|
寿限無 粗忽長屋
化物使い 目黒のさんま
井戸の茶碗 饅頭こわい
芝濱 らくだ
|
落語会
[ リスト | 詳細 ]
|
『鰍沢』『明烏』と来て、今回は、落語『百年目』です。桜が咲く頃に近年は、よく掛かるように成った噺です。
と、申しますのも、東西の名人・米朝と圓生が十八番にしていた『百年目』だったので、他の咄家はお二人に遠慮して、高座に掛けませんでした。 2001年を過ぎると、一門に関係ない咄家も、この噺を高座に掛けるようになる。それでも、演者は最初は還暦過ぎの師匠ばかりだった。 それが、2005年頃になると、40を過ぎたらやる咄家が現れ始めて、更に2010年を過ぎると30代でもやる演者が登場します。 結果、10年間で聴いた『百年目』は? 15人22回です。2009年から2018年に、こんな咄家で聴いておりました。
2009年 1人1回
三遊亭圓丈
2010年 1人1回
立川志の輔
2011年 4人4回
柳亭市馬
立川談笑
柳家権太楼
桂塩鯛
2012年 1人1回
鈴々舎馬桜
2013年 5人5回
立川志の輔
鈴々舎馬桜
むらし家今松
立川談春
柳家権太楼
2014年 3人4回
立川志の輔×2
柳家三三
立川談春
2015年 2人2回
桂宮治
立川談春
2016年 1人1回
春風亭一之輔
2017年 1人1回
立川談春
2018年 2人2回
桂宗助
柳家小満ん
まずは、各咄家の『百年目』の感想を語る前に、私が感ずる『百年目』について、思いと考えを述べてみたいと思います。
この噺の、お店の親旦那さんの料簡と番頭さんの料簡。この二つの対比が、テーマであり江戸時代の日本の商人と言うものは、ずべからくこのようだったと、私は思います。 この番頭・治兵衛は、今の自分という者が今この地位に在るのは、自分だけの力であると思っている節がある。 そんな治兵衛だから、自分より未熟な手代や丁稚は、どーにも許せない。現代の会社組織にも同じような「部長」居ると思います。 番頭の治兵衛さん、兎に角、奉公人には厳しい。常に小言を絶えず浴びせるから、奉公人は萎縮して、心が休まる暇もありません。 一方で、治兵衛さん自身は、堅物を演じている。裏にまわると自分の裁量で、芸者を上げて、廓あすびもやっています。 そんな、治兵衛の裏のあすびを、偶然、向島で見た親旦那。この親旦那は、『明烏』の日向屋半兵衛さんと同じで、若い頃から茶屋遊びでならしているから、 根は遊びの分かる粋な奴だ!と番頭の一面を知り、あの栴檀と南縁草の話をする気持ちになる親旦那。遊びの一つもできないと、商いの鋒が鈍るという料簡ですからね、 お前の目から見たら半端な小僧や手代でも、長い目で見て指導してやり、時には息抜きにも目を瞑って欲しいと言う。 これは、近代の経済学にも通じる理屈でして、「配分効率性」と言う言葉で、経済学者・梶井厚志氏が『百年目』の親旦那の料簡を解説したコラムを読んだ経験があります。 噺の中で親旦那が番頭を戒めたのも、下の者たちが締め付けられ過ぎて、全くゆとりがなくなっていると、 将来いざというときに、彼等は働かず、店にほころびの出る危険が高まるからだと私は思います。 また、親旦那が治兵衛に、今まで通りに遊びを勧めるのも、往々にして遊びの中で将来のビジネスチャンスが見出されるからに他ならない。 現代のサラリーマン社会においても、私たちが仕事に必ずしも直結しない人付き合いでも大切にする背景には、 人の輪からもたらされる将来における有形無形の便益が、潜んでいるからに相違ない。 話は変わるが、警察はなぜ必要なのだろう。もしも、ある小さな町で、ある年一年間を通して、犯罪がまったく起こらなかったとしたら、 翌年からその町で警察は不要になるのであろうか?おそらくそうではない。 その時点で犯罪がなくとも、将来に渡ってその可能性がなくなるわけではないからだ。警察のない町は、ゆとりのない町かもしれない。 一方、基礎学問を研究する大学はなぜ必要なのだろう。もしも、そんな社会に貢献しない学問ばかり続ける教授が、 いったい何の役に立つのかと聞かれたら、それは社会の遊びであると堂々と答えるのがよいと梶井さんは言っている。 ゆとりか無駄か「配分効率性」 遊んでばかりいて大いに生活にゆとりを持たせるだけで、どんどん商売や学業に通じることができるならこんなにいいことはないが、残念ながらそうはいかない。 遊びの効果には限度があるものだ。そのため、遊びやゆとりに本当に価値があるのかどうかは、他の要素との比較で相対的に判断されねばならない。 たとえば、何年も着ていない服を考えよう。多少の愛着もあるし、そして何よりもそのうちにまた流行がやってきて、着るようになるかもしれないと思う。 可能性があるという意味では、そんな服はゆとりそのものだ。しかしながら、服を保存管理するのには馬鹿にならない手間と場所がいることを見逃せない。 膨大な費用をかけて、着る予定のまったくない服を保管するのは、間尺に合わないではないか? すなわち価値あるゆとりとは、その維持費用に比べて、将来の可能性から得られる便益が十分に大きいもののことである。費用に比べて、便益が小さすぎるものこそが無駄なのである。 『百年目』に登場するあすびでも、鼻の穴に二本火箸を突っ込んでチリンチリンは、間尺に合わないあすびに入る気もするのだが、それでも評価に個人差がたる。 ここでいう費用と便益は、時と場合に依存し、しかも多分に個人差のあるものだ。 それゆえ、ある物や行為が無駄であるかそれとも遊びであるか判定するのは、多分に個人の主観的問題でもある。 『愛宕山』にも、こんなくだりがある。金持ちの旦那が、芸者や太鼓持ちを連れて京都の愛宕山に登り、名物の土かわらけ器投げをする。 土器を遠くの谷底にある的に当てる遊びだが、普通では面白くないので小判を投げると言い出す。 幇間の一八がそれはあまりに無駄でしょうと言うと、旦那は自分の稼いだ金で遊ぼうというのに文句を言うな、 無駄というならお前を連れて京都くんだりまで来るほうがよっぽど無駄だと言い返す。 それでもこんな遊びを思いつく旦那にとっては、幇間は無駄ではなく価値あるゆとりに違いなかろう。 無駄かどうか、絶対的な基準があるわけではない。 費用が高ければそれだけ無駄な度合いは大きいが、それでも便益のほうがまだ上回るのであれば、ゆとりと考えてよかろう。 ダイヤモンドの指輪を考えると、それをまったくの無駄と思う人もいれば、かけがえのない宝物であると崇拝する人もいる。 段ボール箱に詰められ押入れを占領する旧式のレコードを、役に立たないものの象徴と思う人もいれば、人生を豊かにする貴重な財産だと信じて疑わない人もいる。 長い行列に並んでラーメンを食べるのを、時間の無駄と思う人もいれば、娯楽であると感じる人もいる。 それらの個人的判断は、おそらくは費用便益の観点からも、正当化できるものだ。 つまりある物や行為は、それらが無駄か遊びかを絶対的基準で判定できないにしても、 それらが無駄と感じる人の手にあれば無駄であるし、遊びだと感じる人の手にあればゆとりなのである。 指輪は無駄だと思う人の手にあるべきではないし、段ボール箱のレコードはそれを財産だと思う人の手にあるべきである。 並ぶのを無駄だと思っている人が行列に加われば、それこそが本当の無駄であるから、並びたいと思っている人が並んで楽しむべきだ。 すなわち、物や行為はそれをゆとりと感じられる人に帰するべきだ。 これは人々の間でやりくりして無駄を排することに他ならないから、近代経済学ではこの考え方を配分効率性というそうです。 まさに、この配分効率性を俯瞰で考えて、奉公人たちの向上心を刺激しなさい!!と、『百年目』の親旦那は治兵衛に説いていて、 また、治兵衛自身も、花見の鬼ごっこを見られて眠れぬ夜を体験して、多分、ほんの少しだけ、その親旦那の気持ちを理解して、 この後、分家して暖簾分けし店を持って十年、二十年したら、この親旦那の気持ちが心底分かり、本当の意味で栴檀になるんだと思います。 さて、『百年目』の思いや考えを語り尽くしたので、ここからは、配分効率性をどの程度、表現できているのか? 実際に高座を見た15人の咄家、それぞれを私目線で評価していきましょう。 まず、この噺は、親旦那と番頭の治兵衛、この二人の演じ分け、キャラクターの格付けが、できていないと始まりません。 番頭の貫禄と、親旦那の貫禄です。これが確立された上で、初めて配分効率性なんて料簡の話にたどり着くのだと思います。 そいう視点で噺を見ると、私の聴いた15人では、ハッキリと見える感じだったのは、残念ながら五人。 小満ん師匠、今松師匠、志の輔師匠、市馬師匠、そして宗助さん。ただ、米朝師匠の親旦那を百とすると、75〜60くらいの貫目ですけどね。 親旦那!懐深いわぁ〜と、感動するレベルには、まだまだ、やっぱりたりません。 あとね、小満ん師匠以外の柳家は、皆さん同じ型で、権太楼・市馬・三三と聞いていて、馬桜さんのも微妙に違いました。 また、柳家と言う括りだと、志の輔師匠のも基本同じ気がして、圓生の『百年目』を色濃くベースにした演出です。 あと、志の輔師匠と権太楼師匠は、「土手弄り」で笑いを強く誘いに来ます。それに対して、三三師匠は少しやるけど、市馬師匠のは、土手を殆ど弄らない。 談春さんのは4回聴いていますが、親旦那が若い感じなんですよね。少し照れた感じにも聞こえます。 談笑師匠のは、楽天・三木谷社長のスチュエーションでの改作『百年目』で大爆笑したんですが、配分効率性を感じない噺でした。 圓丈さんのは、基本圓生の型なんですが、あまりに、喋りも口調も、圓生とは遠くて、空回りの『百年目』でした。 今松師匠のは、実に、ダンディで十代目馬生がやると、こんな感じ?と、思いました。一番、配分効率性が高い『百年目』。 最後に、上方落語の二人では、宗助さんの米朝師匠にソックリの『百年目』は、是非、聴いて欲しい。 塩鯛師匠のも、悪くは勿論なくて、ハメ物入りで、こじんまりした蕎麦屋で聴いたんだけど、配分効率性は少しでした。 |
|
さて、これまで三回は、新内の『明烏』を中心に岡本文弥の紹介なども交えてお送りしましたが、
今回は、やりますよ!(アサダ二世風)と、いうわけで、落語の『明烏』です。
この噺を有名にしたのは、間違いなく八代目文楽です。寄席で文楽が『明烏』を掛けると、
売店の“甘納豆”が売り切れたと言うぐらいの人気でしたし、文楽=明烏だった。
そして、私が耳にするのは、十代目の馬生の『明烏』も絶品で、ラストの時次郎が布団から顔を出す場面。
ここで見せる「男になりました!」って笑顔が、他の演者には真似できない、源兵衛と多助に投げる眼差しが、
上からで、勝ち誇っていて、しかも、幸せって感じでたまらなかったといいます。(残念ながら私は伝聞)
では、私が聞いた過去10年の咄家は、下記のようになります。先月の小田原・三三独演会の記事でも紹介しました。
2009 5人5回
立川談春
柳家三三
柳家花緑
柳家喜多八
立川生志
2010 4人4回
立川談春
立川志らく
桃月庵白酒
柳家喜多八
2011 4人4回
入船亭扇辰
三遊亭遊雀
柳家三三
立川談春
2012 6人7回
桃月庵白酒×2
鈴々舎馬桜
柳家三三
春風亭一之輔
柳家小満ん
三遊亭歌橘
2013 2人2回
金原亭馬生
春風亭昇太
2014 2人2回
立川談春
桃月庵白酒
2015 4人4回
入船亭扇辰
五街道雲助
柳亭小痴楽
古今亭文菊
2016 3人3回
入船亭扇辰
古今亭文菊
桂やまと
2017 4人4回
桃月庵白酒
柳家ろべえ
立川談春
柳亭小痴楽
2018 2人3回
柳家三三
柳家小満ん×2
まずは、黒門町の弟子だった小満ん師。音源で聴いても、そんなに黒門町のやり方を踏襲しているイメージはありません。
意識して時次郎の印象を薄く表現して、浦里と一晩過ごした後の印象を強く残す感じで演じます。
特に、艶っぽいやりとりを、小満ん師匠らしく丁寧に描いてくれるのも、特徴です。
次に、亡くなった柳家喜多八の『明烏』。こちらは、時次郎が実にどうも、可愛いよりもちょっと間抜けギミ。
弟子の小八師匠、元ろべえさんのも師匠・喜多八師によく似た演出でやっております。
鈴々舎馬桜師匠と十一代の金原亭馬生師匠のは、教科書のような演じ方で、特に印象が有りません。
一方、同世代の雲助師匠のは、時次郎が可愛い!そして、十代目の馬生の芸のポイントを継承しています。
最後に、回数多く聴いている談春さんと白酒さん。こちらも対象的で面白いですね。談春さんのは時次郎が超可愛いです。
喜多八師匠のは、やや与太郎がかった時次郎ですが、談春さんのは甚兵衛さんがかった時次郎なのです。純粋です。
源兵衛と多助は、談春さんがやると素で演じられて、江戸っ子っぽさ、職人気質が際立って演じられます。
小痴楽さんの源兵衛と多助も、談春師匠のと、テーストは同じですね。
これに対して白酒師匠のは、全編あかるく喜劇タッチの白酒らくごらしい展開で聞かせてくます。
金原亭の雲助−馬生のラインとも違う独自の『明烏』です。
他にも、扇辰師匠や一之輔、そして文菊師匠のも聴いていますが、強い印象には残念ながらなっておりません。
完
|
|
朝は吹雪く雪ん中を、連雀亭へ行き、そこからDOUTOR Coffeeでお茶しながら、4時50分過ぎに箸庵さんへ。
既に17時より少し早目に開場していて、5?6人のお客様が中にいらしていました。
なんとか、最前列の一番下手に席を確保して開演時間を待っていると、開演時間の10分前ぐらいには、
お客様が全員揃う感じで、満員御礼!素晴らしい打ち上げの料理と、お酒も頂ける箸庵さんの落語会!こんな内容でした。
・オープニングトーク
・徳ちゃん…昇也
・千早ふる…市弥
お仲入り
・真田小僧…市弥
・長屋の花見…昇也
1.オープニングトーク
山田邦子さんのNHKラジオ「日曜バラエティー」ではお馴染みの、市弥&昇也コンビなんだそうで、
この日も二人の団扇を持った、日曜バラエティーの常連さんが来ていて、箸庵さんに付いている一般の落語ファン、
この方々との温度差が半端なくありました。片や、市弥さんに対して“イッチー”と声援を送るコアなファン。
それに対して、箸庵さんに付いているファンは、まだ、落語が30%で、箸庵さんの料理が70%みたいな客です。
更に、この日は市弥さんのお誕生日の前日という事もあり、コアな市弥ファン、市弥マニアはプレゼント持参でした。
イケメン落語家の騎手と呼べる市弥さんの人気は、それなりだという事を認知させられます。同じ新版・三人集でも、
一蔵、小辰に比べると、やっぱり一味レベルの違う人気がありました。昇也さんも成金の番頭さんですからね。
彼にもそれなりにファンが付いていて、その筋の二人のファンが6〜7割は来ていて、盛り上がりました。
さて、トークで面白かったのが、市弥さんが最近行った都内の落語会。敬老会の皆さんがメインの落語会。
そこで、サプライズゲストが、市弥さんの落語の後で登場する趣向で、開演の直前に市弥さんには知らされた。
そのサプライズゲストというのが、本場・男鹿半島から呼んだ、ナマハゲ保存会の青年部のお二人、
赤ナマハゲと青ナマハゲでした。そして、主催者からの市弥さんへの指令は、ナマハゲ登場の科白を場内に流すから、
客が、落語が終わっても帰らないように、ナマハゲ登場までの1分間を繋いで欲しいと言うのである。
その本番。落語のサゲを言って頭を下げて拍手が起きる。普通なら追出し太鼓と「ありがとう!ございました」の声が掛かる所に、
ナマハゲの声が轟く!! 「悪い子はいねぇ〜かぁ〜」「泣く子は、いねぇ〜かぁ〜」、「悪い、嫁さぁ、いねぇ〜かぁ〜」
エッ!これを1分も貯めて流すの?と、思いつつ、市弥さんは、主催者の指令通り、白ら白らしく、「何が起きるんでしょうか?」
「まさか?本物が…、出て来たりしませんよねぇ〜」と、棒読みの科白で繋ごうとするが、お爺ちゃん、お婆ちゃん達は、
ノロノロとではあるが、会場を後に帰ろうとし始める。慌てて、市弥さんは、老人たちの引き留めにかかり、
何とかナマハゲの登場に間に合わせたのだが、登場した二匹のナマハゲに、老人たちは、ポカン状態で、ドン引きだったそうです。
そりゃ、そうですよね。泣く子も悪い子も、ましては、悪い嫁も居ませんからね。
そうそう、昇也さんも言っていましたが、ナマハゲの御当地・男鹿でも、ナマハゲ御断りの家が増えているそうで、
過疎化、少子化が進み、老人だけの家に、ナマハゲに来られても… 迷惑なだけらしいです。
2.徳ちゃん/昇也
今年の目標は、無駄なマクラを振らない事だと言う昇也さん。とりあえず、市弥さんに「イッチー!」「待ってました!」
「お誕生日、おめでとう!」「泣く子は、いねぇ〜かぁ〜!」と、声を掛けましょうと、言って、三道楽のマクラから、
“おいらん”は、尾を使わず人を騙すからと、“花魁”と書き、訓読みすると「はなのさきがけ」=「鼻の先欠け」=かさをかく。
そんなマクラから『徳ちゃん』へ。最近、『徳ちゃん』だけ聴いたのは久しぶり、『五人廻し』への導入どしてばかり聴いていた。
芋を齧る女郎は、昇也のもなかなか強烈なキャラで、笑いを誘っておりました。それにしても昇也さんは誰から習ったのか?
サゲも、芋女郎が廊下の板に足を取られて、“足抜いて?”と客の咄家に助けを求める。すると、助けに入った咄家も足が、
ズブズブっと板吸い込まれ、「若衆!足を抜いてくれ?!」、これを聴いた牛太郎が、返しの一言。
「お客さん、変わった趣味でらっしゃる、こんな女と足抜けとは!?」これがサゲでした。
白酒師匠のは、芋女郎のあまりの様子に縮み上がる、すると、縮み上がるはずだ、この女、越後は、小地谷の生まれだ。
さん喬師匠でも聴いたけど、サゲまでは覚えていないし、一之輔師匠でも1回聴いているが、サゲはどうだったか?
そういえば、雲助師匠のも聴いてます。こちらは、確か、表は締まっている、裏から帰ぇれ!と芋女郎に言われて、
咄家の客が、裏なんか返せるもんか?こんな店、が、サゲだったと思います。
3.千早ふる/市弥
偶然ですが、この日、市弥さんが掛けたネタは、まるまる、連雀亭での遊かりさん、笑二さんのネタと被りました。
市弥さん、今日は楽しい打上げにしましょうと言って、落語会のご贔屓には、暫く落語は聴いていなかったが、
最近の落語ブームで、また、落語を聴くようになったと言うお客さんが、時々、現れると言う市弥さん。
70歳オーバーのオールドファン。志ん生、文楽、そして圓生、八代目正蔵を生で見てきたんだと言う。
今年、35歳の市弥さんは勿論、生で間に合っているはずもなく、最近また聴くようになった贔屓の蘊蓄を聞かされる。
このパターンの打上げは、本当に辛いと言う。ただ、この日は、女性比率がMAXで、40人以上が女性客でした。
男性はつばなれしない人数で、市弥さんが懸念したような打上げにはならなかったと思います。
そんなマクラから、知ったぶりの話を少し振って、『千早ふる』へ。
昼間、遊かりさんの『千早』で、もやもやしていた胸の痞えが、市弥さんの『千早』で、かなりスッキリしました。
この日の昼に、テイトで太福さんとの二人会をやって、ここに来ている市弥さん。何をやったかは知らないけれど、
十分にアイドリングできてから、この高座だったのが分かりました。太福・市弥の会も行けば良かったと少し思いました。
ご隠居が、最初は八五郎のペースで、やや困りながらも「千早ぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは」
この歌を繰り返し、詠んでいるうちに、自分のペースを取り戻す。自信から慢心に変わる様子が、よくできていると思った。
あとね、この業平の歌。私が学生の頃に和歌の授業を習った先生は、濁って撥音していました、「千早ぶる」と。
意味から察しても、“フル”より“ブル”の方が音が、私の耳にもしっくり感じる。皆さんは、“ふる”派ですか?
咄家で、この噺を、“ブル”でやる人に、出逢った事が、私はなく、これまでリサーチした事もありません。
というか、この記事を書いていて、思い出したんです、大学の一般教養の授業で、和歌の授業を2年間受講して、
それを教えてくれた先生が、名前は覚えていないけど、“濁音”は、書かないけど、感性で付けるもんだった時代。
そのれは正しい、正しくないではなく、濁るべきか?は、詠み手の美意識の問題で、それが聴き手に共鳴した時成立した。
日本語って、そういう原点に帰るのが、平成も終わろうとしている現在、実に大切な事じゃないのか?と思う。
小学校の国語の教科書辺りから、濁点を無くしてみては?と思います。『千早ぶる』のススメでした。
4.真田小僧/市弥
マクラで、打上げの席で必ず受ける質問に、「市弥さんは、なぜ、咄家になったんですか?」というのが在る、と言う市弥さん。
今夜も四五回、この質問に答えるかもしれないので、今日はあらかじめ、この答えをマクラで語ります、と言い出した。
物ごころついた頃、寝る前に父親が、絵本を読むとか、昔話を聞かせてくれるなんてのは、どの家庭でも行われる事だと思うが、
市弥さんの父は、非常に変わった人で、絵本や昔話ではなく、小咄を毎夜、毎夜語ってくれたそうです。勿論、落研出身。
こうして、学校に行くようになると寄席に連れていかれるようになり、市弥さんは落研から柳亭市馬へと入門します。
自分が成らなかった、いや成れなかった夢を、息子が叶えてくれて、非常に喜ばれたそうです、父親からは。
らくごカフェの青木さんと同じような幼少期を過ごして、市弥さんは咄家になったんですね。
そんなマクラから『真田小僧』へ。こちらは、金坊も親父もやや平凡です。笑二さんの方が印象に残りました。
5.長屋の花見/昇也
市弥さんのマクラに刺激されたのか?昇也さんは、現在進行形で、娘さんが寝る前に、絵本や昔話をしてやっている話をしました。
まず、絵本。これは、1回読み終わると、娘さんは飽きて眠くなるまで、「もう一回!」「もう一回!」と、エンドレスに、
絵本を読んで!読んで!と、喰い下がり、限が無く非常に疲れてしまうと、言う、昇也さん。よく分かります。
昇也さんも、登場人物を江戸っ子にしたり、侍にしたり、花魁にしたりして、あの手この手で、自分が飽きないように、
工夫はしてみたものの、同じ絵本を十回以上読むのは、そうそう続かない。
そこで、昇也さんが取った行動は?
昔話を聞かせるのですが、複数の昔話をミックスしたり、例えば桃太郎で、犬がなかなか家来にならず、無駄に歳月を過ごした桃太郎。
結局、鬼退治に行けずにただの老人になり老衰し亡くなってしまう。そんな創作をして、娘さんもケラケラ大爆笑だのだが。
これをやると、嫁さんから、娘が幼稚園で虐められる!と、変なストーリーを教えるのを、やっていると止められるそうです。
私は、一回り年下の舎弟に、絵本を読み聞かせするのが非常に退屈だったので、まだ、2歳くらいだったのに、字を教えて、
独りで読めるようにするという方向に、読み聞かせではなく、読書に変える工夫をすることで、克服しました。
ただ、この読書。幼い子供は黙読できないので、声に出して読むのを、真面目に聴いてやる必要があります。
そして、時に間違いを訂正したり、途中で止めて、内容について質問や議論をしながら、興味を繋ぐ必要があります。
また、最初だけ読み聞かせしてから、読書させるのも必要ですね。これを録音、録画してより楽しくしてやる。
さて、本編の『長屋の花見』。最初の長屋の衆が大家さんに呼ばれて集まる場面、ここから店賃の催促ではなく、
貧乏ながらも長屋一同で、花見に行こう!と、誘われて、酒・肴を大家が用意してくれると聞いて、歓喜する一同。
ここまでは、大家さんが仏のように優しく慈悲深い人なのか?と、思わせておいて、「実は…」と、地獄に落としに掛かります。
一升瓶の酒は茶の出がらし、重箱の蒲鉾は大根の香香、そして玉子焼は沢庵だと知らされる。
更に、ムシロを指して「毛氈」と呼んで、これを敷いての宴会を、上野のお山でやろうと言うのだ。
一気にやる気が失せて、大家のしみったれぶりに、今更、納得する長屋一同。それでも強引に花見に連れて行く大家。
この攻防が私は好き。結局、大家に押し切られて、店賃を待ってやるから、全員付いて来いと言われ、渋々参加する長屋の衆。
桜のお山に着いてみても、茶と香香、沢庵では盛り上がろうはずもなく、無理に花見らしさを要求する大家だが、
この要求に反比例して、長屋の衆はシュンと大人しくなり、ボソっと呟く愚痴が笑いを誘います。
最後は、ヤケクソで空元気を出す長屋の衆だが、それでも心の底から騒いでいる訳もなく、なんとも侘しい感じが落語的です。
【打上げのお料理】
次回は、三月九日(土)17時開場、17時半開演。立川談吉独演会です。 私は、別の予約を既に入れていて、参加できませんが、打上げの料理だけでも参加する価値があります。
|
|
雪が激しく降る中、神田駅から須田町交差点経由で連雀亭へ。凄く寒い中を傘をさして歩いていると、神田の老舗まつ屋前を通り掛かってた時10時45分に、若い女の子が三人並んでいる!!
その横を通り、「六文銭そば」の横を抜けて連雀亭へ。幟が無い!!やっているよなぁ?と、思いながら出番表を観ると今日の番組になっている。
そして、幟は階段に雪を避けて取り込まれていたのだった。階段を上がり、連雀亭の入口に着くと既に先客があり、私は二番目でした。そして、結局、あの雪の中13人のお客様が来場。
そんな、決死の覚悟で強者落語ファンが集まった連雀・ワンコイン寄席、このような内容でした。
1.千早ふる/遊かり
演者が三人。これより多いかな?と思っていたら、つばなれする客席に、いたく感動する遊かりさん。連雀亭の後は、浅草演芸ホールで出番らしく、そちらがつばなれしているか?心配しておられました。
浅草は、タダ券の客が、昼はコンスタントに百人くらい来るから、普通は大丈夫ですが、あの吹雪!吹雪!氷の世界だったから。。。
『千早』に入る前のマクラは、楽屋の師匠たちの中にも、知ったかぶりが居るという遊かりさん。芳香剤・サワデーはCMでは爽やかとか言うけど、本当に爽やかか?
みたいな話題で盛り上がっていたら、そこにとある師匠が遅れて来て、サワデーですよ、サワデー。と、言ってその師匠に意見を求めると、
「俺、サワデー、食うおう食うおうと思いつつ、まだ、食べた事ないから。」と、コメントして、新聞を熟読し始めた。そんな、知っタカあるあるから『千早ふる』へ。
尺を刈り込む為に、導入の隠居と八公の会話を、スムーズに業平の千早ふるの歌を紹介。娘は学校に行っている設定で始まる。八五郎は、まだ、マシだが、隠居さんが全く隠居らしく景色が見えない。
比較して恐縮だが、立川こはるさんの隠居が10点満点の8.5くらいの隠居だとすると、遊かりさんのは4.2くらい。半分以下である。
老人の男性ができていない。使いそうな言葉になっていないし、喋る速度もはやい。また、知ったかぶりして、自信満々に嘘八百を語る老獪さが見えないのだ。
また、ラストの豆腐屋・竜田川と乞食の千早太夫の激突も、工夫もなく迫力も足らない。おからをやる・やらないな場面が一番の山場なのに。
2.真田小僧/笑二
マクラでは、なぜ、沖縄出身唯一の落語家に成ろう!と、思ったかについて語る笑二さん。笑二さんが、初めて人前で何か芸を披露したのは、小学校五年生の学芸会。
出し物は、太宰治原作の「走れ!メロス」の演劇だった。笑二さんの通った沖縄の小学校は、1組から4組まであり、各クラスから一人ずつメロスが選ばれて、リレー形式で演じて行く趣向だった。
笑二さんのクラス以外は、自薦他薦で選ばれた候補を、クラスの皆んなで投票して、多数票を獲得した者が、メロスに選ばれて出たが、
笑二さんのクラスだけ、候補選びまでは、同じく自薦他薦だが、決戦方法がじゃんけんで、笑二さんが選ばれてしまう。
そして、台本でのメロスのリレー分け。1番目のメロスは、妹の結婚式を控えて、その祝いの品を街に買いに行き、街の沈んだ様子を怪訝に思い人々に訊ねると、
市民からは、王様の暴君ぶりの評判を聞くメロス。憤慨したメロスは妹へのプレゼントの事など忘れて、王様暗殺を実行しようとして、捕らえられる。
第二のメロス、捕らえられたメロスは王の前に引き出され、王は人間同士の友情など存在しない!と言い放つのに対し、メロスは俺が友情というものがある事を証明してやると言い返す。
ならば、友情とやらを見せてみろ!となり、メロスは妹の結婚式を祝い街と式場を走って往復する、その間、人質として親友のセリヌンティウスが王の元に残り、万一、メロスが期限の三日経って帰らない場合は、命を王に差し出すと言う。
第三のメロスは、妹の結婚式に参列し、それを祝福。そのまま、大返しで王様の居る街に戻ろうとするが、途中、山賊に襲われて捕まり、もう少しでセリヌンティウスの命が無くなる所だったが、
何とか山賊の手から逃れたメロスは、最後の力を振り絞って、親友セリヌンティウスの待つ街に、何とかギリギリ期限の三日目の日没に帰って来る。
最後の四番目のメロスは、親友セリヌンティウスと熱い抱擁で互いの友情を確かめ合う。メロスが、王に、約束通り戻ったから、セリヌンティウスを解放しろ!代わりに私の命は、お前にくれてやる!と言うと、
セリヌンティウスが、待った!と叫び、自分は最終日、夕日が沈み始めた瞬間、一度だけ、メロス!お前の事を疑い、お前が帰らないかもしれないと、本気で考えたと告白!だから、命を差し出すのは、裏切り者の自分だと言う。
それを聞いたメロス。それなら俺の方が先にお前を裏切った。なぜなら、山賊に捕まり縄で縛られた昨夜。俺はもう戻るのは無理と、一旦、完全に諦めた瞬間があったからと言う。
互いが自分の命を差し出す姿に、王様は友情と言うものが人間にはあり、それを信じる事が人の道だと改心して、メロスとセリヌンティウスの命を奪おうとした、自分を恥じたのでした。
四人のメロス。笑二さん以外は、背が高いイケメンのクラスの人気者。笑二さんは、小5の頃は今より更にデブの肥満児だった。なのにじゃんけんで勝って第四のメロス、ラストのメロスを選びました。
本番当日、笑二さんの両親をはじめ、多数の父兄が見守る中、「走れ!メロス」は上演されて、三日三晩飲まず食わずで走ったメロスが、太って帰って来ると言う、3/4はシリアスな展開だったのが、
最後の最後に、超喜劇になり、会場が爆笑の渦に包まれたそうです。笑二さん曰く、この小5のメロスで受けた程、プロでも笑いを取った事がないくらい、この時のメロスは受けたそうです。
本編の『真田小僧』。笑二さんの金坊は、最初、父親に「ある日のお母さん」を語る時、寄席の前座さんみたいに、
「まずは、おっとうの長男坊、金太で御座います。お後をお楽しみに、まずは一席のお付き合いをお願いします。」
「えー、よく、世間では、知らぬは亭主ばかりなり。なんて事を申しますがぁ。」とマクラまで振ります。この入り、私は大好きです。
3.鬼の面/あん子
上方落語では、お馴染みの『鬼の面』ですが、江戸落語では初めて聴きました。少し筋が違いました。
子守奉公に出た女の子が、母さんそっくりの「おたふく」のお面を、道具屋/お面屋からタダで貰って、毎晩、奉公の悩みや愚痴を母親に相談するかのように話し掛ける。
ここまでは、同じですが、あん子さんのこの日の噺では、番頭がむやみに女の子をパワハラっぽくコキ使い、弱い立場の女の子は、毎晩シクシク泣きながら、面と対面する。
この泣き声が外に漏れて、お店では幽霊騒動が持ち上がり、番頭は、旦那命令で、幽霊の正体を突き止める為に、夜中に泣き声の主を求めて納戸へと入ってみると、子守女中が幽霊の主と分かる。
ここで、あん子さんの方は、番頭さんがナマハゲの面とおたふく面を入れ替えますが、上方落語では、主人が能の鬼面とすり替えます。
また、上方落語の子守っ子は、いじめには合ったていないし、幽霊騒動もありません。
さらに、金を女中が見つけるくだりも、上方落語では、博打の銭を手にするのに対し、あん子さんの方は泥棒の銭を手にします。
あん子さんの方は、連雀亭の限られた時間のせいもあり、やや急ぎ語りで、語尾がはっきりしない喋りだったのが、やや残念でした。次は、もっとゆっくり聴きたい一席でした。
|




