Marsのブログ

小さな会を精力的に聴く努力をしてまいります!!

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冷たい北風が吹き荒れた26日土曜日のお昼、文菊師匠の地元、自由が丘・古桑庵での独演会も40回目の節目を迎えた。
勿論、完売満員御礼だが、相変わらずドタキャンがあって、空席がポツポツ出ておりました。本当に残念です。
文菊師匠は、この古桑庵の前日25日金曜日に歌舞伎座での公演があり、そっちに行った常連さんが、欠席でした。
だから、結構初めて見るお客様が目に付きました。常連さんが皆無ではないですけどね。フレッシュな感じでした。
そんな第四十回目の古桑庵での文菊独演会、こんな内容でした。


・つる

お仲入り

・文七元結

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1.つる
古桑庵の女将の出囃子操作が相変わらず雑である。CDラジカセで流すのだが、音量が小さ過ぎて、
奥の襖越しで控えている文菊さんの耳に届かないレベルなのだ。そして相変わらず、出囃子を止めるタイミングが早い。
普通は、おじぎするまでは流し続けるものなのに、高座に師匠が到着し座り始めるとフェードアウトして消す。
だから、二回目の拍手が起きる前に、出囃子は止まっております。

さて、改めて古桑庵の客席との距離感を弄る文菊師匠。ここはお座敷落語の距離だ!と言う。確かに。
八代目文楽が百万円のギャラで、料亭のお座敷でご贔屓のお大尽を前にやった芸は、この距離だと思いました。
まぁ、古桑庵は低い高座があるけど、お座敷落語だと畳の上に座布団置くだけだと思いますけどね。

マクラでは、正月浜松町、大門のプリンスタワーホテルの新春演芸会に行った話から、
“演芸会”なので、○○の間って大きな会場に、手品や、曲芸、漫才と一緒に落語のコーナーもある。
そこで二つ目さんと一緒に高座を勤めたけど、落語は弱い芸だがら… 文菊師匠は玉砕だったらしいです。
この日、古桑庵の後は、某お大尽の誕生パーティーに行くと言う、文菊さん。旦那様が外国人のお宅。
外国人比率が高いと、この誕生パーティーでも玉砕か?と、心配されていました。

さて本編の『つる』隠居の様子が良い。そして八五郎との対比が素晴らしい。
文菊さんは、“粗顔”と頭ではなく、顔が粗末だと八五郎が言うのも面白い。
まぁ、そんなに大爆笑するような噺ではないが、隠居がもう一回聞きに戻って来た八五郎に、
「お前さん、脇でやって来たなぁ?!しょうがないなぁ〜」と言いながら、もう一度教えてやるのがいいですよね。

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2.文七元結
最後は長講をと言って始めたのが『文七元結』でした。2017年の大晦日に聴いて以来、1年ぶりの文菊さんの『文七』。
さんどら煩悩、飲む打つ買うのマクラから本編に進み。長兵衛親方が落雁肌の名人から博打で身を崩すまでを解説。
50センチくらいの距離で文七元結を聞くのは、初めてで緊張した。矢来町の型、勿論、あんな芝居掛かっては演じない。

長兵衛が博打に染まり荒れた感じが、女房への八つ当たりと、着物を脱がせて奪うやり取りで色濃く出ます。
それまでは、上品というか大人しい長兵衛なんだけど、職人気質の粗っぽさ、鉄火な感じが見え隠れします。
あと、文菊さんらしい工夫だと思ったのが、佐野槌にほっかむりしていく、恥ずかしいので裏口に回り、
女中の前でほっかむりを取ると、やっと女中に長兵衛と分かる。細かい芸だが、文菊さんらしいと思いました。

ただ、吾妻橋まではいいペース・時間配分で展開されるが、この後が長く感じた。実際の時間はそんなに長くない。
そうそう、主人の近江屋卯兵衛が文七に、「誰から五十両貰ったんだい?」と聞くと、文七が「サァー?」
と、他人事みたいに応えると、卯兵衛の返しがいい。「雨が降ったみたいな返事して…」と言います。この科白好き。

一方、佐野槌の女将がやや控え目というか、存在が薄い。だから、文七の命を助ける長兵衛に女将が乗り移ったような演出はない。
旦那の羽織の残りキレで作った財布は矢来町と同じだが、矢来町みたいに芝居じみた演出ではありません。
あくまで落語っぽく文菊さんは演じます。菊之丞師匠もそうですが、芝居じみてやる人は、あまり古今亭には居ない。

この後、文七が近江屋に帰ってから、多分、古桑庵の営業を待って行列が外にできているのが文菊師匠に見えたのか?
少し急いでサゲに向かおうとするんですよね。そんな焦りが在ったからか?卯兵衛と文七がだるま横町の長兵衛の長屋を訪ねる際、
通る吾妻橋の上で、昨日の身投げに触れないし、小西で角樽を借りない。抜いてもそんなに短くできる部分じゃないのに、
この二つが抜けると、ちょっと違和感を覚えました。

それと毎回思うのが、着物にも困っている長兵衛宅に、なぜ、屏風があるのか?文菊師匠は衝立ではなく、屏風と言いました。
二束三文の衝立は売っても仕方ないから、在るのはまだ納得するが、屏風が在るのなら長兵衛は売ると思います。
そうだ!あと、ヨレヨレで縄みたいになった帯の事を、「猫の百尋みたいな帯」って言いますよね?
「百尋」。私はクジラが取れた時代に博多で育ったから、両親や祖父母が“クジラのヒャクヒロ”を食うから知っていますが、
現代人は、理解できるんでしょうか?「百尋」。“ひゃくひろ”って腸、ハラワタ/ホルモンを指す言葉ですよね。
猫のハラワタが、細くてヨレヨレだって、昭和20年くらいまでは、世間一般に、みんな知っていたんですよね。
食べるから知っているのか?猫のヒャクヒロ、美味いのか?って興味が湧きました。

あと、土曜日に文菊さんで聴いたから久しぶりに、矢来町の音源、濱永さんの「神奈川県民寄席」の音源で聴きました。
この佐野槌までを上、吾妻橋・近江屋・だるま横町を下と分けて演じる志ん朝師匠の『文七元結』は、完全に芝居調。
私は矢来町が使う口癖、「嫌んなっちゃったなぁ〜、どうも!」。これが江戸から明治の風情に合わない気がして、厭です。
無意識に出るんだと思うんです。喬太郎師匠の「何んつってぇ〜」と同じで、凄く気に成ります。この音源でも1回使った。

それ以外は、矢来町らしい言葉で、笑ったのが女房が腰巻をしていない。すると長兵衛が風呂敷を巻けと言う。
紋付の腰巻なんて豪儀じゃねぇ〜か、と言う馬鹿馬鹿しさが実に落語らしくていい。
あと芝居っぽさが出ていると感じるのが佐野槌の場面で、長兵衛が自身の借金苦を「仕事なんぞ、している場合じゃない!」
と表現します。ひと山当てて纏めて返さないと、おっつかないと云います。芝居らしい表現です。
これに対して佐野槌の女将は、纏めて一度に返せないだろうから、少しずつ返しに来いとアドバイスします。
あと、長兵衛が女将に、お久に礼を言えと指図されても、なかなか言えない。ハナは佐野槌の女将に礼を言う、お久に直接言えない。
江戸っ子の職人気質が、実に矢来町らしく描かれておりました。ちなみに、上が32分、下が46分でした。


そんなのと比べると、まだまだですが、あくまでも落語で自分の世界を表現しようとする文菊さん。
これからも文菊さんの『文七』を見守っていきたいと思います。そして、次回は五月二十五日ですから、これが、平成最後の会でした。

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今週は、1週間ホールの会も寄席も行かずに終えた。この週末は3つ行く予定ですが…
そんな事もあって、ゆっくり冬の噺を考える時間を持ちました。久しぶりにブログに沢山“書いた!!”と自分でも思った。
寄席や会の様子や感想を書くのとは違って、日ごろの“よしなしごと”考えるというのも個人的には有意義で楽しいものである。
さて、その最後にいつか書こうと思っていて、なかなか書く機会が無かった、「演者の芸と年齢」について書きたいと思います。

10年くらい前ですかね。談春師が、マクラで喋ったか?インタビューの記事だったか?は、忘れましたが、
「俺の芸は、別に若い頃と、今とでそんなに違わない。ただ、俺の年齢が、落語の登場人物の歳に近付いただけだ。」
と、40歳凸凹になり、突然注目されて、評論家たちが談春師自身を持て囃すようになった理由を聞かれ、こんな事を云ったのを覚えています。
その噺を漏れ聴いてだったか?文蔵師匠だったと思うけど、「確かに、二つ目ん時と変わらなねぇ」と言う意見も耳にしました。

この、突然芸人が化ける!ってヤツ、在りますよねぇ。何が変わったって訳じゃないのに、以前より「良い」と感じる節目。
必ず、どんな芸人にも有るんじゃなく、そうですね。50〜100人に一人くらい、この節目が見える芸人が居ります。
そんな私の目線で節目を感じた咄家を、とりあえず、具体的に上げてみたいと思います。

まず一人目。三遊亭歌武蔵師匠。年齢で言うとちょうど30歳くらいですかね、彼が真打になって間もない頃に、凄く良く成ったと感じるようになりました。
もともと、相撲上がりなので、お相撲さん特有の声の持ち主でした。それが落語に、若い頃はマイナスだったんです。
また、押し出しの良い喋りは、若い頃からだったのですが、真打を迎える辺りから、押し一辺倒ではなくなりました。
抑えたり引いたりする話術を覚えて、より押しが際立ち、個性あるいい芸になって行ったと思います。
そうなると、変なもんで、以前は聞きとりにくいと思った声が、味わいのある声に変わったんですよね。

次に、三遊亭遊雀師匠。以前は、柳家三太楼でした。権太楼一門の総領弟子で非常にムラっ気のある芸でした。
良い時に当ると、びっくりするぐらいに感動する噺をするのに、やる気がまったくない高座に当ると最低でした。
なんだろう。芸人として燻ぶっていました。同期や少し先輩、後輩に対する妬みや嫉みが凄かったように思います。
「人間万事塞翁が馬」 何が良い方向に転ぶか人生分からない典型だと思います。あの事件後、二年の浪人があり、
小遊三師匠に拾われて、芸協に入ったとたん、水を得た魚のように芸に、ムラっ気が無くなりました。落語を高座で語る喜びが、客席にも十分伝わりました。
当時の芸協という環境も良かったと思います。若手の二つ目さん達が、落協へライバル心を燃やして稽古に励み出し、高座では引けは取らない!そんな機運が高まった。
あの成金もその延長線上で誕生しました。その若い二つ目世代に、遊雀となった三太楼の芸が大いに受入られて、
「稽古してください!」「稽古してください!」と、若手の遊雀詣が始まります。
そうなると、頼られる兄貴分として風格が人を育てるかたちで、遊雀師匠の落語は、ワンステージ上の芸へと昇華します。
今、芸協の若手がやる爆笑の『熊の皮』は、遊雀さんの型です。成金世代より若い芸協の連中は、たいがいこの噺を持っていると思います。

最後に、外せないのが柳家三三師匠です。私は小田原に住んでいたから、前座の最後くらいから、小多けだった三三さんを聴いていたが、声がやたらデカく元気よく、ややトボけたフラがある若者だった。

不器用なのと、兎に角面白くない喋りで、ハズレると救いがない落語を何度か聴かされた。唯一褒めるなら声がいいぐらいか?

そんな三三さんが、変わり始めたのは、二つのポイントが有った。ひとつは小三治に弟子入りして、年が近い破門されなかった兄弟子が禽太夫と一琴だったんで、
意識はしたろうが、進む方向性でぶつかる事もなく、上手い距離感で接して行けたのが良かったし、何より小三治師にいつ破門!って言われるか?この緊張感で育ったのもプラスだった。
また環境で言うと、落研とかで汚れた癖もなく、小三治の純粋培養のような弟子になれたのも、後から考えると芸の幅ができたと言える。
一方、もう一つは柳亭市馬の存在だ。ひと回り以上歳下の三三にとって、市馬師匠は格好の手本であり、目標となる。
本当に基本的な所作や、市馬博士と言われるぐらいな蘊蓄を、三三さんもよく吸収していると思います。
そして、真打に昇進した頃から、市馬・談春・三三の落語ユニット「三人集」を立ち上げて、2006年から2009年まで、互いに切磋琢磨した事で、今の三三が生まれたんだと思います。
この「三人集」、当初は五人、七人のユニットをという話もありながら、結局三人になったのですが、今の成金とかと考え方は同じで、その先駆けになりました。
尚、現在、M'sの加藤さんが席亭を勤めながら新版三人集という、一蔵・市弥・小辰の三人が名前を継いで活動中です。

ここまでは「化けた」咄家ですが、逆にあれだけ凄かったのに、今は…って咄家も居ます。
詳しくは、あえて書きませんが、抜擢で真打になり、人気が爆発すると急に忙しくなります。
芸人も、アスリートと同じで努力して練習・稽古を積んでこそ、その素晴らしい芸は保たれている訳で、売れっ子になると、高座数は飛躍的に増えます。
一之輔師匠の例で言うと、真打が決まった披露目の前年は、400席凸凹だったのが、一気に披露目の年は750席ぐらいに増えています。
おそらくそこから真打になって7年?だか8年が経過していると思いますが、800席凸凹を毎年こなしているハズです。
だから、芸が荒れて来るのも分かりますよね。雑な時もあります。それでも、ネタ卸し・蔵出しの会は定期的にやっているし、挑戦し続ける姿勢は立派です。

そんな売れっ子になると、たいがいは、やった事のある噺が200ぐらいで、持ちネタと呼べる噺が120から150ですよ。
一週間、サラう時間があれば80%以上のクオリティで高座に掛けられるが、売れっ子は、なかなか時間が取れない。
地方への移動の交通機関の中やテレビ・ラジオの待ち時間にもサラうけど、稽古の絶対量が足らないと50〜60%のデキでも高座に掛ける。
結果、その同じネタを場所が変われば、また掛ける事になり、本場の高座が稽古になり、追っかけファンは、カミカミだった啖呵が切れッ切れになる過程を見せられる。
まあ、熱狂的なファンだから、一年くらいは楽しいかもしれませんが、年間百席聴いて三十種類くらいの噺だと、三年もしたらファンではなくなり、悪口を言う側に回ります。
こうして、人気者は、まずファンに飽きられて、高座から消え、割のいい仕事にまわり、昔は良かったと言われただのタレントになります。
あの六代目圓生ですら、晩年は移動中のタクシーで常に噺をサラっていたそうです。また、柏木の師匠は300を超える持ちネタがあるから、ラジオやテレビで掛けた噺は地方でも、最低半年、可能なら一年は掛けないように手帳にメモして管理していたと、直弟子さんから聞きました。

一方、中には頭のいい人気者も居ます。自分は芸に専念して、マネージメントは他人を雇う。チームで芸人を核にして動く事で、
分業分担し芸人に稽古や創作の時間を与えてクオリティを保つというやり方。そう!志の輔、談春、志らく、そして小三治や市馬も似た手法です。
昔は、太いオダンが贔屓に付けば、経済的憂いがないので、好きに芸道に邁進できましたが、今は効率よく働き、分業で雑用はアウトソーシングするのが、売れっ子芸人の生きる道のようです。

これは、確かに良い方法ではありますが、志の輔師匠のPARCO公演のように、デカい函で、収益を上げてスタッフを養う仕事を好き、嫌いに関係なく、やり続ける必要に迫られます。
スタッフの家族ぐるみを引き受ける事になるから、この興行のノルマから、一度ハマると抜け出せない、人気者の宿命のような負のスパイラルなのです。

前にも書きましたが、談春師匠がしみじみ言っていました。松之丞は、今何やっても楽しいだろうなぁ〜と。
松之丞さんは、これから五年くらいが試金石ですよね。講釈師を通して夢の講釈の常置小屋が作れるのか?それとも、単なるタレントになってしまうのか?
三代神田山陽のようには、なって欲しくありません。常置小屋を作り「本牧亭」の名前を復活させて、奥さんの理沙さんを女将にし、その功績で七代神田伯龍を襲名して欲しい。
私が直近10年間、12月から2月までの3ヶ月間に聴いた噺のランキングを集計してみた。
概ね予想通りの結果なのだが、それでも数字&ランキングにすると、少し意外な面も見えて来た。

『雛鍔』に★が抜けています。
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ます、ベスト10。見事に「冬の噺」というか、年末/正月の季節と行事に関係する噺が殆どである。
唯一、なぜか?『幇間腹』を13回も聴いていました。冬のにおいがしない噺なのに。
そして、意外だったのは一位が『芝濱』で20回。そんなに聴いている。

談春 …4回
白酒 …3回

この2人で7回聴いていた。そして他は、文左衛門(文蔵)、菊之丞(志ん生)、文菊、雲助、一之輔、
風間杜夫、小三治、小満ん、志らく、生志、たい平、さん喬の12人が、それぞれ1回ずつ聴いていた。
凄いでしょう、風間さんから小三治まで『芝濱』を聴いている人はそうザラに居るもんじゃない!!

あとねぇ、『明烏』『時そば』『初天神』の三席が、19回で次点。『時そば』は昇也さん、甚語楼師匠、
この二人だけが二回聴いていて、他は、全部一回。それに対して『明烏』は談春師匠で5回も聴いていた。
『文七元結』は、1/3を古今亭で聴いていますね。菊之丞師匠で3回、文菊師と雲さんが2回、
そして志ん輔さんが1回。あと複数聴いていたのは、三三師匠でした。

『夢金』は談春師匠で6回聴いているので上位にランクされて、『ふぐ鍋』は小せん師匠で4回聴いていた。
上位10席最後は、『千早ふる』。これは小三治師匠で二回聴いている以外は、バラバラでやり手が多い。
一応、百人一首の季節に掛かるから、カルタの季節に多いのか?

11位から13位も冬の噺が上位です。『鰍沢』『徂徠豆腐』『うどん屋』『味噌蔵』の四席。
『徂徠豆腐』は、元々講釈根多ですから、落語と講釈の両方で広く聴いています。
また、『うどん屋』も定番中の定番ですね。うどんを食べる仕草に自信のある咄家が揃います。
そして『味噌蔵』も年末の寒い木枯らしが似合う噺だと思います。
一方、季節に関係なく『宿屋の仇討』と『天災』がランクインしております。
二十位以内をみても、冬には関係ない『厩火事』『火焔太鼓』そして『堀の内』です。


参考までに、過去10年の同時期:12月から2月までの3ヶ月間によく聴いた演者ランキングも作ってみましたが、
これは、単に季節限定に限らないランキングになりました。冬男!!みたいな演者はそうそう居ない。
強いて言えば、志の輔師匠ですかねぇ、以前は渋谷のParco公演に毎年行ってましたから、1月は。

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この季節にぴったりな“雪”という噺をピックアップしてみたら、ちょっと意外な噺も引っかかり、
今が旬の「雪の噺」をという事で、特集してみました。自身が聴いた事のある噺のデータの中から、
無作為に“雪”を検索ワードにして、タイトルの中に“雪”の字が入った噺を抽出してみる。
すると、確かに天から降る“雪”が登場する噺も数多くあるのだが、中には固有名詞の“雪”だったりします。



【古典落語の“雪”】

・開帳の雪隠
むらし家今松、古今亭志ん弥、林家正雀、柳家三三の四人で聴いている。
これは全く季節感の無い雪で、しかも、「雪隠」。江戸時代の公衆トイレが舞台の落とし噺、短くて意外と演者が多い。



・双蝶々「雪の子別れ」
林家正雀、柳家喬太郎、蜃気楼龍玉の三人で聴いていました。そのあらすじは…

三遊亭圓朝作と言われている作品、主人公長吉の生立ち 「小雀長吉」、父長兵衛と継母お光に育てられるが、狡賢く性根が曲がっている長吉。
ボテ振りの八百屋のオヤジが長兵衛が留守がちなのをいいことに、母親にはナメ切った態度で、賽銭泥棒や行商人の売物を盗んだりと悪事を覚える。
ある日、母親が思い余って叱ったのを逆恨みして、長兵衛に継母から「継子いじめを受けている」と嘘の告げ口をするが、大家の意見で、
お光は我が子のように長吉を育ているのに、長吉は性根が腐ったようなガキに育ってしまっていると、長兵衛は気付き、長吉を奉公に出す決意をする。

奉公中に出された長吉。うわべは真面目に働くふりをしているが、裏では悪い仲間とつるんで相変わらず盗みを働いている。
これを番頭の権九郎に知られて、掛取の銭、二百両を主人の寝間から盗めと命じられる。その銭を一旦は盗んでみるものの、
このまま、おめおめ番頭に取られるのは惜しいと、番頭を殺して、遠くに逃げる覚悟を決めるのだが、呟いた独り事を同僚の定吉に見られる。
切羽詰まった長吉は、その定吉に、口止め料だと首から下げる掛け型のお守を買ってやると騙して、手拭で寸法を測るふりをして絞め殺します「定吉殺し」

ここは、六代目圓生の絞め殺す仕草が有名ですね。圓丈師匠が、師匠直伝!とやったのを見たのと、多くの若手はこの殺し方しますね。
そうそう、村井長庵の『雨夜の裏田圃』で、松之丞さんが、出刃でお登勢を殺すのではなく、手拭で圓生風に絞め殺します。
龍玉さんの定吉を絞め殺す仕草は、迫力満点!!ピカイチです。この後、番頭の権九郎も、二百両を渡しと呼びだして匕首で刺し殺します「権九郎殺し」
この部分を雲助師匠は、芝居仕立てでやりますね。龍玉さんとリレーでやった時に、雲助師匠の芝居口調の「権九郎殺し」を観ました。

悪事を重ねた長期は、結局、奉公は続かずに、上州から奥州へと渡り歩いて、二百両を元手に一家を構えて親分と呼ばれる存在に。
関八州を盗みと博打で流れ歩き、表向きは福島で「魚屋」の看板を出していますが、魚なんて売り買いする訳も無く、凶状持ちのお尋ね者に。
一方、長兵衛夫婦は倅の悪事を知り、世間に顔向けが出来ないと逃げるように湯島大根畠の長屋を引き払って流転の日々を送る。
本所馬場町の裏長屋に越したころ、遂に長兵衛は腰が立たない病になってしまった。
内職だけでは病人を養っていけず、お光は内緒で袖乞いをして一文二文の銭を稼ぎ、なんとか食い繋いでいる。

浅草の観音様に全快祈願のお百度を踏むからと偽り、夜、隅田川縁の多田薬師石置き場で、袖を引く物乞いをしていた。
北風強くみぞれ混じりの中、たまたま奥州石巻から江戸の様子を伺いに出てきた長吉の袖を引き、二人はひさびさの対面を果す。
長吉は子供の時分、お光さんあんたに辛く当たったのも親父を取られたように思ったからで、今では申し訳無いと思っている。 と告げる。

長吉はお光に連れられ、腰の立たない父を見舞う。五十両の金を渡し元気で暮らすように言うが、長兵衛は悪事から手を洗えと言葉を重ねたが、
最後は長吉をゆるし、涙ながらに今生の別れを告げる。 奥州では百人からの子分がいて自分だけ足を洗う事は出来ないと言う。
追われる身である事を察した長兵衛はもらい物の羽織を渡し、江戸から無事出られるようにと願った。
雪の降る中、後ろ髪を引かれる思いで長屋を去った長吉は、吾妻橋を渡るところでついに追手に取り囲まれ、御用となる「雪の子別れ」

正雀師匠の稲荷町譲りの芝居仕立ての「雪の子別れ」は、是非、一度みておくと良いと思います。私はにぎわい座でみました。
国立で前座さんが雪を降らすのをドジふんで、正雀師匠が雪崩にあったみたいになったそうですが、私の時はプロが降らせたので良かったです。
この雪とか、桜吹雪とかいう舞台の演出は、本当にプロがやると、前座のやっつけ仕事とは違って実に、趣があります。



・雪とん
柳家小満ん、五街道雲助、入船亭扇辰のお三方で私は聴いていました。

志ん生の『雪とん』、圓生の『お祭佐七』と言われますが、全然、別の噺だと私は思います。
船宿に昔世話になった、田舎から出てきたお大尽の若旦那を泊めていた。なん日か江戸見物などしていたが、あるひ病で床に付いた。
船宿の女将が聞き出すとそれは”恋患い”だという。恋のお相手は本町二丁目の今小町、糸屋の娘”お糸”である。
名代の男嫌いの娘だから諦めろといったが聞き入れず「杯の一つでも酌み交わし、その杯を土産に持って帰りたい!!」という。
女将はお糸の女中に話をし、小判掴ませ、やり手婆にした。人の命には替えられないので・・・、と言う事で明日の晩、
四つ刻に“トントン”と合図させるので、裏木戸を開ける手はずが整った。

その晩大雪になっていた。江戸に不慣れな若旦那、何処が糸屋の裏木戸なのか?分からない。“トントン”しながら雪の中を彷徨う。
そのころ、年の頃二十五・六で役者に負けない色男が、吉原に遊びに行く所であった。
雪の為、足駄に雪が挟まり黒塀に近づいて、その溜まった雪を“トントン”と落とした。
これを合図だと思った女中に強引に連れ込まれてしまった。あまりにもいい男だったのでお糸さんも、ブルブルっと震えて男を泊めるた。

朝、彼は木戸から送り出された。一晩中雪の中を彷徨い歩いた若旦那、たまたまその様子を目撃してしまった。
後を付けていくと宿泊している船宿の女将と話をしていた。女将に聞くと、そしつはお祭佐七と言って、
江戸評判の男前で、奴が歩いていると街中の女が、糊やの婆から赤子まで、取り巻いてお祭のようだと言うので、お祭佐七と呼ばれているのだ。
「何ぃ!!お祭りだって、それでダシにされた」、がサゲ。

小満ん師匠と扇辰師匠は、入念にお糸と佐七の床での色っぽい描写が展開されます。それに対して雲助師匠は佐七がなんともかっこいい!!
若い扇辰師匠がやると、色っぽい場面が、ちょっと生々しく感じてしまいます。



・雪の瀬川
柳家小満ん、柳家さん喬のお二人で聴いていて、小満ん師匠は『松葉屋瀬川』で掛けてらっしゃいます。

下総古河の下総屋の若旦那の善次郎はたいそうな堅物で、暇があれば本ばかり読んでいる読書家です。
心配した大旦那の父親が少しは遊びでも覚えるようにと、日本橋横山町の店に預けた。
相変わらず部屋に閉じこもって本ばかり読んでいる善次郎を、番頭の久兵衛はなんとか浅草見物に連れ出す。

善次郎には見るもの聞くものが物珍しくてびっくりすると思いきや、書物から仕入れた知識とはいえ、
善次郎はいろんなことを知っていて久兵衛に話して聞かせる。

善次郎 「茅町は昔は茅葺の屋根が多かったが、人も増え火災の危険もあるので瓦葺の屋根に取り替えた。
     昔を忘れないようにと町名だけは茅町を残した。瓦町は昔は屋根瓦を焼いていた。
     人家も増えて火災の危険もあるので、今戸の方へ移転した。ここも町名はもとのまま残した。
     閻魔堂の閻魔さまの首は仏師清左衛門の作で普段は複製品がつけられているが、
     盆と正月に本物の首をつける。蔵前は昔は奥州街道桜の森といって寂しいところだった」なんて、
嘘か本当かはさておき、へたな講釈師、噺家よりもよっぽど面白くて、どっちが案内しているのか分からないほどだ。
蔵前八幡、黒船町、諏訪町、駒形堂、風雷神の雷門、仲見世を抜けて行く。善次郎の博覧強記ぶりはさらに続く、

善次郎 「伝法院前の石灯籠は浅野内匠頭が奉納したもので、もとは淡島堂のところにあった権現様にあった。
     権現さまが紅葉山に移る時に、浅野家はお取り潰しになっていて引き取り手がないのでここに移されたんだ」と、
その蘊蓄は、まだまだ続く。

久兵衛は茶店で一休みしようというが、善次郎は茶代がもったいないから裏の接待の茶で我慢しろと言う倹約家ぶりだ。
久兵衛はここから吉原の仲之町の桜見物に行こうと誘うが、

善次郎 「あたしが『中へ行こう!』と言っても、『そのような所へは行ってはいけません!』
     そう言って、止めるのが番頭!お前の役目だろ。お前みたいな番頭は店に置いとけないから暇を出す」と、
一喝される有り様だ。吉原で善次郎を遊ばせようなんてのは至難の芸というべきで、久兵衛のなせる技ではない。

手水に立った善次郎を待ちながら久兵衛がぼやいていると、向島からの帰りという両国に住む幇間の崋山が通り掛かる。
久兵衛が善次郎の堅物ぶりに手を焼いていると愚痴を溢すと、

崋山 「そういうことならあたしにおまかせなさい。”餅は餅屋でゲしょう”」と言う、
これは渡りに船で久兵衛は崋山に善次郎の遊び指南をに頼む。

崋山はもとは両国の薬問屋のせがれで、遊びが過ぎて勘当され、”幇間上げての末の幇間”という身の上なのだ。
幇間には似つかない風格、品格もあるので儒者という触れ込みで善次郎に会い来て、
花を活けながら学問の話などをしながら、色街の遊びの話などは一切せず、善次郎の信頼を得て行く。

しばらく経って頃、崋山は向両国の花の会に誘う。それからあちこちの花の会に行くうちに、
次は吉原の花の会と言って、柳橋から舟で山谷堀に入って、ついに善次郎は吉原の大門をくぐった。

崋山の手筈どおりに揚屋町の幇間の五蝶の家で花の会があることにして、
花を活けに来た松葉屋の「瀬川」という当代随一と呼び声の高い花魁に引き会わせる。
善次郎は瀬川を一目見て薬が強過ぎてしまい、すっかりのぼせ上ってしまう。
薬が利いて瀬川に夢中になった善次郎は、三か月の間に八百両という金をつぎ込んでしまい、勘当の身になってしまう。

江戸に縁者も友達もいない善次郎は行くところもなく、永代橋で身を投げてしまおうかと思っているところへ、
もと下総屋で働いていて今は屑屋の忠蔵に出会って、麻布谷町の忠蔵の家の世話になる。
だがそれでも、瀬川のことが忘れられずに忠蔵に瀬川への手紙を持たせて五蝶の家に届けさす。
瀬川は善次郎は死んでしまったとの噂を吹き込まれて、悲しさのあまり床についたままでいる。
善次郎からの手紙を見た瀬川は大喜びで、五蝶に雨の夜に吉原を抜けて善次郎の元に行くとの手紙を託す。

瀬川からの手紙を見た善次郎、それからというもの雨の日が待ちどおしくてしょうがないが、なかなか降って来ない。
やっと十二日目に降り出した雨は夜には雪に変わった。
夜中に一丁の駕籠が忠蔵の家の前にぴたりと止って中から現れたのは大小を差した侍姿だが、
合羽を取ると燃え立つような緋縮緬の長襦袢、頭巾を取るとなんとこれが、水もしたたる雪も溶けるいい女の瀬川だ。
二階から転がり落ちて来た善次郎と瀬川は手を取り合って久々の対面に泣いた。

二人の真情にほだされた忠蔵は横山町の店に番頭の久兵衛を訪ね、これまでのいきさつを話す。
すぐに久兵衛は古河の大旦那に善次郎と瀬川のことを知らせる。
心労で床に臥せっていた父親の大旦那は善次郎の勘当を解き、大金を送って松葉屋から瀬川を身請けさせ、
晴れて瀬川は善次郎と夫婦となった。

実に『明烏』から『たちきり』風の展開になって、最後はハッピーエンドという『雪の瀬川』。
さん喬師匠のは、小満ん師匠の二倍くらいの長さに感じる一席でねぇ。
山下達郎の「クリスマスイブ」は、この『雪の瀬川』のパクリだと、私は今でも確信しております。
なかなか、生で聴く機会はないと思いますが、六代目圓生の音源が残っているので、是非、聴いてみて下さい。



雑俳・雪てん
柳家小満ん、立川こはるのお二人で、『雑俳』を最後の「雪てん」まで聴いています。
熊さんがご隠居に“初雪”をお題に、「天に成りますか?」というやつですね。
サゲは、大イタチの句を熊さんが詠んで、イタチ=貂(テン)と天を掛けるという、ちょっと難しいおちです。
40代の談志師匠の十八番でした『雪てん』。立川流のお家芸ですね。



・橋場の雪
この噺は、柳家三三師匠でしか私は聞いておりません。『夢の酒』はよく聴く噺ですが、なぜか?『橋場の雪』はマイナーです。

冬の寒い昼下がり、ある商家の若旦那の徳三郎が炬燵でうたた寝をしていると、こっそりと幇間の一八が入って来る。
幇間の一八 「今日は向島の植半で吉原の瀬川と逢うお約束だったじゃありませんか」
すっかり忘れいた徳三郎は一八に瀬川花魁を引き留めておくように言い、女房のお花に気づかれないように家を出る。

瀬川のことを思っていてうっかり吾妻橋を渡りそこねて、橋場の渡しから舟で向島へ渡ろうとするが、
ちょうど渡し舟が出てしまった。仕方なく土手で待っていると曇り空から白い物が落ちて来たと思ったら、
たちまち本降りの雪になってしまった。雪は豊年の貢ぎと言うが、こんなに降らなくても、と、恨めしそうに空を見る徳三郎。

傘は持って来ず、下は草履履きで寒くてどうしたものかと困っていると、誰かが渋蛇の目の傘を差しかけてくれた。
見ると三十でこぼこの粋な年増女で、お湯の帰りのようだ。礼を言うと、
橋場の女 「急な雪でさぞかしお困りでございましょう。失礼ですが実はあなた様は三年前に死に別れた亭主に生き写しでございます、
      是非、家へ来て雪の降り止むまでお茶など差し上げたいと存じます」と、徳三郎を誘う。

徳三郎が向島へ行くか、この色っぽい女の家に行くか迷っているところへ渡し舟が戻って来た。
ここは瀬川との約束優先と向島へ渡って、植半に行くが一八は来てなく、瀬川も吉原に帰ってしまったという。
帰ろうとするが早じまいしたのか船頭がいない。

吾妻橋まで歩くしかないかと思っていると、小僧の定吉が傘と雪駄を持って立っている。
定吉は親父が深川の船頭で、こんな渡し舟なら朝飯前でも漕げると言い、二人は対岸へ向かう。
定吉は若旦那が漕ぐと同じところをグルグル回ってしまうとか、こうもり傘が石垣の間に挟まってしまう!
なんて減らず口をたたきながらも、実に上手に漕いで行く。

定吉は目ざとく二階から手を振っている女を見つける。定吉に舟を向こう岸に戻して帰るように言い、
漕ぎ賃と口止め料、三円ふんだくられたが、徳三郎は喜んで女の家に迎い入れられた。
お茶のはずがお酒となって、雪は止むどころか激しくなって、”やらずの雪”になっちまった。
話もはずんで徳三郎すっかり飲み過ぎて酔ってしまう。隣の部屋に敷いてある布団に入ろうとすると床の間の短冊が目に入った。
何が書いてあるのかと見ると、「恋はせで身をのみこがす蛍こそ」、なるほど上手く詠むものだと感心して布団に入る。

すると唐紙がすーっと開いて、緋縮緬の長襦袢姿の女が横から入ってきて、
「あなたぁ、あなたぁ・・・」、・・・「あなた、あなた!」とお花に揺り起こされた。
徳三郎が天狗にさらわれるのは御免と、今見た夢の話をするとお花の目尻はキリキリと上がり、
ついには大声で泣く出す始末だ。
店にも届く夫婦喧嘩に呆れた大旦那が来て、お花の話を聞いて、そりゃぁお前が悪いに決まっとると徳三郎を責める。

可哀想なのは定吉で、
大旦那 「おい、なぜお前は余計なことをしたんだ、舟なんか漕ぎやがって」と、ぽかぽかとぶたれる始末。

やっとみんな夢の話と分かると、大旦那は”夫婦喧嘩は犬も食わない”とはよく言ったもんだと呆れて退散。
どっと疲れが出た徳三郎は定吉に肩を叩かせる。叩き賃と大旦那にぶたれ賃をせびる定吉に、
徳三郎 「さっき三円やったばかりだろ」と、知らばっくれか本気なのか、定吉にはとんと納得が行かない。
そのうちに定吉は肩を叩きながら居眠りを始めた。

すると何を思ったのか一緒に炬燵に入っていたお花が大旦那を呼びに行く。
お花  「若旦那がまた橋場の女のところへ行きます」
大旦那 「えっ、やっぱりそうか、夢にしちゃぁはっきりしてし過ぎていると思ってたんだ。もう勘弁しませよ」と、
すごい剣幕で座敷に来ると徳三郎は炬燵に入っている。
大旦那 「なんだ、定吉に肩叩かせているじゃないか」
お花  「いいえ、定吉がまた舟を漕いでいます」

この噺も、花魁は“瀬川”なんですが、花魁自身は登場せず、色っぽい年増の“橋場の女”が登場します。
こちらの『橋場の雪』は、明らかに冬の噺ですが、『夢の酒』は夕立での雨宿りが舞台だから夏なんでしょうね。
季節も真逆の二席ですが、私は、『橋場の雪』の方が好きです。


あとは、生で聴いてはいないけど知っている雪の噺は『山の雪』『雪の子守唄』『半分雪』ですかね。
もっと他にもあるような気がします。是非、教えて下さい。



【新作落語の“雪”】

・灼熱雪国商店街…三遊亭白鳥
・雪国たちきり …三遊亭白鳥
・ハワイの雪…柳家喬太郎、柳家三三
・除夜の雪…立川談春

この四席を新作の“雪”は聞いております。長くなったので、簡単に感想だけ書きますね。

『灼熱雪国商店街』は、地方の商店街がシャッター通りになって寂れる事を憂いた白鳥師匠らしい作品。
白鳥さんの地元・越後高田の商店街が、近所の上越市にできたショッピングモールのおかげて寂れてしまう。
そんな悲哀を噺の舞台にして、白鳥ワールドの日本海テーストがさく裂します。
『雪国たちきり』は、白鳥師匠の『たちきり線香』の改作です。舞台を越後にしただけで、
かなり大真面目な古典テーストの白鳥らくご。長く寄席サイズではないのでめったに聴けない作品です。

『ハワイの雪』説明するまでもなく、柳家喬太郎作の喬太郎エレジー満載の新作です。
老人の淡い初恋、ハワイに降る雪、不滅の名作だと思います。三三師匠も最近はたまにやります。

『除夜の雪』、桂米朝作の新作で、最近は色んな方がやっています。怪談のような冬の噺です。
個人的には、ツクけど、『除夜の雪』を掛けた後は、『堪忍袋』で中和して欲しいです。

あと、聴いた事はないのですが、古今亭駒治さんの『最後の雪』というのがあるそうで、これも聴いてみたい作品です。



【講釈の“雪”】

赤穂義士外傳 天野屋利兵衛「雪江の茶入れ」… 神田松鯉
赤穂義士銘々傳「間十次郎 向島、雪の別れ」 … 旭堂南青
赤穂義士本傳「南部坂雪の別れ」      … 一龍斎貞寿他
慶安太平記 「正雪の生い立ち」      … 神田松之丞
慶安太平記 「忠弥・正雪の立合い」    … 神田松之丞
慶安太平記 「正雪の最期」        … 神田松之丞
水戸黄門記 「松雪庵元起登場」      … 神田鯉栄

これは、抽出されたのでオマケです。忠臣蔵は討入が雪なので、“雪の別れ”を二席聴いていますが、
これ以外は、固有名詞ばかりで、恐縮です。

三遊亭圓朝の三題噺が元だという噺、『鰍沢』について、今回は考えてみる。
三題は、「卵酒、鉄砲、毒消しの護符」あるいは「身延詣り、熊の膏薬、卵酒」だって説もある。
また、河竹黙阿弥が書いた台本というのが現存していたりして、黙阿弥が原作者なのでは?という意見もあったりします。
それはそうと、現在の『鰍沢』は、名人四代目橘家圓喬の型が、日暮里の志ん生、柏木の圓生、稲荷町の正蔵を経て伝わっている。

『鰍沢』を語る上で、この四代目橘家圓喬を避けては通れない。黒門町の文楽は「あんな風にはできない!」と思って稽古もしなかった『鰍沢』だ。
真夏に寄席で掛けて、客が涼むどころか凍えるようだったと言う。志ん生は、圓喬が自らの工夫で、今の『鰍沢』に仕上げたと言い、
圓生は、あんな恐い目を使うお熊は誰にも真似できない!それでも、少しは近付きたいと思って精進しています“テヘ”と、コメントしたらしい。

少し不思議なのが、黙阿弥が台本にまでしているのに、『鰍沢』が芝居でやられたというのを聞かない。二幕で済むのに不思議な気がする。
しかも、旅人・新吉とお熊の雪の中のチェイスは、芝居にした方が何倍も、手に汗握る展開になるはずなのに、芝居になったと聞かない。
勘三郎丈が生きていれば、絶対にやっていただろうと思う。是非、現勘九郎と七之助の兄弟で是非やって欲しい。勘九郎は旅人と亭主の二役で。
さて、私は直近十年、どんな『鰍沢』を、生で聴いて来たか?振り返ってみました。

イメージ 1

















2009年
・立川志らく
2010年
・立川談春×2
・立川志らく
2011年
・立川談笑
2012年
・柳家三三
・鈴々舎馬桜
2013年
・柳家小満ん 
2014年
・柳家三三
・鈴々舎馬桜
・蜃気楼龍玉
2015年
・入船亭扇辰
・三遊亭天どん
・蜃気楼龍玉
2016年
・林家正雀
2017年
・五街道雲助
2018年
・笑福亭たま
2019年
・立川志らく

イメージ 2



















実に、12人の咄家で『鰍沢』を聴いていて、偶然だが毎年聴いている。のべ18回、これは多いのかな?少なくはない気がします。
まず、一番沢山聴いていて、直近も聴いたばかりなのが、志らくさん。比較的コンパクトに纏り、劇画チックな演出で、独自のサゲ。
前回見た時に、お熊の旦那:膏薬売りの伝三郎が誤って毒入り卵酒を飲んで死ぬ場面、伝三郎が囲炉裏の火につっぷして死ぬのは迫力がありました。
ただ、お人よしな新吉が、隣の部屋で寝てから小芝居が増えてくるのは、私はどーもいただけない演出でした。

談春師匠の『鰍沢』。意外と駄目です。ニンに無くはないと思うのですが、上滑りする感じになります。志らくさんの半分も良さが出ないのです。
新吉、お熊、伝三郎のキャラクターが良いバランスで構築できないまま、成城とにぎわい座で4回やったけど、ものにならずお蔵入りですね。
何かキッカケを掴んだら、いい『鰍沢』になると思うのですが、役者稼業がお忙しい感じなので、蔵出しはもっと先になりそうです。

さて、談春・志らくのお二人は、立川談志の弟子。談志師匠の『鰍沢』はというと、不思議な『鰍沢』でした。新吉の懐の大金にお熊が気付き、
そこでお熊が色気を使って毒入り卵酒を新吉に飲ませに掛かる。囲炉裏の火をじっと見ていると吸い込まれるような気分になる。
そんな描写を俺はできなくはないけど、俯瞰のもう一人の俺が居て、それがコっ恥ずかしいんだ。羞恥心が邪魔して普通にできねぇ、だからねぇ〜と言って、
心をト書きにするような展開で先に進めてしまうのです。そのくせ、新吉とお熊の雪の中のチェイスは流暢に地で語り、談志らしさは見せる。

三人目の立川は談笑師匠。この人のはブログにも書いているように、完全に改作でして志らくさんのようにサゲだけをいじるのではなく、
人間関係も独自の設定。元花魁のお熊はそのまんまだが、旅人の新吉は、薬の行商人でお熊の太い馴染み、マブだったと言ってもいい存在。
そして、亭主は根っからのマタギで、地元鰍沢の在の出身なのだ。また、お熊が新吉を殺そうとするのではなく、新吉がマタギの亭主を殺そうとします。
根多バレするので、これ以上は書きませんが、今も改作でやっているのだろうか? 私はあまり好きになれる噺ではありませんでした。
大震災の2011年にできる『鰍沢』ではありました。

2009年から2011年は立川流の『鰍沢』でしたが、2012年に久しぶりに三三師匠で『鰍沢』。しかも、これは特別な会で、北村薫先品を、
三三師匠が一人芝居風の朗読で聞かせる会で、北村作品の「円紫さんシリーズ」の中で春桜亭円紫が演じた噺を高座に掛けるという趣向で、
三三さんが『鰍沢』をやりました。この時の『鰍沢』は、硬い感じで無難な『鰍沢』でした。
同じ年に、馬桜師匠の『鰍沢』も聴いた。落語協会に戻っていますが、元は談志師匠の弟子で、“談生”を名乗った方です。
ただ、明らかに先の立川流発足後の三人とは異なる芸の『鰍沢』でした。また、この師匠の噺は結構独特で、師匠の頑固さが噺に、
本当によく反映されていて、よく云えば奇を衒わない。悪く云うと面白くない、自分勝手な自己満足度の高い噺になります。
馬桜師匠と波長があう人が聴くといいんですけどね。喜怒哀楽が本当に表に出ない演出です。

やっと、2013年に音源でしか聴いた事が無かった小満ん師匠の『鰍沢』に、目白の赤鳥庵で出逢いました。
際立って凄いってのは無いんですが、実に、耽美なのですお熊が。そしてだからこそ、哀れな女にみえる。控え目の芸が小満ん師匠らしい。
翌年、二度目の三三師匠の『鰍沢』。お熊に三三さんらしい色気が加わりました。後述する雲助−龍玉のような毒婦の臭いは薄いのですが、
落ちぶれた女の色気が、小満ん師匠より直球で出ています。耽美な小満ん師匠に対して、もっと生身の女を感じるお熊です。

一方、2014・2015年と聞いた龍玉さんのお熊は、師匠雲助譲りで毒婦の臭いがぷんぷんします。新吉の懐の銭を見て豹変するお熊。
この豹変の感じが実に毒婦です。新吉の話に乗るふりをして、毒入り卵酒を仕込むまでの、用意周到な心の動きがはっきりと描かれます。
そして、誤って毒入り卵酒を飲んだ伝三郎を見切りと立ち直り、更に、その怒りを新吉へと向ける毒婦魂が直球で表現されます。

この龍玉師匠とは対照的だったのが、天どん師匠の『鰍沢』。芝居っ気とかドラマチックな演出とか一切なく、坦々と語られる『鰍沢』。
ただ、その世界に天どん師匠が、引き込もう!引き込もう!とされていて、演者と客の一体感を目指している空気は十分感じる高座なんです。
だから、馬桜師匠の高座とは、結果同じようになる場面も多々あるかもしれませんが、目指しているものは理解できる天どん師匠です。

そして2015年もう一人、初めて『鰍沢』を聴いたのが入船亭扇橋の弟子の扇辰師匠でした。生前・扇橋師匠の『鰍沢』は聞いていて、
扇辰師匠のお熊も、師匠のお熊の延長線にある存在で演じられます。ただ、扇辰さんのお熊の方が色気が凄い!確かに女郎上がりなので、
色気はあるんだろうけど、ちょっと多めです色気。もう少し生活感があってもいいと思いました。

2016年は、稲荷町の『鰍沢』を踏襲し、稲荷町が使った芝居噺用の背景を使った正雀師匠の『鰍沢』を聞きました。
最後の三分くらいが芝居口調で、拍子木と三味線、笛、太鼓が入り、賑やかに新吉を追いかけるお熊を描きます。
ただ、誤って毒入り卵酒を伝三郎が飲んで、苦しみ始めているのに、途中で普通に喋ったりするんですよね。
稲荷町に口調はそっくりなんだが、かなり早口なんですよね。稲荷町くらいゆっくり喋って欲しいです。

2017年の雲助師匠は、芝居気と先代馬生の『鰍沢』の雰囲気、空気をよく再現していると思います。
私は音源でしか馬生師匠の『鰍沢』は知りませんが、こんな雰囲気に会場を包んだだろう感じが雲助師匠の語りに在ります。
この12人の中だと、雲助師匠が僅かの差ですが、一番です。番手は小満ん師匠で、次に龍玉さんと志らくさんがいい勝負かな?

最後になりますが、上方落語に直して、笑福亭たまさんが、三三師匠譲りの『鰍沢』を演じます。
物凄く簡潔に演じますが、スペクタルに見せる工夫と、『鰍沢』の中にもちゃんと笑いを仕込むのは偉い!流石!と思います。
20分弱の短い一席にしているのも好感が持てるし、これも是非、皆さん!機会があれば聴いて下さい。


さて、『鰍沢』。物語の舞台が富士川の急流に近い、雪深い山中。ここで江戸から逃げて来た夫婦が、猟師をしながら薬売りで細々と生活している。
そこに、獲物が舞い込む。江戸から身延山へお参りに来た旅人。その旅人・新吉は熱心な法華の信者で実にお人好し。
この人間模様とスペクタルな大自然の様子を旨く描いて、客に感動を与える。難しいのはほんのちょっとしか登場しない元生薬屋の若旦那の伝三郎。
お熊が拵えた毒入り卵酒、これを誤って飲んで死ぬと言う切ない最期。この不条理と因果応報を両天秤に描き、短時間でお熊が殺人鬼へと変身する。
結構、目まぐるしい展開に、客を一気に巻き込んで、最後は富士川を筏で下るまでのチェイスの描写ですよね。講釈師のようにそれを語れるか?
松之丞さんとかやると絶対に旨そうだと思います。あのグイグイな感じを、ラストシーンは咄家も盗んでみては?と思いますね。
正雀師匠の芝居噺のように、最後の五分だけ、釈台使ってもいいから、立て板に水の修羅場読みで、富士川を筏で下る感じが欲しいと思ったりします。

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