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何の事だか分からないタイトルになんてしまいました。「三扇会」「二扇会」という会が、“まほろば”さん主催で開催されています。
「三扇会」は、講釈・落語・浪曲の三つの芸能が、同時の会の高座に上がる事をいい、「二扇会」は、講釈・落語・浪曲のいずれか2つが、
組合せで同時の会の高座に上がる事を云います。つまり、タイトルで言いたいのは、講釈・落語・浪曲の三つに共通の根多、
例えば『紺屋高尾』のような根多があります。同じ様に、講釈と落語、講釈と浪曲、落語と浪曲の組合せで共通の根多があります。
それぞれに共通の根多は在りますが、ストーリー/登場人物は同じ設定でも、それぞれの演出の色で、聴き手に与える印象がかなり変わります。
また、特に落語において云える事だと思うのですが、落語なのに講釈寄りな演出だったり、落語なのに浪曲に寄せた演出だったりする場合があります。
それだけ落語という演芸が、柔軟にできている事と、三百年という歴史の中で、柔軟に演じて来た歴史がそうさせているのだと思います。
まずは、講釈・落語・浪曲、それぞれの演出の色についてお話を進める事にします。とはいえ、大多数の御存知の皆さんには釈迦に説法なので、
そうくどくは書きませんが、落語の本質は“笑い”、講釈は“怒り”、そして浪曲は“泣き(哀愁)”たと言われます。
それぞれの本寸法は、“笑い”“怒り”“泣き”を表現する事。概ね、そこに重きを置いて演じられるという事に成ります。
先の『紺屋高尾』で言うと、過去10年の私のデータですが、講釈・落語・浪曲それぞれの回数、聴いた演者は下記になります。
【講釈】3回
・一龍斎貞橘×2
・宝井一凛
【落語】17回
・林家正雀
・柳家花緑×2
・三遊亭遊雀
・入船亭小辰
・立川志の輔
・立川談春×5
・立川志らく
・立川談笑
・立川生志
・三遊亭天どん×2
・三遊亭遊史郎
【浪曲】1回
・国本武春
元々、講釈の根多だったとも、いや浪曲が先だとも云われている『紺屋高尾』ですが、六代目圓生が落語で演じてから世間に広く知られました。
落語には、類似噺として、志ん生の『幾代餅』だったり、柳枝の『搗屋無間』が演じられていましが、圓生によって『紺屋高尾』が落語になりました。
圓生のは、実にどーも、講釈と浪曲のいいとこ取りで、落語としての完成度も高く、今の演者にもこの圓生の型で演じています。
私が聴いた中で顕著に、圓生の型に近いのは、正雀師匠の『紺屋高尾』です。幇間医者も「竹之内蘭石」先生ですしね。
また、落語の『紺屋高尾』で言うと、同じく講釈から移植した談志師匠の『紺屋高尾』が、圓生よりも現代に生き続けております。
圓生の『紺屋高尾』は、名人圓生がやるから貴賓が高尾太夫に加味されますが、ただの人では… それに比べると、談志師匠の『紺屋高尾』は、
決め科白が笑いに通じているので、真似するだけで、それなりに笑いが起きる工夫がなされております。そして幇間医者は「薮井竹庵」。
親方「久蔵!振られんなよぉ」 久蔵「何云ってんですか?親方!!いい天気ですよ」のやり取りや、年季が明けて紺屋を訪れた高尾が、
「久さん!元気」と、云う辺りは、立川談志らしい演出で、今も弟子は勿論、多くの咄家に受け継がれております。
一方、本家の講釈や浪曲はどうなのか?まず、講釈。演じ手は居なくはありません。私は貞橘先生で2回、一凛先生で1回聴いています。
講釈は、大看板の貞山、貞水、貞丈、二代目山陽、伯龍、馬琴、そして芦州といった面々がやらなかったのもあり、メジャーな根多ではありません。
貞橘先生のは、一龍斎らしくちょっと固いし、一凛さんのは、流石田辺一鶴の弟子だった、一鶴先生譲りのコミカルな感じはあるけど、
講釈らしい演出、例えば修羅場だったり道中付けだったりが入るわけではないので、地の多い落語っぽい講談になっているように感じました。
最後に、浪曲は『紺屋高尾』といえば初代篠田實ですね。私は二代目を存じておりますが、音源でしか聴いた事がありません。
また、私の記憶が正しければ、二代目は旧イイノホールでの公演後に楽屋で「頭が痛い!」と言って亡くなったと聞いた事があります。
そして、唯一、生で聴いた浪曲の『紺屋高尾』が国本武春先生で、しかもそれが私が聴いた最後の武春先生になりました。
神田京子さんの横浜にぎわい座での披露目、ゲストに口上にも上がり、披露したのが『紺屋高尾』でした。
曲師は、勿論、沢村豊子さんで、高尾の久蔵への思いを武春先生が、実に抒情的に歌い上げるのでした。
『紺屋高尾』は、落語だと立川談志の型が現代に一番受入られていて、好き嫌いは分かれますが、客席の中年女性を号泣させる、
立川談春の芸に、それは脈々と受け継がれているようです。45分くらいで演じていた頃は好きだった私ですが、
最近の60分オーバーの談春さんの『紺屋高尾』は、どうも耐えられません。
次に、講釈の『紺屋高尾』。滅んではいないのですが、今時の台本に変え、演出も現代に合わせて演じて欲しいですね。
落語や浪曲にない魅力を、どう表現するか?講釈師の腕の見せ所だと思うけど、手本がないのは辛いと思います。
最後に浪曲は、私は太福さんぐらいしか聴かないので… 太福さん、やらないだろうなぁ〜
つづく
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2018年10月05日
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