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最近、「イデオロギー」という言葉を聞かないナ、ということに気が付いた。

大学にいた頃、学生運動が華やかだった。革命という言葉がすごく身近に使われ、大学構内には

毎日のように演説文が掲げられた。

革マル派・中核派・民青・社青同・日本赤軍・・・・多くの「帝国主義に抵抗する」グループが街を練り歩いた。

ただ、学生運動に身を投じていても、ゲバ棒で殴り合う時間を過ぎて就職する時期になると、

髪を切りさっぱりしたスーツを身にまとい、皆すんなりとそれぞれの就職先へ転進していった。

運動は思い出となり、「いちご白書をもう一度」という唄に象徴される日和見主義に埋没していった。

(これは団塊の世代を説明する際、一つの典型的なシナリオである。)


イデオロギーという言葉は、社会集団や社会的立場(国家・階級・党派・性別など)において

思想・行動や生活の仕方を根底的に制約している観念・信条のことを言う。

例えば、共産主義国家における階級規定・倫理・行動の規範となる基本思想体系、と考えれば良い。


日本では間違いなく、昭和初期から太平洋戦争に突入した数年間は「軍国主義」という基本思想によって、

その他の思想を制約した。

この時代、珍しく日本国民は「やりたいことを、命を落とすことなく実行できる自由」というものを失った。

政府が民衆の思考の自由を奪い、社会と民衆全体が個人の自由を圧殺した。


ただそれ以外の時代では、大なり小なり貧困に苦しむ時代は続いたが、完全に意思と生命が圧殺される

時代は日本にはなかったのではないかと思える。

(無論、天草四郎や延暦寺焼討ちのような「事件」は存在する。)


外国で言う「圧政」とは、王朝や帝王が、あるいは眼に見えない「体制」というお化けのようなものが、

個人の思考を縛り、行動を縛り、搾取し、飢えさせ、生きる道を選ばさせないこと、を言う。

決死の覚悟でエジプト王朝からの脱出を実行したモーゼとユダヤの民。

ローマ帝国の横暴と戦ったスパルタカス・・・

バチカンの専制に反撃し「信仰」という自由を勝ち取った宗教革命。

近くは、大英帝国の搾取をはね返す戦いに結束したガンジーとインドの民衆。

世界の歴史は、圧政に抗い、搾取されることを拒み、飢えることのない社会を手にする戦い・・・

「自由への闘争」の歴史でもある。


ベルリンの壁が叩き壊されたことは、特に東欧の人々にとっては、マルクス・レーニン主義という

「イデオロギー」からの開放を意味し、自由主義社会の誕生を意味した。

王朝もなく、帝王も不在の、歴史上初めての本物の「自由」な時代が訪れることを意味した。

歓喜に値することだ。

もちろん日本でもニュースにはなった。ただ大半の日本人にとっては、戦後作られた国境が消えて自由に

往来できるようになった、程度の実感に過ぎなかったのではないか。

世界の歴史に巻き込まれ翻弄されることが少なく、民族単一国家2千年の安泰の上に暮らしている

日本人の感覚では、「圧政」の対極にある「自由」の本来の意味を理解しずらいのであろう。


ここしばらく、これまであまり聴いていなかったショスタコービッチの音楽に取り組んでみた。

交響曲第1番から初めて、最後の作品第15番まで交響曲のみをを聴き続けた。

大変に胸を刺す音楽を前にして、記事を書く手がピタッと止まってしまった。

国家と社会が唯一のイデオロギーに支配され、その他の思想を持つ者を狩り、それ以外の表現を糾弾し、

常に生命が保証されない崖っぷちに生き、危機と隣り合わせの時代、国家と人間の在り様。

これを我々は真に理解できるのだろうか、という危惧を胸に、黙々と聴き続けた。


ショスタコービッチの音楽は「圧政の中での自由への絶望的な闘争」である、と表現すること以外に

的確な言葉を未だに見つけられないでいる。

        (つづく)⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/marty1010921/25917038.html

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