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さて新内「明烏夢泡雪」をベースに、これを落語に直して、皆様と一緒に味わうための前提として蛇足ながら、
せっかく、新内を紹介するのでねぇ、ここは四代目岡本文弥さんを、今回は紹介してみたいと思います。
「その1」で使用した新内のあらずじは、岡本文弥作「定本 新内集」からの抜粋と、遣手婆ぁのお兼だけ小生オリジナルです。
岡本文弥さんは、昭和四十年代、講釈の寄席・本牧亭にて隔月で、10日に「新内・岡本文弥の会」を開催されていたそうです。
残念ながら私が本牧亭に行き出した時には、昭和六十年代から平成になってたのでねぇ。全く出会えませんでした。
岡本さんは百一歳まで生きて亡くなったので、彼が70代の頃に、本牧亭で隔月やっていた事になります。まるで小満ん師匠のよう。
と言うか、小満ん師匠が「岡本文弥」のようです。
◆「定本 新内集」
音源も「岡本文弥 新内珠玉集」として『平凡の友』から発売されているんですが、こちらは流石に買えないので…
CD7枚組です。いちおう、バラでも売られてはいるけど、二千五百円くらいします。
岡本文弥、明治の人で母親が新内の師匠だった関係で、門前の小僧のようにして新内に親しみます。
やがて、中学生になり文芸誌や同人誌に投稿する文学青年だった文弥さん。
高校・大学と進学しますが、早稲田を中退して、新聞社で働くようになります。
やがて、「秀才文壇」の発行元・文光社に勤めて、編集者として昼は働き、夜は新内流しの二刀流でした。
そんな生活が続いていた文弥さんに転機が訪れます、それは関東大震災。文光社が震災の影響で運営が立ち行かなくなり、
文弥さんは、新内一本で生きる決意をします。そこから、新内を政府に「無形文化財」と認めさせるまで伝統芸能として高めるのですが、
この四代目岡本文弥の偉いところは、古典だけでなく新作の新内を作り続けて200を超える作品を世に出した事でしょう。
ただ、YOUTUBEなどで検索すると出てきますが、文弥さんは「赤い新内」「プロレタリアート新内」などと呼ばれる、
戦前、戦中に左翼が喜びそうな新作を発表しています。そして、朝鮮民謡“アリラン”に乗せて、従軍慰安婦の日記を謡ったりしています。
亡くなった後に、朝日新聞のでっちあげであると分かるのですが、本当にご本人には、大迷惑な話だと思います。
少し脱線したので、話を戻します。
四代目岡本文弥さんは、晩年、なぜかテレビによく出ていたし、エッセイから人気に火が付き書籍も売れていました。
更に、俳句、短歌も発表されて、これにも注目が集まりました。それが99歳、百歳まで続いたので驚きです。
私個人の印象深いのが、たしか白寿の祝いだったと思いますが、新宿プーク人形劇場で、あの人形劇団とのコラボ新内をやった。
文楽/浄瑠璃でなくても成立させるのが、文弥さんらしいと思ったし、新内だからなせる技だと思います。
つづく
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元は、新内節の「明烏夢泡雪」で、この馴初めを、そっくり吉原を舞台にし、落語にしたものであるという。
そんな話を聞いたので、「明烏夢泡雪」を聴いてみると、いきなり、遊女“浦里”が悶えているような、艶っぽい場面が展開される。
春雨の 眠ればそよと起こされて 乱れそめにし浦里は
どうした縁でかのひとに 逢うた初手から可愛さが
身にしみじみとほれぬいて こらえ情なきなつかしさ
人目の関の夜着のうち あけてくやしき鬢の髪
なで上げ、なで上げ…。
それというのも、深い馴染みとなって通い続ける時次郎が、
親や義理ある相手の金をすっかり入れ揚げて、
死ぬより外にないという仕儀になっているからです。
落語『明烏』では、本当に二人が出逢う“初回”の場面しかやらないので、
その後、浦里と時次郎がどうなったか?なんて噺は、本当に誰も演じていないのか?!
これは本当にもったいないですよね。『宮戸川』だって、殆どが『お花半七』しか演じられませんが、
四人に一人ぐらいは、二人が夫婦になって、夢でお花が殺されるまで演じられます。それならば…
『明烏』も、裏を返して“なじみ”になって行く。更に燃え上がるような恋の末に、時次郎は日向屋を勘当になるのです。
勿論、発端は、源兵衛&多助に連れられて吉原へ、時次郎が初めて足を踏み入れる『明烏』。これが第一話です。
やがて、時次郎、店の金は勿論、親戚や出入の職人にまで借金し、
遂には、街場の座頭からまで借金を作り、やがて時次郎は勘当される。
男涙をハラリと流し、「いつまでこうしていたとても、限りもなきふたりが仲…
そなたも共にと言いたいが、いとしいそなたを手にかけて、どうなるものぞ
男・時次郎は独りで死ぬ覚悟。それを知った浦里は…
ふたり手を取り諸共と、なぜに言うてはくださんせぬ。
わたしを殺さぬお前の心、嬉しいようでわしゃ厭じゃ。
あなた、無しでは生きられませぬぅ!!
と、「男の肩にくいついて、身を、ふるわして泣きいたる」ということになります。
この「嬉しいようでわしゃ厭じゃ!!」という直截な言葉が耳に残ります。
ここまでで、第二話完です。
心中覚悟の二人ですが、イザとなると踏ん切りが付かず、仰せを重ねて今日も二階。
一文無しの時次郎を、身銭を切って座敷に上げる浦里だった。
その二階でひそかに居続けしている客と遊女の声は下に漏れ、
遣手婆ぁのお兼に勘付かれてしまいます。
「この子(禿)どもは灯をみると眠るかい?」と、
声、はしたなく禿のみどりを罵りながら二階に上がってきたお兼は、
「浦里さん、ちょっとお目にかかりましょ」と声を掛け、
隠そうとする浦里に「いまのくぜつの科白も、時次郎さんに極まった!
旦那が呼ばんす、さぁ、ござんりゃんせ!ござんりゃんせ!」と浦里の手を取って引き立てると、
隣座敷に居た亭主が浦里を連れて行きます。後に残った時次郎は大勢の若衆に囲まれて、
「蹴るやら、踏むやら、むしるやら」さんざんの目に遭って、店の外に放り出されてしまいます。
「どうでも口ではきかぬ奴」と、怒りを表わす廓の亭主は
罪も報いも後の世も、白髪頭のこめかみも、張り切るばかりのやら腹立ち、引き立ててこそ!!
と、浦里のたぶさをつかんでひきずり降ろします。
生木を裂くように引き離された二人。さて!どうなる!!どうなる!!って場面、ここで第三話の終了です。
ここからが新内では、有名な「雪責め」です。
内には亭主が浦里を、庭の古木にくくり付け、折ふしふりくる雪ふぶき
箒おっ取り、打つ音に、禿のみどりが取り付いて…
「もうし旦那さん、もう御堪忍なされませ」と云うのを、共にしばり折檻します。
浦里が「みどりになんの咎あって、あの子は許してくださんせ」と言えば、亭主は不憫に思いながらも、
「コリャやい浦里、客をせくこと客のため、女郎大切、身代が大事
あの客/日向屋の若旦那も いまだ若き人、あまり繁々通われては…」
と、分別心からの気遣いを語ります。
どうやら悪い人ではなさそうです。「思い直して奉公せよ」、
「思い切れ、思い切る心なら、いまでも縄を許してくれん」と、廓の主人。
牛太郎どもに気を付けて見張るように言いつけて奥に入ります。
講釈のやり口で、細かい切れ場になりますが、ここまでが第四話です。
雪の描写と責められる浦里と禿のみどり、責め地獄を会話で進めて客席を魅了する。一番の見場!!第四話となります。
亭主が去ったあと、浦里とみどりが雪の降る庭に残されます。
「エエお情けあるお言葉なれど、こればっかりはどうも忘られぬ。お許しなされてくださんせ」、と
すいた男にわしゃ命でも、なんの惜しかろぞ露の身の
浦里 「コレみどり、さぞそなたは悲しかろ。… 悪い女郎に使われて思わぬ苦しみ堪忍しや…」
みどり「いえいえ、わたしは寒うはござんせぬが、次ろさんはあのように、
若い衆にたたかれさんしたが、お前はくやしうござんしょう」というやり取りのうちに、
この世の名残りにいま一度、時次郎にあいたい顔が見たいとしゃくりあげます。
狂気の如く心も乱れ、涙の雨に雪とけて、前後正体なかりけり、という浄瑠璃が哀れです。
時次郎は、かねて用意の匕首を、口にくわえて身を固め、忍び忍んで屋根伝い
伝えてたわむ松が枝も、今宵ひと夜のかけ橋と…(若旦那が鼠小僧のように変身するのは御愛嬌です。)
時次郎は覚悟を決めて庭に降り、「コレコレ浦里、ここで死ぬるも易けれど逃るるだけは落ちて見ん」と、
連れて行こうとすると、みどりも共にと取りすがるのを「オオ、心得たり」とみどりを小脇に引きかかえて、
松の小枝を手掛かりに、忍び返しを引き外して梯子に使って、ようよう三人塀の上に出る!!
浦里は胸をすえ。死ぬると覚悟きわめし身の上、何かいとわんサァいっしょと
手を取り組んで一足飛び
いよいよ大団円です。
げに、もっともとうなずきて、互に目を閉じひと思い、ひらりと飛ぶかと見し夢は
さめてあとなく明烏、…後の噂や残るらん。堀口大學の詩のような世界が広がり物語は終わります。
なぁんだ!と思う人はいないでしょうが、「明烏夢泡雪」という表題に込められた趣向を噛みしめます。
「明烏夢泡雪」全五話。二人は死んだのか?謎のまんま終わるのがいいですね。
つづく
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