|
今月13日、今年最後の「小満んの会」が開催された。今年、私は奇数月隔月開催されるこの会には、1・3・5と、今月11の4回参加しました。毎年、半分は参加できるのですが、パーフェクトは、なかなか達成していない。
お江戸日本橋亭でのこの会は、必ず、13日の夜に固定されているから、仕事も他のプライベートも極力入れない様にしているつもりだが、それでもパーフェクトとはいかないものである。 さて、そんな、今年ラストの「小満んの会」は、このような内容でした。 ・牛ほめ…歌つを ・風呂敷…小満ん ・大仏餅…小満ん お仲入り ・三井の大黒…小満ん 1.牛ほめ/歌つを 歌奴師匠の弟子だとか。ハキハキした良い声の前座さんですが、声が良過ぎて与太郎が馬鹿っぽくありません。喋る調子・速度と声質をもう少し変えられないと、流石に演じ分けになりません。 一月に前座へ昇格したばかりだからね。仕方ない面もありますが、長所を伸ばして大きいスケールの咄家に成って欲しいです。 そして、二つ目になったら、亭号を「磯野家」にして、初代磯野家歌つを!襲名して欲しいです。勿論、真打に成ったら、磯野家波平か、磯野家左三栄!!圓歌一門に「磯野家」を増やして欲しい。 2.風呂敷/小満ん 喉の調子が悪い小満ん師匠でした。それでも悪いなりに客が聴いていられるのが、ベテラン・燻し銀のなせる技だと思いました。マクラは夫婦の縁について。 合縁奇縁 夫婦の仲ほど不思議なものは無いと言う小満ん師匠。そして、本編へ。冒頭、兄いと呼ばれる長屋の知恵者の家に、亭主の留守に若衆を上げてしまい、帰りは遅くなる!と言った亭主が、 横浜から突然帰宅したので、慌ててその若衆を押し入れに隠した女房が、血相を変え知恵を借して欲しい「兄いさん!!兎に角、大変なんです!!」と現れる。 ここで、いきなり小満ん師匠らしいのは、慌てて来た女房が脱ぎ散らかした下駄を見て、自称知恵者の兄いが言う「一軒も離れ々々に脱ぎやがって、 片方は玄関の隅っこで、裏返しに成ってやがるじゃねぇかぁ!明日雨降ったら、お前のせいだぞ!!」と、言う辺りは師匠らしいギャグです。 助けを求めて来た女房は、大変!大変!と言う割には、あまりテンパってはいない。知恵者の兄いは、 「女三界さんがいに家なし」「貞女は両夫に見えず」「瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず」を知ってるか?!と、やるが的外れこの上ない蘊蓄を披露する。 一旦、助けを求めに来た長屋の女房を家に帰して繋ぐように指図して、自分の女房には、風呂敷を箪笥から出せ!と、命令する。 しかし、ここでも鉄火な旦那と江戸前な女房の口喧嘩が、テンポがよく、小満ん師匠独特の早口がたまりません。「尻見せるなぁ!」「風呂敷は畳んで渡せ!俺が被って外へ出て、電信柱に衝突して死んだら、情けなかろうに!!」 最後は、押し入れの新さんを助けて終わります。 3.大仏餅/小満ん 小満ん師匠の先の師匠である、八代目文楽・黒門亭が詰まり、勉強し直して参りますと、高座を降りて、そのまんま、引退したネタが、この『大仏餅』です。 ここ小満ん師匠は、まず、大仏と土産のお餅の噺を振ってから、本編へと入るんですが、秀吉が作らせた大仏と、秀吉の死後、家康が知恵伊豆と結託して、 慶長地震で崩壊焼失した秀吉の大仏を、豊臣家の財産を消耗させる目的で、二回も再建させていますが、その話も出して、大仏の講釈が続きます。 そして、大仏餅へ。本編は短い噺です。 ある冬の日。御徒町に店を構える、河内屋金兵衛の店先に襤褸をまとった幼子がやってきた。 「おとっつぁんが怪我をしました。血止めにするので、タバコの粉を少々ください」 その父親と言うのは目が不自由らしく、息子にすがり辛うじて立っている。 同情した金兵衛は、親子を店の奥に上げ、効能が確かな傷薬を渡してあげた。 「ところで、息子の歳は何歳かね?」 「六つです」 「そうかい…」 金兵衛にも息子がいるが、甘やかして育てたせいか、我侭な性格に育ってしまっている。 「さっきも、子供の『袴着の祝い』をしていたんだが、好き嫌いが多くて大変だったよ。そうだ、残り物で申し訳ないのだが…もらって行くかね?」 「有難うございます。では、ここに…」 そういって乞食が差し出してきたのは、何と『朝鮮鈔羅の水こぼし』という高級品。 「これを面桶の代わりに? 恐れ入ったな…」 「これは秘蔵品でございまして、零落しても売る気になれませんでした…」 その場で食事をすることになり、金兵衛の指示でお膳が運ばれてきた。 「八百膳ですか。私も以前は、よく食べていました…」 味付けに文句ばかりをいい、料理人を困らせた報いでこのザマです…と乞食は笑う。 「しかし…。零落しても、家宝だけは手放さないとは。貴方は真のお茶人だ。何処の門人だい?」 「川上宗治の門人でした」 「貴方の名前は?」 「大変いいにくいのですが…」 数刻の間。やがて、意を決した乞食が話し始める。 「私は、芝片門前に住まいおりました、神谷幸右衛門と申すものでございます」 「え!? あの神幸さん? お上のご用達をなさっていた…」 変われば変わるものだ…と、金兵衛はしみじみと乞食の方を眺める。 「そうだ。神幸さんには敵わないが、私も茶道やっております。いかがでしょうか、お薄を立てますので、飲んでいただけませんか?」 「それは有難うございます。もう生涯、お薄なんぞは口にすることはあるまいと思っておりました。」 『お茶請けに』と奉公人を走らせ用意してもらった大仏餅を、息子の手から一つ取ってもらい、感涙に咽びながら一口…喉につかえた。 「つかえた? 大変だ…」 慌てた金兵衛が、幸右衛門の背中をドンと一突き。 「ウプッ…有難うござヒました…」 「お!? 貴方、目が開きましたよ!」 「本当だ。でも、代わりに鼻が…」 「無理もありませんよ。食べたのが大仏餅、仏様の御利益で、開眼しました!」 小満ん師匠のは、「目から鼻に抜ける」の下げではなく、分かりやすく工夫されている。また、鼻に抜ける下げだと、マクラで、大仏とこの鼻に抜ける因縁を、事前に説明しないと、現代人は知らない人が少なくない。 この説明して、下げたのでは、小満ん師匠の美学では、野暮なんでしょうなぁ。また、「お薄」も茶道を全く知らない人には?かなぁ。小満ん師匠は、説明せずにやりますが、なんとなくわかる。 お濃い茶と、お薄が茶道で立てる茶にはあります。『茶の湯』とかでも、使えよ!と、私は前々から思っていた。お薄とお臼を間違うボケや、濃い茶を鯉茶にしたら、楽しいボケなのにと、思います。 4.三井の大黒/小満ん 名人は、上手の坂をひと登り、名人、左甚五郎のお噂です。と、始める小満ん師匠。定番の文句だが、師匠が言うと格調高く聞こえるから不思議である。 まず、甚五郎が初老の観を見せる。なんだろう、境地に到達した余裕があるのだ。だから、全てに上からで、周囲をイライラさせてしまう。 特に、政五郎夫人との相性は、最悪で、ポンシューの甚五郎と、朝ご飯の鮭から喧嘩になって当然だ。政五郎の弟子に対しても、常に上から。 唯一、政五郎にだけは、対等の格づけをする甚五郎。そして、若いのに政五郎にも江戸っ子気質の貫目が十分ある。 意外とこの政五郎は、難しい。勘違いしてやるとチンピラ風になりがち。職人の棟梁でも、年嵩なら演じられるが、若いのは難しい。 小満ん師匠らしい芸で、年の締めくくりに相応しい三席でした。また、来年も私は小満ん師匠中心に観て行く所存です。来年も1月13日スタートです。 |
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2018年11月17日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]




