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記念すべき「朝練初」のはる乃さんでしたが、最初で最後になりました。はる乃さんは茨城県に確か住んでいて、
師匠の晴美先生の元へ通いで勉強していますよね。だから、朝練は無理だろうと思っていたら…
朝4時半に起きて、最寄駅六時の電車で来たと云っておられました。そして、その甲斐在って素敵な俥読みが実現!!
別に打合せした訳でもなく、はる乃さんが次郎長傳の「吉良の仁吉」をやったのを受けて、自然にその続きを、
春陽先生が続けて読むという、まさに阿吽!!の芸。素晴らしいものを朝から見られて幸せでした。
朝練講談会が終わるというのを受けて、もう一つこの週末に聞いてビックリしたのが、世田谷区の成城と下北沢、
それぞれ成城ホールと北沢タウンホールでの落語会を企画運営していた「アクティオ」さんが、契約満期を機に、
世田谷区の落語会の運営から手を引いてしまうようです。数多くの人気企画を世田谷に根付かせ、十年近く、
成城ホール誕生から頑張っていて、世田谷だけでなく、多くの落語ファンに喜ばれていたのに。。。どうなるのか?
世田谷区が独自に運営するつもりなのか?「アクティオ」抜きでもできるという自信があるんですかねぇ〜
それとも、別のプロデューサーを連れて来るのか?もうすぐ、北沢もリニューアルするのに、少し心配です。
さて、神田春陽先生と国本はる乃さんの次郎長傳俥読み、こんな感じでした。
・次郎長傳俥“血煙!荒神山”「吉良の仁吉」 … はる乃(曲師:美舟)
・次郎長傳俥“血煙!荒神山”「荒神山の間違い」 … 春陽
1.吉良の仁吉/はる乃
伊勢の博徒である神戸長吉が、長吉の代貸と安濃徳(あのうとく)の身内が女の事で三角関係でもめていた。
これを利用して伊勢で一番大きな賭場が開かれる「荒神山」の縄張りを取り上げようと、丹波屋伝兵衛が安濃徳に入れ知恵する。
伝兵衛の悪だくみ通り、長吉から荒神山を安濃徳が取り上げて、慶応2年から自分が勧進元の賭場を開こうとする。
神戸長吉は、親から貰った縄張りを安濃徳に取られたままでは男が廃る、というので、兄弟分の吉良の仁吉に助成を願って出る。
しかし、長吉は仁吉の女房の事を、うっかり忘れている。この展開が少し変んなのは、三ヶ月前に結婚式に出た女房を忘れるって…
迷いながらも、こう切り出す「助成はできないにしても、俺の敵にはならないでくれ、安濃徳にも俺にも味方しない中立で居て欲しい」
しかし、仁吉は「俺とお前、そして御油の玉吉の三人は、劉備・関羽・張飛と同じ、三吉の義兄弟じゃないかぁ。」と言う。
その場で、女房で安濃徳の妹・お菊に「三下り半」を書いて離縁する。そして、仁吉は、長吉の味方をするのであった。
さて、はる乃さんの浪曲。3年くらい前だと思いますが、まだまだ初々しい時に一度聞いたきりでしたが、物凄く上達されておりました。
ただし、私が苦手な女流浪曲師のあの唸り声でね。節回しもどうも私は好きになれません。ただ、これぞ本寸法の浪曲だとは思います。
尚、衝立があったけど、若くて美しい曲師・美舟さんの姿が見える位置に座れて大満足でした。美舟さんが曲師の時は衝立禁止にして欲しいです。
2.荒神山の間違い/春陽
マクラは、木馬亭あるあるから入る春陽先生。高座でねずみが運動会するので有名ですが、浅草演芸ホールのように猫を飼わないんですよね。
更に、浪曲のホームなので、いちいち出番の先生の名前がマイクでコールされます。たとえ、講釈師のゲストであっても。
春陽先生は、あの男の野太い低い声で、出番紹介されて太鼓を打ち鳴らすコールでは、イマイチ高座へ上がる気持ちが乗って行かないらしい。
あのコールこそ、若い女流の浪曲師を使って、野球場のウグイス嬢のようにやれば、やるき万吉くんなのにと云っておられました。
更に春陽さんがデビュー当時、前座だった頃は、木馬亭の楽屋は本当に病人の集まりで、みんな鼻に管が付いていた(確かに!!)
そして、楽屋に入ると飲む薬の量を競うかのように、湯呑に山盛りの薬を入れて飲んでいた先生方。更に、ゆで卵がうず高く盛られていて、
若い春陽さんに、「孫みたいに可愛い!!」と、云って女流の先生が、食べろ!食べろ!と薦めるのでした。
喉に詰まらせながら食べた、苦い思い出が在るそうです。
また、今では“浪曲界のブリンス”と呼ばれている東家一太郎さん。彼が入門したばかりの思い出を語る春陽先生。
しみじみと、あんな野戦病院みたいな楽屋の浪曲界に、若い一太郎さんが前座見習い奉公していたのを見て、
こいつは、絶対に頭がおかしいと思ったそうです。そして、「唄が好きなの?」と聞くと「全く唄えません!!」と言うし、
惚れて入門した師匠の浴衣を真冬に来て木馬亭に現れるし。しかも、師匠のお下がりなのでツンツルテンのバカボン状態!!
このくらい“狂気”じゃないと、この世界に20そこそこで入門なんてできない!!と、思ったそうです。
そんな話題から、昔、三重県安濃町で「吉良の仁吉」をやってしくじった話をしてから「荒神山の間違い」へ。
慶応二年、仁吉の家に草鞋を脱いでいた次郎長二十八人衆のうちの二十一人が、仁吉に助成しろ!という次郎長の命を受けて荒神山に殴り込む。
向かえ討つ安濃徳側は丹波屋伝兵衛をはじめ、伊勢の博徒が集まり300人の総勢だった。と、講釈師は云うが、実際は60人前後だったようです。
そして、長吉&仁吉と次郎長連合軍が、喧嘩慣れした動きで、序盤、安濃徳の60人を蹴散らしますが、仁吉が孤立して闘っている所を見た、
安濃徳一家、一番の剣客、角井門之助が疲れのみえた仁吉に一騎打ちを挑んで、これを斬り殺します。
そこへすかさず、大政が槍で門之助の脇腹を突き、最後は小政が門之助の首を撥ねるのでした。壮絶な門之助の最期を見て、安濃徳一家は退散します。
ここまでが、「荒神山の間違い」で、更に荒神山の闘いは、第二幕が起こります。殴り込みで角井門之助を喪った安濃徳。
甲州の黒駒勝蔵へ助成を頼み、荒神山にあくまでも居座ろうとするが、ついに次郎長本人が、清水から助っ人500人を連れて、
二隻の大きな船で、吉良の港にやって来る。これに驚いた安濃徳は、和議を申込み、助命を条件に荒神山は長吉の元へと返される。
この第二回戦は、こぜりあいはあるが、天保水滸伝の利根河原/十一夜のような大激突は起こりません。
朝から素晴らしい俥読みが聞けて、木戸銭安かった!!もうあと、数回です、朝練講談会。本当に無くなるのは淋しいです。
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2018年11月14日
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