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台風の接近で夜になって大荒れとなった8/6(月)に超満員で開催された「三三づくし」。
行きは雨も無く風も弱く、暑さも和らぎ、少し早目に横浜に到着。横浜駅で小松菜の掻揚げ蕎麦を食べて、
京浜東北線で桜木町へ。雑踏を抜けて、野毛の近道を通り、横浜にぎわい座へ。
常連の皆さんと挨拶して、スタンプラリー三回目の新しいスタンプを台紙に押して、コレクション!!
思ったのは、前回・前々回のハンコも置けよと思う事でした。どうせ、景品出さないのなら。
こんな感じで会場入りした時は、あんな悲惨な帰り途になるとは。。。思いもよらず。
9時20分くらいに桜木町で横浜行きの電車に乗ったら、小田原到着が11時半過ぎですよ。
東海道線は小田原で起きた落雷・停電の影響で、電車が線路に渋滞している状態、完全に麻痺していたから、
横須賀線の方へ廻って、何とか大船までは辿り着いた。この時点で10時15分くらいでした。
更に、東海道線に大船で乗換えると、電車がちょうどよく現れた「熱海行」。これに飛び乗って小田原へ。
茅ヶ崎まではなんとかノロノロ運転だけど、止まらず進んだが、茅ヶ崎で完全にストップ!!
この時点で、茅ヶ崎、平塚、大磯、二宮、国府津、鴨宮、小田原の各駅に上下電車が停車中。
パズルのような折り返し運転が始まっていて、一駅進むと10分停止みたいな感じでの運行になりました。
結局、普通なら25分くらいで着く道程を、1時間20分掛かりました。おかげで、小田原から自宅までの、
大雄山線は最終電車が出た後で、余計な出費になってしまいました。
そんな、行きはよいよい帰りは恐いだった、「三三づくし」。こんな内容でした。
1.湯屋番
出囃子が「栄冠は君に輝く」で、太鼓と鐘が入り高校野球っぽくにぎやかに登場する三三師匠でした。
まず、ある若い女性が御父さんの薦めで、初めて寄席に来たという話から入る三三師匠。
その女性、大阪から夜行バスで東京に帰ったその日に寄席へ。案の定、初めての寄席は睡眠の場となり、
落語がとか、寄席とは何てもんは全然分からず終わってしまった。薦めたお父さんも悪いが、
素直に従う娘もどうかと思うと云いながら、睡眠の障りにならなかったのを喜ぶ三三師匠でした。
「思わず寝てしまった」の繋がりで?高座で2回、寝た経験があると言い出す三三師匠。ほんまかぁ?!と思った。
一度目は、普通に寄席の高座で、落語を喋っていて記憶が飛んで、『アッ!今寝ていた?』と思った事があるそうです。
これは、誰かに「寝てたでしょう!?」と指摘された訳じゃないので、真相は薮の中だが、多分寝てたと思うと云う。
二度目、これは能楽と落語のコラボ企画、“謡曲”と“落語(講釈)”であの名作『鉢木』を演じるというもの。
イザ鎌倉!に備えて、甲冑と馬、そして刀だけは、どんなに貧乏になっても手放さなかった忠臣の物語で、
時の執権が僧侶に化けて、この忠臣宅を訪問、寒さを凌ぐ薪が無いのでと、大切に育てていた盆栽・松/梅/桜を、
薪代わりにして僧侶に化けた執権をおもてなし。後日、執権が「イザ鎌倉!」の号令を掛けるとこの忠臣が鎌倉へと駆けつける。
するとこの忠臣に、執権は、いつぞやの松/梅/桜のお礼であると、加賀国梅田庄、越中国桜井庄、
そして上野国松井田庄の領土を新たに恩賞として与える。尚、執権は北条時頼、そして忠臣は佐野源左衛門尉常世です。
この最中、三三師匠の弁によると大変緊張していたのに、謡いと雅楽で自身の間ではない時間ができてしまい、
思わず記憶が飛んで、ハッと気付いて喋ったけれど、完全に出遅れてしまい、周囲の演者に寝ていたのが丸分かり。
客にはバレていないと思ったけど、共演者からは後から、苦い指摘を受けたと云っておられました。
尚、能楽との共演は、二度とやっていないそうです。まぁ、『鉢木』と言えば、能以外は歌舞伎か講釈ですからね。
そもそも、落語家に頼むというのが?です。
そんな話題から、今年は猛暑で、テレビが煩いぐらいに「不要な外出を避けなさい」「外での運動は止めましょう」と云う。
もう耳にタコな状態で、テレビをぼーっと見ていると、「外での運動は止めましょう」を念を押すように言った後に、
「では、天気予報の後は、引き続き高校野球中継をお送りします。」と、アナウンサーは爽やかに言う。これには不条理を感じる。
さて、本編の『湯屋番』。小三治師匠のとは結構印象が異なる『湯屋番』で、煙突小僧煤之助は登場しません。
湯屋も柳家系の奴湯ではなく、桜湯です。確か、小せん師匠も三遊派の師匠からの根多なので桜湯のまま演じてます。
近年は、柳家だから奴湯にはしない傾向だし、六代目圓生の系統だからと云って、梅乃湯でもありません。
三三師匠のは、若旦那のダンディズムが滑稽です。
2.藁人形
マクラでは、三三青年が寄席に通い始めた頃の思い出を語りました。当時は、まず雑誌「ぴあ」からの情報で、
何処の寄席に行こうか?と、考えたそうです。もう今はない雑誌「ぴあ」が、出演者情報が充実していたらしい。
勿論、寄席の常連になると「東京かわら版」へと移行するんですが、それぐらいズブズブの関係にならないと、
なかなか最初から「東京かわら版」というのは珍しいケースだと云う。
ところが、この雑誌「ぴあ」も、フォーカスする芸能が、時代と共に移り変わり、落語の扱いが悪くなる。
最初は、主任は勿論、色ものまでの総出演者が載っていたそうです。それが最後は主任すら載らないし、
ホール落語も「朝日名人会」とだけ書かれて出演者は分からない始末だったらしい。滅ぶ訳です雑誌「ぴあ」。
そんなマクラから“糠”は江戸時代貴重な素材、食材だったという話を振って『藁人形』へ。
故歌丸館長へのオマージュなのか?歌丸師匠とはかなりテーストに異なる三三流の『藁人形』です。
見るなと言われた西念の甥・甚吉が鍋を開けた時の驚き方が印象的でした。
3.青菜
スタンプラリーのデザインの話に振れて、これに横浜の名所を必ずあしらって、三三師匠も一緒に入れる。
そんなデザイナーの苦労について話していると、「新横浜」の話題になる。現在は全ての“のぞみ”が停車するが、
10年数年前は、新横浜飛ばしの新幹線も在った。それどころか、のぞみの開業当初は、名古屋飛ばしすら在った。
そんな話題に振れて、かなり古い話ですが、落語協会の事務局長の葬儀の話題へ。多分、現在の市馬師匠の前の市馬さんだと思う。
この方の世話で、色ものの柳家紫文師匠が、落語協会に入会した経緯があり、紫文師匠が新横浜での告別式に行った際、
御徒町−東京と山手線で移動して新幹線に飛び乗ったら、「次は、名古屋」と言われて、間に合わなかったそうです。
そんな話題から季節の根多『青菜』へ。これも小三治師匠とはかなりテーストが違います。
一之輔師匠や白酒師匠のようには弾けないけど、ステディーな『青菜』ではありません。
欲をいうと、三三流の何かが欲しいですね。悪くは決してないのですが。夏限定の根多なので、
なかなか進化するのに時間が掛かると思います。
次回、三三づくしは、10/5(金)です。
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