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Spinnaker's Music Clip board
皆さま、スピンは元気に過ごしております!

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Windows XPとOffice 2003/Ineternet explorer 6.0 のマイクロソフト社サポートが,2014年4月に
打ち切られます。

セキュリティ上の観点から、又

Windows XP PCがクラッシュした場合のWindows Update(不具合対応)ができなくなる観点から、

さらに、XP-PCのHDDや電源ユニット・メモリなどの内部部品が疲弊しているケースが多いこと、

使用されているCPU の能力が、昨今のグラフィックを多用するソフトウエア(例:FaseBookなど)を

動作させるには非力となりつつあること…等々を鑑み、

MS社のサポート打切り以前に新ハードを搭載したPCへ移行なさることをお勧めします。


なお、螢ューディファクトリ、およびSpinMAX.Homeでは、後継OSとして、

Windows 7 Professional 64bit版を強く推奨いたします。


当社ではXP-PCからの移行に際し、お客様作成データや、メールデータをはじめとして、お気に入りや

クッキー情報・インターネット設定環境移行などを承る「新OS 移行サポート」を、送料のみの

 ご負担にて承ります。

 
 本件につきましての詳細は、以下をご最小下さいませ。

 MS WEB:http://www.microsoft.com/ja-jp/windows/lifecycle/xp_eos.aspx?WT.mc_id=13_cm_wi_eos_ex


 SpinMAX. Home : http://qdfactory.shop-pro.jp/

 スピンは、この2〜3ヶ月、ベトナムとソウルに行く機会が多かったのであります。ついでのことに

 石油関係のビジネスに少しばかり関わりましたので、ダラスの人と、カナダの方と話したり、

 レターのやり取りを重ねました。

 過去、米国NYで仕事をしておりましたが、帰国してもう30数年経過し、英語は完全にさび付いて

 おりました。

 が、不思議なもので、日一日と頭の中に畳み込まれていた言葉が湧き出してくる経験を致しました。

 人間の脳というもの、中々捨てたものではないワイ、と思っております。


 そんなスピン、フト電車の中で英会話教室の広告に眼が留まりました。


 曰く、

 「ご希望の目標をお聴きして個人別のカリキュラムを!」

「マンtoマン教育ですので、上達スピードも速い!」

「ニッポンに英語を話す喜びを!」・・・そんなにうまくはいかないと思うけどナー、というのが

 率直な感想でした。


 北米に限って言えば、NY周辺、五大湖周辺、ジョージア周辺、ニューオリンズ・テキサス周辺、

 南部カリフォルニア、北部カリフォルニアそしてカナダ・・・全部アクセントと日常使用する

 単語が違っています。

 加えて、上流階級白人、中流の白人、アフリカ系、中南米系、アジア系の方々それぞれの独特な

 イントネーションや言い回しがあります。

 つまり、大まかに言えば、7地域x5人種=35通りの方言があると思えばいいのです。


 アジアでも韓国の方が話す英語・台湾の方・ベトナムやタイの方々では、まるで発音が異なり、

 全く英語に聞えないものもあります。


 ですから、先の英会話教室の広告のようには簡単にはイカナイヨ、というのが率直な感想なのです。

 今はやりの(ということになってますが)スピードラーニングにいたっては、多分、NY周辺の

 中流階級の白人にしか通じない・・・のでは?と思ってしまいます。


 これって、誇大広告じゃないの・・・なのであります。

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 いま流行のFaceBookで、「シャボン玉石鹸」という会社を発見して、思いがけず、懐かしい人たちを

 思い出しました。(FB:https://www.facebook.com/shabondamasoap


 この会社はとても環境に優しい石鹸を製造しています。北九州に所在するユニークな会社の一つ。

 「優しさ」と「暖かさ」という言葉を思い起こさせてくれる得がたい企業の一つです。


 スピンが大学に入り、演劇部に入部したとき、九州中からFANレターが来るほどの「名優」が

 居られました。その方は既に部活動の一線から退かれ、理学部化学科の卒論と実験に明け暮れて

 おられました。

 たまに、部室を覗いてくださいましたが、新入生風情のスピンからすると雲の上の人で、ろくに

 お話をすることもありませんでした。


 エドワード・オールビー作の「動物園物語」やアルベール・カミユ作「正義の人々」、

 サミエル・ベケット作「ゴドーを待ちながら」などなど、この方が主演された名舞台は、

 プロ野球で言う「欠番」みたいなもので、再演を企画することすら憚られました。


 お名前を 柴北昌人さんとおっしゃいました。ご消息を知りたいものです。


 スピンがやっと大学を卒業し、会社に入り、NYに駐在し、福岡で新しい職務についていた頃、

 この方の同期の先輩が胃がんで亡くなられました。(享年36歳の早すぎる死でした)

 葬儀の後、ナントこの先輩からお声がかかり、2時間ほどお話をさせて頂く機会を戴きました。

 同期の先輩の思い出に始まり、ご自身の日常についてお聞かせいただき、最後に、思いがけない

 ことを依頼されました。

 ご自身の葬儀の際、ブルックナーの交響曲第7番の第2楽章を流して欲しい、と仰るのです。


 当時のスピンは まだ ブルックナーなどに行き着いておらず、このご依頼の準備のために、CDを

 買いに行き、初めて聴き通しました。

 雄大にして荘重な、懐かしき良き時代を葬送する劇的な一曲でありました。

 以来、スピンにとってブルックナーは大切な音楽です。


 この方が、お勤めになっていたのが「シャボン玉石鹸」。

 製造と開発の責任者を為さっておられました。



 その後、お年賀で連絡を戴いておりましたが、茨城近辺の工場長をされていたとき以来、

 スピンの病気の故に、事業に没して居所を転々としたが故に、連絡は途絶えてしまいました。


 この方がお育てになったであろう「シャボン玉石鹸」のFaceBookを読みながら、大切な先輩とのご縁も

 維持できなかった自身を、歯軋りをしつつ罵り、悔やみ尽しているスピンであります。

 ・・・・・・

 ・・・・・・

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・・・

・・・スピンが生まれたのは、種子島というところです。ご存知ですか?

 鹿児島県の本土最南端、佐多岬から約一時間ほどの海上に浮かぶ島です。すぐ隣に屋久島があります。

 屋久島は丸い形をしていて昔は大火山。標高1800m級の山々が連なる洋上アルプスです。

 それに引き換え種子島は標高450mほど・・・落花生のような形をした平ペッタイ島。

 平家落人伝説のせいでしょうか、今でもどことなく昔の京の言葉に近い「古語」が生きています。

 ある意味、不思議な島。


 この島の名は日本史に3度ほど出てきます。近い時代から言うと、宇宙ロケットセンターが設置されたため。

 何故に辺鄙なこの島に、ロケット資材の輸送だけでも相当なコストがかかるこの島に、ロケットセンターが

 創られたのか?・・・島の地層に起因しているそうですが、簡単に言うと地震がほとんどない地層の

 上にあるから、なのだそうな。

 言われてみると、小さいころ地面が揺れるという怖い思いをしたことがない。


 2度目は少し時代をさかのぼって、この島の南端の砂浜にポルトガル人の船が難破して打ち上げられたこと。

 そして、この時、日本に鉄砲が伝えられたこと。1542年だったかな?鉄砲伝来の地なのです!

 この時、種子島領主(領主が居たのです、今もその末裔が居て種子島姓を名乗っています)が、

 島の刀鍛冶に命じて鉄砲の複製を作られようとした。

 刀鍛冶は見せられた鉄砲を分解し、ためつすがめつ眺めて、創ろうとしたが、どうしても撃鉄(引き金の)

 仕組みが判らない。

 困りきった刀鍛冶は、自分の娘をポルトガル人に差し出し、コツを教えてもらった。

 この娘さんの名前を若狭姫という。こんなこと知らないでしょうね。


 さて、もう一回は何時でしょう?

 この質問をいろんな人に投げてみましたが、いままで誰も正解を言った人が居ません。


 正解は、日本書紀の何とか天皇のころ、510年代だったとおもう、「多弥国(たねのくに)より朝貢を

 受けた」という記述があるのです。

 「弥」という時は「米」という意味。弥生時代というのは米の栽培で生活した時代をさします。

 当時、南方の平和な島は貴重な米どころだったのです。

 この多弥国が訛って、種子島となりました。


 鹿児島から普通の船に乗って約3時間。東側を太平洋に洗われ、西側は東シナ海に面し、

 汚れる訳がない、きれいな海が広がる、のどかな島です。

 海は「入れたてのお風呂」のように澄み切っていて、亜熱帯に近い温帯の広葉樹に覆われた、

 山海の恵み豊かな、時間が止まったような、のどか極まりない島です。


 スピンはこの島で中学卒業まで過ごします。

 没陽の砂浜で、長き影を追いかけながら、さざめき笑う子供たちの声を聴きながら、スピンは

 なんの屈託も無くすごしておりました。。。


 高校受験後、鹿児島市に独り出かけ、大学受験の荒波にもまれ、就職難の時代に大手OA企業にもぐりこみ、

 家族を伴いニューヨークに5年近くもの間、駐在し、・・・ そのような荒波が待っているとはつゆ知らぬ、

 のどかなスピンでありました。

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 ・・・

 ・・・ 心を癒される歌声・・・

 ・・・ 変な感想より、AMAZONでのレビューをそっくり引用させてもらいます。ご注目の歌手!!

 ・・・ 以下、引用です。

 アルバム2曲目の『JE VEUX』がラジオから流れてきて、一発でハートを鷲掴みされました。

 調べてみると、彼女は1980年にフランス中部の町トゥール生まれで、今年31歳。

 最近までパリのモンマルトルでストリートミュージシャンをしており、エディット・ピアフを中心に
 歌っていたとのこと。

 このアルバムのシャンソンでありながら、時にブルージーでジャジーな要素も兼ね備えた曲の数々と、

 彼女のしゃがれた歌声に、完全にやられました。

 アルバム全体を聴き終えると、まるで出来の良い映画を一本見た後の様な満足感が得られる1枚。


 彼女の歌声には、ラテンの太陽が有り、夜の街の空気が有り、パリのエスプリが有るのです。


 因みに、このアルバムはフランス本国では8週連続で1位を記録したそうで、今後の活躍が非常に
 楽しみなシンガーですね。


 追記:ZAZの名前に関するプチ知識。

 彼女の本名は『Isabel Geffroy・イザベル・ジュフロワ』…本名からは全く芸名が想像も出来ない…

 では、何故に芸名がZAZなのか?

 ZAZの『Z』は、アルファベットの終わりの文字で、『A』はアルファベットの始まりの文字。

 つまり『終わりが有れば始まりが有り、始まりが有れば終わりがある。そしてまた始まりがある。』

 みたいなチョット哲学的な芸名だそうです。プチ知識でした。

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