|
雪が激しく降る中、神田駅から須田町交差点経由で連雀亭へ。凄く寒い中を傘をさして歩いていると、神田の老舗まつ屋前を通り掛かってた時10時45分に、若い女の子が三人並んでいる!!
その横を通り、「六文銭そば」の横を抜けて連雀亭へ。幟が無い!!やっているよなぁ?と、思いながら出番表を観ると今日の番組になっている。
そして、幟は階段に雪を避けて取り込まれていたのだった。階段を上がり、連雀亭の入口に着くと既に先客があり、私は二番目でした。そして、結局、あの雪の中13人のお客様が来場。
そんな、決死の覚悟で強者落語ファンが集まった連雀・ワンコイン寄席、このような内容でした。
1.千早ふる/遊かり
演者が三人。これより多いかな?と思っていたら、つばなれする客席に、いたく感動する遊かりさん。連雀亭の後は、浅草演芸ホールで出番らしく、そちらがつばなれしているか?心配しておられました。
浅草は、タダ券の客が、昼はコンスタントに百人くらい来るから、普通は大丈夫ですが、あの吹雪!吹雪!氷の世界だったから。。。
『千早』に入る前のマクラは、楽屋の師匠たちの中にも、知ったかぶりが居るという遊かりさん。芳香剤・サワデーはCMでは爽やかとか言うけど、本当に爽やかか?
みたいな話題で盛り上がっていたら、そこにとある師匠が遅れて来て、サワデーですよ、サワデー。と、言ってその師匠に意見を求めると、
「俺、サワデー、食うおう食うおうと思いつつ、まだ、食べた事ないから。」と、コメントして、新聞を熟読し始めた。そんな、知っタカあるあるから『千早ふる』へ。
尺を刈り込む為に、導入の隠居と八公の会話を、スムーズに業平の千早ふるの歌を紹介。娘は学校に行っている設定で始まる。八五郎は、まだ、マシだが、隠居さんが全く隠居らしく景色が見えない。
比較して恐縮だが、立川こはるさんの隠居が10点満点の8.5くらいの隠居だとすると、遊かりさんのは4.2くらい。半分以下である。
老人の男性ができていない。使いそうな言葉になっていないし、喋る速度もはやい。また、知ったかぶりして、自信満々に嘘八百を語る老獪さが見えないのだ。
また、ラストの豆腐屋・竜田川と乞食の千早太夫の激突も、工夫もなく迫力も足らない。おからをやる・やらないな場面が一番の山場なのに。
2.真田小僧/笑二
マクラでは、なぜ、沖縄出身唯一の落語家に成ろう!と、思ったかについて語る笑二さん。笑二さんが、初めて人前で何か芸を披露したのは、小学校五年生の学芸会。
出し物は、太宰治原作の「走れ!メロス」の演劇だった。笑二さんの通った沖縄の小学校は、1組から4組まであり、各クラスから一人ずつメロスが選ばれて、リレー形式で演じて行く趣向だった。
笑二さんのクラス以外は、自薦他薦で選ばれた候補を、クラスの皆んなで投票して、多数票を獲得した者が、メロスに選ばれて出たが、
笑二さんのクラスだけ、候補選びまでは、同じく自薦他薦だが、決戦方法がじゃんけんで、笑二さんが選ばれてしまう。
そして、台本でのメロスのリレー分け。1番目のメロスは、妹の結婚式を控えて、その祝いの品を街に買いに行き、街の沈んだ様子を怪訝に思い人々に訊ねると、
市民からは、王様の暴君ぶりの評判を聞くメロス。憤慨したメロスは妹へのプレゼントの事など忘れて、王様暗殺を実行しようとして、捕らえられる。
第二のメロス、捕らえられたメロスは王の前に引き出され、王は人間同士の友情など存在しない!と言い放つのに対し、メロスは俺が友情というものがある事を証明してやると言い返す。
ならば、友情とやらを見せてみろ!となり、メロスは妹の結婚式を祝い街と式場を走って往復する、その間、人質として親友のセリヌンティウスが王の元に残り、万一、メロスが期限の三日経って帰らない場合は、命を王に差し出すと言う。
第三のメロスは、妹の結婚式に参列し、それを祝福。そのまま、大返しで王様の居る街に戻ろうとするが、途中、山賊に襲われて捕まり、もう少しでセリヌンティウスの命が無くなる所だったが、
何とか山賊の手から逃れたメロスは、最後の力を振り絞って、親友セリヌンティウスの待つ街に、何とかギリギリ期限の三日目の日没に帰って来る。
最後の四番目のメロスは、親友セリヌンティウスと熱い抱擁で互いの友情を確かめ合う。メロスが、王に、約束通り戻ったから、セリヌンティウスを解放しろ!代わりに私の命は、お前にくれてやる!と言うと、
セリヌンティウスが、待った!と叫び、自分は最終日、夕日が沈み始めた瞬間、一度だけ、メロス!お前の事を疑い、お前が帰らないかもしれないと、本気で考えたと告白!だから、命を差し出すのは、裏切り者の自分だと言う。
それを聞いたメロス。それなら俺の方が先にお前を裏切った。なぜなら、山賊に捕まり縄で縛られた昨夜。俺はもう戻るのは無理と、一旦、完全に諦めた瞬間があったからと言う。
互いが自分の命を差し出す姿に、王様は友情と言うものが人間にはあり、それを信じる事が人の道だと改心して、メロスとセリヌンティウスの命を奪おうとした、自分を恥じたのでした。
四人のメロス。笑二さん以外は、背が高いイケメンのクラスの人気者。笑二さんは、小5の頃は今より更にデブの肥満児だった。なのにじゃんけんで勝って第四のメロス、ラストのメロスを選びました。
本番当日、笑二さんの両親をはじめ、多数の父兄が見守る中、「走れ!メロス」は上演されて、三日三晩飲まず食わずで走ったメロスが、太って帰って来ると言う、3/4はシリアスな展開だったのが、
最後の最後に、超喜劇になり、会場が爆笑の渦に包まれたそうです。笑二さん曰く、この小5のメロスで受けた程、プロでも笑いを取った事がないくらい、この時のメロスは受けたそうです。
本編の『真田小僧』。笑二さんの金坊は、最初、父親に「ある日のお母さん」を語る時、寄席の前座さんみたいに、
「まずは、おっとうの長男坊、金太で御座います。お後をお楽しみに、まずは一席のお付き合いをお願いします。」
「えー、よく、世間では、知らぬは亭主ばかりなり。なんて事を申しますがぁ。」とマクラまで振ります。この入り、私は大好きです。
3.鬼の面/あん子
上方落語では、お馴染みの『鬼の面』ですが、江戸落語では初めて聴きました。少し筋が違いました。
子守奉公に出た女の子が、母さんそっくりの「おたふく」のお面を、道具屋/お面屋からタダで貰って、毎晩、奉公の悩みや愚痴を母親に相談するかのように話し掛ける。
ここまでは、同じですが、あん子さんのこの日の噺では、番頭がむやみに女の子をパワハラっぽくコキ使い、弱い立場の女の子は、毎晩シクシク泣きながら、面と対面する。
この泣き声が外に漏れて、お店では幽霊騒動が持ち上がり、番頭は、旦那命令で、幽霊の正体を突き止める為に、夜中に泣き声の主を求めて納戸へと入ってみると、子守女中が幽霊の主と分かる。
ここで、あん子さんの方は、番頭さんがナマハゲの面とおたふく面を入れ替えますが、上方落語では、主人が能の鬼面とすり替えます。
また、上方落語の子守っ子は、いじめには合ったていないし、幽霊騒動もありません。
さらに、金を女中が見つけるくだりも、上方落語では、博打の銭を手にするのに対し、あん子さんの方は泥棒の銭を手にします。
あん子さんの方は、連雀亭の限られた時間のせいもあり、やや急ぎ語りで、語尾がはっきりしない喋りだったのが、やや残念でした。次は、もっとゆっくり聴きたい一席でした。
|
過去の投稿月別表示
[ リスト | 詳細 ]
|
冒頭に、岡本文弥さんの名言を一つ紹介します。「戦争は嫌でございます。親孝行ができませんし、なにしろ散らかしますから。」この言葉は、実にいい。新内のように粋です。
さて、落語の『明烏』を考える!と、言いながら全く触れていないぞ!と、お怒りの貴方!、申し訳ありませんが、まだ、今回も、黒門町でお馴染みの『明烏』は、登場しません。
それなら、今回は何んなんだ?!と、言うと「その1」で軽く予告しておいた、新内『明烏夢泡雪』の続編、『明烏後正夢』に付いて、今回は紹介したいと思います。
普通、新内『明烏』といえば「明烏夢泡雪」を指すのですが、俗に「まさ夢」と呼ばれる「明烏後正夢」は「泡雪」の後、百年ほど経った安政四年(1857年)に、新内中興の祖といわれる富士松魯中が作った、男女道行モノの新内です。
芝居だとね、仮名手本忠臣蔵の「お軽勘平」に代表されるような道行を描いた作品が勿論売りの一つですが、新内では、珍しい展開なんだそうです。
これも「泡雪」と並ぶ、四代目文弥さんが手掛けた名曲と言われていますが、高座にはめったに掛からなかったようで、音源ですら、私は聴いた事がありません。
現在も、落語協会の寄席に出ている色物で、粋唄の柳家小菊師匠。彼女は亡くなった柳家紫朝さんの弟子なので、この師匠から新内修行を仕込まれたと、仰っています。
寄席にお出になる合間に、最近でもたまに、「小菊を聴く会」と銘打って独演会を開いたりもしておられます。『たぬき』を掛けられた、赤坂の会には、小生も行きました。
あとは、比較的長い持ち時間、30分くらい池袋の文芸坐でも、たっぷりと、ホール落語の合間の演奏でしたが、「まさ夢」は聴いた事が在りません。
漏れ聞いた話によると、2007年の夏に、いまから12年前になりますが、世田谷の小さなホールで行われた「小菊を一寸きく会」という会で、粋唄・俗曲を披露する中に「まさ夢」を弾き語りで聴かせてくれたそうです。
余談になりますが、元小圓歌先生が、三代目圓歌のご威光を遺憾なく発揮して、二代橘之助を襲名されましたが、この名跡は、私は小菊さんの方が遥かに相応しいと思います。そう思ったのは私だけじゃないけどね。
そんな意見、巷でちょくちょく耳にします。初代が偉大過ぎるから、それを知る生き証人が居なくなるまで、なかなか襲名出来なかった伝説の名跡ですからね。
忍び寝の、枕二つをそのままに
ほんに辛気な死神に
あすはなき名を竪川や、われから招ぐ扇橋
この世を猿江大島の森の繁みにたどりつく
ってな具合で、道中付けを聴くことができて、言葉も節も優れた作品である高く評価されております。
小生は、なかなか「まさ夢」を聴く機会に恵まれませんが、心に願っていれば、いずれ巡り合えるものと信じアンテナを張っております。
落語の『明烏』の後に「その1」で書いた、全5話を足して、浦里と時次郎を心中にはしない展開で、「まさ夢」を加えて、この道行と、道中付けまで入れて、全6話のハッピーエンドにするというのは、如何でしょうか?
つづく
|
|
さて新内「明烏夢泡雪」をベースに、これを落語に直して、皆様と一緒に味わうための前提として蛇足ながら、
せっかく、新内を紹介するのでねぇ、ここは四代目岡本文弥さんを、今回は紹介してみたいと思います。
「その1」で使用した新内のあらずじは、岡本文弥作「定本 新内集」からの抜粋と、遣手婆ぁのお兼だけ小生オリジナルです。
岡本文弥さんは、昭和四十年代、講釈の寄席・本牧亭にて隔月で、10日に「新内・岡本文弥の会」を開催されていたそうです。
残念ながら私が本牧亭に行き出した時には、昭和六十年代から平成になってたのでねぇ。全く出会えませんでした。
岡本さんは百一歳まで生きて亡くなったので、彼が70代の頃に、本牧亭で隔月やっていた事になります。まるで小満ん師匠のよう。
と言うか、小満ん師匠が「岡本文弥」のようです。
◆「定本 新内集」
音源も「岡本文弥 新内珠玉集」として『平凡の友』から発売されているんですが、こちらは流石に買えないので…
CD7枚組です。いちおう、バラでも売られてはいるけど、二千五百円くらいします。
岡本文弥、明治の人で母親が新内の師匠だった関係で、門前の小僧のようにして新内に親しみます。
やがて、中学生になり文芸誌や同人誌に投稿する文学青年だった文弥さん。
高校・大学と進学しますが、早稲田を中退して、新聞社で働くようになります。
やがて、「秀才文壇」の発行元・文光社に勤めて、編集者として昼は働き、夜は新内流しの二刀流でした。
そんな生活が続いていた文弥さんに転機が訪れます、それは関東大震災。文光社が震災の影響で運営が立ち行かなくなり、
文弥さんは、新内一本で生きる決意をします。そこから、新内を政府に「無形文化財」と認めさせるまで伝統芸能として高めるのですが、
この四代目岡本文弥の偉いところは、古典だけでなく新作の新内を作り続けて200を超える作品を世に出した事でしょう。
ただ、YOUTUBEなどで検索すると出てきますが、文弥さんは「赤い新内」「プロレタリアート新内」などと呼ばれる、
戦前、戦中に左翼が喜びそうな新作を発表しています。そして、朝鮮民謡“アリラン”に乗せて、従軍慰安婦の日記を謡ったりしています。
亡くなった後に、朝日新聞のでっちあげであると分かるのですが、本当にご本人には、大迷惑な話だと思います。
少し脱線したので、話を戻します。
四代目岡本文弥さんは、晩年、なぜかテレビによく出ていたし、エッセイから人気に火が付き書籍も売れていました。
更に、俳句、短歌も発表されて、これにも注目が集まりました。それが99歳、百歳まで続いたので驚きです。
私個人の印象深いのが、たしか白寿の祝いだったと思いますが、新宿プーク人形劇場で、あの人形劇団とのコラボ新内をやった。
文楽/浄瑠璃でなくても成立させるのが、文弥さんらしいと思ったし、新内だからなせる技だと思います。
つづく
|
|
元は、新内節の「明烏夢泡雪」で、この馴初めを、そっくり吉原を舞台にし、落語にしたものであるという。
そんな話を聞いたので、「明烏夢泡雪」を聴いてみると、いきなり、遊女“浦里”が悶えているような、艶っぽい場面が展開される。
春雨の 眠ればそよと起こされて 乱れそめにし浦里は
どうした縁でかのひとに 逢うた初手から可愛さが
身にしみじみとほれぬいて こらえ情なきなつかしさ
人目の関の夜着のうち あけてくやしき鬢の髪
なで上げ、なで上げ…。
それというのも、深い馴染みとなって通い続ける時次郎が、
親や義理ある相手の金をすっかり入れ揚げて、
死ぬより外にないという仕儀になっているからです。
落語『明烏』では、本当に二人が出逢う“初回”の場面しかやらないので、
その後、浦里と時次郎がどうなったか?なんて噺は、本当に誰も演じていないのか?!
これは本当にもったいないですよね。『宮戸川』だって、殆どが『お花半七』しか演じられませんが、
四人に一人ぐらいは、二人が夫婦になって、夢でお花が殺されるまで演じられます。それならば…
『明烏』も、裏を返して“なじみ”になって行く。更に燃え上がるような恋の末に、時次郎は日向屋を勘当になるのです。
勿論、発端は、源兵衛&多助に連れられて吉原へ、時次郎が初めて足を踏み入れる『明烏』。これが第一話です。
やがて、時次郎、店の金は勿論、親戚や出入の職人にまで借金し、
遂には、街場の座頭からまで借金を作り、やがて時次郎は勘当される。
男涙をハラリと流し、「いつまでこうしていたとても、限りもなきふたりが仲…
そなたも共にと言いたいが、いとしいそなたを手にかけて、どうなるものぞ
男・時次郎は独りで死ぬ覚悟。それを知った浦里は…
ふたり手を取り諸共と、なぜに言うてはくださんせぬ。
わたしを殺さぬお前の心、嬉しいようでわしゃ厭じゃ。
あなた、無しでは生きられませぬぅ!!
と、「男の肩にくいついて、身を、ふるわして泣きいたる」ということになります。
この「嬉しいようでわしゃ厭じゃ!!」という直截な言葉が耳に残ります。
ここまでで、第二話完です。
心中覚悟の二人ですが、イザとなると踏ん切りが付かず、仰せを重ねて今日も二階。
一文無しの時次郎を、身銭を切って座敷に上げる浦里だった。
その二階でひそかに居続けしている客と遊女の声は下に漏れ、
遣手婆ぁのお兼に勘付かれてしまいます。
「この子(禿)どもは灯をみると眠るかい?」と、
声、はしたなく禿のみどりを罵りながら二階に上がってきたお兼は、
「浦里さん、ちょっとお目にかかりましょ」と声を掛け、
隠そうとする浦里に「いまのくぜつの科白も、時次郎さんに極まった!
旦那が呼ばんす、さぁ、ござんりゃんせ!ござんりゃんせ!」と浦里の手を取って引き立てると、
隣座敷に居た亭主が浦里を連れて行きます。後に残った時次郎は大勢の若衆に囲まれて、
「蹴るやら、踏むやら、むしるやら」さんざんの目に遭って、店の外に放り出されてしまいます。
「どうでも口ではきかぬ奴」と、怒りを表わす廓の亭主は
罪も報いも後の世も、白髪頭のこめかみも、張り切るばかりのやら腹立ち、引き立ててこそ!!
と、浦里のたぶさをつかんでひきずり降ろします。
生木を裂くように引き離された二人。さて!どうなる!!どうなる!!って場面、ここで第三話の終了です。
ここからが新内では、有名な「雪責め」です。
内には亭主が浦里を、庭の古木にくくり付け、折ふしふりくる雪ふぶき
箒おっ取り、打つ音に、禿のみどりが取り付いて…
「もうし旦那さん、もう御堪忍なされませ」と云うのを、共にしばり折檻します。
浦里が「みどりになんの咎あって、あの子は許してくださんせ」と言えば、亭主は不憫に思いながらも、
「コリャやい浦里、客をせくこと客のため、女郎大切、身代が大事
あの客/日向屋の若旦那も いまだ若き人、あまり繁々通われては…」
と、分別心からの気遣いを語ります。
どうやら悪い人ではなさそうです。「思い直して奉公せよ」、
「思い切れ、思い切る心なら、いまでも縄を許してくれん」と、廓の主人。
牛太郎どもに気を付けて見張るように言いつけて奥に入ります。
講釈のやり口で、細かい切れ場になりますが、ここまでが第四話です。
雪の描写と責められる浦里と禿のみどり、責め地獄を会話で進めて客席を魅了する。一番の見場!!第四話となります。
亭主が去ったあと、浦里とみどりが雪の降る庭に残されます。
「エエお情けあるお言葉なれど、こればっかりはどうも忘られぬ。お許しなされてくださんせ」、と
すいた男にわしゃ命でも、なんの惜しかろぞ露の身の
浦里 「コレみどり、さぞそなたは悲しかろ。… 悪い女郎に使われて思わぬ苦しみ堪忍しや…」
みどり「いえいえ、わたしは寒うはござんせぬが、次ろさんはあのように、
若い衆にたたかれさんしたが、お前はくやしうござんしょう」というやり取りのうちに、
この世の名残りにいま一度、時次郎にあいたい顔が見たいとしゃくりあげます。
狂気の如く心も乱れ、涙の雨に雪とけて、前後正体なかりけり、という浄瑠璃が哀れです。
時次郎は、かねて用意の匕首を、口にくわえて身を固め、忍び忍んで屋根伝い
伝えてたわむ松が枝も、今宵ひと夜のかけ橋と…(若旦那が鼠小僧のように変身するのは御愛嬌です。)
時次郎は覚悟を決めて庭に降り、「コレコレ浦里、ここで死ぬるも易けれど逃るるだけは落ちて見ん」と、
連れて行こうとすると、みどりも共にと取りすがるのを「オオ、心得たり」とみどりを小脇に引きかかえて、
松の小枝を手掛かりに、忍び返しを引き外して梯子に使って、ようよう三人塀の上に出る!!
浦里は胸をすえ。死ぬると覚悟きわめし身の上、何かいとわんサァいっしょと
手を取り組んで一足飛び
いよいよ大団円です。
げに、もっともとうなずきて、互に目を閉じひと思い、ひらりと飛ぶかと見し夢は
さめてあとなく明烏、…後の噂や残るらん。堀口大學の詩のような世界が広がり物語は終わります。
なぁんだ!と思う人はいないでしょうが、「明烏夢泡雪」という表題に込められた趣向を噛みしめます。
「明烏夢泡雪」全五話。二人は死んだのか?謎のまんま終わるのがいいですね。
つづく
|
|
2018Seasonの「三三づくし」が、この日、2/5でフィナーレでした。次回三月三日は、その6回連続満員御礼記念公演。
近年、にぎわい座は、三月三日は“三三の日”と呼び、三三独演会を毎回やっています。去年は「豚次傳」の感謝祭だったので、
ゲストに三遊亭白鳥師匠が招かれましたが、今回は、ゲストもなく三三師匠一人で、三席勤めるみたいですね。
さて、2019Seasonの開催も決定し、益々、にぎわい座のエースになった三三師匠の独演会!「三三づくし」、こんな内容でした。
1.権助提灯
出囃子は、小田原市民会館と同じ冬の童謡だったのですが、タイトルをド忘れしました。何度か聞いたマクラで、暑さ寒さのピークについて。
夏至や冬至が昼間の時間の最長/最短だが、そこが暑さ寒さのピークにならない理由を、一日の気温で、太陽が真上に位置する正午が最高ではなく、
二時間程度ズレた二時(14時)頃にピークが来るのと同じだ!!と、必死に三三師匠は説明するのだが、毎回、賛同は得られず、客席の反応は薄い。
この日は、五分も説明したところで、諦めて話題を変える三三師匠でした。
変えた話題は、節分。いつの頃からか?寄席でも豆撒きが、寺社でやるみたいに、何時から始まったのだろう?三三師匠が言うには、
中学生時代、二月三日に鈴本へ行った事があるが、三十数年前の寄席では、豆なんて撒いていなかったと言うのである。
言われて私も1990年代の寄席はどうだったか?と回想してみたが、そもそも二月三日に、間違いなく行った!と、云う記憶が無い。
よって、思い出しようもなく誰か覚えてませんか?と、周囲に聞き捲っているが、興味がない!との返事しか得られない。
また、その5〜6年後に、三三さんが入門して前座になってみると、豆撒きという行事を経験する。『寄席で豆撒きなんて!やるんだ!!』と、思ったそうだ。
だから、三三師匠の記憶違いなのかもしれないと、ご本人が仰っておりました。そんな話の流れで寄席の豆撒きの話題へ。
末廣亭にある、豆撒き用の「裃」と「袴」が、実に、昔の寄席芸人サイズで、裃はまだ許せるが、袴は三三師匠が履くと膝下二センチのツンツルテン!らしい。
新しいのを買う気は、さらさらないのが寄席である。そう考えると昭和の名人サイズなので、昔からやっていたのかな?豆撒き。
そんなマクラから悋気の話題を振って、男の方が女よりも焼餅に見境ないと言う三三さん。そこから『権助提灯』へ。
権助はいい感じなのだが、嫁と妾の差というか、違いというか、そこがスッキリしていない。両方混ざっている感じだ。惜しい。
実は、三三師匠でなかり聴く噺だったんです『権助提灯』。過去、十年で4回聴いていて、これが五回目。二年に一度聴いています。
それが3年前の末廣亭、白鳥師匠の三題噺の会で、柳家小袁治の『権助提灯』を聴いて思い出したんです、目白の師匠がこうやっていたと。
奥さんの方の年長者らしい上からの、やや凛とした感じ。それに対して妾は若くて艶がある。この対比をもっとクッキリ出して欲しい。
2.笠碁
出囃子が「から傘」でした。エッ!扇辰さんが出るの?と、思ったのですが、この日、扇辰師匠はぎやまん寄席:梅まつり前の湯島天神での落語会でした。
湯島で、お祭り佐七の『雪とん』をやっているのに、横浜には来れないだろうと、思い直して高座を見ると、やっぱり三三師匠が現れました。
そしてね、自身のお婆ちゃんの話をする三三師匠。中学生の頃に、千葉から祖母が小田原へ遊びに来た時。総武線でやって来たお婆ちゃんを、
新宿で出迎えて、小田急で小田原へ行く前に、お婆ちゃんと一緒に、末廣亭へ行った思い出を語る、三三師匠でした。
トリが志ん朝師匠で、仲入りが目白の小さん師匠という芝居。脇を固めるのが志ん馬師、志ん駒師、そして初代の志ん五師匠。みんな死んでもう居ない。
三三師匠が寄席通いを始めた頃なので、三十年以上前。「僕も、三十年後は死んでますよ」と、ボソっと呟く。まだ八十前だぞ!と思った私。
そんなお婆さんは、ご健在で今も千葉在住。千葉で落語会があり楽屋に遊びに来てくれたそうです。二十分くらい歓談し、「そろそろ席に戻るから」と、
言うお婆さんが去り際に、三三師匠に言った言葉が強烈!!「あんたは、誰の子だったかいねぇ???」知らずに話が通じるのが身内ですね。
こんな、ほのぼのしたマクラが聴けるのも、横浜にぎわい座だからこそです。老人繋がり?季節外れの『笠碁』へ。(暮れから正月の借金の話題は出るけどね)
美濃屋が上総屋の様子を観に行く場面で、古今亭だと美濃屋は喋らないが、三三師匠の美濃屋は、後半、少し独りゴトを言う。
そんなに長くならないようには、喋るんですけどね。目白の師匠とは違う三三らしさのある『笠碁』です。
3.幾代餅
三三師匠の『幾代餅』は、初めてでした。搗き米屋の女将さんのキャラが意外と薄い。白酒師匠ほど濃いキャラでなくてもいいけど。。。
親方と清蔵の関係がいいですね。師弟の関係にも似た、親方が言う事をイチミリも疑わない純で初な清蔵。一方親方は忘れっぽい。
薮井竹庵が女郎買いの指南役ですが、これも思ったより普通で、印象に強く残る存在ではなりません。幾代はいい色気を醸しておりました。
次回、「三三づくし」は最初に書いたように、三月三日、雛祭の日です。
|


