|
この日は、夜「愛山・喬太郎の会」に絶対並ぼう!と思っていたので、朝練に行った後、どう時間を潰すか?これが課題でした。
最初は、連雀亭のワンコイン寄席ときゃたびら寄席に行くか?とも思ったのですが、日高屋で昼飲みを始めると面倒臭くなり、
結局、朝練が終わったら11時くらいから12時半まで、ホッピー三杯飲んで、その後はマンガ喫茶で昼寝。
14時半頃に神田を出て両国へという、実に、ダラダラした調子の時間調整となりました。さて、朝練、こんな内容でした。
・徳川家武将伝「村越茂助誉の使者」 … 田辺いちか
・山内一豊の妻「出世の馬揃え」 … 旭堂南海
1.村越茂助誉の使者/いちか
実に淡い黄緑の素敵な着物で登場したいちかさん。前座が着る着物としては限界ギリギリの派手さの着物でした。
協会から頂く仕事は基本、どなたか師匠のお伴で、楽屋の雑用込みでやる事が多いが、たまに前座なのにピンの仕事もあるそうです。
特に地方の仕事で、分かり易い噺で、予算もなくて、前座さんでも構わないという仕事の場合はピンで行く事も。
そして、せっかく行くならと「講釈と落語の違い」、こんなのを分かり易い短い文章で紹介して下さい。なんて事を頼まれるらしい。
それならばと調べて、校正してみると… なかなか前座の身分だと断定的な意見が書けないから、釈台を使う、張り扇も使う、
それぐらいしか書けず、超短い説明になり、こんなの素人にでも書ける!と、落ち込んでしまったそうです。
そんなマクラから「誉の使者」。いちかさんのは何度目か?4回目でした。よく聴くのですが、今回は少し変わっていました。
それは、無筆の茂助が一から十までを書けるようになり、本当に書けるか?と、同僚にからかわれてそれを書く場面で、
茂助は、なぜか?最初に横棒=「一」を書いてから、それにおまけのような「点」を打って字を仕上げます。
この描写のユーモラスな感じが、いちかさんらしいと思います。
2.出世の馬揃え/南海
マクラでは、南海先生も芸歴30年。大学在学中の平成元年に入門されたそうです。
師匠の三代目旭堂南陵先生に「これから先、ずーっと親不孝すんねんから、大学ぐらいはちゃんと卒業しなさい」との言葉を受けて、
近松に関する卒業論文を書いてゼミに提出、学部の近松の権威、信多純一教授から「なんじゃぁ、これ」と卒論を床に捨てられる。
「なんじゃって、僕の卒論です」と返すと、「何を云うてけつかんねん。いきなり目次の『頁』という字が『貢』になっとるやないか?!」
「ボケ!誰に貢ぐんじゃコレ?」真っ赤な顔になる南海先生。すると信多先生、「卒業したかったら、ちゃんと校正して出し直しなさい」
と、云う。しかし、南海先生は「別にワシ卒業しいひんでもええし」と云う。驚いた顔の信多先生「アホか?内定取り消されるぞ」と云う。
「ワシ、企業とかに就職しいひんのですワぁ、芸人になりまんねん。」これを聞いた信多先生「芸人っていうても色々あるぞ、何になんねん?」
南海「先生に関係おまへんがなぁ」
信多「ちょっとは在る、袖振り合うも他生の縁、一期一会云うやないかい」
南海「そないまで云われるなら、云いますけど、怒ったらあきまへんでぇ、講釈師になりまんねん」
信多「講釈師!!ほんまか? それを早よう云え、書き直しとかいらん、『頁』が『貢』なんて瑣末なこっちゃ、近松の本質に何の関係もない」
そう云って、合格の赤い判子を、床から南海さんの論文を信多純一教授自ら拾い上げて、勢いよく押してくれました。
あまりの出来ごとに、南海先生が訊ねます。
南海「講釈師に成ると、何で合格なんですか?」
信多「何を云うんだ君は、近松も最初は講釈師だったんだよ、だから合格!!頑張れよ、ワシの弟子なんやからなぁ君は」
おいおい、俺はあんたの弟子じゃなない、旭堂南陵の弟子だ!!と、思ったそうです。
それから事あるごとに、信多純一先生は、「僕の弟子が、今は講釈師に成っていてねぇ、旭堂南海って言うんだよぉ〜」と、
文壇や雑誌・出版関係者を前に仰るそうで、元気だった頃は、勿論、南海先生の高座も聴きに見えたそうです。
そして、毎年年賀状が来て、そこには決まってある苦言が書かれていた。「南海くん、あんまり目先の笑いに走るな!!」と。
そんな先生も現在は施設で寝たきり、筆談しかできない状態だとか。それでも時々、「南海を呼べ!!」とのげちが飛んで枕元に呼ばれる。
ホワイトボードに力強い文字で、「南海、今、ここで講釈聴かせてくれ!!施設のみんなに」消して「勿論、ただやぞ!!」
卒論の「合格」の恩があるから、喜んで高座を勤める南海先生でした。ちなみに、南海先生は阪大文学部出身です。
そんなマクラから『出世の馬揃え』へ。この噺は十数人の講釈師で聴いておりますが、こんなに笑える『出世の馬揃え』は初めてでした。
前にも書いたけど、途中で放うり込んで来るエピソードが、もうありえないぐらいに面白いと云うか「笑いに走ります」
一番は、この一豊と千代の夫婦の馴初めや夫婦になってからと、いちいち自身の夫婦を重ねて行くのですが、
夫婦の危機が南海先生にもあって、連日、師匠の家に行っては、朝から夜中まで酒盛する毎日の南海さん。
南左衛門先生も云っておられますが、三代目南陵という人は、本当に何もせずに暇があれば朝から晩まで弟子と飲んでいたそうですよね。
全く収入もなく、講釈の稽古をする訳でもなく、ただ毎日毎日、師匠と酒を飲み続ける旦那。奥さんの堪忍袋の緒が切れたんですね。
ある日、夫婦で道頓堀に出て、一緒にお好み焼を食べていた時、豚玉を返したヘラで、今まで聴いた事もないような音が南海先生の耳に突き刺さります。
奥さん、右手に持ったヘラを、およそお好みを切るというより、亭主の頭を斬る動作で、思いっきり鉄板に打ちつける。
カチン!カチカチ、カチン!
「あんた、いつまで働らかへんつもりなん、ええかげん、ウチ、しんぼうでけんようになるえぇ」
単語と単語の合間で歯を噛んで、ヘラをカチン!カチン!言わせて来る奥さん。流石に明日から働こう!!と思ったそうです。
この噺を聞いていて、私が思ったのは、絶対、上方落語には『芝濱』みたいな噺は生まれない。
|
全体表示
[ リスト ]




