Marsのブログ

小さな会を精力的に聴く努力をしてまいります!!

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松之丞さんが出る朝練なので少し早目にと、8:10に日本橋亭に着いてみると既に15人くらいの列ができていました。
凄く出足が早い!!そのまま列に並んでいると、どんどん列が長くなり、永谷の社員の方が列を整理しにやって来る。
そして、いつもより10分早く開場!!9:05に場内へと誘導されました。既にこの時点で80人以上が並んでおりました。
お目当ての最前列一番下手をGET!!松之丞仕様の座椅子の配置なので、ココ以外は前との間隔が狭く足が伸ばせません。

やがて9:30定刻に緞帳が開いてビックリ!!高座の両横に10人ずつ二列でお客様が上げられておりました。
披露目や正月の日本橋亭でなら見る光景ですが、朝練でこの状態になるなんて!!120人以上入れたんでしょうね。
おそらく、これが朝練の新記録なのでは?と思いました。来てますね、松之丞人気。天にも昇る勢いです。
そんな、高座の三方に客を入れての、消防法ギリギリの朝練講談会、こんな内容でした。



・乳房榎「おきせ口説き」〜「重信殺し」 … 松之丞
・太閤記「矢作橋」 … 貞橘



1.「おきせ口説き」〜「重信殺し」 / 松之丞
両脇に居る客が気に成る様子の松之丞さん。当然だと思います。刀で斬る仕草の後、横のお客様と目が合うと云う。
こんなに詰め込んでしまうと、絶対に名演なんて生れない!!と、愚痴を云うのでした。そして、
この朝練創成期から参加している松之丞さん、当時は20人入れば喜んでいた主宰者を思い出していじり始めました。
というのも、おそらくその頃、あの昭和50年代の本牧亭を思わせるゆるい雰囲気が好きだった古参の講釈ファンは、
この状態の日本橋亭には寄り着かないという思いからか?主宰者のSさんがTwitterで、

「もう、新しいファンは来てもらわなくても…」

と、苦渋の呟きをしたのをめざとく見付けて、思いっきり突っ込みました。松之丞さんらしシニカルないいじり方。
松之丞さん自身、客は選べないと覚悟して高座へ上がっているのだから… と云うのです。正論だけど、
私は、Sさんの気持ち分かるように思います。沢山入って欲しいけど、いくらなんでもと思いますね。
五代目貞丈先生や、六代目伯龍先生、五代目宝井馬琴、そして六代目小金井芦州でもこんなには集まらなかったと思います。
それぐらい普通の人に受入られた松之丞さん。講釈らしくないのが人気の秘密ですよね。修羅場を読まないからなぁ〜。
講釈っぽい彼独特のリズムで、グイグイ押す芸が、世間に受けておりますよね。

さて、『乳房榎』。この日のは、「おきせ口説き」側に重きを置いての一席でした。ほぼ30分くらいだったと思います。
だから、「重信殺し」の龍の描写や、重信を浪江が待ち伏せして殺す場面が、恐ろしくあっさりしていました。
正介が木刀で浪江の助っ人をする描写は無く、落合の蛍狩りの部分も詳しい描写はありませんでした。
好みの問題ですが、「おきせ口説き」だけで切ってよかったと思います。
次に聴く時は、「おきせ口説き」〜「重信殺し」。2話で1時間半。たっぷり聴いてみたいと思います。

あと、この先はやらないのか?。菊志んさんとかやってますよね?あと龍玉さんでも聴いてみたい噺です、『乳房榎』。



2.矢作橋/貞橘
開口一番、「湯島天神の梅まつりみたいだ」と云う貞橘先生。三方から見られてこちらもやりにくそうでした。
その後、自虐的に日大出身である事をいじり、大きく受けたところで、太閤記のマクラへ。
日本で一番出世した有名人は太閤秀吉。そして、二番目は?と言われると、新潟なら田中角栄、岩手なら小沢一郎。
そして、神奈川であれば小泉純一郎と云うと振っておいて、本編の「矢作橋」へ。

『太閤記』の中でも有名な噺です「矢作橋」。岡崎藩領内の橋・矢作橋、この橋の下で乞食同然の暮らしをしていた秀吉。
当時は十三歳、家出して武士を志、仕官先を探しの旅の最中だった。田畑の作物を盗んだり、小遣い銭稼ぎの仕事をして、
その日暮らしの旅を続いていた。そこに三河の若殿さまの行列が通りかかる。三河藩士に橋の下から上へ上がれと命令される。
渋々、橋の上に上がり土下座をして、その行列が過ぎるのを待った秀吉。この時心の中で思うのでした。
『きっといつかは城持ち大名になって、この三河の小倅を俺の脚元に膝まずかせてやる!!』

やがて秀吉は、今川の家来・松平家の足軽として使える。そして松平の松から、「公」を敬うという意味を込めて、
木下藤吉郎と名乗るのである。しかし、間もなく義元を見た藤吉郎、こいつに天下は無理だと直感し、今川を離れ三河へ去る。
そして、再び岡崎の矢作橋にやってくる。そして、橋の上で易を開く坊主に出会う。この坊主、藤吉郎を見るなり、
これはめでたき相の見本のような人物、是非、自分に向学の為に人相・手相・骨相の3つを見せてくれと願い出る。
ここで、藤吉郎から意外な申し出を受ける坊主。なんと、見料をよこせ!というのである。
仕方なくこれまでの売り上げを全て藤吉郎に渡し、3つの相を見ようとする坊主。ここで藤吉郎、更にずうずうしい願いをする。
「空腹ではろくな相にならん、お前の弁当を全てくれ!!」と云うのだ。あきれたが、もう仕方ない乗りかかった船と、
坊主は自身の弁当を藤吉郎に渡し、やっと3つの相を見るのだった。

この事があり、時は流れて天正10年6月2日。京都蛸薬師の本能寺で天下統一目前の信長が明智光秀の謀反で討たれ死ぬ。
貞橘先生、この本能寺の変の場面では、太閤記にはない修羅場を入れて、読むというサービスがありました。
さて当時秀吉は、中国で毛利と対峙、この信長死すの知らせを受けて、早急に毛利とは和睦したいと考えていた。
そして、この時、毛利側の和睦の交渉役として現れたのが、あの矢作橋で逢った坊主・安国寺恵瓊だったのだ。
ここに光秀の大きな誤算が生じる。なかなか毛利と和睦などできないと思っていた秀吉軍が、あっという間にオウム返しで、
京都をめざして現れたのだ。そして、山崎で激突する秀吉軍と光秀軍。秀吉は光秀を打ち破り、柴田勝家との覇権争いにも勝利する。
そして、自身に従わない小田原・北条を攻め滅ぼして、大坂へ凱旋する途中、岡崎で例の矢作橋を三度通る。
ここで、岡崎城から家康を呼んで、自身の乗る馬の手綱を取るように命じ、馬下に膝まずかせたのでした。

貞橘先生、なかなか良かったです。俺が聴いた中では一番かも?と思えるいいデキ。
この人の変な節の修羅場はちょっと苦手ですが、それ以外は、松之丞さんに負けない楽しい「矢作橋」でした。
修羅場をどうして、あの貞水先生のできそこないみたいな感じのリズムにするのかなぁ〜
貞橘さんらしいリズム。貞橘さんの声、口跡に合った節があると思うんだけど。武ばって声を貯める時も、
師匠である貞水先生を意識した変な調子の作り声を使うけど、あれがいいとおもっているんだろうなぁ。



次回、朝練講談会は17日(日)で、南海先生といちかさんの二人会です。

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