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北の峠14 野勢尚文
それは身分の違いかも知れないし、
また中尉自身が、
自分の前途を悲観されたのかも知れない。
何れにせよ、
君に簡単に殺される中尉ではない筈だ。
覚悟をされていたと思われる。
今の君は殺人罪だ。
罪に服すか、
紀子と共に他の人に成り代わって生きるしかないのだ。
当然それらの道筋は我々がつけるが、
君の家族は・・・と言っても奥さんだが・・・
麗子は奥さんの所に残すようにする。
だから今日の今、君は死ぬのだ。
今此処にいる君は、もう以前の君ではないのだ、
分かるな
それから君が不思議がっていたこの家だが、
この家の住人は反戦思想家で同士をかくまっていた。
だから全員逮捕され、
その後は我々が使っている。
君達だけではなく、
多くの同志が互いに気付かれないように使用していた、
食料の補給場所としてもだ。
前田中尉も紀子を監視する為と、
亜弥の住家として使われていた」
木村少尉の話が終わるのを待っていたのだろう、
紀子が榊の枝を抱いて入って来た。
「ほう、榊か・・・たくさんありましたね」
木村が聞くと、
「以前から見つけてましたの。・・もしもに時の用意にね。」
「もしも・・、とは。」
「私が・・死んだ時の、・・・ですわ。」
木村は紀子の顔を見て頷いたが、
その木村の襟元には大きなホクロが有った。
その後木村は、前田と亜弥が居た屋根裏部屋に上がり、
燃えない物を風呂敷に包んで降りて来ると、
部屋に並べてある二人の遺体からも燃えない物を取り除き、
同じ風呂敷に包むと、
肩掛けカバンの中から書類を出して何かを書き込んでいたが、
五助に藁と油を用意させた。
また、屋根裏に有った亜弥の着物は紀子に、
前田の服を五助に、それぞれ着替える事を命じた。
そして二人が脱いだ衣類には前田と亜弥の血を付けた。
その夜三人は榊に覆われた二人の遺体に手を合わせて黙祷した。
木村は封筒を取り出すと紀子に渡し
「命令する。君のこれからは封筒の中に書いてある。
忠実に実行する事、これが最後の命令だ」
と木村は敬礼した。紀子も最敬礼で答え、
五助は深々と頭を下げた。
五助は藁で痛いを覆い隠し、油をかけた。
火は木村が着けた。
徐々に燃え広がる火を見て
「俺は此処で家の燃え尽きるのを見守る、君達は早く行け」
木村の声に二人は外に出た。
闇の中で五助は峠を見た。
暗い星空に真っ黒な高い山々がそびえている。
「あやめ、すまない・・・」
これを最後に長年、五助はこの峠を見る事はなかった。
紀子に促され五助は暗い道を急ぎ足で篠山に向かった。
途中から園部に向かう道へと入った。
この分かれ道で振り返ると、家が燃えてるのだろう、
夜空が赤く染められたいた。
「いそぎましょう・・」
と駆けるように歩きだし、
二人は二度と立ち止まる事も、振り返る事もなかった。
県境の峠を越え、園部に着いた頃に夜が明けた。
駅へ行き、紀子は封筒を開けて何枚もの書類に目を樋していたが、
「良く覚えてね。あなたが若宮繁樹で、私が若宮典子よ」
と、五助は生年月日から
本籍住所までを教えられた。
園部から満員の満員の汽車に乗り、
京都で乗り換え、米原で降りた。
ここが若宮の住所だった。
この米原の住所で数日を過ごしている間に玄関にが置いてあった。
典子が封筒を開け中の書類に目を通すと、
役場や警察に書類を提出した。
これで総ての手続きは終わり、
名実共に若宮夫婦になった。
終戦を迎え、
米原が汽車の分岐点である事を利用して闇米の仲買をした。
繁樹は腕には自身があり、
会計は典子が取り仕切った。
戦後の動揺が納まる頃に米原にで旅館を買い取り、
子供も二人生まれた。
長男は真一、長女は和子と名づけたが、
共に典子に似たのだろう、容姿も頭も良かった。
その後真一は弁護士になり、
和子は典子と一緒に旅館を切り盛りした。
しかし新幹線の開通や車社会になリ米原は衰退した。
典子と和子は京都の郊外に旅館を買った。
旅館は典子和子の手腕で繁盛し、
割烹も兼ねた。
繁樹も多くの人達と接するうちに人馴れして、
昔とは別人のように変った。
また典子は身分の上下の区別なく誰にも親切だった。
それは繁樹に対しても同じで、
子供達も繁樹の素朴で素直な性格を誉めて慕った。
繁樹は幸せだった・・。
山の木々の間に横たわる繁樹は何処かで
自分を呼ぶような声に気が付いたが、
睡魔に逆らう事が出来ず
心地よく深い眠りに落ちていった。
「元の道」と云っても、もう山に返っている。
闇夜に茂った雑木林の中を電池の明りだけを頼りに、
辿り捜すことは不可能に近い事だったが、
真一は先頭になって木々の小枝を払いながら進んだ。
夜明け近くに繁樹を発見したが、
概に冷たくなっていた。
京都では典子の用意が出来るのを、和子が車で待っていた。
典子が車に乗ると、車は篠山に向かって走った。
典子は終始無言だった。
やがて右手に北の峠が見えてきた。
典子はその峠の麓で運び出された繁樹の遺体と対面したが、
その眠っているような表情に、
典子は安堵した。
「一応変死、と云う事で司法解剖をするかも知れませんが・・
出来るだけしないで済むように努力します。
親父のこんなに綺麗な姿を切り刻む事には
抵抗がありますからと言う真一の言葉に、
典子は大きく頷いた、
多くの車がたむろするその場所から峠を見上げると、
青い空を背景に山は高々とそびえ、
山腹の所々にZ型に見える道路意外は昔の侭(まま)のよう気がした。
「和子、峠に上がってみましょうか・・か」
典子は車に乗った。
走り始めた車の窓から見える風景は、
典子を込み上げさせた。
典子はむせたふりをして咳をした。
峠に着くと典子は車から降りて
峠からの風景を眺めた。
歳こそ寄ったが背筋の伸びた姿勢の良い体型には着物が良く似合った。
衰え、やつえはしたが、
昔日の面影を漂わせる典子の頬に一筋の涙が光っていた。
それを強い風に拭わせて、
集落の方へゆっくりと足を運んだ、
池の側で立ち止まると、
辺りを見回して、
石の馬頭観音を見つけると枯れ草を掻き分けて
石仏の前にひざまずいた。
和子は道路から、
風に流される髪を押さえて母を見守っていたが、
風に乱れた髪の間から襟元のホクロが見えた。
それは兄と同じホクロであり、
木村少尉のホクロと同じだった。
集落の方から、
一見して都会の人と分かる中年の女と、
その娘と思える若い女が
手荷物を下げて坂を登って来ると、
枯れ草を掻き分けて石仏の方に向かっていた。
丸顔に丸い目の母子が石仏の前まで来ると、
典子はその母子に場所を譲り、
石仏の前で互いに言葉を交わしていたが、
典子はハッとした表情に変り、
親子を改めて見直した。
母親は草に埋もれた石の馬頭観音を慈しむように両手で撫で続けていたが、
その頬に幾筋もの涙が光っていた。
北の峠の空は青く晴れわたり、
白い雲がひとつ、
海坊主のように浮かんでいた。 ・・・・おわり
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