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あの名人六代目三遊亭圓生が大師匠、そして圓丈前と圓丈後では新作落語の世界を変えたと言われる圓丈の二番弟子白鳥。
落語中興の祖と呼ばれる圓朝の流れを汲む、この奇才について今回は少し考えてみたいと思います。
新潟県は越後高田出身の白鳥師匠、本名藤田英明。自転車屋の次男として生れ、日大芸術学部を卒業後、圓丈師に入門。
志らく師匠、喬太郎師匠と同級生で同じ日大なのに、白鳥師匠は落研ではありません。もしかするとこの事が彼を奇才にしたのかもしれない。
大学の卒業間際に、三遊亭圓丈の高座をたまたまテレビで見て、その芸に衝撃を受けて入門を決意。前座名は三遊亭にいがたと云いました。
今から30年前には珍しい入門者だった白鳥師匠。一切落語の知識を持たずに落語協会の師匠に入門するなんて!!
ただ、この事が今の白鳥師匠にはプラスに作用していて、なまじ変な知識を持つから足踏みするなんて事が一切ありません。
どうせ新作落語をやるのだから、変な前例や先入観を持たずタブーゼロからの落語が始められた事を白鳥師匠はプラスにしています。
とはいえ、あまりに型破りだったので、時代が白鳥師匠に付いて来られず、白鳥師匠は二つ目にして寄席を“出入止め”になります。
その決定的な事件と本人がよく語られるのが、「パンダお面事件」。パンダが登場する落語を創作し鈴本の高座に掛けた時、
たまたま、その高座を席亭がご覧になっていた。その時白鳥師匠、パンダのお面を付けて上がり、そのまんま落語を語り始めた。
観ていたお客さんは、上下を切り人物は変わるのに、師匠はパンダのお面を付けたまま。『何だコレ?!』と、客は徐々に引いて、
懐疑的な空気が会場を支配し、そして客の殆どが“ポカン!”となってしまう。
鈴本のお席亭は激怒!!即刻、白鳥師匠は鈴本を出入止めになる。更に、新宿末廣、浅草と出入止めは波及し、遂に池袋にも殆ど呼ばれなくなる。
白鳥師匠の弁によると、圓丈師匠の芝居も当時は少なく、小朝師匠の三題噺のイベントも池袋はOKだが鈴本はNGだったらしい。
そんな白鳥師匠なので、本寸法の落語を自負する師匠からは毛嫌いされて特にいじわる婆さんの志ん馬師匠は白鳥に厳しかった。
銀座東芝ビルで「セブン寄席」が在った頃、前座の白鳥師匠を連れて志ん馬師匠が中食をご馳走して下さる事があったそうです。
銀座の某蕎麦屋へ入店、師匠がテーブルに座ったので、その前の席に白鳥師匠が座ろうとした瞬間、「前座は座るな!!」
と、あの志ん馬師匠のカン高い声が店内を響き渡り、一瞬にして緊張の空気に包まれ、白鳥師匠は直立不動に。
志ん馬師匠、のりと蕎麦味噌、熱燗を注文しチビリチビリやりながら、説教が始まる。落語家とは、江戸前の芸について、
志ん馬節を小一時間聞かされたそうです。江戸っ子気質をこれだけ饒舌に語る志ん馬師なので、当然東京生まれ?と、
白鳥師匠も思ったそうですが、志ん馬師匠は小倉っ子です。志ん馬師匠自身、田舎者と楽屋では虐められ迫害を受けたクチで、
自分が言われた事を、白鳥師匠に鸚鵡返しで浴びせていたんですかねぇ、事の真意は今となっては定かではありません。
そんな説教の後、志ん馬師匠が「前座、喰っていいぞ。好きなモン頼め!」と仰るので、白鳥師匠「カツ丼セット」と言うと、
更に烈火の如く怒り狂う志ん馬!!「お前は、俺の話を聞いて無かったのか?!江戸っ子はセイロだ!セイロ!」と言う。
『なら、好きなモン頼めなんて言うなぁ。』と、心では思いながら「申し訳ありません、セイロで」と、土下座して謝る。
そして、漸くセイロが届き箸を付ける白鳥師匠。白鳥師匠の育った新潟の蕎麦というと「へぎそば」です。
だから、届いたセイロを蕎麦つゆにたっぷり付けた瞬間、見ていた志ん馬師匠が「何て、喰い方するんだ!この馬鹿野郎!」
と、瞬間湯沸かし器のようになって怒り出し、蕎麦先をちょっと付けて喰うのが江戸っ子だと、蕎麦チョコを取り上げて実演したそうです。
そんな志ん馬師匠と白鳥師匠のエピソードでもう一つ有名なのが、「楽屋 宮戸川事件」。
仲後、喰い付に高座へ上がる志ん馬師匠が、根多帳を畳に広げて根多選びの最中でした。
前座仕事に追われる白鳥師匠、お茶の用意やお帰りになる師匠の下足の世話でてんてこ舞いしていた。
そして事件が起きるのです。楽屋を駒ネズミのように掛け廻る白鳥師匠、極端な近眼なので畳の上の根多帳を踏んでしまいます。
ビリビリビリ
根多帳が破れたのを見て、志ん馬湯沸かし器に種火が点きます。「この野郎!にいがた、お前は『宮戸川』か?!」
言われた白鳥師匠。すいませんと、破った行為に怒っているのは理解できたのですが、『宮戸川』が分からない!!
ご通過には釈迦に説法ですが、『宮戸川』を前半の『お花半七』で切る際の常とう句「本が破れてできません」。
志ん馬師匠はこれを指して怒っているのですが、古典落語を全く知らずに入門した白鳥師匠には???だったようです。
そんな白鳥師匠なのですが、なぜか?志ん朝師匠に嵌っていたという。これも数々のエピソードがあるのですが、
超有名なのを2つだけ紹介します。志ん朝師匠の肝入りで始まった池袋の二つ目勉強会。今でも続いています。
その会で、白鳥師匠の高座を見た志ん朝師匠が「君は、上下の切り方がおかしいねぇ」、そう言って上下は芝居の…
と、物凄く丁寧に上下についてあの志ん朝師匠が説明して下さったそうですが、言われた白鳥師匠、その場での返しが、
「いや、僕はその時の雰囲気で人物が変わると、アバウト、だいたいで左右の向きを変える方が自分に合ってると思います」。
この上下は、最近少し意識はされていて、上下の何たるか?!を白鳥師匠なりには咀嚼して上下を切っていますが、
それでも逆に切るケースが多々あります。私は個人的には気持ち悪いので直して欲しいと思いますが、
志ん朝師匠が云っても直らないものは、死んでも直らないと思うので仕方ないのか?と、諦めております。
また、白鳥師匠は二つ目の三遊亭新潟時代、志ん朝・小三治二人会の開口一番を勤めた事があります。
しかも、現在建て替え中の、新宿厚生年金ホール:二千五百人の前での開口一番!!ネタは『時そば』。
白鳥師匠が、得意の座布団を披露して、座布団で蕎麦を粉ね始めると、客席がザワザワしやがて引いて無反応になりました。
そこへ、番手の志ん朝師匠が高座に上がり、マクラの開口一番、「新潟くん、引かせたねぇ、潮干狩りができるよ」と云いました。
つづく
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先代(?)三遊亭新潟さんのエピソードは型破りで面白過ぎますねぇ…??もっともご当人とすればヒヤヒヤものだったのでしょうが、落語の知識がゼロで楽屋入りしたため、志ん朝師匠の存在さえも知らず、同師匠に対しては「春団治」と返したやり取りは絶妙な笑い話。丁度、歌謡曲『浪速恋しぐれ』が流行っていた頃だったんでしょうか!?
2018/5/18(金) 午後 1:45 [ dec***** ]
> dec*****さん
その春團治も有名ですね。志ん朝師匠と新潟時代の白鳥師匠の思い出話は、石井徹也氏が編集された、東横落語会の志ん朝コレクションの特典付録に本として収録されております。
2018/5/18(金) 午後 3:10 [ Mars_jj_boy ]
白鳥さんは、新潟時代にニッポン放送の昼の高田先生のラジオ番組に時々出ていました。
まあ圓生一門って、師匠に似合わず型破りな人が多いですね。その筆頭が今の川柳のさん生さん。軍歌を大声で歌うガーコンしかやらねぇのかって云われてますが、あんな事を出来るのは川柳さんしかいない。
また圓丈さんも相当な変わり者。今から40年位前の日本のパソコン草創期に、シャープおじさんのベーシック講座と同じように、パソコン番組のキャスターをやってました(^ω^)
2018/5/18(金) 午後 7:38
> 藪井竹庵さん
川柳・圓丈の兄弟会が来月2日開催され、二人共に演目は六代目圓生に捧げる古典落語です。
圓丈「豊竹屋」「百年目」他一席
川柳「首屋」
残念ながら私は行けません。
2018/5/18(金) 午後 7:56 [ Mars_jj_boy ]
> 盆町子さん
しかも、割引デー。
2018/5/19(土) 午前 7:50 [ Mars_jj_boy ]