Marsのブログ

小さな会を精力的に聴く努力をしてまいります!!

過去の投稿月別表示

[ リスト | 詳細 ]

2018年06月

← 2018年5月 | 2018年7月 →

全5ページ

[1] [2] [3] [4] [5]

[ 前のページ | 次のページ ]

この会に参加する日は、仕事を調整してこの会と夜は別の会というダブルヘッダーになります。
この日も、「朝日いつかは名人会」後は、池袋で寄席の真打披露でした。
13:15くらいに築地市場駅に到着し、ビックリ!!アンチ朝日新聞の街宣車が来ていないのです。
おそらく、この時間に朝日新聞本社に来て、「朝日新聞不買運動」の街宣車を見ないのは初めてかもしれません!!
なんでだろう?と思いつつ、前座さんの高座が始まる5分前に着席できた「第52回 朝日いつかは名人会」こんな内容でした。

イメージ 1













1.つる/緑助
花緑師匠の十番弟子だそうです。ハキハキして、今時を感じるなかなか男前の前座さんです。


2.四段目/正太郎
高座に上がるなり「待ってました!!」の声が掛かる。マクラでは、何度か聞いた老人ホームの慰問落語会の話。
以前、金鳥のCMで大滝秀治さんが岸部一徳さんに向かって云い放った「つまらん!実につまらん!」あれに似た調子で、
正太郎さんが『転失気』に入ろうと、昔の医者は、しったかぶりの和尚さんのマクラを振っていると、突然、
最前列の車椅子のお爺さんが、云い放ったそうです、かすれた振り絞るような声で「面白くない!!」と。
付添のヘルパーさん、そして職員の方々が、物凄く慌てて、その爺を別室に連れだしたそうですが、
高座から正太郎さんにも見えてますからね。物凄く気まずい空気の中、心が折れそうになりながら『転失気』をやり切ったそうです。

そんなマクラから、芝居のマクラを軽く振って『四段目』へ。二月の「月例三三」イイノホールで聴いて以来の正太郎さんの『四段目』
まだ4ヶ月しか経ってないので、殆どその時と同じ印象でした。もう少し定吉の可愛い度合いが高いと更にいい感じだと思います。
芝居の真似をする時と普段のギャップが非常に大事な話だと思います。


3.亀田鵬斎/わさび
高座に上がるなり、「『待ってました!!』が掛からない柳家わさびです。」と、らしく自虐に始まりました。
この後、この『待ってました!!』が、いろいろと波紋を広げるのですが、それはこの後のトークと花緑師匠の高座で。

さて、本編の『亀田鵬斎』。この噺はわさびさんの師匠・さん生師匠の持ちネタです。私は黒門亭で1度聞いている。
『亀田鵬斎』は実在する書家で、左甚五郎のような名人気質、お金をいくら積まれても気分が乗らないと書かない。
なのに、機嫌が良いとただで頼まれもしないのに書いてくれる。そんな書道家のお噺です。

おでんの屋台を生業にしている平次さんが、亀田鵬斎先生のお孫さんが迷子になり泣いているのを商売で通る道で発見する。
親切に、商売をあきらめて、その子の手を引いて、亀田鵬斎宅まで連れて行ってやります。ちょうどその頃、
亀田鵬斎一家は、孫が神隠しに在ったとハチの巣を突いたような大騒ぎで、無事に孫を連れて来てくれた平次に大感謝する。
この感謝の気持ちだと鵬斎が、平次の屋台の障子に、『おでん 燗酒 平次殿 鵬斎』と書いた。
字が読めない平次にとっては有難迷惑みたいな感じだったが、宣伝文句だと聞いて、まぁいいかぁ?!程度に思っていた。

この宣伝文句付きの屋台での営業初日、吉原田圃の手前で商っていると、五十年配の大店の旦那か、どこぞのお大尽風の男が、
この障子をしげしげと見て、平次に云った「久しぶりに吉原冷やかして来たが、寒さに負けて戻って来た、熱燗をくれ!!
ところで、お前さん、平次さんと言うのかい?」と。なぜ、私の名前を?無筆の平次が聞き返すと、障子を指さし書いてあると云う。
なんだ、亀田鵬斎の野郎、俺の名前まで書いてやがんのか?と思った瞬間、この客が更に意外な行動に出る。

大尽「お前さん、鵬斎先生の知合いかい?」
平次「へい、まぁ、知合いです」
大尽「じゃぁ、話は早い。単刀直入に云う、この障子をワシに売ってくれ!!」
平次「障子を、いくらで?」
大尽「一両でどうだ。吉原冷やかしで戻って良かった。一両ここに置くぞ」
熱燗を飲み干すと、お代の二十文と一両を置いて、障子を抱えて男は去って云った。

翌日、この話を鵬斎にして、正直な平次は一両を先生の作品が売れたと鵬斎に渡した。
鵬斎は、「一両はとりあえず預る」と云って、新しい障子を経師屋を呼んで作らせて『おでん 燗酒 平次殿 鵬斎』と又書いた。

そんなやり取りがあり、十日が過ぎた頃、また吉原田圃の入口で商売していると、今度は若い身なりのいい侍がやって来た。
見るからに旗本か?大名の倅風。屋台を見付けるなり、おでんも酒も注文せず切り出した「おーここであったかぁ噂の屋台は、
これ!おでんやぁ!!その方が『亀田鵬斎殿の書』を売るおでんやか?拙者にも五両で障子を売ってもらいたい」と。
平次が驚いて、まごまごしているうちに、五両を置いて、中元に障子を外させ、勝手に持って帰られてしまう。

翌日、この話を鵬斎にして、正直な平次は五両を先生の作品が売れたと鵬斎に渡した。
鵬斎は、「五両はとりあえず預る」と云って、新しい障子を再度経師屋を呼んで作らせて『おでん 燗酒 平次殿 鵬斎』と又書いた。

今度は、一ヶ月後、山岡頭巾を被ったいかにもお殿様風の人品宜しい武士が家来を十数人従えて、平次の屋台を囲んだ。
その家来の中でも一番年嵩の家老風の侍が云った「亀田鵬斎先生の屋台だな?二十五両で殿がお買い上げだ。よいなぁ?!」
そう云ったかと思うと、今度は障子だけではなく、屋台ごと持って行かれた。残ったのは二十五両の切り餅一つ。

翌日、この話を鵬斎にして、正直な平次は二十五両を先生の作品が売れたと鵬斎に渡した。
鵬斎は、「平次殿、これで金子が三拾一両になった。もう屋台でのお仕事はお主の年齢では辛かろう?店を一軒持ちなされ」
そう云って居酒屋を一軒平次に世話してくれた。その店の開店初日、仕込み中の平次を鵬斎が訪ねて来て、こう云った。
「平次どの、店の看板をワシが書いてやろうか?」と、しかし平次は断る、「だって、そんな事すると、今度は店がなくなる」

実にわさびさんのフラにも合っている噺だと思います。特にこの平次というおでんやのオヤジはわさびさんのニンに合います。


4.鼎談(とっておきトーク)
既に、わさびさんも、正太郎さんも、この会の出演が3回目だと云う。2009年から私はこの会に来るようになり、

2009 4回
2010 2回
2011 0回
2012 4回 正太郎(宿屋の富)
2013 2回
2014 1回
2015 4回
2016 5回 わさび(佐々木政談)、正太郎(千両みかん)
2017 5回 
2018 3階 わさび(亀田鵬斎)、正太郎(四段目)

たぶん、2015年の途中から平日昼の開催に変わり、そこから私は皆勤賞ですね、この会。二つ目を紹介する会のパイオニアです。

さて、トークでは、二人とも三回目なので、近々のマスメディアでの活躍についてそれぞれ聞かれて発表しました。
まず、「our SPORTS! ざっくり100コマ」とかいうNHKの番組で、100コマ5分の尺で、意外と知られていないスポーツを紹介する番組。
BSで早朝とか夜中に放送されているそうです。この100コマ画像に紹介ナレーションを付ける仕事をわさびさんがやっています。
落語チックな語りを駆使して、既に30種類ぐらいのマイナーなスポーツを紹介。私はまだ見た事がありません。
一方の正太郎さんは、何度も紹介されているNHKラジオ「すっぴん」の中でのトレンドの紹介レポーター役について。

このトークで、『待ってました!!』が話題になり、昔の名人、例えば八代目文楽は待ってました!!・黒門町。
八代目正蔵は、待ってました!!稲荷町、六代目圓生は待ってました!!柏木、そして五代目小さんは待ってました!!目白。
この後の世代だと、志ん朝師匠の待ってました!!矢来町ぐらいで、待ってました!!の後になかなか住んでいる町名が付く名人がいない。
そんな話題の中で、わさびさんが、「僕は“待ってました!!”無かったけど、花緑師匠はあるのかな?待ってました!!」と云う。
いやな事を云うなぁ、という表情で、「意識するから止めてくれよ」と、苦笑いの花緑師匠だった。
この後、企業との癒着ではないが、目白の師匠と永谷園のようなご贔屓関係は、咄家にとって重要だと云っておられました。


5.二階ぞめき/花緑
いきなり意識して登場の花緑師匠。結局、『待ってました!!』は掛からず、高座で悶絶します。客席も意識して声が出せない雰囲気でした。
若旦那のマクラを振りながら、二世の咄家は、多かれ少なかれこの若旦那気質を持っていると云って、『二階ぞめき』へ。
十年近く前になると思いますが、この噺を覚えたての頃、やたら聴いた記憶のある花緑師匠の『二階ぞめき』。八年ぶりに聴きました。

何んかのか?二階で喧嘩になる場面を、以前は「エイリアン」みたいに演じていて、現在は「スターウォーズ」みたいでした。
“みたい”“みたい”で無体じゃないけど、面白いと思っているとしたら、私の好みとは合いません。
某国宝からも、別の件ですが、「それを面白いと思っているの?」って突っ込まれたそうですが、
私も思います、豊田真由子元代議士風に云うと「違うだろぉ〜違うだろ!」ですよね。



次回 第53回は、桃月庵白酒師匠がホスト役で、ゲストは市楽さんと小太郎さん、9月11日です。
昼は朝日いつかは名人会に行って、夜はこの真打の披露目に行きました。
築地から池袋だったので、大江戸線で築地市場から月島へ。有楽町線に乗換えて池袋。
東武デパートの中を抜けて、池袋の西口へ出て途中藤そばで蕎麦を手繰ってから池袋演芸場へ。
イメージ 1














夏丸師匠と蘭先生が入口に立ってチケットを手売り。ただ、シニアの人はこの手売りより安い。
私は事前に夏丸さんから買っていた三軒共通チケットで入場。既に前座さんが高座に上がっていた。


0.弥次郎/しん乃
ドアを開ける前からドッカン!ドッカン!受けていて、凄く上手い前座だなぁと思った。
そして、脇のつい立のある立見ゾーンから高座を覗くと『アレ?見た事ある前座だ』と思う。
めくりを見ると「しん乃」。他人のそら似?と、思ったところで気付く、日るねさんだ!!
上手いはずです。伸治師匠に入門し前座として芸協で働いていました。この日は高座返し。


1.熊の皮/翔丸
遊雀師匠が芸協で流行らせた根多です。殆どの若手はやる根多になっております。


2.マジック/山上兄弟
「てじなぁ〜ニャ」と云って可愛らしかったのが6歳と5歳の兄弟だった頃らしいです。
それが、23歳と22歳になってしまうと、普通ですね。父の北見伸先生ほど上手くないし。


3.虎の巻/和光
鶴光師匠の三番弟子です、和光さん。何かこの一門は“東京の上方落語”って感じがします。


4.つる/圓馬
上方落語を聞いた後に、この圓馬師匠の出囃子を聞くと、『アレ?文珍さん???』と思ってしまいます。


5.コント/コント青年団
大好きです、コント青年団先生。石倉三郎さんがレオナルド熊さんとやっていた「コント・レオナルド」風!
あのシュールな社会風刺に似ていて、この日一番のギャグが、エルサレムガザ地区と足立区を同列に扱うところ。


6.欠伸指南/伸治
凄くよかったです。伸治師匠のフラが効いていて、小三治さんの『欠伸指南』の対局です。
全然江戸前じゃなくて、本寸法じゃないけど、爆笑!!センスが良いんですよね、笑いの。
宮治さんが惚れた理由が分かります。


7.雑俳(狂歌七度返し)/小遊三
談志師匠が元気だった頃からやっていたかな?小遊三さん。小遊三師匠では初めて聴いたように思います。
まぁ、芸協だとこの雑俳は、柳昇師匠の十八番でね。昇太師匠が恐ろしく師匠そっくりにやりますよね。


お仲入り


8.口上
司会の伸治師匠の間違う、噛むが凄くて大爆笑でした。いきなり「池袋芸術劇場」って言うのよ。
そして、「池袋演芸場と落語芸術協会がごっちゃになった!」って東京芸術劇場は近くにあるけど…
小遊三師匠の挨拶でみせた、扇子を息で開く余興芸みたいなのは、初めてみました。


9.西行鼓ヶ滝/蘭
蘭さんの後ろ幕は、蘭さんらしい素敵な蘭の梅鉢でした。声色の遣い方は紅先生譲りですよね。


10.マダム貞奴/紅
杉本苑子さんの原作ですね「マダム貞奴」。おっぺけぺ節を踊り付きで披露する紅先生。
更には、新真打に掛けたおっぺけぺ節も披露!!落語協会の市馬会長の相撲甚句みたいでした。


11.漫談/幸丸
新真打の師匠ですよ、本編の落語なぜやらないんだろう。小三治師匠ですら『小言念仏』やるのに…


12.ジャグリング/ボンボンブラザーズ
初めて、ボンボン先生の帽子を頭に投げて被せるヤツ!あの相方に選ばれて挑戦しました。
投げて乗せる方はなんとかできました、10回くらい投げて、でも、被る方はできなかった。
帽子が結構高速で回っているし、帽子のサイズが俺の頭に対して小さい!!


13.毬(いが)栗/夏丸
大師匠・歌丸さんの持ちネタですね。生で聞くのは初めてでした。YOUTUBEで歌丸師匠のは聞いた事あるけど。
なんとも不思議な世界の噺ですよね。俺は鼠避けの毬栗は見た事がありません。

とにかく、この会は一番前で聴きたい。そいう思いで神田から両国へ。秋葉原の乗換が以外と遠いのと総武線のホームが無駄に広い。
秋葉原から両国へは「浅草橋」を一つ挟んですぐです。14時40分くらいに駅に着いて、45分にはお江戸両国亭へ。一番でした。
「キャナリー落語会」という前のイベントが開催中。確か落語教室ですね、天狗連でも有名な鹿鳴家一門さんの会だったようで、
講師というか先生は、ちよりんさんだったみたいですね。後から調べて分かったんだけど。30人くらいはいらしたように思います。
さて、そんな日曜日の雨が降らずお日様もそんなに照らない、行列日和を満喫した「愛山・喬太郎の会」、こんな内容でした。


・元犬 … じゃんけん
・木津の勘助 … 春陽
・偽甚五郎「土竜鯉」… 愛山
・宗漢 … 喬太郎

お仲入り

・ワシじゃワシじゃ/ポッたん … 愛山
・べたりこん … 喬太郎



1.元犬/じゃんけん
初めてみる面白い編集をしました。人間化したシロを上総屋さんが八幡様で発見、そのまま店に帰らず裸のまんまご隠居の家に、
「面白い奴を見付けました!!」と、連れて行きます。このショートカットで5分短縮され、結果、開口一番は9分になりました。
さて、じゃんけんさん、恐ろしいくらい兼好師匠に似ています。細かい仕草で、手の動きと目線を連動させる兼好流の動きをマスターしている。
そして、ご隠居の質問にシロがとんちんかんな答えにたると、突っ込む上総屋さん。あの突っ込み科白が実に兼好師匠そっくりです。
これが三回目ですが、一番師匠に似ておりました。



2.木津の勘助/春陽
てっきり私は上方落語の演目だと思っていたら、どうやら講釈根多だったんですね『木津の勘助』。鶴光師匠がやられますよね。
まくらも振らず、いきなり『木津の勘助』へ。淀屋十兵衛は先祖の墓参に行って、大切な印業を袱紗に入れた状態で寺に忘れてしまう。
その事に気付いた、その刹那、けたたましい野郎が店に飛び込んで来る。「えぇ〜、ごめんやっしゃぁ。ここに十兵衛って野郎、居るケぇ!!」
応対に出た番頭の五兵衛が、田舎言葉のみるからに百姓の態のその野郎に、「十兵衛はこの家の主だ!お前は何者だ!」と、やり返す。
「確かに、人にものをたずねるのに、先に名乗らなかった、ワシが悪かった。」そういって「木津で百姓をしている勘助だ」と名乗る。
「その百姓が、旦那様に何の用だ?」と続けて問う五兵衛だったが、勘助は当人に直接話すから、取り次げと云ってきかない。
云われた五兵衛も、俺がこの家の番頭なんだから、主に取り次ぐから、その前に用件を話せと云って、こちらも取り合わない。

店先で言い争う二人の声を聞いて、主・十兵衛自ら出てきて、番頭を窘めてから「どんなご用件でしょうか?」と、淀屋が頭を下げる。
勘助は自からが寺に墓参りに行って、自身の先祖の墓の墓石の上で、綺麗な袱紗の入物を見付ける。誰だ?!オラのご先祖様を物置きにしやがって!!
どんだけ失礼な野郎かと思ったが、中には銭が小判で十両、それに印業が入っている。無くした野郎はさぞかし悲しかろうと、まずは住職に見せる。
「これは今橋の淀屋さんの物だ。勘助さん、難波から木津に帰る途中、今橋の淀屋に寄って、届けて帰りなさい」そんな事を住職が云うだぁ。
「難波と木津の線上に今橋があるんなら、和尚の云う通りだが、恐ろしく迂回しての帰り道になっただよ。」

そう言われた十兵衛、「それはそれはお手数掛けました」と、袱紗の十両を半紙に包み、「これはお礼です」と勘助に渡そうとすると、
勘助、烈火の如く怒り出す。「だから、金持ちは嫌れーだ。何でもかんでも、銭っこ掴ませたら、相手がしっぽ振ると思っとる。
そもそも、オラはお前さんの人様の墓石に、自分の物を載せて平気で居られる。その料簡が気に食わねぇ、だぁ。」
「確かにお前さんは金持ちで、寺の檀家の中じゃ偉いかもしれねぇが、人としてどうかと思うぜ、オラは」と悪態を突く。
横で聞いていた五兵衛が口を挟もうとするのを、十兵衛が止めて、「本当にすいませんでした、私が料簡違いでした」と謝罪し、
「お前様のお住まいは?」と、木津のどの辺りに勘助が住んでいるかを聞いて、この日はそのまま帰した。

翌日、番頭伴に勘助宅に謝罪に訪れる十兵衛。土産にとびっきり美味しい煎餅をたんと買いこんで、夕方、勘助が畑から戻る時間を見計らっての訪問だった。
昨日の事はすっかり忘れたかのように、十兵衛の訪問を喜ぶ勘助。これがキッカケで、身分は違えど同じ寺の檀家のよしみ。そんな付き合いが始まる。
十兵衛が勘助に関心したのは、その知識の豊富さである。自分の半分も生きていない勘助が、詩歌、芸能、政、経済、社会情勢に非常に明るい。
何を訊ねても、ちゃんとした信念に基づく彼なりの意見を披露するのだ。そんなある日、勘助の家に娘のお直を連れて行くと、なんとお直が勘助に一目惚れ。
恋患いにまでなり、父親になぜ、お前は貧しい百姓の勘助に惚れるんだ?と聞かれて、お直が返した言葉が心にじわりと染みて参ります。


「金持ちの家に生まれて、金持ちの家に嫁いで、金持ちで子ども産んで、金持ちの母親になって、金持ちのお婆さんで一生送るよりも、
 お父様が偉い!偉い!褒められる勘助さんのよぉなしっかりした人の女房になって、無いところから一つのものでもこしらえてみたい」


“高砂や、この浦舟に帆を上げて”でお直が勘助に嫁ぎ、最初は金持ちのお嬢さんらしいマリーアントワネット系のしくじりもしますが、
それでも徐々に木津の土地にも馴染み、仲人の米屋さんが相場で二百両の借金ができて夜逃げしようとしていたのを、嫁入りの時の支度金
三千両の中から恵んでやって助ける。残った二千八百両も、勘助の薦めで大坂中の恵めれない人に施しをするという。
勿論、春陽先生は講談なのでサゲは在りませんが、鶴光師匠は何かサゲ付けていたようなぁ?思い出せません。


3.土竜鯉/愛山
愛山先生が、甚五郎が彫ったゴツゴツと粗削りの鯉をして、「土竜(モグラ)のような鯉」と読んでおられたので、あえてこの副題に。
朝練で一度聴いているのですが、殆ど変わらないですね。甚五郎の故郷・飛騨高山と岐阜が噺の舞台であります。
この噺は、喬太郎師匠が、愛山先生から習って、喬太郎版の『偽甚五郎』をやっているそうですね。私はそちらはまだ聴いておりません。


4.宗漢/喬太郎
マクラでは、この日は高槻の「亀屋寄席」だったそうで、1日違ったら地震の影響で開催できていないと思います。これも運ですね。
喬太郎師匠は、一部のサラ口で夕方5時には両国に帰ってこれたと仰っておりました。さん喬師匠は二部の仲入り前でね。
場所は違うけど、ちょうど両者・子弟で同じ時間、違う場所で高座を勤めていた事になりますね。

さて、マクラでは最近、日大出身で肩身が狭いという話題から。更に喬太郎師匠自身は、あの内田監督に雰囲気が似ているという。
白髪の加減などが似ていて、なんとなく似ていると周囲からも言われるそうです。そんな喬太郎師匠プロデュースの落語会が博多で開催。
これはニュースにもなっていました。五日間連続公演。その最終日が「落語教育委員会」で、歌武蔵、兼好の両師匠も福岡へ。
そして、落語教育委員会といえば、オープニングのコントが有名。携帯電話・スマートフォンの電源を切りましょうコント。
中でもう鉄板に受けるネタがあり、地方で初めての場所は、そのコントを選ぶので、この日もそれに決めて稽古を始めた。

すると、兼好さんが楽屋入りの時、高座ではしないメガネを付けてやって来たのだが、フレームの細い黒グラスのメガネ。
そのまま、喬太郎師匠の脇に立つと、誰かに似ている。そうです、日大の井上コーチ!!その人にそっくりなんです。
歌武蔵師匠が大笑いして、これはあれをやらない手はないとなり、内田監督、井上コーチの謝罪会見ですよね。
しかも、歌武蔵師匠が、あの広報の変な司会者の役をやるという。「ブランドは低下しません!!落ちません!!」のあの人ね。
全然、見た目は違うけど、妙に迫力があり大ウケだったそうです。今が旬なので、「落語教育委員会」行くと見られるかも?

そうそう、喬太郎師匠いってました。日大のブランドが低下するというのは記者さんのヨイショというか世辞だと。
元々、日大にブランド力なんて無い!!と、えらい剣幕でした。六大学には成れないのです、所詮、ニットウコマセンと自虐で。
そんなマクラから、これはバレ噺ですね、『宗漢』。元は中国の小咄だと思います。喬太郎師匠は完全に日本を舞台に変えてます。
田舎、山間部の無医村だった村に都会のわずらわしさを捨てた医師・前田宗漢が夫婦で移り住んだ。のんびり生活したい。
女房も、この村が気に入ったようで、夫の田舎へ引っ込む選択に反対はしなかった。

ただ、二人は、村人たちの歯に絹着せにモノ云いだけが、流石に苦笑した。「どうせ、薮なんだろう?」
「薮でなかったら、都会でやってるって」「この村なら競争相手もおらんし」「重病はやめとこうなぁ」
結構、村の人々は、宗漢の事を上から見ていた。そんな宗漢の噂は近隣の村にも知れ渡り、遥々往診をお願いしているのに、
ありえない上からのモノ云いでね。流石におだやかな宗漢も、いくらなんでもとは内心思ったりもするが、
生まれつき争いの嫌いな男なので、臍を曲げるような事は無かった。

また、一時期は村の青年にも志の高い子が居て、弟子にと住み込みで奉公したりもしていたが、やっぱり定着には至らず。
現在は、夫婦だけで、往診を頼まれると、宗漢が自身で薬籠を持って出向くのが常だった。
そんなある日、隣村のお大尽・近江屋さんから娘を往診して欲しいと頼まれた。ここは威厳を示すと太く繋がりが持てるかも?
そう思った宗漢、村の髪結にザン切り頭にされた女将さんを、スッピンに包被りさせて弟子の態で薬籠を持たせてお伴にさせた。

万事計画通り、夕飯を馳走になるまでは、良い塩梅だったが、夜具・布団が直しに出してあり、
先生は童っ子と、弟子の奥さんは飯炊の権助と1つの布団で寝て欲しいと言われる。散々悩んだが今更女房とは言えない。
仕方なく近江屋さんの提案に従って二人は、童っ子と権助のそれぞれの布団で一緒に眠る。
よほど、この事が恥ずかしかったのか、二人は家人が起きる前に、朝飯も食わずに帰ってします。
朝ごはんの席、近江屋一同が飯を喰いながら、宗漢の噂を始める。

主人「どうだった?あの薮医者?」
童子「オヤジ様、あれはダメだ。恐ろしく貧乏しているぞ、下帯も閉めておらないで寝てた」
権助「弟子はもっと貧乏だ、下帯は勿論、金玉も質さ入れとる」


5.「ワシじゃワシじゃ」「ポッたん」/愛山
愛山先生のライフワーク「ショート講談」です。オリジナル作品でして、少年時代に憧れた星新一のSFシュートショート風講談です。
5分以上10分未満みたいな講談。講談の手法を使ったSF。SF講談です。根多バレしない程度に書くと、まず「ワシじゃワシじゃ」。
ワシじゃワシじゃが所謂、オレオレ詐欺と同じなのはすぐに気付くと思いますが、愛山先生らしい最後の一捻りがあります。
ただ、もう少しスマートにどんでん返ししていたら、もっといい作品になったと思います。やや切れ悪し。
二本目は「ポッたん」。構造的には、喬太郎師匠の『いし』に少し似ていると思いました。あと、この作品私はオチが分かってしまった。
この二本の作品のサゲを聞くと、愛山先生は真面目な人だと、つくづく思います。


6.ぺたりこん/喬太郎
マクラで元書店員の話題を振って、サラリーマンの方に話題を向けて来たので、『夜の慣用句』『宴会屋以前』『ぺたりこん』???
と、思って聴いていると、『ぺたりこん』でした。久しぶりに聴いた、この噺。圓丈作品ですが、喬太郎師匠色に染まってますよね。
師匠まで3mくらいの至近距離で聴いたのですが、むちゃくちゃ迫力ありました。圓丈師匠の不条理の世界って本当に恐い。
喬太郎師匠が冒頭、不条理って、「朝起きたら虫になってたり、母親が亡くなり太陽がむやみに眩しかったりするワ」と云ってました。



次回、この会は12月です。終活中と自身で言っている愛山先生。まだまだ、現役です。

この日は、夜「愛山・喬太郎の会」に絶対並ぼう!と思っていたので、朝練に行った後、どう時間を潰すか?これが課題でした。
最初は、連雀亭のワンコイン寄席ときゃたびら寄席に行くか?とも思ったのですが、日高屋で昼飲みを始めると面倒臭くなり、
結局、朝練が終わったら11時くらいから12時半まで、ホッピー三杯飲んで、その後はマンガ喫茶で昼寝。
14時半頃に神田を出て両国へという、実に、ダラダラした調子の時間調整となりました。さて、朝練、こんな内容でした。


・徳川家武将伝「村越茂助誉の使者」 … 田辺いちか
・山内一豊の妻「出世の馬揃え」 … 旭堂南海



1.村越茂助誉の使者/いちか
実に淡い黄緑の素敵な着物で登場したいちかさん。前座が着る着物としては限界ギリギリの派手さの着物でした。
協会から頂く仕事は基本、どなたか師匠のお伴で、楽屋の雑用込みでやる事が多いが、たまに前座なのにピンの仕事もあるそうです。
特に地方の仕事で、分かり易い噺で、予算もなくて、前座さんでも構わないという仕事の場合はピンで行く事も。
そして、せっかく行くならと「講釈と落語の違い」、こんなのを分かり易い短い文章で紹介して下さい。なんて事を頼まれるらしい。
それならばと調べて、校正してみると… なかなか前座の身分だと断定的な意見が書けないから、釈台を使う、張り扇も使う、
それぐらいしか書けず、超短い説明になり、こんなの素人にでも書ける!と、落ち込んでしまったそうです。

そんなマクラから「誉の使者」。いちかさんのは何度目か?4回目でした。よく聴くのですが、今回は少し変わっていました。
それは、無筆の茂助が一から十までを書けるようになり、本当に書けるか?と、同僚にからかわれてそれを書く場面で、
茂助は、なぜか?最初に横棒=「一」を書いてから、それにおまけのような「点」を打って字を仕上げます。
この描写のユーモラスな感じが、いちかさんらしいと思います。



2.出世の馬揃え/南海
マクラでは、南海先生も芸歴30年。大学在学中の平成元年に入門されたそうです。
師匠の三代目旭堂南陵先生に「これから先、ずーっと親不孝すんねんから、大学ぐらいはちゃんと卒業しなさい」との言葉を受けて、
近松に関する卒業論文を書いてゼミに提出、学部の近松の権威、信多純一教授から「なんじゃぁ、これ」と卒論を床に捨てられる。
「なんじゃって、僕の卒論です」と返すと、「何を云うてけつかんねん。いきなり目次の『頁』という字が『貢』になっとるやないか?!」
「ボケ!誰に貢ぐんじゃコレ?」真っ赤な顔になる南海先生。すると信多先生、「卒業したかったら、ちゃんと校正して出し直しなさい」
と、云う。しかし、南海先生は「別にワシ卒業しいひんでもええし」と云う。驚いた顔の信多先生「アホか?内定取り消されるぞ」と云う。
「ワシ、企業とかに就職しいひんのですワぁ、芸人になりまんねん。」これを聞いた信多先生「芸人っていうても色々あるぞ、何になんねん?」

南海「先生に関係おまへんがなぁ」
信多「ちょっとは在る、袖振り合うも他生の縁、一期一会云うやないかい」
南海「そないまで云われるなら、云いますけど、怒ったらあきまへんでぇ、講釈師になりまんねん」
信多「講釈師!!ほんまか? それを早よう云え、書き直しとかいらん、『頁』が『貢』なんて瑣末なこっちゃ、近松の本質に何の関係もない」
そう云って、合格の赤い判子を、床から南海さんの論文を信多純一教授自ら拾い上げて、勢いよく押してくれました。
あまりの出来ごとに、南海先生が訊ねます。
南海「講釈師に成ると、何で合格なんですか?」
信多「何を云うんだ君は、近松も最初は講釈師だったんだよ、だから合格!!頑張れよ、ワシの弟子なんやからなぁ君は」
おいおい、俺はあんたの弟子じゃなない、旭堂南陵の弟子だ!!と、思ったそうです。

それから事あるごとに、信多純一先生は、「僕の弟子が、今は講釈師に成っていてねぇ、旭堂南海って言うんだよぉ〜」と、
文壇や雑誌・出版関係者を前に仰るそうで、元気だった頃は、勿論、南海先生の高座も聴きに見えたそうです。
そして、毎年年賀状が来て、そこには決まってある苦言が書かれていた。「南海くん、あんまり目先の笑いに走るな!!」と。
そんな先生も現在は施設で寝たきり、筆談しかできない状態だとか。それでも時々、「南海を呼べ!!」とのげちが飛んで枕元に呼ばれる。
ホワイトボードに力強い文字で、「南海、今、ここで講釈聴かせてくれ!!施設のみんなに」消して「勿論、ただやぞ!!」
卒論の「合格」の恩があるから、喜んで高座を勤める南海先生でした。ちなみに、南海先生は阪大文学部出身です。

そんなマクラから『出世の馬揃え』へ。この噺は十数人の講釈師で聴いておりますが、こんなに笑える『出世の馬揃え』は初めてでした。
前にも書いたけど、途中で放うり込んで来るエピソードが、もうありえないぐらいに面白いと云うか「笑いに走ります」
一番は、この一豊と千代の夫婦の馴初めや夫婦になってからと、いちいち自身の夫婦を重ねて行くのですが、
夫婦の危機が南海先生にもあって、連日、師匠の家に行っては、朝から夜中まで酒盛する毎日の南海さん。
南左衛門先生も云っておられますが、三代目南陵という人は、本当に何もせずに暇があれば朝から晩まで弟子と飲んでいたそうですよね。

全く収入もなく、講釈の稽古をする訳でもなく、ただ毎日毎日、師匠と酒を飲み続ける旦那。奥さんの堪忍袋の緒が切れたんですね。
ある日、夫婦で道頓堀に出て、一緒にお好み焼を食べていた時、豚玉を返したヘラで、今まで聴いた事もないような音が南海先生の耳に突き刺さります。
奥さん、右手に持ったヘラを、およそお好みを切るというより、亭主の頭を斬る動作で、思いっきり鉄板に打ちつける。

カチン!カチカチ、カチン!

「あんた、いつまで働らかへんつもりなん、ええかげん、ウチ、しんぼうでけんようになるえぇ」
単語と単語の合間で歯を噛んで、ヘラをカチン!カチン!言わせて来る奥さん。流石に明日から働こう!!と思ったそうです。
この噺を聞いていて、私が思ったのは、絶対、上方落語には『芝濱』みたいな噺は生まれない。
隔月らくごカフェで開催されている貞寿さんの勉強会です。テーマを設けて根多卸し1席みたいな感じです。
少し早いかな?と思いながら13時の開場に、12時30分少し前に「らくごカフェ」のある雑居ビルに到着。
まいどお馴染みのカレーレストラン「ボンディ」の行列を見ながらエレベータで5階へ。
流石にまだどなたもいらしゃらなくて一番、5分もしないうちに三々五々貞寿ファン・講釈ファンが集う。
10人くらい並んだところで、友惟ちゃんの「只今より開場します」が掛かりました。
そして今回は、このような演目になりました。


・笹野名槍傳「海賊退治」
・天明白波伝「八百蔵吉五郎」

お仲入り

・朝顔日記「蛍狩り」〜「大井川、川止」




1.海賊退治
まずは、前座噺からウォーミングアップ代わりにと「退治モノ」を一席。そういって思い出した!!
と、叫んだかと思うと、10年くらい前に両国亭でやっていた前座勉強会、ここで7人全てが『○○退治』。
海賊退治、狼退治、虎退治、狒々退治、なんてのは結構有名。まぁ、鬼退治みたいなのもありますね。
そんな中に、神田すずさんがやった『スッポン退治』というのが在ったそうです。
どんな噺なんだ!?、スッポンは退治するものではなく、鍋にするモンだろう?と云う貞寿先生。
そして、どんな噺だったか?全く記憶にないと云っておられました。私も、ちょっと聴いてみたい。

そんな軽いマクラから『海賊退治』へ。松鯉先生、阿久鯉先生で聴くのとはやや演出が違いますね。
特に貞寿先生がやると笑いが多い。笑いに走るという程ではありませんが、いい感じに場内が温まりました。


2.八百蔵吉五郎
マクラでは、W杯が始まったという話題。睡眠不足が続くと憂いつつ表情は嬉しそうな貞寿さん。
この日もスペインVSポルトガル戦を録画してあるけど、まだ見ていないと云っておられました。
私は生で観ましたが、あのクリスティアーノ・ロナウドのフリーキックは異次元と云うか反則ですよね。
外を巻いてカーブしながら落ちる軌道!!「芸術」と称されるのが分かる。

ロナウドは お手々のように 足使い

さて本編の『八百蔵吉五郎』。朝練で聴いたばかりなので、殆どその時と変わらぬ安定した彼女らしい一席。
ただ、物凄く気に成ったのが、「ノリ屋の婆」を「ノリ売りの婆」と呼びます。婆はノリは売りません。
だって、海苔屋ではなく、糊屋だから。木綿物や夜具に糊をつけてお足を貰います、この婆ぁ。
おそらく洗い張りなんかも受けるはずです。今で言うクリーニング屋さんですよね。
俺がガキの頃、家でシーツに糊付けてました。祖母と母と二人掛かりで、天気がいいとやっていた。
あのシワ伸ばしの動作が、幼い私には面白かった。そして、シーツが擦れる音が忘れられません。


3.朝顔日記
ついにやりました貞心先生の十八番中の十八番!!『朝顔日記』を。どんな風に演じるか?超興味がありました。
この噺は、究極のスレ違いラブストーリーと呼ばれておりますが、長い連続で所々半端ないダレ場がございます。
恋物語の発端は、一方の主人公・備前岡山の浪人宮城八十次郎と、もう一方の主人公・筑前黒田家浪人・矢部靱負の娘・深雪が、
蛍狩りの夜、京の宇治川で出逢う。貞心先生の出逢いの演出は、深雪の帽子を八十次郎が扇子で川に落ちる前に拾い上げて、
これを素手だと無礼になるからと、扇子に載せたまんまお返しします。このお礼にと深雪が乗っている屋形船に招かれる八十次郎。
この船上で、深雪の須磨琴の調べに魅せられた八十次郎は、白扇に矢立てから筆を取りサラサラと何やら書き残します。それが…

「露のひぬまの朝顔を」という催馬楽

この「蛍狩り」の場面は、文楽や芝居でもよく演じられている前半の山場ですが、ちゃんと講談で演じると、
八十次郎の生立ちから京都で塾を開くまでを1話、一方、深雪の父が福岡黒田家を浪人となるが、妻と娘は京都へ旅に出るまで1話。
ここもなかなかのダレ場でしてね。2話必要?!って感じの物語になります。
更に、二人の恋仲を知り幇間医者が金儲けの企みを始めたり、またその友人が深雪に岡惚れしての横恋慕などがあり、
福岡に帰った深雪は益々、会えない八十次郎の事を思うようになります。

そして、八十次郎の母が肥後熊本で危篤となり八十次郎は熊本へ。母の死に目には会えなかったが葬儀を済ませ、
京都に帰る途中、偶然福岡で深雪と再会する八十次郎。ここで、深雪は福岡と京都で離れ離れで暮らしていると、
この恋は一生叶わないと思い、深雪がどんどん積極的になり、「私を連れて逃げて下さい!!」と、八十次郎に掛け落ちを迫ります。
一方の八十次郎は、塾の事もあるし、勝手に深雪と逃げては、何より矢部家の両親への罪悪感がある。深雪が添えずんば死ぬというので、
渋々駆け落ちを了解して、いざ決行という日に不運が重なり船に深雪が乗り遅れて駆け落ち未遂に終わります。
一人大坂に着いた八十次郎、内心ホッとして、これで良かったのだと自分に言い聞かせる。

この駆け落ちまでのくだりも結構長くダレダレです。この後、後継ぎの無かった伯父熊沢了庵の死をきっかけに、
八十次郎はこの後継ぎに見込まれて、京都の塾は閉めて、備前岡山藩に熊沢了庵家督を継いで、岡山藩の重臣になります。
また、この件で名前が「宮城八十次郎」から「熊沢次郎左衛門了介」へと変わります。この事を深雪が知らないのが、
この物語を更に不幸にします。この後、備前岡山藩士、しかも重役となった八十次郎こと次郎左衛門の方は、
藩での出世物語へと展開が変わります。この時の藩主・池田光政公の乱行/辻斬りをして廻るというものなのですが、
これを次郎左衛門が上手く計略を使って光政公自身に反省を促させて、この後、名君と呼ばれるように改心させるのです。
この次郎左衛門の手腕が藩内でも評価されるようになり、外様の養子者と陰口を云っていた重臣も従うようになり始める。

一方、深雪には縁談が入る。その相手は岡山藩の熊沢次郎左衛門。深雪は「宮城八十次郎以外とは結婚致しません!!」
そう云い放って、福岡の家を飛び出してしまいます。京都の塾を訪ねれば、八十次郎様に会えるという思いで、
着の身着のまま飛び出した深雪でしたが、艱難辛苦を乗り越えてようやっと京都に着くのですが、既に塾は無く、
宮城八十次郎の行方は杳として知れません。かつての門人などを訪ねて必死で八十次郎の情報を収集する深雪。
結局、確かな情報は無いが、おそらく学問で世に出ようとしている八十次の事だからと、東へ下り江戸を目指します。
しかし、これまでの心労・苦労が祟ったのか?大津で倒れて、目が見えなくなってしまいます。

倒れた旅籠の主人・金田屋善右衛門という人が仏のような人で、救われた盲目になった深雪。
これまでの経緯を全部善右衛門に話すと、東へ下るにしても目を失った今、なかなかその宮城八十次郎という人だと、
お前さんの方から分かるすべはない。そこで、出逢いのきっかけになった催馬楽を三味線を弾きながら唄っては?
つまり、瞽女(ごぜ)の態で角付に立って、自分は「朝顔」と名乗り、東海道を旅すれば向こうがその存在に気付くはずだと云うのです。

これは妙案。そう思った深雪は、瞽女の朝顔と名乗って催馬楽を唄いながら、大津、草津に米原を抜ける辺りで朝顔瞽女の噂が立ち、
大垣、岐阜、木曽川、名古屋に掛かる頃には、各宿場でお座敷が掛かり過分な祝儀が切られるようになる。
そして、豊橋、岡崎、掛川、島田と大きな宿場に掛かると、宿屋や盛場・芝居小屋での余興だけでなく、
地元の有力者、代官、果ては参勤交代の陣屋からまでも座敷が掛かるように成った朝顔瞽女の深雪でした。

そんな中、大井川を渡って島田まで来た深雪。大評判の朝顔瞽女、連日3つ、4つと座敷が掛かる。
そこへ、江戸勤番の熊沢次郎左衛門、殿様からの過急の用で国元へと向かう途中。島田の陣屋で休息中に、
朝顔瞽女の噂を耳にする。そして、通された陣屋の座敷、そこに在った屏風に、「露のひぬまの朝顔を」
催馬楽の文句が書かれているのを発見する。もしやこれは私が白扇に書いたもの?朝顔瞽女は深雪どの?
そう推量した熊沢次郎左衛門。陣屋の主人に頼んで朝顔瞽女を呼んでのお座敷を設けてもうらう事に。

3年あまりの年月を経て三度再会の八十次郎と深雪。だがこの時、深雪がこの座敷の主賓が八十次郎とは知らない。
岡山藩の重臣としか知らないのです。そして、帰り際に相手が名乗るのですが、その名前は「熊沢次郎左衛門了介」。
深雪は『アッ!福岡で縁談を断り、家出の原因になったあの男だ!!』と驚くのでしたが、次郎左衛門こと八十次郎は、
この女性が深雪に間違いないと確信するのですが、何も告げずに深雪を帰してしまいます。
そして、この座敷を出る前に、さらさらと手紙を一本書いて陣屋の主人に渡します、「これを朝顔瞽女に読んで聞かせて下さい」と。

でねぇ、昔から変だと思う、深雪と八十次郎の行き分かれの大井川の場面なんですが、真夜中に陣屋の主に起こされて、
雨が降っているので明日になると川止です。今のうちにと言われて、深夜、八十次郎は川を渡り岡山へと向かいます。
ただ、この時代は暮れ六ツ過ぎると翌朝六ツになるまで、渡し場は誰も通れないはずですよね?大名は治外法権なのか?
とりあえず、深雪が手紙を陣屋の主人に読んでもらう前に、岡山に帰ってしまう次郎左衛門こと八十次郎!!
そして、あの有名な、“熊沢次郎左衛門こと宮城八十次郎”の文の結びに、深雪の身が震えて雨の中めくらなのに掛け出して、
「川を、川を、渡して下さい。」と濁流に入ろうとするのを、陣屋から追い掛けて来た若衆に止められる。

東への下りはここで中止して、一旦は、実家のある福岡に急いで帰る深雪。両親に家出をわびて、
とにかく目の治療だと両親が名医にみせると、薄紙を剥がすように完治して目が見えるようになる深雪。
そして、あの一旦お断りした「熊沢次郎左衛門様」との縁談を再度進めて下さいとお願いする。
何を今更と云う両親に、かくかくしかじかと説明すると、両親も事の次第を知り岡山藩に、
あらゆるつてを使って、「娘を熊沢次郎左衛門様へ」と求婚すると、やっとこの恋が叶い二人は夫婦になるのでした。
ってな感じの恋愛物語なので、真面目にやると十五〜二十話の連続モノの講釈なのです。

だから、貞心先生も弟子の貞寿さんも、簡単に深雪と八十次郎の生立ちを紹介し、まずは、「蛍狩り」だけたっぷり。
そして、かなり急ぎ足でスレ違いになる道中を五分くらいで説明してから「大井川、川止」もたっぷり。
更に、この続きもやる気なので、パッピーエンドになるのよと、大団円までを簡単に説明して終わるのです。
私の記憶が正しければ、松鯉先生が連続で演じられます。ただ、お薦めじゃないです。
是非、松鯉先生から、この『朝顔日記』を松之丞さんに伝承して欲しいですね。どうなるか?それは聴いてみたい。


次回、貞寿の会は八月十八日土曜日です。四谷怪談以外の怪談の予定です。

全5ページ

[1] [2] [3] [4] [5]

[ 前のページ | 次のページ ]


.
Mars_jj_boy
Mars_jj_boy
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

Yahoo!からのお知らせ

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事