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落語の笑わせる手法の代表の一つに、「オウム返し」と言うやり方があります。
なぜ、この話題を取り上げる事にしたのか?それは、ちょうど本日7/14配信のポットキャストで、
こしらさん、萬橘さん、馬るこさん、そして広瀬和生さんの四人でこの話題に触れていたらです。
「オウム返し」
これは、ご存知の皆さんには釈迦に説法ですが、簡単に説明しますと、最初に賢者が正しく事を行い、
これを見ていた愚者が真似をするのですが、付け焼き刃なので大失敗して笑いになってしまう事を言います。
この「オウム返し」の代表と言えるのが、『時そば』『道灌』『子ほめ』『青菜』『天災』『普段の袴』などなど、
思い付く噺を上げるだけでも、10個くらいは直ぐに出てきます。それだけこの「オウム返し」は落語の王道パターンです。
そして、ポットキャストでも話題になっていたのは、「オウム返し」の噺は、最初の賢者が正しく事を成す部分。
ここで客に飽きられてしまうような“振り”しかできないと、どんなに愚者を滑稽に演じても落語として楽しくない。
もっと言うと、この仕込み部分を如何に聴かせるか?聴かせられるか?そこに咄家の腕、器量、真髄がある。
特に、『普段の袴』や『青菜』なんて噺は、この仕込みがへたくそだと、聴いてられなくなります。
元々、後半笑わせる為の壮大な仕込みなので、一切省く事はできません。演じ手が『ダメだ!!』と思いながらも、
根多振りなので5分、10分、この仕込み部分は続けられるのです。へたくその演じるお屋敷に住むお大尽は退屈だし、
もっと悲惨なのは、骨董屋で休憩する幹部クラスの初老の武士でしょうね。
『普段の袴』
これは、人品の好い初老の武士。これがニンに見せられない咄家はやらない方が良いと思います。
そこが、なるほど!と目に浮かぶ、広瀬さんも言っていた柳亭市馬師匠のようにできないならば、最初から止めた方がいい。
勿論、演じ手の技量で、武士の程度は左右されますが、その武士の貫目・貫禄が見えないようなのは論外だと思います。
貫禄ある武士と骨董屋の主人の重厚なやり取りが、一転、同じ話題をしているのに職人と主人では雰囲気が変わりますよね。
だから、落語として成立する。演じ手の技量が、本当に問われる噺だと思います。
『青菜』
まぁ、小三治のようにやれ!と言っても、全ての咄家に真似できるはずもないので、自身なりの工夫をしなくてはなりません。
こちらは、仕込み段階で“付け焼き刃”の主人公・植木屋さんが登場しているので、仕込み段階からある程度笑いが生まれます。
鯉のアライの氷を食べる場面などですね。とは言っても、お屋敷住まいのお大尽が、それらしく見えないと噺になりません。
植木屋さんとお大尽の対比で、お大尽らしく見せるかたちも在りですが、それでも文蔵師匠くらいの年齢にならないと、
一之輔師匠くらいの年齢だと、やっぱり、お大尽の心のゆとりみたいなものが、なかなか見えて来ない気がします。
一之輔さんの『青菜』を否定はしませんが、大きな屋敷に住んでいる主人の風格。そこから滲みでるゆとりですよね。
あと、全然関係ない話題ですが、『青菜』は、そろそろ誰か、「柳陰」「鯉のあらい」「青菜」からの、
「義経(弁慶)」という展開を骨格だけ残して、自分流に変える咄家が現れても面白いですよね。
「青菜」を変えたら、『青菜』じゃなくなるけど、夏のお酒は「柳陰」でなくてもね、「ヱビスビール」でもできそうで、
「ヱビス」ですと出して、「第三のビールやないかい!!」みたいな工夫はありだと思うのですが。。。
「鯉のあらい」も、「鱧」だったりしてね。梅肉で食わせてくれるのが、鰯にすまなそうに梅干しが乗る。
問題は「青菜」を何にするか?ですよね。サゲの「九郎判官義経」に変わる語呂もセットで作る必要があります。
『大工調べ』
さて、これを「オウム返し」の噺に加える?とも思うのですが、『大工調べ』についてもポットキャストでは語られました。
確かに、棟梁・政五郎の啖呵を聴いて、与太郎が「オウム返し」に啖呵を切りますが、これも「オウム返し」の仲間か?
あと、ポットキャストで論じられていたので、私が興味を持ったのは、棟梁・政五郎は、なぜ、与太郎を独りで、
大家の家に道具箱を取り戻しに行かせてしまったのか?と言う点です。
この点について、萬橘師匠の推理と言うか、意見は、元々、棟梁はこの大家が苦手と言うか、大嫌い。
願うものなら、逢わずに事を済ませたいと思っている。そして、与太郎が家賃を滞納したのも、今回が初めてじゃなく、
だからこそ、「そんな事もあるだろう」と、ガクで二両の銭を持って、与太郎宅を訪ねているのである。
ところが、思惑通りに事は運ばず、与太郎は大家さんを怒らせて臍を曲げてしまう。
仕方なく自身が出張って道具箱を返して貰いに行くが、大家も表面づらは棟梁を立てているが、腹の底では好きじゃない。
また政五郎が心の内では自身を嫌っている事も察知しているのである。だから、嫌味な感情が言葉の端々に出てしまう。
そして、返せ/返さないは水掛け論になり、とうとう、政五郎は爆発し、あの「丸太ん棒」の啖呵になる。
萬橘師匠が仰るように、この人間模様が見えているから、あの啖呵が利くのであって、そこが伝わらないまんま。
どんなに志ん朝師匠のように綺麗に啖呵を切ったとしても、政五郎は単に「啖呵が好きな人」に成ってしまいます。
更に、こしら師匠が面白い事を言ったのが、怒りが爆発し思いっきり切れた状態で、自身はあんな饒舌に啖呵切るタイプじゃない。
だから、『大工調べ』を演じる時は、この部分の政五郎の気持ちを表現するのに、非常に苦労すると言うのです。
確かに、普通、江戸っ子の職人が、このような場合に切れたら、啖呵と同期して暴力もふるいますよね。
だから、大家は逃げようと考えたに違いないし、実際に『三方一両損』の吉五郎と金太郎はそうなります。
最後に、広瀬さんが談春さんの『大工調べ』を、政五郎のニンに合うというか、地のままで楽しそうに啖呵を切ると言ってました。
これは、私も同感です。あんな嬉しそうに啖呵が切れるのは珍しいです。政五郎ってこんな人なのか?と思います。
そして、こはるさんや辞めた多くの弟子の皆さんは、この啖呵のような小言を沢山喰らったんでしょうね。
志らくさんの『大工調べ』の啖呵と比べると、本当に感情の入り方が違うのが分かります。
談春師匠の啖呵は必ずしも速くない時があり、震えるような言葉で感情を爆発させて怒りを爆発させます。
あの奥歯を噛み締め、口を開けずに喋る怒りは、私もよくやったから非常に分かります。 一方、志らく師匠は、江戸っ子らしい小気味のいいリズムに乗った啖呵です。悲しいかな押し出しが出ないので、
志ん朝師匠のような迫力がないのです。そこを言葉の音だったりで工夫はしていますが、迫力には繋がりません。
余談ですが、最後の与太郎の啖呵。私はこれが一番難しいと思うのです。与太郎は別に毒突きたくて啖呵を切っていません。
この部分は、与太郎がボケる、そこへ政五郎が突っ込むという、漫才に近いリズムで演じないと、現代人には笑いは起きにくです。
その時代、時代の漫才があり、喋くりで魅せる漫才の調子で演じて欲しいですよね。昔なら「いとし・こいし」師匠。
現代ならば、「ナイツ」か「ロケット団」ですよね。あの感じで与太郎がボケて、棟梁が突っ込む!!やって欲しい。
そして、私はその漫才でサゲていいと思います。「君とはやっとられんわぁ〜」で。
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「オウム返し」ということになれば猫久を忘れることはできません。
私が生涯臨んだ高座の筆頭は円生師の淀五郎と小さん師の猫久です。この二つの高座の右に出るものには生涯お目にかかれなかった。
で、青菜ですが。
この噺、仰る通り、ご隠居の風格が出ないと聴いていて疲れる。喜多八師は生前「前半のご隠居のはんなりした味」が大事だと言っていました。
だから若い噺家には土台無理なものなのです。
全くその通りで、前半の植木屋とご隠居との会話で、笑いを多くとろうとすると、後半聴いている方が疲れます。
しかし、最近の噺家は最初から笑いを取りに行く。私はそうすべきではないという考えです。
続きます。
2017/7/14(金) 午後 6:21
青菜は、最晩年でもうかつての面影はなかったと言われた柳橋先生の右に出るものを聴いていない。柳橋先生の全盛期というのは知らないのですが、あの晩年の落ち着いた雰囲気でやった青菜は最高でした。
残念ながら晩年に高座で接した猫久は痛々しかった。
ですから青菜は前半と後半の対比が大きな要素だと思うのですが、最近の噺家はさんまや爆笑問題に対抗するために最初から最後まで笑わせ続けることを旨としているようで、悲しいことです。
死神に至っても最初から笑わせる。アラエイ(around eighty)で余命いくばくもない身にも拘らず、落語会や寄席に足を運ぶ気持ちがどんどん萎えてきます。
TBさせていただきました。
2017/7/14(金) 午後 6:21
ちょうど『大工しらべ』の記事を書いているところでして、あまりにタイムリーな内容で恐れおののいております(^^)
難しい噺だとあたくしは思うのです。
詳しくは記事にいたしますが、圓喬は棟梁の啖呵を省いております。
2017/7/14(金) 午後 6:36
「おうむ」は下らないとは云え、落語の王道なんですよね。
四の五の難しい事を云う前に、「おうむ」を客に飽きさせずに語れる噺家になってこその二ツ目です。
ところで歌丸さん。亡くなった談志と同い歳で今年81歳。もう身体はボロボロ。本人のやりたいようにやらせればいい。でも落語芸術協会と云う組織はそれとは違います。歌丸さんが文治さんから会長を引き継いだのは、文治さんが亡くなる直前の15年前だったと思います。
とっとと小遊三さんに会長を譲らないと、次期会長の口上さえも歌丸さんはできなくなっちゃいます。
2017/7/15(土) 午前 9:59
『猫久』
私は目白の師匠は、何度も聴いているけど、残念なのは、『猫久』は生では聴いてないのです。
殆どの小さんの弟子は、その素晴らしさを口にして、やるけど、コンスタントに掛けるのは、小満ん師匠ぐらいで、
それも、小満ん師匠自身は、タイプが違うから…同じ味にならないカレーを売っている感じです。
2017/7/15(土) 午後 8:21 [ Mars_jj_boy ]
『青菜』
これは、私は米朝師匠です。小三治は、山登りで言う別ルートで似たアプローチを発見し演じます。
小満ん師匠のも、少し小三治師が先んじてますから、未だに探りつつなのが、嬉しい限りです。
一之輔の「タガメ」の青菜は、朝丸時代のざこば師匠や、枝雀さんが試す感じ「変化球」の時に似ています。
コレを60に成っても、変えながら『青菜』がタガメで出来たら新境地です。
2017/7/15(土) 午後 8:31 [ Mars_jj_boy ]
『大工調べ』
凄く不思議な噺です。導入で棟梁・政五郎は、「こいつは二人前の仕事をする!」と、
与太郎を高く評価しています。だから大名の武家屋敷の普請に、与太郎の道具箱を前乗りさせる必要があるのです。
まぁ、周りの他の助っ人職人に、子飼いの与太郎を絶対に馬鹿にされたくない。そんな思いを感じます。
ココですよね、棟梁が与太郎の道具箱の前乗りに拘る所以は。
でね、圓喬の啖呵省きには、こしら師匠みたいに、自身が怒る場面で、あんな啖呵、切った事がないのかも?です。
2017/7/15(土) 午後 8:40 [ Mars_jj_boy ]
歌さん、なぜ会長・館長職を辞めないのか?本人は、周りが辞めさせない、みたいな事を言うのも…
米丸師匠が、猫の首に鈴付けられない性格だと知り尽くして言う。この汚さが、お前は国宝に成れない理由なんだよ!!と、
言えない、芸術協会と言う組織もゴミだと思いますけどね。歌丸会長より先輩が健在なのに、
後輩の為に火中の栗を拾わないから、芸協は若手が冷や飯食いにされる。だから、成金なんですけどね。
落語協会の若手はぬるま湯大好き!!成金はできません。
2017/7/15(土) 午後 8:49 [ Mars_jj_boy ]