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18時開演の会だったので、午前中から小田原「万葉の湯」で、サウナに入って時間調整する一日でした。
まず、温泉と露天風呂を午前中満喫して、ビールを飲んで軽く遅めの昼食。昼寝して16時にサウナに行くと、
星稜と済美の大熱戦をテレビ中継していた。あまりの熱戦に最後、済美の一番バッターの子が満塁弾を放つまで観て、
予定以上に汗をかいてしまったので、水分補給をたっぷりして、汗が止まるのをまって小田原市民会館へ。
毎年、真夏(お盆)と真冬(正月)に地元小田原で開催される柳家三三独演会。以前は落語のゲストを呼んでの開催が多かったのですが、
落語家のゲストが一巡した感じで、また、昨今の落語ブームでお盆の休み中には落語家のゲストが確保できないからか?
今年は、同協会の色モノさん!「ジキジキ」さんでした。膝にお迎えするには実にぴったりの賑やかなお二人で、会場も盛り上がりました。
さて、そんな、私は2015年以来の小田原市民会館:大ホールでの三三独演会、こんな内容でした。
1.やかん
横浜にぎわい座での「三三づくし」と、全く同じ本年の夏は異常に暑いから、ニュース&天気予報が「命にかかわる暑さ」と云う話題から。
「不要の外出をさけろ!」「外で運動するな!」と、云いながら、「次は高校野球中継です。」と云う。シニカルに指摘する三三師匠。
今年のような異常気象で、40℃を超える真夏がやって来た場合は、午前8時から12時までに二試合。
そして、午後18時から22時まで二試合を予定すればよいのにと思ってしまいます。現状の日程だと第二試合、第三試合は過酷過ぎます。
特に、この日延長十三回までもつれた星稜と済美の一戦は、選手は勿論、応援団も辛かったに違いない。
誰か倒れて死ぬまで、この灼熱地獄の大会は続けられるのだろうか?と、思ってしまいました。
さて、三三師匠の『やかん』。過去十年で三回目。まずまずのペースで聴く噺です。以前は魚の名前の知ったかぶり由来もやっていましたが、
最近は、最後の「川中島の合戦」をたっぷり気味に演じて、この魚の部分は全部カットで演じられます。講釈好きの三三師匠らしい一席。
2.寛政力士伝「小田原遺恨相撲」
高校野球の記念大会のブロック分けについて触れる三三師匠。神奈川は80回記念大会は東西だったのに、その後、90回、100回は南北になった。
ここで、平塚学園をディするあたりは、実に、小田原ローカルの受け狙いで、三三師匠らしいシニカルさだと思いました。
続けて、アマチュアボクシングの問題を軽くいじり、高校野球も奈良県代表は肩身が狭いと云う三三師匠でした。
ここから谷風のマクラに入ります。とにかく人格者の横綱だった谷風は“怒る”という事が無かったが、人生に一度だけ怒った事件があり、
それが、伊豆下田の漁師兼素人相撲の荒岩大吾郎だけは許せぬ相手だったと振って、『小田原遺恨相撲』へ。
これは、講釈では宝井の一門が演じる根多です。琴柳先生あたりから仕入れたのかな?三三師匠。私は三三師匠では初めてでした。
場所が小田原だけに、ぴったりの話で、8月末には大相撲の巡業が小田原にやって来る事になっており、実にタイムリーな根多でした。
当然、地噺で演じて講釈っぽく演じる三三師匠。生卵から谷風に代わって雷電が登場する展開になるのですが、
講釈では、小田原への谷風一門を仕切る役目から、雷電が担当するのですが、そこは入り方がちょっと違っていました。
もう少しやり慣れて来ると会話が増えると思うのですが、三三師匠らしい釈ネタです。
3.めおと楽団「ジキジキ」
池袋と同じくらいに“浦和!浦和!”が受けたのが不思議でした。美園浦和とか中浦和は小田原の人は絶対に知らないと思います。
おそらく、南浦和ぐらいでしょう?知っているの。「狙い撃ち」の替歌だから、なんとなく乗せられてしまうのか?
それにしても、“浦和”が付く駅が八つあるというのは、本当に驚きです。
4.幾代餅
マクラでは、この日の仲入りに救急車で運ばれたお客様が出た事に振れて、意識はしっかりしていて命には関わらないと思うけど心配する三三師匠。
ここで、以前にも聞いた事がある、福井県のお寺さんでの落語会で同じ様に救急車で搬送された方が出た話題を紹介しました。
この福井の落語会は翌年も開催されて、その救急車で運ばれた人が元気に、その年も参加していたので、三三師匠、良かったですねと声を掛けると、
その方が、救急隊員に「よく病院から寺送りになる人はありますが、お寺から病院送りの方は珍しい!!」と言われた。そんな話を振って、
病気というのは、いろいろありましてと、恋患いについても少し触れてから、『幾代餅』へと入る三三師匠でした。
このマクラで、私は圓歌師匠を思い出しました。まさに、この小田原市民会館で、圓歌師匠の『中沢家』の最中に客が貧血で倒れて、
救急隊員がその方をストレッチャーで搬送したんです。周りはザワザワしているのに、圓歌師匠は何事も無かったかのように、
坦々と、『中沢家の人々』を続けるのです。芸人魂を、私は見た気がしました。想定内なんでしょうね、圓歌師匠の中では。
さて、三三師匠の『幾代餅』。これまた初めての根多でした。この種の廓噺は、あんまりやらない三三師匠ですよね。
幾代と清蔵のからみも、必要最小限だし。『紺屋高尾』ではなく、あえて『幾代餅』なのも三三師匠らしい選択です。
次回、三三師匠の会は、9月14日の月例三三です。
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江戸落語には、色んな性格の登場人物が出て参ります。今日は、そんな江戸落語の登場人物について、少し考えてみる事にします。
まず、八五郎と熊五郎の二人です。同じ長屋に住んでいるという設定が多々あるのですが、意外と両雄が共に登場する噺は多くありません。
揃い踏みの噺には、『天災』。八五郎が妻だけでなく、母親も離縁する!と、隠居を訪ね離縁状の代書を頼みますが、とりあえず頭を冷やせ!!
心学の学者;紅羅坊名丸先生から、有り難い話を聞いて来い!と、言われます。その講義を聞いた八五郎、意外にも感銘を受けて、 この名丸先生から得た学問の知識を誰かに聞かせたい!という欲求から、思い切り付け焼き刃なのに、熊五郎が先妻を相手に喧嘩をしたと聞いて、 八五郎が、この仲裁に出向き、付け焼き刃な説教を熊五郎相手にぶつのですが… 実に落語らしく展開されるお噺です。 他にも、『天狗裁き』や『粗忽長屋』なんて両雄が登場する噺もありますが、江戸っ子、職人、粗忽、無筆ってな感じの部分は似ております。
ただ私が思うに、熊さん(熊五郎)の方は、学問や芸術、芸能には殆ど無頓着ですが、八っさん(八五郎)の方は好奇心からの興味はある。 『子別れ』の熊五郎も、そんなキャラクターだと思います。 さて、この八五郎の長屋でのお友達が、ご隠居です。八五郎が隠居の家を訪ねて、そこから噺が始まるって展開が、江戸落語には数多くあります。
そして二人は、合縁奇縁と申しましょうか?非常に気が合い、八五郎は困った時だけでなく、仕事が半チクで暇に成った時もご隠居を訪ねます。 また、ご隠居さんも娘夫婦からの仕送りで、お婆さんとの二人暮らしだから、書画骨董、短歌/俳句/狂歌と多趣味で風流三昧の暮らしです。 そんな所へ、八五郎が来るもんだから、薀蓄を披露し、所蔵品の数々を見せて、自慢したくなるのも無理はない。 ただ、このご隠居の自慢は、さほど嫌味が無いので、八五郎にも受け入れられるし、何か知りたい時にはご隠居を頼りにしています。 尚、このご隠居にも、唯一玉に瑕と言っていい欠点・短所がある。それは、知ったかぶりをして、知らない!と言えない事です。 最も登場回数が多い、八五郎、熊五郎、ご隠居さんの三人に続く、江戸落語に登場するスターは、与太郎ではないでしょうか?
落語の常套句で「八っさん、熊さん、横丁のご隠居さん、馬鹿で与太郎と申しますが…」と、紹介される与太郎ですが、本当に単なる馬鹿でしょうか? 私は、立川談志、志らくの師匠と弟子が言うように、どこか哲学的な信念を持ち、世捨て人のようで、世間を斜めから見ている男なのでは?と思います。 与太郎が登場したので、似て非なるキャラクター甚平さんについても紹介します。『火焔太鼓』『熊の皮』『鮑のし』などに登場する甚平さん。 先の常套句で言うと「人が良いのが甚平さん」と表現されますが、特に、『熊の皮』『鮑のし』では、馬鹿の要素を加えて演じられるので、 与太郎との区別がつかないように演じる咄家も少なくありません。女房の尻に敷かれてはいますが、馬鹿というより、怠け者?仕事嫌いなだけです。 『火焔太鼓』だって、甚平さんは道具屋をやっていますが、決して商売熱心ではありません。女房に尻を叩かれ、やもうえず商売しています。 最後に、女性も一人紹介しましょう、お崎さん。色んな噺に複数のキャラクターで登場しますが、統一性のあるキャラクターは、
非常に賢く、やりくり上手の働き者。ただし、男運がないのか?男を見る目がありません。ろくでもない亭主と一緒になっています。 例外は、『不動坊』のお崎さん。これは美人の後家なので、例えば『厩火事』のお崎さんとは別人?なくらいにキャラが違います。 とりあえず、今回は初回という事で、また、機会があれば、複数回登場する江戸落語の登場人物を、考察を加えて紹介します。 |
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今回は、新作ではなく、所謂「古典」。江戸時代から語り継がれている作品における言葉使いを問題にします。
発端を申しますと、菖蒲園さんのブログの“「紀州」という噺”における、憲坊法師さんの指摘です。
◆『紀州』
「しかしながらァ」と云う言い回しが、どうも耳に馴染まないと指摘されています。
志ん生は「なれども」、六代目圓生と、小朝師は「といえども、とずりをかけた」と表現しています。
古典落語の中で、「しかしながらァ」を使うのに違和感を覚える落語ファンは多いのか?
また、演者の方はどうなんだろう?と、考えました。今の若い二つ目さんに聞いてみたいと思います。
私は、「しかしながらァ」に違和感を覚えるか?と、問われると耳のコンディション次第のように思います。
所謂、昭和の名人、文楽、志ん生、圓生、小さん、正蔵の落語にドップリの状態だと、
この「しかしながらァ」には、ビビッと反応する耳の状態にあると思うのですが、
残念ならが、そうでない状態も多々あり、意識せずに聴いてしまうと、スルーする自分が居るかもしれません。
ただ、私のような単なるファンの耳ならどうでも良いけど、プロの咄家は意識して欲しいと思います。
以前、ある若手が小三治師匠から、仕事の依頼が留守電に入っていたので、折り返しの電話を掛けたら、
「只今、電話に出る事ができません。ピーっという発信音の後に、お名前、ご用件をお話下さい。」と、
自身の声で録音した部分に、小三治師匠が反応。「お前、鼻濁音がなっていない!!」と叱られて、
仕事の依頼の話は、何処へやらで、鼻濁音を電話で直されたそうです。
「だじずでど」を何度も、何度も云わされたそうですが、“只今”“電話に出る”“できません”。
どれも小三治師匠には、気に入られなかったみたいです。
言葉を使う職業だから、人一倍、言葉を大切にしている咄家は、勿論居ます。
ただ、東西、千人に咄家の数が迫りつつある現在、全く、これに頓着しない咄家も現れております。
それは、自分のファンが頓着しない部分だからと、切り捨てられては困るように私は思います。
・言葉の選択
・正しい撥音、イントネーション
・活舌/立板に水
・声の質
・声の強弱
この5つが同時に優れているのが理想ですが、上から3つはプロとしてそれなりのレベルが求められます。
なんとなく、私の印象ですが、下の3つができていると、ファンが付く傾向にあるので、
どうしても、上の二つはなおざりにされているように、私は感じます。
一方、色んな咄家さんに聞くと、上方の咄家は、この5つのうち、上の2つを徹底的に直される事が多いそうです。
大阪と京都の違いみたいな部分を含め、現代語と江戸時代の言葉の違いを徹底的に叩きこまれるらしいです。
例えば、「手」。京都は「て」ですが、大阪は誇張すると「てぇ」と撥音します。
また、単語のイントネーションも、京都は基本江戸と同じですが、大阪は異なります。
「一月、二月…」の月の呼び方も、違うというのが、「新にっぽんの話芸」ポットキャストで話題になってました。
さて、御存知のように、江戸弁と現代の標準語とはかなり異なっていて、
日常で江戸弁を家ん中で使っていた、談志、志ん朝の世代とそれより若い世代では下地の在り/無しの差が如実。
根岸の一門もそれに近い環境が在ったハズですが、不思議と七光のように二世に伝わらないようなのです。
住み込みでの弟子を経験している、小さん一門も、市馬師匠ぐらいがボーダーになるんですかねぇ。
まぁ、市馬師匠は大分県出身なので、そないに江戸前ではありません。
あと、近年、本当に私が思う直して欲しいのが、鼻濁音の“抜き”で語尾が不鮮明なのは、江戸前でカッコイイのを、
何か勘違いしていて、全て落語は語尾が不鮮明と思い違いをしている若い咄家が居ます。それが古典口調だと思っています。
最後に、講談/講釈と落語の差について、少し書きたいと思います。
講談は、落語よりも古くから本が手本として残っております。一方、落語は口移しなので基本無筆でも演じる事ができます。
この芸能伝承も差が、言葉の選択を、落語は講釈よりも自由度が高く、時代や流行り廃りで言葉が敏感に変化しています。
そして、何より講談は「講談社」の存在が大きく、人気の高い名人の公演は「本」になり数多く残っております。
この「本」によって芸が伝えられた事によって、講釈の方が、明らかに古く美しい言葉が残っていると思います。
「沈魚落雁閉月羞花」
落語では、まず聞かない言葉の響きですが、美人を喩える際、講釈では今も一番使われる表現なのです。
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台風の接近で夜になって大荒れとなった8/6(月)に超満員で開催された「三三づくし」。
行きは雨も無く風も弱く、暑さも和らぎ、少し早目に横浜に到着。横浜駅で小松菜の掻揚げ蕎麦を食べて、
京浜東北線で桜木町へ。雑踏を抜けて、野毛の近道を通り、横浜にぎわい座へ。
常連の皆さんと挨拶して、スタンプラリー三回目の新しいスタンプを台紙に押して、コレクション!!
思ったのは、前回・前々回のハンコも置けよと思う事でした。どうせ、景品出さないのなら。
こんな感じで会場入りした時は、あんな悲惨な帰り途になるとは。。。思いもよらず。
9時20分くらいに桜木町で横浜行きの電車に乗ったら、小田原到着が11時半過ぎですよ。
東海道線は小田原で起きた落雷・停電の影響で、電車が線路に渋滞している状態、完全に麻痺していたから、
横須賀線の方へ廻って、何とか大船までは辿り着いた。この時点で10時15分くらいでした。
更に、東海道線に大船で乗換えると、電車がちょうどよく現れた「熱海行」。これに飛び乗って小田原へ。
茅ヶ崎まではなんとかノロノロ運転だけど、止まらず進んだが、茅ヶ崎で完全にストップ!!
この時点で、茅ヶ崎、平塚、大磯、二宮、国府津、鴨宮、小田原の各駅に上下電車が停車中。
パズルのような折り返し運転が始まっていて、一駅進むと10分停止みたいな感じでの運行になりました。
結局、普通なら25分くらいで着く道程を、1時間20分掛かりました。おかげで、小田原から自宅までの、
大雄山線は最終電車が出た後で、余計な出費になってしまいました。
そんな、行きはよいよい帰りは恐いだった、「三三づくし」。こんな内容でした。
1.湯屋番
出囃子が「栄冠は君に輝く」で、太鼓と鐘が入り高校野球っぽくにぎやかに登場する三三師匠でした。
まず、ある若い女性が御父さんの薦めで、初めて寄席に来たという話から入る三三師匠。
その女性、大阪から夜行バスで東京に帰ったその日に寄席へ。案の定、初めての寄席は睡眠の場となり、
落語がとか、寄席とは何てもんは全然分からず終わってしまった。薦めたお父さんも悪いが、
素直に従う娘もどうかと思うと云いながら、睡眠の障りにならなかったのを喜ぶ三三師匠でした。
「思わず寝てしまった」の繋がりで?高座で2回、寝た経験があると言い出す三三師匠。ほんまかぁ?!と思った。
一度目は、普通に寄席の高座で、落語を喋っていて記憶が飛んで、『アッ!今寝ていた?』と思った事があるそうです。
これは、誰かに「寝てたでしょう!?」と指摘された訳じゃないので、真相は薮の中だが、多分寝てたと思うと云う。
二度目、これは能楽と落語のコラボ企画、“謡曲”と“落語(講釈)”であの名作『鉢木』を演じるというもの。
イザ鎌倉!に備えて、甲冑と馬、そして刀だけは、どんなに貧乏になっても手放さなかった忠臣の物語で、
時の執権が僧侶に化けて、この忠臣宅を訪問、寒さを凌ぐ薪が無いのでと、大切に育てていた盆栽・松/梅/桜を、
薪代わりにして僧侶に化けた執権をおもてなし。後日、執権が「イザ鎌倉!」の号令を掛けるとこの忠臣が鎌倉へと駆けつける。
するとこの忠臣に、執権は、いつぞやの松/梅/桜のお礼であると、加賀国梅田庄、越中国桜井庄、
そして上野国松井田庄の領土を新たに恩賞として与える。尚、執権は北条時頼、そして忠臣は佐野源左衛門尉常世です。
この最中、三三師匠の弁によると大変緊張していたのに、謡いと雅楽で自身の間ではない時間ができてしまい、
思わず記憶が飛んで、ハッと気付いて喋ったけれど、完全に出遅れてしまい、周囲の演者に寝ていたのが丸分かり。
客にはバレていないと思ったけど、共演者からは後から、苦い指摘を受けたと云っておられました。
尚、能楽との共演は、二度とやっていないそうです。まぁ、『鉢木』と言えば、能以外は歌舞伎か講釈ですからね。
そもそも、落語家に頼むというのが?です。
そんな話題から、今年は猛暑で、テレビが煩いぐらいに「不要な外出を避けなさい」「外での運動は止めましょう」と云う。
もう耳にタコな状態で、テレビをぼーっと見ていると、「外での運動は止めましょう」を念を押すように言った後に、
「では、天気予報の後は、引き続き高校野球中継をお送りします。」と、アナウンサーは爽やかに言う。これには不条理を感じる。
さて、本編の『湯屋番』。小三治師匠のとは結構印象が異なる『湯屋番』で、煙突小僧煤之助は登場しません。
湯屋も柳家系の奴湯ではなく、桜湯です。確か、小せん師匠も三遊派の師匠からの根多なので桜湯のまま演じてます。
近年は、柳家だから奴湯にはしない傾向だし、六代目圓生の系統だからと云って、梅乃湯でもありません。
三三師匠のは、若旦那のダンディズムが滑稽です。
2.藁人形
マクラでは、三三青年が寄席に通い始めた頃の思い出を語りました。当時は、まず雑誌「ぴあ」からの情報で、
何処の寄席に行こうか?と、考えたそうです。もう今はない雑誌「ぴあ」が、出演者情報が充実していたらしい。
勿論、寄席の常連になると「東京かわら版」へと移行するんですが、それぐらいズブズブの関係にならないと、
なかなか最初から「東京かわら版」というのは珍しいケースだと云う。
ところが、この雑誌「ぴあ」も、フォーカスする芸能が、時代と共に移り変わり、落語の扱いが悪くなる。
最初は、主任は勿論、色ものまでの総出演者が載っていたそうです。それが最後は主任すら載らないし、
ホール落語も「朝日名人会」とだけ書かれて出演者は分からない始末だったらしい。滅ぶ訳です雑誌「ぴあ」。
そんなマクラから“糠”は江戸時代貴重な素材、食材だったという話を振って『藁人形』へ。
故歌丸館長へのオマージュなのか?歌丸師匠とはかなりテーストに異なる三三流の『藁人形』です。
見るなと言われた西念の甥・甚吉が鍋を開けた時の驚き方が印象的でした。
3.青菜
スタンプラリーのデザインの話に振れて、これに横浜の名所を必ずあしらって、三三師匠も一緒に入れる。
そんなデザイナーの苦労について話していると、「新横浜」の話題になる。現在は全ての“のぞみ”が停車するが、
10年数年前は、新横浜飛ばしの新幹線も在った。それどころか、のぞみの開業当初は、名古屋飛ばしすら在った。
そんな話題に振れて、かなり古い話ですが、落語協会の事務局長の葬儀の話題へ。多分、現在の市馬師匠の前の市馬さんだと思う。
この方の世話で、色ものの柳家紫文師匠が、落語協会に入会した経緯があり、紫文師匠が新横浜での告別式に行った際、
御徒町−東京と山手線で移動して新幹線に飛び乗ったら、「次は、名古屋」と言われて、間に合わなかったそうです。
そんな話題から季節の根多『青菜』へ。これも小三治師匠とはかなりテーストが違います。
一之輔師匠や白酒師匠のようには弾けないけど、ステディーな『青菜』ではありません。
欲をいうと、三三流の何かが欲しいですね。悪くは決してないのですが。夏限定の根多なので、
なかなか進化するのに時間が掛かると思います。
次回、三三づくしは、10/5(金)です。
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◇朝練講談会「二扇会」 on お江戸日本橋亭
・茶碗屋敷 … 太福
・小夜衣草紙「蛤の吸物」 … 春陽
1.茶碗屋敷/太福
浪曲は『井戸の茶碗』ではなく、『茶碗屋敷』です。そして、かなり筋が違います。
『井戸の茶碗』の千代田が、『茶碗屋敷』では高木です。そして高木が吉田!!
高木には娘が居て、千代田と同じ展開とおもいきや、吉田には女房が居ます。
曲がった事が嫌いな屑やではなく、普通の屑や。その代わりに五拾両を戻す際に吉田が付き添います。
この高木と吉田は、曲がった事が嫌いで、高木の長屋で喧嘩が勃発!!刀を抜いてチャリンチャリン始めます。
当然大家が出て来て、ここは私に免じてと、金子を山分けにして、高木は茶碗を吉田に進呈します。
ある日、吉田の家に竹馬の友がやって来て、久しぶりに酒を酌み交わしていると、
こんな事件があり、金子と茶碗を手に入れたと云って、ご馳走しながら茶碗を友人に見せる吉田。
その友人が目利きで、「これは世に2つとない名器、蒼井戸の茶碗だ!」と云う。何万両の価値があるか?と腰を抜かす。
この茶器はお前ごときが持っているべきものではないと意見され、細川様に献上し、吉田は出世、高木も細川家に召抱えられる。
めでたし!めでたし!の物語なのですが、ここまで筋を変えるのならば、一層、『茶碗屋敷』の後日談的にしては?と思います。
ただ、問題は、細川家に名器・井戸の茶碗が二個集まりますけどね。
2.蛤の吸物/春陽
季節の怪談噺です。何度か春陽先生でも聴いておりますが、六代目伯龍の十八番でした。神田らしい怪談。
マクラで新宿の伝説のオカマの最期についての話が、実に興味深かったです。
◇夏の小辰 on 日本橋ピッコロ
・品川心中/通し
・青菜
今年は、何か通しの長講を掛けると決めて臨んでいる日本橋ピッコロさんでの小辰さんの独演会。
夏は、『品川心中』でした。切らずに通しで演じ、仲入り休憩後に『青菜』をやりました。
たっぷりの二席で、大満足でした。会の後の料理も美味しかった。二度満足の“夏の小辰”
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