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Dirge to the absurd life ・・・・
(不条理な人生への哀歌・・・)


シベリウス作曲 フィンランディア 作品.26


Youtubeの投稿に、この曲を表現するに、ぴったりのものがありました。



Whole Finlands independence progress in one song:
(フィンランドの独立の歴史が一曲に詰まっている…)


Dark times     (暗い時代…)


Small hope     (小さな希望…)

Bright looking future  (輝いて見える未来)

Repression     (抑圧…)

Struggle      (抗争…)

Heroes of a battle (戦いの中のヒーローたち…)

Victory       (勝利!)

Rising of a new countryFuture... (新しい国の未来の夜明け)


これ以上の説明は不要に思える程に、ピッタリではないでしょうか?

封建制度・帝政・独裁・・・の抑圧に立ち向かい、長く昏い闘争と抑圧を

乗り越え、民主的で希望に満ちた新国家を造り上げていく黎明の時代の輝き。


国民楽派とひとくくりで呼ばれる同時代の作曲家たちの中でも、ひときわ

輝きを放つ シベリウス ならではの名曲です。


こんな曲はレコードやCDで聞くだけでは飽き足りません。熱気ほとばしる

オーケストラの音圧に圧倒されながら、聞くべきものだと思うのです。


その不遇の時代を跳ね返した民族の「青春」をこそ感じたいものです。

残念ながら、既に日本民族が忘れてしまった感慨と夢を思い出すために・・・

年齢を重ねてしまって気力の衰えを感じてしまう老人、スピンの心を

もう一度、高揚させてもらうために・・・


ヘルシンキ音楽堂のオープニング記念演奏。

ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団の 熱血の演奏 だと思う所以です。


チェロ:ジャクリーン・デュ・プレ
指揮 :セルジュ・チェリビダッケ
演奏 :スウェーデン・ラジオ交響楽団 1967年

アントン・ドボルザークは、アメリカはニューヨーク音楽院長時代に作曲した「交響曲第9番”新世界”」の他に、さしたる作品を残していません。(ファンの方からは怒られるでしょうが、同世代人のブラームスやチャイコフスキーに較べると寡作と言わざるを得ません)
「スラブ舞曲集」「弦楽セレナード ハ長調」「ユーモレスク」・・・え〜っと。
そうそう「チェロ協奏曲」を忘れてはいけませんね。(というくらい寡作)

この チェロ協奏曲 ロ短調 ほど「ボヘミアン」という民族性を聞かせてくれる音楽はありません。焦燥と哀愁、高揚と悲嘆、そして 忘れ得ぬ想い に溢れています。

「ボヘミア」という地域はどこにあるかというと、ウィーンの北300Km・ライプチヒの東南200Kmのプラハを中心とする半径200Kmほどの地域を概ね指します。
古くはケルトの民の発祥の地域ですが、古来から、ローマ帝国に、蒙古民族に、ハプスブルグ王朝に、ロシア帝国に・・・常に侵略と迫害と略奪にさらされてきた地域であり、民族です。
その民族が音楽を作ったらこうなる、という音楽がドボルザーク作品には隅々まで詰め込まれています。

ドボルザークは1841年にプラハ近辺に生まれ、1904年に62歳の生涯を閉じました。

彼が生きた時代は、一言でいえば帝国主義と民族主義がせめぎ合った”動乱”と”混沌”の時代です。ヨーロッパ各国に民族自決(今風に言うとAmerica First)主義が盛り上がり、多くの個性的な音楽家が活躍しました。
ノルウェイのグリーグ、スゥエーデン・シベリウス、ロシア・チャイコフスキー、スロバキア・スメタナという具合です。ドボルザークはチェコの国民学派の頭領として持て囃される”動乱”の中に育ちます。

ドボルザークの生後7年目に、象徴的な事件が起こります。ヨーロッパの古典的音楽の純潔種メンデルスゾーンが病没し、ワーグナーの論文「音楽におけるユダヤ性」で芸術性と人間性を否定された正に象徴的な時代の分かれ目的事件でした。
以降、ナチスによる悲劇や共産主義先制という悲惨な歴史が始まる、政治的激動の時代でもありました。

ワーグナーと対立し、”混沌”を極め始める時代の危険性を嗅いでいたブラームスは、ドボルザークとも親交を図ります。が、時代の荒波には逆らえず、作曲家不足を嘆いていたアメリカからの要請に乗り、ドボルザークにニューヨーク音楽院長に就くよう勧めます。

当時の収入の15倍くらいの高給に惹かれたドボルザークは、決断して1892年にアメリカへ。
(1892年のアメリカって何か思い出されませんか? そう大恐慌の真っ只中!
 そこへ世事にも政治にも疎いボヘミアの作曲家は行ってしまったのです・・)

アメリカにはボヘミア民族音楽に似たメロディがありました。
故郷を想い、日々のつらさを嘆き、救いを神に願うメロディ。そう”黒人霊歌”です。
それが彼の作品に影響したと謂われていますが、どうも そのようには感じません。

短い期間にアメリカ全土を旅したドボルザークは、ニューヨークの活気あふれる日常に驚嘆し、同時に東欧からの移民たちの苦しい生活に触れ、故郷ボスニアでの穏やかな日常と豊かな生活に思いを馳せるのです。
アメリカ到着後1年目に作られた”新世界”交響曲。
そして2年目から3年目にかけて書いたの作品が「チェロ協奏曲 ロ短調」でした。

アメリカでの生活に疲れた彼には、この曲を書き上げるのが限界だったようです。
ドボルザークは作曲後すぐに、僅か3年のニューヨーク生活を止め、プラハに帰国。

帰国後は、ボヘミアに留まり、各国の音楽団体からの名誉叙勲を受け、チェコの国会議員やプラハ音楽院長を務めます。そして、それまで成功していなかったオペラの作曲に努めてはいますが、はかばかしい成果はないまま、9年目にプラハにて病没します。

満ち足りた晩年だった・・・と言っていいのかどうか、正直判りません。

この曲も、”美しい”というよりは、時代の激動と変貌に戸惑い、懐かしき故郷での思い出一杯のメロディに満ち満ちていますが、現在でもクラシック愛好者必聴の一枚と謂われていますが、さて、どうなのでしょう。

正直なところ、まずはYouTubeでお聞きになってから愛聴盤リストの中に入れるかどうかを、お決め頂いたほうがよろしいのでは、と思ってしまうスピンなのです。


ENYA - O鱈che Chi炭in (Silent Night)


皆様が暖かく静かな祝祭日をお迎えになりますように!

ENYAさんのゲール語(古代ケルト語)での「聖夜(きよしこの夜)」です。

謡っている内容は英語版の意味とほぼ同じと聞いております(不確かですが汗)

静かでポリフォニックな音楽が皆様のお心に潤いを呼び覚ましてくれることを

お祈りいたします。


My dear friends, Wishing you all have a warm & qiuet holiday season !!

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