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Mさん、

鮭トバ、とても美味しく頂きました。ありがとう!

お礼に、私のクラシック・コレクションから、とりあえず3枚のCDを選びました。

モーツァルト・ベートーベン・ブラームス、
ピアノ協奏曲・交響曲・バイオリンソナタ、というメニューです。

音量をあまり上げずに聴いてください。

最初は耳が慣れないでしょうが、聴き進むにつれ不思議に全部の楽器の音が耳に残り始めるはずです。

大きなスピーカでないとダメという音楽評論家ばかりですが、音を聞くのではなく、音楽に身を任せる

愉しみを味わってみてください。


モーツァルトの1曲目はピアノ協奏曲18番、初々しい若さに始まります。
活躍の場を得て夢膨らみ躍り上がりそうな喜びに始まります。ただ第二楽章から始まるのですが、ふっと心に進入してくる「悲しみの予感」がとても心を打ちます。

ところで、モーツァルトが残した自筆の楽譜には「消しゴム」の跡が全く無いそうです。
頭の中に全ての音楽が流れていて、彼はただそれを書き写しただけ、といわれています。
そう考えながら聴いてみてください。天才とはこんな人のことを言うんだなーと、実感なさるでしょう。

2曲目の24番作曲のころ、モーツァルトは高名ながら恵まれない人生の激しい戦いの中にいました。
人生の中で心にポッカリと空いた空白を語るピアノがなんとも哀しく美しい、私の大好きな1曲です。

ちなみに、24番につづく第25番では、死期を悟ったモーツァルトが自身の清々しい境地を唄っています。天上の音楽と言われる曲です。
ルドルフ・ゼルキン&クラウディオ・アバドの組合せが私のお進め。ゼルキンのピアノは端正極まりないと思っています。


ベートーベンからは、珍しい組合せですが、交響曲4番と5番のカップリングです。
5番は有名な運命という表題がついていますからご存知でしょう。

ただ、CDの順どおりに4番からお聴きください。
気難しそうでかたくななベートーベンのイメージをひっくり返してくれると思います。

茶目っ気に満ちた見事なメロディ展開と天才的な楽器の使い方を味わってください。
さて、何個の楽器を聞き分けられましたでしょう?

4番はいわばアベリティフ。
続くメインディッシュの第5番で、彼は激動の世界に煩悶し、しかし現状に屈せず、最後に確信に満ちた心境を謳ってくれます。

5番の第4楽章は時計で測ると10分ほどですが、これが20分くらいあるように聞こえたら、貴方はベートーベンのメッセージを完全に受け取っていると思います。元気が出る一曲です。

このCDの指揮者はセルジュ・チェリビダッケと言う人です。残念ながらもう亡くなってしまいました。
お元気だったとき、絶対にレコード・CD録音・販売を許さなかった人です。
音楽は聴く人と弾く人が同じ場所で共に作り味わうもの、という信念を貫いた人です。

今回はお届けできませんでしたが、この人が指揮したベートーベン交響曲第6番「田園」は、過去最高の演奏だと私は思います。
是非、お聴きくださることをお進めします。


さて最後の3枚目は、ブラームスのバイオリンソナタです。
弾いているのはイツァーク・パールマンという現代最高の一人といわれているバイオリニストです。

ちなみにバイオリニスト達は自分達を「フィドラー」(弦楽器弾き)と呼びます。「自分達は一級の職人である」ことに誇りを込めた呼び方です。

ブラームスは、最初に味わうクラシックにしてはちょっと味が濃いかもしれません。

ニーチェとかキルケゴールといった哲学者の顔を思い出しながら聴いて頂くといいと思います。

「私は何をしているのだろう。生きることとは一体・・・」と想いを巡らすブラームスです。

雲に覆われた空を眺めながら煩悶しつつ、最後にこうこうとした月明かりを愉しんでいる姿を

思い浮かべていただけたら、もう貴方は立派なクラシック愛好家です。

ただ、「ちょっと・・濃いい!」と思ったら、ためらわず止めてください。

もう一度、秋深まった夜、かすかな音量で再挑戦してみてください。きっと頷いてくれると思います。


音楽はフェルメールの「青いターバンの少女」のようなものです。

貴方の心がざわめいているときは煩いばかりですが、見つめている時、心に染入ることでしょう。

せっかくですから「Marty101」で聴いてもらいたかったですね。

静かな部屋の中に音楽が満ちていくことに、まずは驚かれるでしょう。

一つ一つのメロディと楽器たちがくっきりと浮きぼりになり、見事な会話をしている情景を再現してくれます。


あ、言い忘れました。指揮者が指揮棒を振りながらオーケストラに怒鳴っているのが聞こえました?

聞こえない? 「Marty101」を次に貸してさし上げましょうネ。


デハ、一緒に聴く機会が近い将来あることを念じまして。

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バッハ作曲 ミサ曲ロ短調

カルロ・マリア・ジュリーニ 指揮 バイエルン放送交響楽団


私はスコアとともに生き、スコアは私の一部になり、その瞬間、私は作曲者の召使になる。
作曲家は天才で、私は何者でもない。
曲を知っているというのは第一段階にすぎない。
第二段階は曲について瞑想すること、第三段階はそれが血になるまで吸収し、その曲が体の一部になった時、ようやく指揮台に立つ用意ができる。
                      − カルロ・マリア・ジュリーニ


いろいろな方に触発されて、バッハ代表作 ミサ曲ロ短調をUPする気になった。

クリスマスという祈りの季節には、最もふさわしいだろう。


この演奏しかない。

追悼・・・という意味も、心のどこかに引っかかっているが、それらの雑念をこえて、この演奏しかない。


イタリア南東部の小さな町の出身のジュリーニだから、

本来なら、太陽と、青い海と、さわやかな風の景色を、原風景としているはずだ。

しかし彼は、どの録音を聴いても、あくまでも思慮深く、真摯であった。


80歳にして初めて振った、バッハのミサ曲においても、

荘厳にして敬虔な祈りにのみ集中している。

ジュリーニの生きた時間の集積がここには在る。


祈りは静かになされるべきもの。

祈りの言葉の一言一言をかみしめ、足元に眼を落とし、声に出すともなく呟き、

自らの軌跡を恥じ、不徳の許しを請い、神の救いを願い、永劫の至福を祈る。

十字架を仰ぎ、ステインに彩られた光指す、冷え切った石床の上にひざまずき、

ひたすらに、ひたすらに、そして無心に、虚空のかなたの神を見つめながら、 祈る。


ジュリーニは、オーケストラと合唱が織り成す神秘的でポリフォニーな綾の布を、

恣意的にではなく、誠に虚心坦懐に、無心にタクトを振りつづけ、

神への祈り以外の想念の入り込む一部の隙間もなく織りあげている。

至上のバッハ演奏であり、至上のクラシック名盤である。

終戦の詔勅を読む

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【終戦の詔勅原文】

朕 深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ 非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ 茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ 帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
抑々 帝国臣民ノ康寧ヲ図リ 万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ 皇祖皇宗ノ遣範ニシテ 朕ノ拳々措カサル所 曩ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦 実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ 他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス 然ルニ交戦已ニ四歳ヲ閲シ 朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラス 戦局必スシモ好転セス 世界ノ大勢亦我ニ利アラス 加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ 頻リニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル 而モ尚交戦ヲ継続セムカ 終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス 延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ 朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ 是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ
朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス 帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ 非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク且戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ 朕ノ深ク軫念スル所ナリ 惟フニ今後帝国ノ受クヘキ困難ハ固ヨリ尋常ニアラス 爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル 然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所耐ヘ難キヲ耐ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ 忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ 常ニ爾臣民ト共ニ在リ 若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ 或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム 宜シク挙国一家子孫相伝ヘ 確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ 総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ 道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ 誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ 爾臣民其レ克く朕カ意ヲ体セヨ

御名御璽
昭和20年8月14日

【口語訳終戦の詔勅】

朕は、深く世界の大勢と、帝国の現状をかえりみて、非常措置をもって事態を収拾しようと考え、ここに忠実にして善良なる汝ら臣民に告げる。
朕は、帝国政府に、米英中ソの四国に対し、そのポツダム宣言を受諾する旨、通告させた。

そもそも、帝国臣民の安寧をはかり、万国が共存共栄して楽しみをともにすることは、天照大御神からはじまる歴代天皇・皇室が遺訓として代々伝えてきたもので、朕もそれをつねづね心がけてきた。
先に米英の二国に宣戦した理由も、実に帝国の独立自存と東アジア全域の安定とを希求したものであって、海外に出て他国の主権を奪い、領土を侵略するがごときは、もとより朕の志すところではない。

しかるに、交戦状態はすでに4年を過ぎ、朕の陸海軍の将兵の勇敢なる戦い、朕のすべての官僚役人の精勤と励行、朕の一億国民大衆の自己を犠牲にした活動、それぞれが最善をつくしたのにもかかわらず、戦局はかならずしも好転せず、世界の大勢もまたわが国にとって有利とはいえない。
そればかりか、敵国は新たに残虐なる原子爆弾を使用し、いくども罪なき民を殺傷し、その惨害の及ぶ範囲は、まことにはかりしれない。

この上、なお交戦を続けるであろうか。
ついには、わが日本民族の滅亡をも招きかねず、さらには人類文明そのものを破滅させるにちがいない。
そのようになったならば、朕は何をもって億兆の国民と子孫を保てばよいか。
皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊にあやまればよいか。
以上が、朕が帝国政府に命じ、ポツダム宣言を受諾させるに至った理由である。


朕は、帝国とともに終始一貫して東アジアの解放に協力してくれた、諸々の同盟国に対し、遺憾の意を表明せざるをえない。
帝国の臣民の中で、戦陣で戦死した者、職場で殉職した者、悲惨な死に倒れた者、およびその遺族に思いを致すとき、朕の五臓六腑は、それがために引き裂かれんばかりである。
かつ、戦傷を負い、戦争の災禍をこうむり、家も土地も職場も失った者たちの健康と生活の保証にいたっては、朕の心より深く憂うるところである。


思うに、今後、帝国の受けるべき苦難は、もとより尋常なものではない。
汝ら臣民の真情も、朕はよく知っている。
しかし、ここは時勢のおもむくところに従い、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、それをもって万国の未来、子々孫々のために、太平の世への一歩を踏み出したいと思う。

朕はここに、国家国体を護り維持しえて、忠実にして善良なる汝ら臣民の真実とまごころを信頼し、常に汝ら臣民とともにある。
もし、事態にさからって激情のおもむくまま事件を頻発させ、あるいは同胞同志で排斥しあい、互いに情勢を悪化させ、そのために天下の大道を踏みあやまり、世界の信義を失うがごとき事態は、朕のもっとも戒めるところである。

そのことを、国をあげて、各家庭でも子孫に語り伝え、神国日本の不滅を信じ、任務は重く道は遠いということを思い、
持てる力のすべてを未来への建設に傾け、
道義を重んじて、志操を堅固に保ち、
誓って国体の精髄と美質を発揮し、
世界の進む道におくれを取らぬよう心がけよ。

汝ら臣民、以上のことを朕が意志として体せよ。

御名御璽
昭和20年8月14日

玉音放送ー完全版URL
https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=1XMja7jwtV4

固陋ですが、私は冬のオリンピックでカーリングを見ません。アスリート競技といえるのか?と思うからです。「氷上のチェス」という標語もありますが、チェスならチェス大会でやれば良い。
スノボのハーフパイプなども見ません。採点ルールが全く判らないこと、どのような競技経験を持っている人が採点しているのか、採点ポイントは誰が決めたのか判らず公表されていないと思うし、採点者はどのように選ばれたかについて、密室選出としか思えないからです。「恰好いい」だけを競うのであれば「X-Game」でやってれば良い。

同様な理由ですが、フィギュアスケートも見ません。フィギュアはアスリート競技だと思います。然し、採点方法に疑問を持たざるを得ない競技を見ていると、努力してきた選手が不憫でなりません。夏の「柔道」でいったい何人の選手が悔し涙を流してきたことか・・・
もっと開かれたオリンピックであってほしいと願います。

アルペン、ノルディック系競技、スピードスケート(ショートトラックを除く)、アイスホッケーは、熱心に観戦し、ゴールに倒れこむ選手に拍手を惜しみません。たとえビリでも選手の汗には価値を感じるからです。

オリンピックを国勢の高揚に利用する行為も許せません。
成績ははあくまでも選手の努力の賜物であって、民族が偉い訳でもなんでもありません。
不幸なことに某国のフィギュア選手の点数に疑惑が生まれています。(詳細添付)。本当に不幸であり、心なき採点者によって競技を離れていく優秀な選手が多いことを悲しみます。

http://www31.atwiki.jp/injustice/m/pages/14.html?guid=on

祝婚歌 吉野 弘

 二人が睦まじくいるためには
  愚かでいるほうがいい
 立派すぎないほうがいい
  立派すぎることは
  長持ちしないことだと
  気付いているほうがいい
 完璧をめざさないほうがいい
  完璧なんて不自然なことだと
  うそぶいているほうがいい
 二人のうちどちらかが
   ふざけているほうがいい
  ずっこけているほうがいい
 互いに非難することがあっても
 非難できる資格が自分にあったかどうか
    あとで
  疑わしくなるほうがいい
 正しいことを言うときは
  少しひかえめにするほうがいい
   正しいことをいうときは
  相手を傷つけやすいものだと
   気付いているほうがいい
  立派でありたいとか
 正しくありたいとかいう
    無理な緊張には
    色目を使わず
   ゆったりゆたかに
  光を浴びているほうっがいい
 健康で風にふかれながら
 生きているなつかしさに
   ふと胸が熱くなる
  そんな日があってもいい
     そして
  なぜ胸が熱くなるのか
   黙っていても
 二人にはわかるのであってほしい

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