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落語、講談、浪曲、どの話芸においても、その口調には伝統芸能だからこその“決式”があります。
落語の場合、所謂“古典”をやるのであれば、江戸落語では江戸言葉、上方落語ですら落語用の上方言葉を用います。
結構、意外なのは上方の入門者が師匠から、徹底的にこの落語用を叩きこまれて、ここで挫折を味わう咄家が少なくないそうです。
一方、江戸落語は、志らく師匠が登場した頃は、原理主義的に「江戸弁である事」が強烈に求められていて、
志らく師匠の落語は、「土手組のやる落研落語だ!」と原理主義者からは全く評価されませんでした。ただし、家元談志は評価していて、
上手い!面白い!センスがある!と、褒めておりました。やっぱり、先見があるんです天才には。そこから15年も経つと、
白酒、一之輔という同じような言葉を操る落語が、一般にもてはやされ人気が出ると、評価は一変するのです。
自分の言葉で喋る
タイトルにも書いた事ですが、意外とできているようで多くの咄家はできていません。フィルターが掛かった様な話芸を見せられる。
「自分の言葉で喋る」方が、間違いなく客には伝わるし、面白い話芸になります。ただし、そのデメリットとしては、
伝統芸能としての情緒が失われる。家元風に云うと「江戸の風」が吹きません。(あるいは、弱くなる)
つまり、芸としての価値を問うならば、この“面白さ”と“江戸の風”のバランスなのです。
互いにトレードオフの関係にあるから、場面・場面で、どっちらを強く出すか?なのです。 一之輔師匠のお弟子さんを見ていて、ハッ!としたのは、とにかく前座のうちは、「自分の言葉で喋る」を実践させられています。
師匠の一之輔さんが、どこまで意識しているかは分からないのですが、とにかくMAX自分の言葉で喋って、面白くない落語なら、
それは今の自分に足りないものをストレートに自覚して、改善する努力が無駄なく回る環境だと言えます。
一方で、まずは古典芸能の言葉と喋り方を覚えなさいと、教える師匠もあります。と云うかそれが普通/王道です。
この「自分の言葉で喋る」と「古典芸能の言葉で喋る」は、鶏と卵の関係と同じで、どっちが先が良いかは難しいと思います。
しかし、これだけは言える事は、「古典芸能の言葉で喋る」を先に仕込んで、二つ目になると、よほど適応能力が高くないと、
自分の言葉で喋る事が上手く実践できず、“江戸の風”も“面白さ”も共倒れの芸になるケースを多々目にします。
二つ目になり、受けようとするのですが、自分の言葉/喋りができず、“江戸の風”も損なわれてしまいます。
ただ、逆に「自分の言葉で喋る」からだと、江戸の風は吹かせたい、だが、吹かすと笑いが減るジレンマに陥ります。
古典をやっているけど、古典に聞こえない。これも悩みの種だと思います。一之輔師匠の弟子たちが、
この後、どんな二つ目に成り、どう克服して行くのか?見守りたいと思います。
さて、もう一つ。「自分の言葉で喋る」を実践するとぶつかる問題が、「各演目の常套句」をどうするか?思い切って斬れるか?!
例えば、『子ほめ』の「蛇は寸にしてその気をあらわす ⇒ ジャワスマトラは南方だ」みたいなヤツとか、
『宿屋の仇討/宿屋仇』の「♪源ちゃんは色事師、色事師の源兵衛」、『牛ほめ』の「佐兵衛のカカぁはひきずりだ!」などなど、
どこまでは、採用しどこからを自分の言葉に変えるか?この取捨選択こそが、その咄家のセンスというか、個性であり才能です。
最後に、この「自分の言葉で喋る」を実践し、売れっ子の二人の咄家について私なりの感想を書いて〆にします。
◇立川志らく
その存在を知ったのは、CXの「落語のピン」。志の輔と小朝が観たくて談志の「落語のピン」を見ていたら、
何か変な落語をやる若いのが開口一番で出て来た。話芸は粗削りだが、「シャボン玉ホリデー」のクレージーの様な、
あの匂いがするコントのような落語をやっていた。また、ギャグのセンスがピカイチでふざけ方をしっていた。
具体的には、「毎度、馬鹿馬鹿しいお笑いをと、先人は申しますが、馬鹿馬鹿しくなんかありません!!」とか言う。
その後、内幸町ホール時代の「志らくのピン」に後半の5年と、横浜にぎわい座の初回の「志らく百席」に通った。
二ヶ月に3回くらいのペースで独演会に通ったのだが、最も彼らしいと感じ私が好きなのは、主人公が同一の古典落語を、
3つ以上繋いで一代記にするという試み。与太郎一代記、『牛ほめ』で叔父さんにやや気入られ『道具屋』を世話されるが、
ピストルでズドン!とやって仲間から出入禁止に。『金明竹』仕方なく叔父さんの家で奉公するのだが…
あるいは、若旦那一代記。『明烏』で吉原デビュー。しかし勘当されて『船徳』に挑戦、結局船宿は務まらず『居残り佐平次』になる。
志らくさんの古典で好きなのは、『小言幸兵衛』『柳田格之進』そして『おせつ徳三郎』。次点に『鰍沢』です。
◇桃月庵白酒
存在を知ったのは、喜助の最後の頃でした。雲助師匠の弟子が面白いと聞いて観に行った。『替り目』だった。爆笑した。
その後、真打になって白酒・甚語楼の会をほぼ毎回観た。更に白鳥師匠とのWホワイト、成城ホールの独演会と追い掛けた。
なんせこの師匠は、『松曳き』『浮世床』に登場する、少し頭のネジの緩んだおバカなキャラをやらせると、
本人のフラと相まって最高に面白い。『松曳き』の殿様と三太夫、『浮世床』の本を読む源ちゃんは、爆笑してしまう。
また、言葉遊びも巧みです。『粗忽長屋』の粋なオーレッ!(行き倒れ)、『禁酒番屋』のドイツの将校(ドッコイショ)。
『妾馬』で殿様が「ざっくばらんに」というと八五郎が「ザックジャパン!?」と返したりするのも、白酒師匠らしい。
あと、彼の『風呂敷』も最高に面白いと思います。
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あたくしは「言葉の一貫性」が気になるタチです。
古典を現代風に直した場合、「ら抜き言葉」は気になりませんが、そこに「糊屋の婆」や「建具屋の半公」あるいはMarsさんの仰るとおり「古典の常套句」が登場すると耳がつまずいてしまいます。
圓喬(だけではないのですが圓喬に顕著です)の速記では、
「この噺は今に直すよりもそのまま……」
とか
「わたしには現代に置き換える才がありませんので……」
とマクラで語る場合が多くあります。
明治期には現代(当時の)に直せるものは直す、ということが一般的だったんでしょうか?
一度Marsさんに教えていただきたいと思っておりました。
2018/11/22(木) 午前 10:42
> 立花家蛇足さん
的確な答えに成っているか?ですが、おそらく「つぎはぎ」だったのでは?と、思います。
家庭内で、喋っている言葉が100%江戸弁だった環境なら、そのまんま落語できますが、徐々に、現代言葉にシフトして、
これも推測ですが、ラジオの普及する頃には急速に定着する。
ラジオ放送の始まる前の明治期は、各家庭で現代言葉の浸透度合いに差が激しい時代でしょうから、各町内に在ったという寄席毎に流儀が在ったのでは?と思います。
圓喬の時代は、ちょうど過渡期なんでしょうね。そして、志ん生・文楽世代になると、現代言葉に変換された落語で、マクラは完全そうで、本編はやや強めに昔の名残りが在る。
外来語をくすぐりで本編に入れたりするのも、この世代からですよね。
つづく
2018/11/22(木) 午前 11:26 [ Mars_jj_boy ]
> 立花家蛇足さん
完全に余談ですが、1970年代から80年代の上方落語は、イントネーションや言葉に、四天王が喋る落語用の上方言葉が色濃く残っておりました。
だから、最初聴いた時に、枝雀さんの落語でも、早く喋る噺は意味が理解できませんでした。『宿屋仇』で、兵庫の三人組の一人が旅館に対して、
酒、肴、芸者の注文を言う場面が、殆ど理解不能でした。だから、小文枝師匠の落語などは、半分理解するのがやっとって感じでしたね。
そして、現在。明らかに東京に来て、弟子入りした関西人の落語家は、ネイティブな関西培養の落語家とは、落語を喋る際の上方言葉が違います。
東京の養殖者は、漫才師みたいなぁ、上方落語をやります。新作ならまだしも、古典落語は、なんか変な感じがします。
2018/11/22(木) 午前 11:40 [ Mars_jj_boy ]
> Marsさん
丁寧に教えていただきありがとうございます。
そう考えますと、「鼻の圓遊」などはまさに時代をつないだ寵児だったのかもしれませんね。
今の時代、耳から入ってくる情報(イントネーションや方言)が多岐にわたっているので、演り手としては苦心があると想像します。
2018/11/22(木) 午後 1:32