Marsのブログ

小さな会を精力的に聴く努力をしてまいります!!

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2019年02月

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『百年目』に続いて、やはり春の噺を紹介しようと思いました。しかも、『長屋の花見』『花見の仇討』以外を。
そして、春に掛かる噺を探っていると、『おせつ徳三郎』に巡り逢いました。ちょっと、マイナーな噺ですけどね。
私は好きな噺です。じゃぁ、どのくらい聴いているのか?調べてびっくりしました。年に1回平均なんです。
10年で11回ですよ。しかも、演者の数は7人。わん丈さんがやるのは知っていますが、若い二つ目があんまりやらない根多。



2009 2人3回
柳家喬太郎
立川志らく×2

2010 2人2回
立川志の輔(花見小僧のみ)
柳家喬太郎(刀屋のみ)

2011
なし
2012
なし

2013 1人1回
柳家小満ん(花見小僧のみ) 

2014 1人1回
柳家喬太郎

2015 1人1回
立川志らく

2016 1人1回
柳家三三(花見小僧のみ)

2017 1人1回
五街道雲助

2018 1人1回
隅田川馬石



この噺は、幕末に売れた初代春風亭柳枝の作で、人情噺として仲間に広まります。
明治の速記が非常に多く残っている作品で、それからも、柳枝の活躍、そしてこの噺の人気が伺える。
構成として前半は、定吉(or長松)に、主人が娘(おせつ)と徳三郎の関係を聞き出そうとする『花見小僧』。
そして、二人の関係を親旦那が知って、徳三郎には暇が出され、叔父の家に居候となった徳三郎。
そんな徳三郎の耳に、おせつが婿を取るという話が飛び込み、怒りに任せた徳三郎が、思慮を喪い刀屋へと掛け込む。

おせつと婿を殺して、自分も死んでやる!!そんな思いの徳三郎だが、刀屋のおやじに諭されて、斬り殺すのはお思い留まる。
そんな刀屋に、若衆を連れた香具師の親分がやって来る。そして、婚礼の当日、おせつが突然逃げ出したと聞く。
いてもたっても居られない徳三郎は、おせつを求めてお店の方へと、刀屋を走り去る。偶然、二人は再会するのだが…
サゲは、『鰍沢』と同じで、手に手を取った二人は、この世で添われずば、あの世でと、材木問屋に近い橋から、
川へと二人して飛び込むのだが、お材木の筏が下に在って助かるのでした。この後半が所謂、『刀屋』。


この『おせつ徳三郎』は、『花見小僧』の部分を、あの「鼻の円遊」が『墨田の馴初め』に改作して、
くすぐりをふんだんに入れて、楽屋オチも含めた爆笑ネタにしたのだが、この円遊の流れの皆さんは、
この噺をあまりやっていると、聴いた事が私はありません。
私が聴いた中だと、間違いなく、その「鼻の円遊」テイストで『花見小僧』をやるのは志らくさんです。
志らく師匠の『花見小僧』は、実に傑作です。定吉を攻める親旦那の、灸を持っての「足だせ!」の科白がマゾヒスティック!!
定吉のノラリくらりと誤魔化す語りも、志らく師匠ならでわで、ふんだんにクスグリも入ります。

親旦那に「なぜ、お前は見てなかったんだ?徳とおせつを!!」と、怒鳴られての言い訳がいちいち、楽屋オチのくすぐり。
定吉が、「婆やが、言うんです。“庭に毛氈敷いて、こん平師匠が『芝濱』やってるよ!!”」とか、
「船着場の小川で、川柳川柳師匠と鈴々舎馬風師匠がシンクロナイズドスイミングしてるよ!!」とか、言います。
また、灸で脅して訊く側だった親旦那が、徐々に定吉に主導権を奪われて、長命寺の桜餅のくだりあたりで完全に逆転する。
この本来の古典的な笑いのパターンは生かしつつ、志らく師匠独自の笑いを絶妙にブッ込んでくれます。

この『花見小僧』の部分は、親旦那が娘を思う親心がポイントで、その娘を思うあまりに行き過ぎて定吉を問い詰める。
ここが如何に落語的に表現できるか?なんだと思います。親バカちゃんりんの部分を、定吉が逆手に取って、
先に申したような、長命寺の桜餅の部分になるのだと思います。
だから、やっぱり娘を持つ咄家で、娘愛の強い咄家さんは、上手い気がします。先代馬生、志らくはまさにそうです。


一方、後半の『刀屋』。柏木の圓生は、この『刀屋』だけやっていた。たぶん志ん生もですね。また、目白の師匠も通しでもやるが、殆どの場合『刀屋』だけだった。
その流れで馬面の圓楽さんも、志ん朝師匠も、同じく『刀屋』だけをやっていました。
ところが、最近は、『花見小僧』だけって咄家と、上下に分けて演じるが通しで聞かせる咄家が増えていると思います。

さて『おせつ徳三郎』の後半の『刀屋』。ポイントは、刀屋のオヤジのキャラクターです。
徳三郎に対して、主従の一線を超えたお前が悪い!と、かなり凛とした態度で意見するキャラクターと、
老獪な好々爺で、徳三郎の気持ちを懐柔するような会話で、心を開かせて思い留まらせるキャラクターがあると思います。
どちらが正しいはないとおもいますが、どちらを選ぶか?は演者の個性だと思います。

凛とした方が刀屋という職業にもしっくりは来るし、昔の演者はこのタイプが多かったように思いますが、
最近の刀屋は、好々爺も半分くらい居るようにも思いますね。
尚、志らく師匠は『刀屋』のラストを、映画「卒業」のように変えて演じます。
ラストシーンは花嫁衣装のおせつの手を取って、徳三郎が渡し船に乗せるシーンで終わり、
二人に笑顔はなく、キャサリン・ロスとダスティン・ホフマンのように、海原の夕日に向かって船は進んで行く。
「お材木で助かる」よりは、ドラマっチックな最後が用意されております。
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寿限無     粗忽長屋

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化物使い   目黒のさんま

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井戸の茶碗  饅頭こわい

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芝濱           らくだ
『鰍沢』『明烏』と来て、今回は、落語『百年目』です。桜が咲く頃に近年は、よく掛かるように成った噺です。
と、申しますのも、東西の名人・米朝と圓生が十八番にしていた『百年目』だったので、他の咄家はお二人に遠慮して、高座に掛けませんでした。

それが、圓生は亡くなり、米朝は高座からの引退を発表されると、最初は圓生一門の弟子や米朝一門の弟子から、少しずつ高座で演じるようになり、
2001年を過ぎると、一門に関係ない咄家も、この噺を高座に掛けるようになる。それでも、演者は最初は還暦過ぎの師匠ばかりだった。
それが、2005年頃になると、40を過ぎたらやる咄家が現れ始めて、更に2010年を過ぎると30代でもやる演者が登場します。
結果、10年間で聴いた『百年目』は?

15人22回です。2009年から2018年に、こんな咄家で聴いておりました。

2009年 1人1回
三遊亭圓丈

2010年 1人1回
立川志の輔

2011年 4人4回
柳亭市馬
立川談笑
柳家権太楼
桂塩鯛

2012年 1人1回
鈴々舎馬桜

2013年 5人5回
立川志の輔
鈴々舎馬桜
むらし家今松
立川談春
柳家権太楼

2014年 3人4回
立川志の輔×2
柳家三三
立川談春

2015年 2人2回
桂宮治
立川談春

2016年 1人1回
春風亭一之輔

2017年 1人1回
立川談春

2018年 2人2回
桂宗助
柳家小満ん 

まずは、各咄家の『百年目』の感想を語る前に、私が感ずる『百年目』について、思いと考えを述べてみたいと思います。

この噺の、お店の親旦那さんの料簡と番頭さんの料簡。この二つの対比が、テーマであり江戸時代の日本の商人と言うものは、ずべからくこのようだったと、私は思います。
この番頭・治兵衛は、今の自分という者が今この地位に在るのは、自分だけの力であると思っている節がある。
そんな治兵衛だから、自分より未熟な手代や丁稚は、どーにも許せない。現代の会社組織にも同じような「部長」居ると思います。
番頭の治兵衛さん、兎に角、奉公人には厳しい。常に小言を絶えず浴びせるから、奉公人は萎縮して、心が休まる暇もありません。
一方で、治兵衛さん自身は、堅物を演じている。裏にまわると自分の裁量で、芸者を上げて、廓あすびもやっています。

そんな、治兵衛の裏のあすびを、偶然、向島で見た親旦那。この親旦那は、『明烏』の日向屋半兵衛さんと同じで、若い頃から茶屋遊びでならしているから、
根は遊びの分かる粋な奴だ!と番頭の一面を知り、あの栴檀と南縁草の話をする気持ちになる親旦那。遊びの一つもできないと、商いの鋒が鈍るという料簡ですからね、
お前の目から見たら半端な小僧や手代でも、長い目で見て指導してやり、時には息抜きにも目を瞑って欲しいと言う。

これは、近代の経済学にも通じる理屈でして、「配分効率性」と言う言葉で、経済学者・梶井厚志氏が『百年目』の親旦那の料簡を解説したコラムを読んだ経験があります。
噺の中で親旦那が番頭を戒めたのも、下の者たちが締め付けられ過ぎて、全くゆとりがなくなっていると、
将来いざというときに、彼等は働かず、店にほころびの出る危険が高まるからだと私は思います。

また、親旦那が治兵衛に、今まで通りに遊びを勧めるのも、往々にして遊びの中で将来のビジネスチャンスが見出されるからに他ならない。
現代のサラリーマン社会においても、私たちが仕事に必ずしも直結しない人付き合いでも大切にする背景には、
人の輪からもたらされる将来における有形無形の便益が、潜んでいるからに相違ない。

話は変わるが、警察はなぜ必要なのだろう。もしも、ある小さな町で、ある年一年間を通して、犯罪がまったく起こらなかったとしたら、
翌年からその町で警察は不要になるのであろうか?おそらくそうではない。
その時点で犯罪がなくとも、将来に渡ってその可能性がなくなるわけではないからだ。警察のない町は、ゆとりのない町かもしれない。
一方、基礎学問を研究する大学はなぜ必要なのだろう。もしも、そんな社会に貢献しない学問ばかり続ける教授が、
いったい何の役に立つのかと聞かれたら、それは社会の遊びであると堂々と答えるのがよいと梶井さんは言っている。

ゆとりか無駄か「配分効率性」

遊んでばかりいて大いに生活にゆとりを持たせるだけで、どんどん商売や学業に通じることができるならこんなにいいことはないが、残念ながらそうはいかない。
遊びの効果には限度があるものだ。そのため、遊びやゆとりに本当に価値があるのかどうかは、他の要素との比較で相対的に判断されねばならない。
たとえば、何年も着ていない服を考えよう。多少の愛着もあるし、そして何よりもそのうちにまた流行がやってきて、着るようになるかもしれないと思う。
可能性があるという意味では、そんな服はゆとりそのものだ。しかしながら、服を保存管理するのには馬鹿にならない手間と場所がいることを見逃せない。
膨大な費用をかけて、着る予定のまったくない服を保管するのは、間尺に合わないではないか?

すなわち価値あるゆとりとは、その維持費用に比べて、将来の可能性から得られる便益が十分に大きいもののことである。費用に比べて、便益が小さすぎるものこそが無駄なのである。
『百年目』に登場するあすびでも、鼻の穴に二本火箸を突っ込んでチリンチリンは、間尺に合わないあすびに入る気もするのだが、それでも評価に個人差がたる。
ここでいう費用と便益は、時と場合に依存し、しかも多分に個人差のあるものだ。
それゆえ、ある物や行為が無駄であるかそれとも遊びであるか判定するのは、多分に個人の主観的問題でもある。

『愛宕山』にも、こんなくだりがある。金持ちの旦那が、芸者や太鼓持ちを連れて京都の愛宕山に登り、名物の土かわらけ器投げをする。
土器を遠くの谷底にある的に当てる遊びだが、普通では面白くないので小判を投げると言い出す。
幇間の一八がそれはあまりに無駄でしょうと言うと、旦那は自分の稼いだ金で遊ぼうというのに文句を言うな、
無駄というならお前を連れて京都くんだりまで来るほうがよっぽど無駄だと言い返す。
それでもこんな遊びを思いつく旦那にとっては、幇間は無駄ではなく価値あるゆとりに違いなかろう。
無駄かどうか、絶対的な基準があるわけではない。
費用が高ければそれだけ無駄な度合いは大きいが、それでも便益のほうがまだ上回るのであれば、ゆとりと考えてよかろう。

ダイヤモンドの指輪を考えると、それをまったくの無駄と思う人もいれば、かけがえのない宝物であると崇拝する人もいる。
段ボール箱に詰められ押入れを占領する旧式のレコードを、役に立たないものの象徴と思う人もいれば、人生を豊かにする貴重な財産だと信じて疑わない人もいる。
長い行列に並んでラーメンを食べるのを、時間の無駄と思う人もいれば、娯楽であると感じる人もいる。
それらの個人的判断は、おそらくは費用便益の観点からも、正当化できるものだ。

つまりある物や行為は、それらが無駄か遊びかを絶対的基準で判定できないにしても、
それらが無駄と感じる人の手にあれば無駄であるし、遊びだと感じる人の手にあればゆとりなのである。
指輪は無駄だと思う人の手にあるべきではないし、段ボール箱のレコードはそれを財産だと思う人の手にあるべきである。
並ぶのを無駄だと思っている人が行列に加われば、それこそが本当の無駄であるから、並びたいと思っている人が並んで楽しむべきだ。

すなわち、物や行為はそれをゆとりと感じられる人に帰するべきだ。
これは人々の間でやりくりして無駄を排することに他ならないから、近代経済学ではこの考え方を配分効率性というそうです。

まさに、この配分効率性を俯瞰で考えて、奉公人たちの向上心を刺激しなさい!!と、『百年目』の親旦那は治兵衛に説いていて、
また、治兵衛自身も、花見の鬼ごっこを見られて眠れぬ夜を体験して、多分、ほんの少しだけ、その親旦那の気持ちを理解して、
この後、分家して暖簾分けし店を持って十年、二十年したら、この親旦那の気持ちが心底分かり、本当の意味で栴檀になるんだと思います。


さて、『百年目』の思いや考えを語り尽くしたので、ここからは、配分効率性をどの程度、表現できているのか?
実際に高座を見た15人の咄家、それぞれを私目線で評価していきましょう。

まず、この噺は、親旦那と番頭の治兵衛、この二人の演じ分け、キャラクターの格付けが、できていないと始まりません。
番頭の貫禄と、親旦那の貫禄です。これが確立された上で、初めて配分効率性なんて料簡の話にたどり着くのだと思います。

そいう視点で噺を見ると、私の聴いた15人では、ハッキリと見える感じだったのは、残念ながら五人。
小満ん師匠、今松師匠、志の輔師匠、市馬師匠、そして宗助さん。ただ、米朝師匠の親旦那を百とすると、75〜60くらいの貫目ですけどね。
親旦那!懐深いわぁ〜と、感動するレベルには、まだまだ、やっぱりたりません。

あとね、小満ん師匠以外の柳家は、皆さん同じ型で、権太楼・市馬・三三と聞いていて、馬桜さんのも微妙に違いました。
また、柳家と言う括りだと、志の輔師匠のも基本同じ気がして、圓生の『百年目』を色濃くベースにした演出です。
あと、志の輔師匠と権太楼師匠は、「土手弄り」で笑いを強く誘いに来ます。それに対して、三三師匠は少しやるけど、市馬師匠のは、土手を殆ど弄らない。

談春さんのは4回聴いていますが、親旦那が若い感じなんですよね。少し照れた感じにも聞こえます。
談笑師匠のは、楽天・三木谷社長のスチュエーションでの改作『百年目』で大爆笑したんですが、配分効率性を感じない噺でした。
圓丈さんのは、基本圓生の型なんですが、あまりに、喋りも口調も、圓生とは遠くて、空回りの『百年目』でした。
今松師匠のは、実に、ダンディで十代目馬生がやると、こんな感じ?と、思いました。一番、配分効率性が高い『百年目』。

最後に、上方落語の二人では、宗助さんの米朝師匠にソックリの『百年目』は、是非、聴いて欲しい。
塩鯛師匠のも、悪くは勿論なくて、ハメ物入りで、こじんまりした蕎麦屋で聴いたんだけど、配分効率性は少しでした。
さて、これまで三回は、新内の『明烏』を中心に岡本文弥の紹介なども交えてお送りしましたが、
今回は、やりますよ!(アサダ二世風)と、いうわけで、落語の『明烏』です。
この噺を有名にしたのは、間違いなく八代目文楽です。寄席で文楽が『明烏』を掛けると、
売店の“甘納豆”が売り切れたと言うぐらいの人気でしたし、文楽=明烏だった。

そして、私が耳にするのは、十代目の馬生の『明烏』も絶品で、ラストの時次郎が布団から顔を出す場面。
ここで見せる「男になりました!」って笑顔が、他の演者には真似できない、源兵衛と多助に投げる眼差しが、
上からで、勝ち誇っていて、しかも、幸せって感じでたまらなかったといいます。(残念ながら私は伝聞)


では、私が聞いた過去10年の咄家は、下記のようになります。先月の小田原・三三独演会の記事でも紹介しました。


2009 5人5回
立川談春
柳家三三
柳家花緑
柳家喜多八
立川生志

2010 4人4回
立川談春
立川志らく
桃月庵白酒
柳家喜多八

2011 4人4回
入船亭扇辰
三遊亭遊雀
柳家三三
立川談春

2012 6人7回
桃月庵白酒×2
鈴々舎馬桜
柳家三三
春風亭一之輔
柳家小満ん 
三遊亭歌橘

2013 2人2回
金原亭馬生
春風亭昇太

2014 2人2回
立川談春
桃月庵白酒

2015 4人4回
入船亭扇辰
五街道雲助
柳亭小痴楽
古今亭文菊

2016 3人3回
入船亭扇辰
古今亭文菊
桂やまと

2017 4人4回
桃月庵白酒
柳家ろべえ
立川談春
柳亭小痴楽

2018 2人3回
柳家三三
柳家小満ん×2



まずは、黒門町の弟子だった小満ん師。音源で聴いても、そんなに黒門町のやり方を踏襲しているイメージはありません。
意識して時次郎の印象を薄く表現して、浦里と一晩過ごした後の印象を強く残す感じで演じます。
特に、艶っぽいやりとりを、小満ん師匠らしく丁寧に描いてくれるのも、特徴です。

次に、亡くなった柳家喜多八の『明烏』。こちらは、時次郎が実にどうも、可愛いよりもちょっと間抜けギミ。
弟子の小八師匠、元ろべえさんのも師匠・喜多八師によく似た演出でやっております。

鈴々舎馬桜師匠と十一代の金原亭馬生師匠のは、教科書のような演じ方で、特に印象が有りません。
一方、同世代の雲助師匠のは、時次郎が可愛い!そして、十代目の馬生の芸のポイントを継承しています。

最後に、回数多く聴いている談春さんと白酒さん。こちらも対象的で面白いですね。談春さんのは時次郎が超可愛いです。
喜多八師匠のは、やや与太郎がかった時次郎ですが、談春さんのは甚兵衛さんがかった時次郎なのです。純粋です。
源兵衛と多助は、談春さんがやると素で演じられて、江戸っ子っぽさ、職人気質が際立って演じられます。
小痴楽さんの源兵衛と多助も、談春師匠のと、テーストは同じですね。

これに対して白酒師匠のは、全編あかるく喜劇タッチの白酒らくごらしい展開で聞かせてくます。
金原亭の雲助−馬生のラインとも違う独自の『明烏』です。
他にも、扇辰師匠や一之輔、そして文菊師匠のも聴いていますが、強い印象には残念ながらなっておりません。





朝は吹雪く雪ん中を、連雀亭へ行き、そこからDOUTOR Coffeeでお茶しながら、4時50分過ぎに箸庵さんへ。
既に17時より少し早目に開場していて、5?6人のお客様が中にいらしていました。
なんとか、最前列の一番下手に席を確保して開演時間を待っていると、開演時間の10分前ぐらいには、
お客様が全員揃う感じで、満員御礼!素晴らしい打ち上げの料理と、お酒も頂ける箸庵さんの落語会!こんな内容でした。

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・オープニングトーク
・徳ちゃん…昇也
・千早ふる…市弥
お仲入り
・真田小僧…市弥
・長屋の花見…昇也


1.オープニングトーク
山田邦子さんのNHKラジオ「日曜バラエティー」ではお馴染みの、市弥&昇也コンビなんだそうで、
この日も二人の団扇を持った、日曜バラエティーの常連さんが来ていて、箸庵さんに付いている一般の落語ファン、
この方々との温度差が半端なくありました。片や、市弥さんに対して“イッチー”と声援を送るコアなファン。
それに対して、箸庵さんに付いているファンは、まだ、落語が30%で、箸庵さんの料理が70%みたいな客です。

更に、この日は市弥さんのお誕生日の前日という事もあり、コアな市弥ファン、市弥マニアはプレゼント持参でした。
イケメン落語家の騎手と呼べる市弥さんの人気は、それなりだという事を認知させられます。同じ新版・三人集でも、
一蔵、小辰に比べると、やっぱり一味レベルの違う人気がありました。昇也さんも成金の番頭さんですからね。
彼にもそれなりにファンが付いていて、その筋の二人のファンが6〜7割は来ていて、盛り上がりました。

さて、トークで面白かったのが、市弥さんが最近行った都内の落語会。敬老会の皆さんがメインの落語会。
そこで、サプライズゲストが、市弥さんの落語の後で登場する趣向で、開演の直前に市弥さんには知らされた。
そのサプライズゲストというのが、本場・男鹿半島から呼んだ、ナマハゲ保存会の青年部のお二人、
赤ナマハゲと青ナマハゲでした。そして、主催者からの市弥さんへの指令は、ナマハゲ登場の科白を場内に流すから、
客が、落語が終わっても帰らないように、ナマハゲ登場までの1分間を繋いで欲しいと言うのである。

その本番。落語のサゲを言って頭を下げて拍手が起きる。普通なら追出し太鼓と「ありがとう!ございました」の声が掛かる所に、
ナマハゲの声が轟く!! 「悪い子はいねぇ〜かぁ〜」「泣く子は、いねぇ〜かぁ〜」、「悪い、嫁さぁ、いねぇ〜かぁ〜」
エッ!これを1分も貯めて流すの?と、思いつつ、市弥さんは、主催者の指令通り、白ら白らしく、「何が起きるんでしょうか?」
「まさか?本物が…、出て来たりしませんよねぇ〜」と、棒読みの科白で繋ごうとするが、お爺ちゃん、お婆ちゃん達は、
ノロノロとではあるが、会場を後に帰ろうとし始める。慌てて、市弥さんは、老人たちの引き留めにかかり、
何とかナマハゲの登場に間に合わせたのだが、登場した二匹のナマハゲに、老人たちは、ポカン状態で、ドン引きだったそうです。

そりゃ、そうですよね。泣く子も悪い子も、ましては、悪い嫁も居ませんからね。
そうそう、昇也さんも言っていましたが、ナマハゲの御当地・男鹿でも、ナマハゲ御断りの家が増えているそうで、
過疎化、少子化が進み、老人だけの家に、ナマハゲに来られても… 迷惑なだけらしいです。



2.徳ちゃん/昇也
今年の目標は、無駄なマクラを振らない事だと言う昇也さん。とりあえず、市弥さんに「イッチー!」「待ってました!」
「お誕生日、おめでとう!」「泣く子は、いねぇ〜かぁ〜!」と、声を掛けましょうと、言って、三道楽のマクラから、
“おいらん”は、尾を使わず人を騙すからと、“花魁”と書き、訓読みすると「はなのさきがけ」=「鼻の先欠け」=かさをかく。
そんなマクラから『徳ちゃん』へ。最近、『徳ちゃん』だけ聴いたのは久しぶり、『五人廻し』への導入どしてばかり聴いていた。

芋を齧る女郎は、昇也のもなかなか強烈なキャラで、笑いを誘っておりました。それにしても昇也さんは誰から習ったのか?
サゲも、芋女郎が廊下の板に足を取られて、“足抜いて?”と客の咄家に助けを求める。すると、助けに入った咄家も足が、
ズブズブっと板吸い込まれ、「若衆!足を抜いてくれ?!」、これを聴いた牛太郎が、返しの一言。
「お客さん、変わった趣味でらっしゃる、こんな女と足抜けとは!?」これがサゲでした。
白酒師匠のは、芋女郎のあまりの様子に縮み上がる、すると、縮み上がるはずだ、この女、越後は、小地谷の生まれだ。
さん喬師匠でも聴いたけど、サゲまでは覚えていないし、一之輔師匠でも1回聴いているが、サゲはどうだったか?
そういえば、雲助師匠のも聴いてます。こちらは、確か、表は締まっている、裏から帰ぇれ!と芋女郎に言われて、
咄家の客が、裏なんか返せるもんか?こんな店、が、サゲだったと思います。


3.千早ふる/市弥
偶然ですが、この日、市弥さんが掛けたネタは、まるまる、連雀亭での遊かりさん、笑二さんのネタと被りました。
市弥さん、今日は楽しい打上げにしましょうと言って、落語会のご贔屓には、暫く落語は聴いていなかったが、
最近の落語ブームで、また、落語を聴くようになったと言うお客さんが、時々、現れると言う市弥さん。
70歳オーバーのオールドファン。志ん生、文楽、そして圓生、八代目正蔵を生で見てきたんだと言う。

今年、35歳の市弥さんは勿論、生で間に合っているはずもなく、最近また聴くようになった贔屓の蘊蓄を聞かされる。
このパターンの打上げは、本当に辛いと言う。ただ、この日は、女性比率がMAXで、40人以上が女性客でした。
男性はつばなれしない人数で、市弥さんが懸念したような打上げにはならなかったと思います。
そんなマクラから、知ったぶりの話を少し振って、『千早ふる』へ。

昼間、遊かりさんの『千早』で、もやもやしていた胸の痞えが、市弥さんの『千早』で、かなりスッキリしました。
この日の昼に、テイトで太福さんとの二人会をやって、ここに来ている市弥さん。何をやったかは知らないけれど、
十分にアイドリングできてから、この高座だったのが分かりました。太福・市弥の会も行けば良かったと少し思いました。

ご隠居が、最初は八五郎のペースで、やや困りながらも「千早ぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは」
この歌を繰り返し、詠んでいるうちに、自分のペースを取り戻す。自信から慢心に変わる様子が、よくできていると思った。
あとね、この業平の歌。私が学生の頃に和歌の授業を習った先生は、濁って撥音していました、「千早ぶる」と。
意味から察しても、“フル”より“ブル”の方が音が、私の耳にもしっくり感じる。皆さんは、“ふる”派ですか?

咄家で、この噺を、“ブル”でやる人に、出逢った事が、私はなく、これまでリサーチした事もありません。
というか、この記事を書いていて、思い出したんです、大学の一般教養の授業で、和歌の授業を2年間受講して、
それを教えてくれた先生が、名前は覚えていないけど、“濁音”は、書かないけど、感性で付けるもんだった時代。
そのれは正しい、正しくないではなく、濁るべきか?は、詠み手の美意識の問題で、それが聴き手に共鳴した時成立した。

日本語って、そういう原点に帰るのが、平成も終わろうとしている現在、実に大切な事じゃないのか?と思う。
小学校の国語の教科書辺りから、濁点を無くしてみては?と思います。『千早ぶる』のススメでした。


4.真田小僧/市弥
マクラで、打上げの席で必ず受ける質問に、「市弥さんは、なぜ、咄家になったんですか?」というのが在る、と言う市弥さん。
今夜も四五回、この質問に答えるかもしれないので、今日はあらかじめ、この答えをマクラで語ります、と言い出した。
物ごころついた頃、寝る前に父親が、絵本を読むとか、昔話を聞かせてくれるなんてのは、どの家庭でも行われる事だと思うが、
市弥さんの父は、非常に変わった人で、絵本や昔話ではなく、小咄を毎夜、毎夜語ってくれたそうです。勿論、落研出身。

こうして、学校に行くようになると寄席に連れていかれるようになり、市弥さんは落研から柳亭市馬へと入門します。
自分が成らなかった、いや成れなかった夢を、息子が叶えてくれて、非常に喜ばれたそうです、父親からは。
らくごカフェの青木さんと同じような幼少期を過ごして、市弥さんは咄家になったんですね。
そんなマクラから『真田小僧』へ。こちらは、金坊も親父もやや平凡です。笑二さんの方が印象に残りました。


5.長屋の花見/昇也
市弥さんのマクラに刺激されたのか?昇也さんは、現在進行形で、娘さんが寝る前に、絵本や昔話をしてやっている話をしました。
まず、絵本。これは、1回読み終わると、娘さんは飽きて眠くなるまで、「もう一回!」「もう一回!」と、エンドレスに、
絵本を読んで!読んで!と、喰い下がり、限が無く非常に疲れてしまうと、言う、昇也さん。よく分かります。
昇也さんも、登場人物を江戸っ子にしたり、侍にしたり、花魁にしたりして、あの手この手で、自分が飽きないように、
工夫はしてみたものの、同じ絵本を十回以上読むのは、そうそう続かない。

そこで、昇也さんが取った行動は?

昔話を聞かせるのですが、複数の昔話をミックスしたり、例えば桃太郎で、犬がなかなか家来にならず、無駄に歳月を過ごした桃太郎。
結局、鬼退治に行けずにただの老人になり老衰し亡くなってしまう。そんな創作をして、娘さんもケラケラ大爆笑だのだが。
これをやると、嫁さんから、娘が幼稚園で虐められる!と、変なストーリーを教えるのを、やっていると止められるそうです。
私は、一回り年下の舎弟に、絵本を読み聞かせするのが非常に退屈だったので、まだ、2歳くらいだったのに、字を教えて、
独りで読めるようにするという方向に、読み聞かせではなく、読書に変える工夫をすることで、克服しました。

ただ、この読書。幼い子供は黙読できないので、声に出して読むのを、真面目に聴いてやる必要があります。
そして、時に間違いを訂正したり、途中で止めて、内容について質問や議論をしながら、興味を繋ぐ必要があります。
また、最初だけ読み聞かせしてから、読書させるのも必要ですね。これを録音、録画してより楽しくしてやる。

さて、本編の『長屋の花見』。最初の長屋の衆が大家さんに呼ばれて集まる場面、ここから店賃の催促ではなく、
貧乏ながらも長屋一同で、花見に行こう!と、誘われて、酒・肴を大家が用意してくれると聞いて、歓喜する一同。
ここまでは、大家さんが仏のように優しく慈悲深い人なのか?と、思わせておいて、「実は…」と、地獄に落としに掛かります。

一升瓶の酒は茶の出がらし、重箱の蒲鉾は大根の香香、そして玉子焼は沢庵だと知らされる。
更に、ムシロを指して「毛氈」と呼んで、これを敷いての宴会を、上野のお山でやろうと言うのだ。
一気にやる気が失せて、大家のしみったれぶりに、今更、納得する長屋一同。それでも強引に花見に連れて行く大家。
この攻防が私は好き。結局、大家に押し切られて、店賃を待ってやるから、全員付いて来いと言われ、渋々参加する長屋の衆。

桜のお山に着いてみても、茶と香香、沢庵では盛り上がろうはずもなく、無理に花見らしさを要求する大家だが、
この要求に反比例して、長屋の衆はシュンと大人しくなり、ボソっと呟く愚痴が笑いを誘います。
最後は、ヤケクソで空元気を出す長屋の衆だが、それでも心の底から騒いでいる訳もなく、なんとも侘しい感じが落語的です。

【打上げのお料理】
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次回は、三月九日(土)17時開場、17時半開演。立川談吉独演会です。
私は、別の予約を既に入れていて、参加できませんが、打上げの料理だけでも参加する価値があります。

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