渋谷で異業種交流会に参加する前に、日本橋亭に寄って朝連を聴きました。
出演者は、貞寿さん・みのりさん・いちかさんの三人。
新日本橋の地下駅から地上に上がろうとする私の前を、小学生みたいな感じの子が歩いていました。
私と同じ方向、永谷の日本橋亭へと歩いて行くので、エッ!小学生が朝練講談???
と、思ったら、楽屋口へ進み、私を見て「いつもありがとうございます」と言う。
それは、小学生ではなく、みのりさんでした。是非、みのりさんが二つ目に成ったら、
立川こはるさんとの二人会をやって欲しい!!
さて、そんなノープランで立ち寄った朝練講談会、こんな内容でした。
・鎌田五郎佐衛門 … 田辺いちか
・寛永宮本武蔵伝「桃井源左衛門」 … 神田みのり
・石川一夢 … 一龍斎貞寿
1.鎌田五郎佐衛門/いちか
見た目、声ともに非常に可愛い女流講談師さんです。謙虚で清楚なイメージなので、
これからもっともっと人気者になると思います。私は8:50頃に日本橋亭に着いたのですが、
1番に並んでいた人が8:30頃に来たら、永谷の社員はまだ来ていないのに、
1人いちかさんが日本橋亭の事務所前に居て、台本片手に本日のネタをサラって居たそうです。
このネタは、師匠一邑さんが掘り起こした偉人なのかな?私は全く知らない武将でした。
元々、鎌田五郎佐衛門は、織田信長の長男信忠の家来で、本能寺の変で死に損なう。
なんでも枯れた井戸に落ちて気絶していて助かったそうですが、井戸に落ちる前に、
信忠の首を介錯し、庭の大木の根肩に埋めて、光秀方には渡さなかった功労者なのに、
その場で切腹して果てなかった事をせめられ、“かに”の五郎佐衛門と呼ばれるようになったらしい。
で、井戸に逃げ込んで生き恥をさらしたので、“蟹”“蟹侍”と揶揄されるようになる。
やがて旧織田領には住めなくなり、臥薪嘗胆の思いで京都でひっそりと暮らす。
しかし、羽柴秀吉が明智日向守を討つと、蟹侍・五郎佐衛門の噂が京にまで広まりだしたのです。
そして、この蟹侍のそしりに耐えられなくなった女房が、自ら離縁を切り出すのでした。
五郎佐衛門、仕方なく女房を離縁し、自分は、清洲の福島正則の下へ仕官を願いに出掛けます。
なんと!世間の「たわけ者が!身の程知らず!」の声に反して、正則は、五郎佐衛門と面会し、
即断で、五郎佐衛門を家来に取り立てます、しかも、その禄高・5,000石です。
こうして、福島正則に仕える五郎佐衛門、最初周囲はバカにして、無視していたのですが、
元々、能力の高い武士だった五郎佐衛門です、福島家での地位も徐々に確立されてきた、その時、
太閤様よりのゲチで、福島正則も朝鮮へと出兵させられます。
福島正則に与えられた使命は、ウルサン城に二十四万の明の軍勢に囲まれて篭城する加藤清正の救出です。
所謂、ミッション・インポッシブルです。一万の正則の軍勢は、何とか山側からウルサン城まで、
あと4里というところまで移動に成功しますが、それより先は、必ず明の兵と衝突します。
正則が、「誰か先陣を切って、500の兵でウルサン城へ500俵の兵糧を届ける者はないか?!」
と、問いかけても誰も返事する者はありません。そんな中、末席から「私に、お任せあれ!」と、
声を上げたのが、誰あろう鎌田五郎佐衛門です。500の兵でウルサン城に切り込み、
何とか清正に、500俵の兵糧を届け、ここで城内の士気を一気に高めて、城からの脱出作戦を展開します。
しかし、残念な事に、五郎佐衛門は、この撤退のシンガリを勤め討ち死に。
蟹侍の汚名は返上しましたが、ウルサンの露と散ってしまいました。
いちかさん、まだ呼吸が続かないのと、押し出しが無いので、
このような軍記ものは、迫力に欠けますが、まだまだこれからの成長に期待したいです。
一邑先生のHPをなんの気なしに見ていて、平成29年の大河ドラマに『井伊直虎』決定!の文字を発見。
『井伊直虎』を大河が目を付ける前に、一邑先生は、講釈にしているみたいですね。
2.寛永宮本武蔵伝「桃井源左衛門」/みのり
この噺が、寛永宮本武蔵伝の13話目だか14話目だそうで、もう少しで最終話という所に来ているようです。
初めて連続ものを師匠におそわって、ゴールが見えてきて、本当に嬉しそうなみのりさんでした。
この辺りが、阿久鯉さん、きらりさん、松之丞さんとは違い初々しいところですね。
さて、「桃井源左衛門」、まだ少し硬い感じで、いつものみのりさんらしい弾ける高座ではなかったです。
おそらく、講談研究室で、もう一度聴くと思うので、そこに期待します。
3.石川一夢/貞寿
「あれ?二つ目だけの朝練より、入ってるんじゃないの???」と、開口一番30人近い入りに驚く貞寿さん。
確かに、20ウン年ぶりに講談協会から男真打になった人の会より、この前座二人の会の方が入ってます。
前座さん二人を袖で見ていてと、貞寿さんが前座だった頃の思い出話を語りました。
貞寿さんが前座だった時代、今から8年前だそうですが、前座が沢山居て、今とは環境が違ったそうです。
その時代は、前座期間が5年以上だったせいもあるけど、ピーク時には11人前座が居たらしい。
これは、かなり異常です。40人の講談協会で11人ですからね。
これを今の落語協会で言うと80人くらい前座が居る計算になりますからね。
そんな中、高座を求めて落語の会の手伝いなんかにも積極的に足を運んで、
着物の畳み方、お茶の加減、どうしたら師匠方の機嫌が良くなるか?
考えて、先を読むスーパー前座だったと、自称する貞寿さんでした。
そんなマクラから師匠・貞心先生の十八番、『石川一夢』をやりました。
石川一夢
幕末の世話物の旗手です。『佐倉義民傳』で非常に有名になりました。
この時代『大塩平八郎の乱』と並んで人気の世話物です。
農民を救う為に、幕府に対し反逆を犯し農民は救えましたが、佐倉宗吾は処刑されます。
この時代、講談が最も輝いた時代と言われていて、東西千人以上の講釈師が居たらしいです。
そんな時代の人気名人講談師ですからね、自身が講談になっていても不思議ではない。
これは、数あるエピソードの中から、一夢自身のライバル講談師だった男の息子が、
この息子は、父の職業は継がずお店者になって手代として働いているのですが、
高熱の流行病に掛かった時に、親身に看護してくれた同じ奉公人の女性に惚れてしまう。
当時、奉公人同士の恋愛など許されないので、影でコソコソやっているのですが、
その女性の母親というのが性悪で、万度、娘に生活費や小遣いをせびりに来る。
最初は、1分2分だったのが、1両2両になり、とうとう手代の息子は店の金を横領する。
そして、都合十両もの銭を横領してしまい、にっちもさっちも行かなくなり身投げを覚悟する。
そんな二人が、大川に飛び込もうとするのを一夢が見止めて、これを助けるのです。
家に二人を連れて帰り、事情を聞いた一夢は、ライバルの息子の為に十両の銭を工面するのです。
まぁ、ネタばれになるので工面の方法は書きませんが、この石川一夢が、どんだけ人気者だったか?
それがよく分かる講談に仕上がっております。一夢が置かれていた時代の講談師、
このステータスや時代背景をもう少し語って欲しいと思いましたね。
あと『佐倉義民傳』を、どこか一話で良いので抜き読みして欲しいと思いました。
師匠の貞心先生のとは、全然味わいの異なる『石川一夢』でしたが、
これから節目・節目で掛けると、貞寿さんなりの明るい『石川一夢』が完成されるのだと思います。
次回、朝練講談会は、10/18(日) 神田春陽先生と松之丞さんです。
おそらく50人以上の大盛況になるかと思います。