|
冒頭に、岡本文弥さんの名言を一つ紹介します。「戦争は嫌でございます。親孝行ができませんし、なにしろ散らかしますから。」この言葉は、実にいい。新内のように粋です。
さて、落語の『明烏』を考える!と、言いながら全く触れていないぞ!と、お怒りの貴方!、申し訳ありませんが、まだ、今回も、黒門町でお馴染みの『明烏』は、登場しません。
それなら、今回は何んなんだ?!と、言うと「その1」で軽く予告しておいた、新内『明烏夢泡雪』の続編、『明烏後正夢』に付いて、今回は紹介したいと思います。
普通、新内『明烏』といえば「明烏夢泡雪」を指すのですが、俗に「まさ夢」と呼ばれる「明烏後正夢」は「泡雪」の後、百年ほど経った安政四年(1857年)に、新内中興の祖といわれる富士松魯中が作った、男女道行モノの新内です。
芝居だとね、仮名手本忠臣蔵の「お軽勘平」に代表されるような道行を描いた作品が勿論売りの一つですが、新内では、珍しい展開なんだそうです。
これも「泡雪」と並ぶ、四代目文弥さんが手掛けた名曲と言われていますが、高座にはめったに掛からなかったようで、音源ですら、私は聴いた事がありません。
現在も、落語協会の寄席に出ている色物で、粋唄の柳家小菊師匠。彼女は亡くなった柳家紫朝さんの弟子なので、この師匠から新内修行を仕込まれたと、仰っています。
寄席にお出になる合間に、最近でもたまに、「小菊を聴く会」と銘打って独演会を開いたりもしておられます。『たぬき』を掛けられた、赤坂の会には、小生も行きました。
あとは、比較的長い持ち時間、30分くらい池袋の文芸坐でも、たっぷりと、ホール落語の合間の演奏でしたが、「まさ夢」は聴いた事が在りません。
漏れ聞いた話によると、2007年の夏に、いまから12年前になりますが、世田谷の小さなホールで行われた「小菊を一寸きく会」という会で、粋唄・俗曲を披露する中に「まさ夢」を弾き語りで聴かせてくれたそうです。
余談になりますが、元小圓歌先生が、三代目圓歌のご威光を遺憾なく発揮して、二代橘之助を襲名されましたが、この名跡は、私は小菊さんの方が遥かに相応しいと思います。そう思ったのは私だけじゃないけどね。
そんな意見、巷でちょくちょく耳にします。初代が偉大過ぎるから、それを知る生き証人が居なくなるまで、なかなか襲名出来なかった伝説の名跡ですからね。
忍び寝の、枕二つをそのままに
ほんに辛気な死神に
あすはなき名を竪川や、われから招ぐ扇橋
この世を猿江大島の森の繁みにたどりつく
ってな具合で、道中付けを聴くことができて、言葉も節も優れた作品である高く評価されております。
小生は、なかなか「まさ夢」を聴く機会に恵まれませんが、心に願っていれば、いずれ巡り合えるものと信じアンテナを張っております。
落語の『明烏』の後に「その1」で書いた、全5話を足して、浦里と時次郎を心中にはしない展開で、「まさ夢」を加えて、この道行と、道中付けまで入れて、全6話のハッピーエンドにするというのは、如何でしょうか?
つづく
|
落語会
[ リスト | 詳細 ]
|
さて新内「明烏夢泡雪」をベースに、これを落語に直して、皆様と一緒に味わうための前提として蛇足ながら、
せっかく、新内を紹介するのでねぇ、ここは四代目岡本文弥さんを、今回は紹介してみたいと思います。
「その1」で使用した新内のあらずじは、岡本文弥作「定本 新内集」からの抜粋と、遣手婆ぁのお兼だけ小生オリジナルです。
岡本文弥さんは、昭和四十年代、講釈の寄席・本牧亭にて隔月で、10日に「新内・岡本文弥の会」を開催されていたそうです。
残念ながら私が本牧亭に行き出した時には、昭和六十年代から平成になってたのでねぇ。全く出会えませんでした。
岡本さんは百一歳まで生きて亡くなったので、彼が70代の頃に、本牧亭で隔月やっていた事になります。まるで小満ん師匠のよう。
と言うか、小満ん師匠が「岡本文弥」のようです。
◆「定本 新内集」
音源も「岡本文弥 新内珠玉集」として『平凡の友』から発売されているんですが、こちらは流石に買えないので…
CD7枚組です。いちおう、バラでも売られてはいるけど、二千五百円くらいします。
岡本文弥、明治の人で母親が新内の師匠だった関係で、門前の小僧のようにして新内に親しみます。
やがて、中学生になり文芸誌や同人誌に投稿する文学青年だった文弥さん。
高校・大学と進学しますが、早稲田を中退して、新聞社で働くようになります。
やがて、「秀才文壇」の発行元・文光社に勤めて、編集者として昼は働き、夜は新内流しの二刀流でした。
そんな生活が続いていた文弥さんに転機が訪れます、それは関東大震災。文光社が震災の影響で運営が立ち行かなくなり、
文弥さんは、新内一本で生きる決意をします。そこから、新内を政府に「無形文化財」と認めさせるまで伝統芸能として高めるのですが、
この四代目岡本文弥の偉いところは、古典だけでなく新作の新内を作り続けて200を超える作品を世に出した事でしょう。
ただ、YOUTUBEなどで検索すると出てきますが、文弥さんは「赤い新内」「プロレタリアート新内」などと呼ばれる、
戦前、戦中に左翼が喜びそうな新作を発表しています。そして、朝鮮民謡“アリラン”に乗せて、従軍慰安婦の日記を謡ったりしています。
亡くなった後に、朝日新聞のでっちあげであると分かるのですが、本当にご本人には、大迷惑な話だと思います。
少し脱線したので、話を戻します。
四代目岡本文弥さんは、晩年、なぜかテレビによく出ていたし、エッセイから人気に火が付き書籍も売れていました。
更に、俳句、短歌も発表されて、これにも注目が集まりました。それが99歳、百歳まで続いたので驚きです。
私個人の印象深いのが、たしか白寿の祝いだったと思いますが、新宿プーク人形劇場で、あの人形劇団とのコラボ新内をやった。
文楽/浄瑠璃でなくても成立させるのが、文弥さんらしいと思ったし、新内だからなせる技だと思います。
つづく
|
|
元は、新内節の「明烏夢泡雪」で、この馴初めを、そっくり吉原を舞台にし、落語にしたものであるという。
そんな話を聞いたので、「明烏夢泡雪」を聴いてみると、いきなり、遊女“浦里”が悶えているような、艶っぽい場面が展開される。
春雨の 眠ればそよと起こされて 乱れそめにし浦里は
どうした縁でかのひとに 逢うた初手から可愛さが
身にしみじみとほれぬいて こらえ情なきなつかしさ
人目の関の夜着のうち あけてくやしき鬢の髪
なで上げ、なで上げ…。
それというのも、深い馴染みとなって通い続ける時次郎が、
親や義理ある相手の金をすっかり入れ揚げて、
死ぬより外にないという仕儀になっているからです。
落語『明烏』では、本当に二人が出逢う“初回”の場面しかやらないので、
その後、浦里と時次郎がどうなったか?なんて噺は、本当に誰も演じていないのか?!
これは本当にもったいないですよね。『宮戸川』だって、殆どが『お花半七』しか演じられませんが、
四人に一人ぐらいは、二人が夫婦になって、夢でお花が殺されるまで演じられます。それならば…
『明烏』も、裏を返して“なじみ”になって行く。更に燃え上がるような恋の末に、時次郎は日向屋を勘当になるのです。
勿論、発端は、源兵衛&多助に連れられて吉原へ、時次郎が初めて足を踏み入れる『明烏』。これが第一話です。
やがて、時次郎、店の金は勿論、親戚や出入の職人にまで借金し、
遂には、街場の座頭からまで借金を作り、やがて時次郎は勘当される。
男涙をハラリと流し、「いつまでこうしていたとても、限りもなきふたりが仲…
そなたも共にと言いたいが、いとしいそなたを手にかけて、どうなるものぞ
男・時次郎は独りで死ぬ覚悟。それを知った浦里は…
ふたり手を取り諸共と、なぜに言うてはくださんせぬ。
わたしを殺さぬお前の心、嬉しいようでわしゃ厭じゃ。
あなた、無しでは生きられませぬぅ!!
と、「男の肩にくいついて、身を、ふるわして泣きいたる」ということになります。
この「嬉しいようでわしゃ厭じゃ!!」という直截な言葉が耳に残ります。
ここまでで、第二話完です。
心中覚悟の二人ですが、イザとなると踏ん切りが付かず、仰せを重ねて今日も二階。
一文無しの時次郎を、身銭を切って座敷に上げる浦里だった。
その二階でひそかに居続けしている客と遊女の声は下に漏れ、
遣手婆ぁのお兼に勘付かれてしまいます。
「この子(禿)どもは灯をみると眠るかい?」と、
声、はしたなく禿のみどりを罵りながら二階に上がってきたお兼は、
「浦里さん、ちょっとお目にかかりましょ」と声を掛け、
隠そうとする浦里に「いまのくぜつの科白も、時次郎さんに極まった!
旦那が呼ばんす、さぁ、ござんりゃんせ!ござんりゃんせ!」と浦里の手を取って引き立てると、
隣座敷に居た亭主が浦里を連れて行きます。後に残った時次郎は大勢の若衆に囲まれて、
「蹴るやら、踏むやら、むしるやら」さんざんの目に遭って、店の外に放り出されてしまいます。
「どうでも口ではきかぬ奴」と、怒りを表わす廓の亭主は
罪も報いも後の世も、白髪頭のこめかみも、張り切るばかりのやら腹立ち、引き立ててこそ!!
と、浦里のたぶさをつかんでひきずり降ろします。
生木を裂くように引き離された二人。さて!どうなる!!どうなる!!って場面、ここで第三話の終了です。
ここからが新内では、有名な「雪責め」です。
内には亭主が浦里を、庭の古木にくくり付け、折ふしふりくる雪ふぶき
箒おっ取り、打つ音に、禿のみどりが取り付いて…
「もうし旦那さん、もう御堪忍なされませ」と云うのを、共にしばり折檻します。
浦里が「みどりになんの咎あって、あの子は許してくださんせ」と言えば、亭主は不憫に思いながらも、
「コリャやい浦里、客をせくこと客のため、女郎大切、身代が大事
あの客/日向屋の若旦那も いまだ若き人、あまり繁々通われては…」
と、分別心からの気遣いを語ります。
どうやら悪い人ではなさそうです。「思い直して奉公せよ」、
「思い切れ、思い切る心なら、いまでも縄を許してくれん」と、廓の主人。
牛太郎どもに気を付けて見張るように言いつけて奥に入ります。
講釈のやり口で、細かい切れ場になりますが、ここまでが第四話です。
雪の描写と責められる浦里と禿のみどり、責め地獄を会話で進めて客席を魅了する。一番の見場!!第四話となります。
亭主が去ったあと、浦里とみどりが雪の降る庭に残されます。
「エエお情けあるお言葉なれど、こればっかりはどうも忘られぬ。お許しなされてくださんせ」、と
すいた男にわしゃ命でも、なんの惜しかろぞ露の身の
浦里 「コレみどり、さぞそなたは悲しかろ。… 悪い女郎に使われて思わぬ苦しみ堪忍しや…」
みどり「いえいえ、わたしは寒うはござんせぬが、次ろさんはあのように、
若い衆にたたかれさんしたが、お前はくやしうござんしょう」というやり取りのうちに、
この世の名残りにいま一度、時次郎にあいたい顔が見たいとしゃくりあげます。
狂気の如く心も乱れ、涙の雨に雪とけて、前後正体なかりけり、という浄瑠璃が哀れです。
時次郎は、かねて用意の匕首を、口にくわえて身を固め、忍び忍んで屋根伝い
伝えてたわむ松が枝も、今宵ひと夜のかけ橋と…(若旦那が鼠小僧のように変身するのは御愛嬌です。)
時次郎は覚悟を決めて庭に降り、「コレコレ浦里、ここで死ぬるも易けれど逃るるだけは落ちて見ん」と、
連れて行こうとすると、みどりも共にと取りすがるのを「オオ、心得たり」とみどりを小脇に引きかかえて、
松の小枝を手掛かりに、忍び返しを引き外して梯子に使って、ようよう三人塀の上に出る!!
浦里は胸をすえ。死ぬると覚悟きわめし身の上、何かいとわんサァいっしょと
手を取り組んで一足飛び
いよいよ大団円です。
げに、もっともとうなずきて、互に目を閉じひと思い、ひらりと飛ぶかと見し夢は
さめてあとなく明烏、…後の噂や残るらん。堀口大學の詩のような世界が広がり物語は終わります。
なぁんだ!と思う人はいないでしょうが、「明烏夢泡雪」という表題に込められた趣向を噛みしめます。
「明烏夢泡雪」全五話。二人は死んだのか?謎のまんま終わるのがいいですね。
つづく
|
|
2018Seasonの「三三づくし」が、この日、2/5でフィナーレでした。次回三月三日は、その6回連続満員御礼記念公演。
近年、にぎわい座は、三月三日は“三三の日”と呼び、三三独演会を毎回やっています。去年は「豚次傳」の感謝祭だったので、
ゲストに三遊亭白鳥師匠が招かれましたが、今回は、ゲストもなく三三師匠一人で、三席勤めるみたいですね。
さて、2019Seasonの開催も決定し、益々、にぎわい座のエースになった三三師匠の独演会!「三三づくし」、こんな内容でした。
1.権助提灯
出囃子は、小田原市民会館と同じ冬の童謡だったのですが、タイトルをド忘れしました。何度か聞いたマクラで、暑さ寒さのピークについて。
夏至や冬至が昼間の時間の最長/最短だが、そこが暑さ寒さのピークにならない理由を、一日の気温で、太陽が真上に位置する正午が最高ではなく、
二時間程度ズレた二時(14時)頃にピークが来るのと同じだ!!と、必死に三三師匠は説明するのだが、毎回、賛同は得られず、客席の反応は薄い。
この日は、五分も説明したところで、諦めて話題を変える三三師匠でした。
変えた話題は、節分。いつの頃からか?寄席でも豆撒きが、寺社でやるみたいに、何時から始まったのだろう?三三師匠が言うには、
中学生時代、二月三日に鈴本へ行った事があるが、三十数年前の寄席では、豆なんて撒いていなかったと言うのである。
言われて私も1990年代の寄席はどうだったか?と回想してみたが、そもそも二月三日に、間違いなく行った!と、云う記憶が無い。
よって、思い出しようもなく誰か覚えてませんか?と、周囲に聞き捲っているが、興味がない!との返事しか得られない。
また、その5〜6年後に、三三さんが入門して前座になってみると、豆撒きという行事を経験する。『寄席で豆撒きなんて!やるんだ!!』と、思ったそうだ。
だから、三三師匠の記憶違いなのかもしれないと、ご本人が仰っておりました。そんな話の流れで寄席の豆撒きの話題へ。
末廣亭にある、豆撒き用の「裃」と「袴」が、実に、昔の寄席芸人サイズで、裃はまだ許せるが、袴は三三師匠が履くと膝下二センチのツンツルテン!らしい。
新しいのを買う気は、さらさらないのが寄席である。そう考えると昭和の名人サイズなので、昔からやっていたのかな?豆撒き。
そんなマクラから悋気の話題を振って、男の方が女よりも焼餅に見境ないと言う三三さん。そこから『権助提灯』へ。
権助はいい感じなのだが、嫁と妾の差というか、違いというか、そこがスッキリしていない。両方混ざっている感じだ。惜しい。
実は、三三師匠でなかり聴く噺だったんです『権助提灯』。過去、十年で4回聴いていて、これが五回目。二年に一度聴いています。
それが3年前の末廣亭、白鳥師匠の三題噺の会で、柳家小袁治の『権助提灯』を聴いて思い出したんです、目白の師匠がこうやっていたと。
奥さんの方の年長者らしい上からの、やや凛とした感じ。それに対して妾は若くて艶がある。この対比をもっとクッキリ出して欲しい。
2.笠碁
出囃子が「から傘」でした。エッ!扇辰さんが出るの?と、思ったのですが、この日、扇辰師匠はぎやまん寄席:梅まつり前の湯島天神での落語会でした。
湯島で、お祭り佐七の『雪とん』をやっているのに、横浜には来れないだろうと、思い直して高座を見ると、やっぱり三三師匠が現れました。
そしてね、自身のお婆ちゃんの話をする三三師匠。中学生の頃に、千葉から祖母が小田原へ遊びに来た時。総武線でやって来たお婆ちゃんを、
新宿で出迎えて、小田急で小田原へ行く前に、お婆ちゃんと一緒に、末廣亭へ行った思い出を語る、三三師匠でした。
トリが志ん朝師匠で、仲入りが目白の小さん師匠という芝居。脇を固めるのが志ん馬師、志ん駒師、そして初代の志ん五師匠。みんな死んでもう居ない。
三三師匠が寄席通いを始めた頃なので、三十年以上前。「僕も、三十年後は死んでますよ」と、ボソっと呟く。まだ八十前だぞ!と思った私。
そんなお婆さんは、ご健在で今も千葉在住。千葉で落語会があり楽屋に遊びに来てくれたそうです。二十分くらい歓談し、「そろそろ席に戻るから」と、
言うお婆さんが去り際に、三三師匠に言った言葉が強烈!!「あんたは、誰の子だったかいねぇ???」知らずに話が通じるのが身内ですね。
こんな、ほのぼのしたマクラが聴けるのも、横浜にぎわい座だからこそです。老人繋がり?季節外れの『笠碁』へ。(暮れから正月の借金の話題は出るけどね)
美濃屋が上総屋の様子を観に行く場面で、古今亭だと美濃屋は喋らないが、三三師匠の美濃屋は、後半、少し独りゴトを言う。
そんなに長くならないようには、喋るんですけどね。目白の師匠とは違う三三らしさのある『笠碁』です。
3.幾代餅
三三師匠の『幾代餅』は、初めてでした。搗き米屋の女将さんのキャラが意外と薄い。白酒師匠ほど濃いキャラでなくてもいいけど。。。
親方と清蔵の関係がいいですね。師弟の関係にも似た、親方が言う事をイチミリも疑わない純で初な清蔵。一方親方は忘れっぽい。
薮井竹庵が女郎買いの指南役ですが、これも思ったより普通で、印象に強く残る存在ではなりません。幾代はいい色気を醸しておりました。
次回、「三三づくし」は最初に書いたように、三月三日、雛祭の日です。
|
|
恒例の小田原での三三独演会です。Twitterにも書きましたが、1,200人規模のホールを小田原で満員にできる稀有な芸人だと思います。
そして、三三師匠自身、他のホールよりも、むちゃくちゃリラックスして高座に上がります。勿論、谷津公民館ほどじゃないけどね。
そんな故郷に、今年も錦を飾った柳家三三師匠、その独演会!! このような内容でした。
1.牛ほめ/市楽
毎度、ここ三回いつも同じマクラの市楽さん。それは、内幸町ホールのJAL名人会、連雀亭のワンコイン寄席、そしてここ小田原。
全部、高校時代の同級生が、楽屋見舞いに訪ねて来る話(男子校だったのに、なぜか?女の人がやって来る話)と、
NHKのど自慢の話(「御所と御名前」が「男のお名前」と勘違いする話)です。この2つに5分使って、本編『牛ほめ』は10分になる。
その影響か?与太郎に、お父さんが紙に書いて褒める口上を渡す部分が全てカットだった。全体的に雑な印象を受けた『牛ほめ』。
ちゃんとやると非常に面白くなる噺なのに、残念でした。
2.たらちね/三三
マクラの冒頭、相変わらず時代が付いた、隙間風が吹く「小田原市民会館」を弄る三三師匠。いつぞやのようにコートが脱げない程、
極寒の会場っていう事はありませんが、それでも寒い小田原市民会館でした。更に、話題は「関節炎」になった話へ。
これは、私は初めて聞いた話でした。月例三三などでは喋っているのかな? 大阪に新幹線で移動したら、左膝痛に襲われた三三師匠。
痛みが引かないので、翌日、東京に帰り自宅近くの整形医に掛かる。受付窓口から保険証を持って覗くと普通女性の看護師さんか?
事務員さんが座っていそうなのに、この医院では60凸凹のオジサンが椅子に座っていた。『なるほど、医師が自分で受付もやるんだ?!』
そう思った三三師匠、膝が昨日から急に痛いと伝えると、直ぐに診察室へと誘導される。『直ぐ見てくれる、ラッキー!!』と診察室へ。
受付に居たオジサン。先生なら白衣のはずだが、技師が着るような白い、上下に分かれた制服を着ている。半信半疑で診察室へ。
丸い椅子に座っていると、あの受付のオジサンがやって来て、カーテンで仕切られた隣の部屋へ向かって叫ぶ!「先生、お願いします。」
すると、中から推定年齢85歳、恐ろしくスローモーに動き、ゆっくりと診察机に付いた。
先生「どうしました?」
三三「曲げると、左膝が痛くて…」
先生「じゃぁ、右膝を出して!!」
???『右膝、痛いのは左だって言ったのに、右膝?』
と、やや懐疑的にはなった三三師匠、左を庇って右がどういう状態なのか?
そこから見てくれるのか?と、好意的に受取り、素直にズボンをめくって右膝を出す。
先生「ここ、痛い?」
三三「痛くありません」
先生「ここは、痛い?」
三三「痛くありません」
先生「じゃぁ、ここは?」
三三「痛くありません」
先生「貴方、どこが痛いの?」
三三「だから、左の膝です。こっちは右です。」
先生「ダメじゃない、痛い方ださないと。。。痛い方の膝を出して!!」
『あんたが、右膝をって言うから出したのに…』
心では思ったが、グッと堪えて左の膝を出す三三師匠。
先生「ここ、痛い?」
三三「痛くありません」
先生「ここは、痛い?」
三三「痛いです!」
先生「じゃぁ、ここは?」老人とは思えない力でグリグリする先生。
三三「痛い!!痛い!!痛い!!」
先生「関節炎だねぇ」
三三「先生、僕、全く自覚無くて、ぶつけたとか捻ったとかしてないのに痛いのは、なぜですか?」
と、関節炎を発症した理由を聴いてみると。。。
先生「加齢、年よりだから」
三三「。。。。。」
『あんたに、年より呼ばわりされたくない!!』と、思ったが我慢する三三師匠。
しばし、先生は、机の方を向いて、三三さんに背を向け、何やらごそごそ始める。やがて…
先生「注射します。ちょっと待ってねぇ」と、言って、右手に注射器を握って、注射の準備をするが…
手がアル中のように震える先生、その手でなんとか注射器を握り三三師匠に近付いて来る。
恐怖映画のように見えて、恐かったと言う三三師匠。
先生「じゃぁ、右膝を出して!!」
流石に学習した三三師匠、「先生、痛いのは、左膝ですけど?」と返すと、
先生「ダメじゃない、痛い方を出さないと。。。痛い方の膝を早く出して!!」と怒鳴る先生。
ありえないくらい震えを伴いながら、ドキドキさせながらも、狙いのポイントに針が刺さり注射が終わる。
先生「サポーターを膝に付けて、暫くは右足を曲げちゃだめですよ。」
『これは、痛い左足を言っているんだ!』と、学習しハイハイと聞き流す三三師匠。ちなみに、この先生、85歳どころか、御歳103歳の現役医師だったとか。
三三「先生、正座しちゃダメですか?」と、尋ねると、
先生「ダメ!正座が一番悪いの!!今時の日本人だから、正座なんてしなくても生活できるでしょう?」
三三「私、職業上、正座しないわけにはいかないんです。」
先生「職業って?」
三三「落語家なんです。」
このやり取りを聴いていた受付のオジサンの方が、「落語家」に食い付いて来て、
今度は、オジサンから根掘り葉掘りの質問攻めに合う三三師匠。
オジサン「名前は、何ていうの?」
三三「柳家三三です。」
オジサン「サンザ、???、知ってる!知ってる!誰の弟子なの?」
『あんた、絶対、俺の事知らないだろう?!』と、思ったが。。。
三三「柳家小三治の弟子です。」
オジサン「小三治さん!知ってる!知ってる!、亡くなった志ん朝さんと…」
ここで、このオジサンが語った志ん朝&小三治のエピソードは事実なので、
このオジサンがまんざら嘘は、言っていないけど、知られていないのは少なからずショックだった三三師匠。
この後、診察券作る話や、三三師匠の次に来たお婆さんの話もありましたが、更に、長くなるので、直接、三三師匠のマクラで聞いて下さい。 もっと!もっと!売れなければ!と、心に誓うエピソードだったようです。
結構、長い、こんな感じのエピソードを語ってから『たらちね』へ。
三三師匠は、『道灌』『元犬』と並んで好きな前座噺です、『たらちね』。
特に奇を衒うような演出はしませんが、演じる側の楽しさがもう少し伝わると嬉しいのだが…
3.漫才/ロケット団
昨年のJAL名人会と年末池袋の白鳥師匠の芝居で聴いたネタとほぼ同じでしたが、「嵐」と「純烈」を掛けたネタが入っていました。
4.長唄三味線/スクイズ☆ハジキーズ
既に、三三師匠の会のゲストとしては、九回目の出場になる、松永流の松永鉄九郎さんの弟子でもある、お二人・鉄駒さんと鉄六さん。
越後獅子から始まって、四曲披露されました。二丁弾きの三味線で、松永流の流れるような演奏に、かなり磨きが掛かっていますが、
師匠のユニット:伝の会と比べると、まだまだ、修行中と感じますね。かなり凛とした演奏にはなって来たと思います。
5.明烏/三三
2009
立川談春
柳家三三
柳家花緑
柳家喜多八
立川生志
2010
立川談春
立川志らく
桃月庵白酒
柳家喜多八
2011
入船亭扇辰
三遊亭遊雀
柳家三三
立川談春
2012
桃月庵白酒×2
鈴々舎馬桜
柳家三三
春風亭一之輔
柳家小満ん
三遊亭歌橘
2013
金原亭馬生
春風亭昇太
2014
立川談春
桃月庵白酒
2015
入船亭扇辰
五街道雲助
柳亭小痴楽
古今亭文菊
2016
入船亭扇辰
古今亭文菊
桂やまと
2017
桃月庵白酒
柳家ろべえ
立川談春
柳亭小痴楽
2018
柳家三三
柳家小満ん×2
『明烏』、実に、十年で38回も聴いていた。しかも、若手は小痴楽さんからベテランは小満ん師匠まで、20人の咄家で聴いている。
白酒5回、談春4回、三三4回、この三人が『明烏』をよく聴くベスト3と言ってよい。そんな三三師匠の『明烏』は、
2010年より前は、あまり特徴がなく、源兵衛と多助も違いがはっきりしない感じでしたが、最近は、とにかく時次郎が可愛い。
特に今回、2019年の小田原市民会館の『明烏』は、演じる三三師匠の楽しい雰囲気が客席によく伝わる一席でした。
今日、2月5日は、横浜にぎわい座で、「三三づくし」です。今日は、どんな三席が聴けるのか?楽しみです。
|



