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“みたむら・えんぎょ”と読みます。明治の初めに生まれて、戦後まで生きた「江戸通」である。
鳶魚は、83歳まで生きているので、夥しい書籍を残しています。
八王子の“千人同心”の家に生まれ、実家は天保の頃から農機具の商売もやっていたらしい。
自由民権運動に参加して、日清戦争で従軍記者を経て、報知新聞に記者として採用されます。
この新聞社勤めの頃に、江戸文化に魅了されて、どんどん深みへと嵌って行きます。
そして、江戸の風俗・文化の勉強会を主催していたそうです。
また、そんな会の参加者に、あの森銑三が居て、彼は、
鳶魚・三村竹清・林若樹を「江戸通の三大人」と評しています。
この鳶魚が書いた評論とも随筆ともつかない不思議な本を暇が有った読んでいるのですが、
これがねぇ、どんどん深みに嵌るというか、「エッ!本当?そうなの?」の連続です。
ちょうど現在は、「江戸っ子」って本を約半分くらい読んだのですが、
鳶魚自身は、八王子生まれなので、江戸っ子に少なからずコンプレックスがあるのです。
そして、まず、江戸ってどの範囲を言うの?「本郷も兼康までは江戸のうち」とかい言うけど。
そんな素朴な疑問から、まず、江戸の地図上の範囲を解説する鳶魚。
道灌が江戸城の城主だった時代は、神田から桜田までを江戸と呼んだそうで、
幕府ができてからは、奉行所の支配が及ぶ範囲を概ね江戸市中と呼び、
更にそれを取り巻く代官管理する府中とがぼんやり存在したようです。
ですから、大岡越前守が「江戸処払いに処す!」と、言っても線引きは曖昧だったのです。
結局、幕府が公に江戸市中を地図で示したのは、文政の時、ただ一度っきりらしいです。
ただ、面白いのは、江戸市中引廻しの上、磔獄門!!のルート、
これって東京マラソンと殆ど同じです。市中引廻しは鈴ヶ森がゴールですが、
東京マラソンは、当時は海だった有明がゴールですけどね。
そんな事を思いながら、鳶魚作「江戸っ子」は、江戸っ子の愛した世相や文化を紹介します。
そんな中で、知らなかったと言うか間違えた知識がインプットされていたのは、
芝居の客層ですね。『中村仲蔵』や『四段目』なんて落語を聴いていると、
簡単に芝居の三座(最初は四座)に、丁稚・小僧が入れたと思っていたら、ぎっちょんちょん!!
やはり、特に江戸初期は武家と一部の豪商の贅沢なあすびだったのです。
それが、武士の入場をお上が禁止したので、町人を客にしないと芝居小屋が食っていけない。
まぁ、芝居に絡んでたくさん事件が起きましたからね、大奥の江島事件などなど。
所謂、歌舞伎者/大名奴、町奴の誕生と、そこから刺青や刀の流行廃り。
更には、江戸っ子と言えば初松魚ですよね。松魚と書いて「カツオ」というのも粋です。
もしかすると、“磯野松魚”で、イソノ・カツオなのかも知れません。(違うか?カツ男?勝男?)
このカツオに「カツオ」と名付けたのが、北条氏綱なんだそうな。
北条水軍を率いて相模から江戸へと向かう船に、カツオが飛び込んで来て、
それを食べて戦したら勝った。この後、氏綱は縁起を担いで戦の前には、
わざわざ房州沖でカツオを捕ってから、それを食して臨んだそうです。
そんな縁起魚を、誰となく「勝つ魚」→「カツオ」と呼ぶようになったらしい。
まだまだ、刺青や道具などなど、江戸っ子が好んだ粋について、鳶魚の薀蓄は止め処なく続きます。
是非、皆さんも江戸の粋に興味がお有りでしたら、三田村鳶魚の著作をお読み下さい。
私は「江戸っ子」の後、「江戸の女」「江戸の白浪」「江戸の雑話」「江戸の実話」「江戸の珍物」
「江戸の生活うらおもて」「江戸の生活」「江戸の話」「江戸のさまざま」「江戸の生活研究」
と、読んで行く所存です。
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2015年10月29日
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