵、振られんなよぉ」「親方、おもては良い天気ですよね?!」
これが吉原に行く前の会話で、帰った後も「久蔵、振られたろう?」「いいえ、良い天気でした」
そして、談志師匠の科白では、高尾が満面の笑みで言う「久さん!元気ぃ〜」が、大好きです。
一方、『幾代餅』では、科白ってのではないけど、私は搗き米屋の女将さんが大好きです。
特に白酒師匠の女将さんは傑作ですよね。清蔵が恋患いだと聞いて笑う姿は実にどうも滑稽です。
あと『幾代餅』を語る時に、“四つ目屋”に触れないと志ん生ファンの皆様、特に藪さんに叱られそうなので触れます。
幾代餅のことを榎本滋民氏は「落語ことば辞典」の中で次のように言っています。
幾世とも書く・実録では吉原でも最下級の河岸見世の女郎だが、
その器量は掃き溜めに鶴だったのだろう。上野寛永寺根本中堂普請でもうけた車力頭とも餅の行商人ともいう
小松屋喜兵衛に、宝永元年ごろ身請けされる。初めは毎朝一個五文の餡餅を両国の青物市で売ったが、
西両国の広小路、九尺店に日本一流幾世餅の看板を上げ商売を始めた。
話題の美女が焼いて餡を塗るというので大繁盛、源氏名の発音が春画調の感嘆詞(イクよ〜)に通じることと、
媚薬や性具で知られた四つ目屋が近いことから、からかいの好きな川柳の恰好の標的にもなっている。
「二人して夜なぺ仕事の幾代餅」
「四つ目屋は直にいくよと近所なり」
幾代は大勢の子に恵まれ、娘まつは文錦の雅名ある能書家として浅草三社権現に掲額、
喜兵衛も老後は黄槃宗に帰依し幸せな生涯を送った。
落語の『四つ目屋』。殆ど聴かなくなりましたが、それでもたまに掛ける古今亭がありますね。
この噺は、私は洒落ていると思います。甚五郎のハリカタで妊娠するなんて、サゲがいいですよね。
最後に『紺屋高尾』と『幾代餅』の比較表を作りました。さて、皆さんは、どっち派ですか?
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道中を見て惚れる『紺屋高尾』より、絵双紙屋の錦絵でのぼせ上がる『幾代餅』の純な動機の方が好きです。
この「小松屋」と浅草「藤屋」の元祖幾世餅争いは、大岡裁きにもなってるようです。
高尾太夫ですから、花魁道中ではなく太夫道中で演じてもらいたいですね。
2017/2/24(金) 午後 1:14
そのとおりです。太夫道中で演じて欲しい。
2017/2/24(金) 午後 1:18 [ Mars_jj_boy ]
私は最初に聴いたのが歌丸師匠の紺屋高尾だったので、紺屋高尾の方が好きです。
(幾代餅は権太楼師匠のを聴いた事があります。)
2019/3/10(日) 午後 0:57 [ ははは ]
> はははさん
「幾代餅」は、古今亭のイメージで笑いを挟みつつ、サラッとやる感じが私は好きです。
一方、「紺屋高尾」は談志師匠のイメージで人情噺の色が濃いと感じます。
2019/3/10(日) 午後 1:20 [ Mars_jj_boy ]