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浪曲というものを私は、あまり好きではありませんでした。二代目広沢虎造がいいと聞いて、
『次郎長傳』を何度も聞いてみたりはしましたが、好きになれません。そして、はたと気付いた事があります。
この浪曲/浪花節が苦手なのは、美空ひばりが苦手なのに似ていると。美空ひばりって、何を歌っても美空ひばり。
そんな浪曲界に、一人の「型破りな男」が登場します。そうです、二年前に亡くなった国本武春です。
基本、曲師が付いて歌う・唸るのが浪曲ですが、本人が三味線を弾く「弾き語り」のスタイルを浪曲に持込みました。
また、その三味線のフレーズが明らかに洋楽。ロック、R&B、ブルーグラスを取り入れて演奏していた。
私は、1980年代の後半にその存在を知り、できるだけ聴く一人となった。本当に早世が悔まれます。
次に講釈。この異端と言うか型破りだと私が感じたのは、六代目神田伯龍です。講釈らしくない語り。
まずビックリするのは、この人くらい張扇を叩かない人は珍しいと思います。最初に叩いて、最後に叩く。
そんな感じで終わる事もしばしばでした。落語とも違うんだけど、独特の話芸!!高音で澄んだ声が武器。
「世話物」「白波物」で、独自の世界を持っていました。私は1990年前半から亡くなるまでのファンでした。
そして、この六代目伯龍亡き後、講釈の世界に現れた異端児が、間違いなく神田松之丞だと思います。
これまた、全然講釈らしくない語りなんですが、若さとパッションで客席を魅了します。
異端ながら、伯龍とは真逆で、張扇をこれでもか?!と、叩きます。二本使ったら?と思うぐらいに叩きます。
でも、この二人に共通するものがあるとしたら、どちらも、講釈のオーソドックスな修羅場をやらないのです。
道中付けとか、修羅場を入れず、とにかく劇画のような、芝居のような、会話中心なんですよね。
松之丞さんは、普通の講釈師なら修羅場にするところを、科白だったり描写だったりで畳掛けます。
怒涛のようなエネルギーで、言葉の洪水が起きる感じです。
一方の六代目伯龍先生は、情緒的で、湧出るような古のフランス文学のような語りを繰り出します。
JAZZピアニストで言うと、松之丞さんはアート・テイタムで、伯龍先生はセロニアス・モンクです。
松之丞さん自身は、バド・パウエルみたいな演奏を理想に掲げているのでしょうが、テイタムですね。
最後に、落語。これはねぇ、賛否あると思いますが、個人的には東の三平、西の枝雀なのでは?と思います。
私は1度だけ生で拝見しただけですが、三平師匠のあの芸は脱帽です。同じ空気が吸えて本当に良かった。
登場するダケで客席の200人、300人の心を掴んで離さない。だから、10日間、毎日来るんだと思います。
この人が、圓歌師匠や現金馬師匠くらい長生きしていたら… どんなんだったんだろう?と思います。
一方、枝雀さんは、枝雀を襲名して米朝の真似から完全に脱却し、人気に火がついたばかりの頃に出会いました。
京都から毎週末、角座に通った。当時、2千円の木戸銭で連日500人以上入る小屋を満員にするのは枝雀さんだけでした。
どこまでが計算で、どこまでがアドリブなのか?これが分からないんですけど、言葉・語りと顔芸とアクション。
この三つを駆使して来ますからね。『宿屋仇』『代書』『道具屋』そして『上燗屋(首提灯)』がMy BEST 4。
亡くなった二人だけと言うのも淋しいので、現役からも「型破り」な異端を探してみると、なかなか出て来ない。
強いて上げると、東は白鳥師匠とこしら師匠ですかねぇ。西はパペット落語の鶴笑さんか?
そう考えると、最近は咄家の数は増えているけど、優等生が多いんですかねぇ。異端児が少ないですよ。
ただ、これだけは言えるのは、ジャンルに関係なく、異端児と言われた人は普通以上に本寸法でもできた上で、
型破りな芸をやり、異端とされています。所謂、「守破離」の道程があるのです。大いなる破天荒現れて欲しい。
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2017年11月01日
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